八千代ライブカフェ「凡(ボン)」におけるステキな土曜夕刻
2024年09月15日 | カテゴリー: 山木康世
今日は柏からの移動である。同じ千葉県内への移動であるので、少々高をくくっていた。おまけにマイカーのナビには新しい高速道路がデータされていなかった。
下道で1時間ほどで着くだろうと高をくくっていた。しかし実際の下道の渋滞さは尋常ではない。一つの信号を通過するのに3回も待たされる始末。これでは先が思いやられる。iPhoneのマップで行く。iPhoneには最新情報が載っている。流山高速、及び外環道がビスタナビには載っていなくて、道なき道を走る。やはり道路も生き物であるとつくづく思う。更新状況を教えてくれなくては意味がない。DVDによるカーナビを感じてしまう。2002年に乗り換えた車は、一変した世の中に付いてイケてなく、むしろ困惑さえ覚えさせる。親しんできた女性アナの音声を遮断、iPhoneの男性案内に身を任せた。
予定通り40キロを走り「凡」に到着。ママさんはわざわざ下まで降りてきて荷物の搬入を手伝ってくれた。意外と出来そうで出来ない歓待の実印。いそうでいない人に会って身体共に軽快となる。
ピアノの鎮座するステージは、毎日の空間に思いを巡らすと音楽のある毎日が頭を巡る。インテリアはヨーローッパ基調である。シックで穏やかなライブカフェは自然気持ちも穏やかで豊かになる。アメリカンフォークが基本であるが、年齢を重ねてヨーロッパの空気感が馴染むようになってきた。
今日もスタンディングによる2時間半のステージ。まだまだやり足りない時間であった。昨日の柏とは一味違う、ほぼ全曲総入れ替えの趣、メニューである。
「凡」は「平凡」であること。ことさら取り上げないこと、しかしフランス語「Bon」は「いい、ステキうまい」おそらくこの2つを加味して店名を決めたのではなかろうか。もしもこんな決め方をした人の店なら僕の性に合っている。さりげないステキさは平凡であるが非凡なのであるよ。
セシボンは「とってもステキだ」さりげない言葉だが、そんな歌もあった若き日の思い出。死語になってほしくないと思いつつデジタルの世の中に生きている。
八千代は非常に長い時間のこと。山木八千代も悪くない名前だな。また伺いましょう、皆さんありがとうございました。
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