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沖縄市ミュージックタウン音市場ホワイエYAMAKINGSONGS

2024年10月05日 | カテゴリー: 山木康世 

約1年10ヶ月ぶりの沖縄である。大雨雷警報発令中の中、初日は沖縄市。
昭和49年コザ市と美里村が合併して誕生した街。昭和49年と言えば「白い冬」デビュー、50年前の話である。生涯初めて足を踏み入れた沖縄。鮮明に昨日のことのように覚えている。
1972年沖縄は佐藤内閣の元、祈願の日本復帰の年である。佐藤栄作は74歳に亡くなっている。1964年から1972年8年間、自民党総裁を努めて、良くも悪くも今の日本の日米関係を推進、大きな飛躍の原動力となった。その頃僕は札幌で中学高校大学と多感な歳月を過ごしていた。14歳で東京オリンピック、新幹線、東名高速道路と日本は欧米並みの国力を取り戻した観のある年である。ギターを覚えてグループサウンズに日本の洋楽もどきの音楽に夢中になり大学で「ふきのとう」を結成した頃である。まさに自分の50年と符合していて面白い。地元では冬季オリンピックが行われた1972年である。
その頃沖縄は揺れに揺れ動きアメリカから独立を果たし晴れて日本国、世情は今とは考えられないニッポンだった。
沖縄市の誕生がまさに「白い冬」と同じ年だったとは意外な発見である。そして今回50年目の節目に沖縄市。これも意外な天晴れである。
雨の中、熱心なお客様に支えられてのYAMAKINGSONGS20曲の2時間は珠玉の充実の2時間。伊達には生きてはこなかった。流行歌で終わらせたくなかった自分の音楽生活。独自のシンガーソング&ライターにやっとたどり着いた。今回の公演は記念の年の公演と相成って幸福である。至福の観でいっぱいの沖縄市ミュージックタウン音市場ホワイエ。
まだ3回行われる沖縄での公演で更なる確かなものとする。みなさんありがとうございました。

集中してBOSSの歌と演奏に聴き入る沖縄のお客様


音市場のステージにも大旗が映えています


三線を弾く子供たちの絵がかわいいです

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