大阪西区5Th Streetは「気」をもってして台風という災いを寄せ付けなかった
2024年09月01日 | カテゴリー: 山木康世
5Th Streetの建物は築100年という。頑丈な建物は100年などものともせず我を迎えてくれる。戦争にも生き延びて、ここから焼け野原の向こうに大阪駅や通天閣を四方に見ることが出来たという幸運なビルである。日本で始めてディスコが行われたビルともいう。
予定時間よりもはや目に着いたが少しきつい階段を3階へ。前田さんが黙々と汗を拭き拭き独り言も交えて今日の配信ライブに向けて準備中だ。この入念な準備が今日の結果を執り行ってくれた。
僕の声の性質を分かってくれて少し変化をつけてくれた。それも曲によるイメージを分析、瞬時に対応、より良好な歌声を作ってくれた。何度も心通わせている結果と断定した。いくら腕のある人でもこうは行かない。やはり時間は大事なのであるな。
ギターの音はGibsonB25の特性を十二分に知っていての話、少し手を加えて更に良い音に仕上げてくれた。会場と人の有無、機材の関連性で耳に伝わる音は変化する。さじ加減ひとつで良くも悪くもなる。こんな魔法のようなことを前田さんの脳みそは2時間を超えるLIVE中フル回転。休むこと知らなかったようだ。更に照明の色分け作業。カメラワークと追い打ちをかける。このときの前田さんは時間を忘れている。歳を取ることを忘れている。否むしろ脳が若返った分身体も若返ったはずだ。
普段と違う良好なる声やギターに僕の脳は大喜び。それはやる気という気になって空を駆け巡る。僕も時間や歳を忘れていた。
台風の話で弄ばれた反動か、滅多にないほどの音楽会をつつがなく、いやそれ以上に執り行うことが出来て前田さんに、お客さんに、そしてミューズの神様、弁天様に大いなる感謝の夕刻。
100年とはいかないまでも、その半分50年間作り続けてきた我の証。子供や孫が成長するのと同じように、当時作った歌たちは進化を遂げて成長してきたYAMAKINGSONGS。
さぁ今日はガラッと変わって蔵によるLIVE、果たしてどのような蔵出し一番を皆様の前に提供できるでしょうか。
高槻の町は、長姉が若かりし頃住んでいた町。病気が一時好転して飛行機にも乗れるように母が一度遊びに行った町でもある。みんなして喜んだなぁ。
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