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池袋ムーブメントスタジオ節目の9月

2024年09月07日 | カテゴリー: 山木康世 

札幌に戻った次の年、31歳の9月は節目の年だった。
コックリさんのお告げは1年に迫っていた。
「山木さんは32歳で死にます」ありがたくないお告げを地元女子高生3人から上京前の23歳で聞いて、何かとあの頃の歌の詩に反映されていて、結果ありがたかったのかもしれない。今でもますますよく歌えるわけですから災い転じて福となすとなった。
実際には帰った次の年に朝野球で左足首完全骨折という不足の事態を招いてしまって3ヶ月入院を余儀なくされた。そして母との永遠の別れという9月を迎えた。
母が黄泉の国へと旅たった朝の、赤とんぼがスイスイと泳ぐ抜けるような空の青さを忘れることができない。夜明け前、病室の窓を叩いて母を起こすかのような大風もすっかり止んでいた。
あれから43年、31歳の僕は深い悲しみの中、今の僕と比べてまだまだ未熟だった、が札幌に戻ってまだ見ぬ未来への希望に燃えてもいた。6年の東京生活でできなかった音楽へののめり込みは強くなっていた。と同時にもっと地に足をつけた地元での生活も考えていた。
生きてきて半分以下の時間内で起こった節目の年は、神様から見ればあらかじめ設計内のことだったのかもしれない。74歳になろうとする9月の池袋ムーブメントスタジオにおけるLiveLibraryは少しおとなしめだったかもしれないが、今しか歌えない歌を噛み締めながら歌った。
ご参加いただいた皆々様にはどう写ったことだろう。
ムーブメントスタジオは照明も充実、環境も整備されて使い勝手が良くなってやりがいのある一日となった。
明日の西新宿あんさんぶる音、1週間後の柏WUUではテリーズテリーを弾きまくり、テリーさんへの弔い感謝としたいと考えている。

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