となりの電話 山木康世 オフィシャルサイト

那覇市桜坂劇場は長い一日の始まりだった。

2024年10月06日 | カテゴリー: 山木康世 

夜中に目を覚ました。桜坂での思いを書こうとサーフェスをバックの中から取り出した。充電をしなければ、さてと想い中に手を突っ込んで探した。えっ?ない、ない、ない。では銀のコロコロバックはと思い丑三つ時の探索が始まった。たしかこの中に入れた記憶もある。ない、ない、ない。
それから6時間ほど前の終演後の荷物整理の大捜査線が始まった。サーフェスを棚の上に置いた記憶が最期の手がかり。その後どちらかのバックに仕舞い込んだような、そうでないような。30分も途方に暮れて、最悪のことも考えた。バックアップしてある大事な歌のデータはなんとかなりそうだ。あの棚の上に、幸運なことにまだそのままにあったらであるが、映画館でもあるので、公演後他の通りかかったお客さんの目に入ってそのまま失敬などと拾われていないか、などなどいろんな妄想が頭をグルグル、酔もいっぺんに冷めてしまった。こりゃ朝まで眠れんぞ。でも疲れで4時間寝て目を覚ました。朝日の中やはりサーフェスはどこにもない。
9時半から桜坂は開いている。早くに連絡を取って安否を知りたい。長い2時間だった。電話をいれると係の人が調べて連絡をくれるという。まずまず連絡がついたという事実だけでも一安心。朝の光は希望の光である。窓の下の忙しくなり始めた国際通りを眺めながら、どうぞ神様幸運を。
そして桜坂に出かけた。あの最後の記憶の棚へ一目散走っていった。あったあった。地味な色合いの棚に溶け込んでしまいそうなサーフェスは昨日のままあった。幸運なことの成り行きに感謝、日頃の行いに感謝。みんなに感謝だった。よくぞ見ず知らずの目につかないでここにいたねぇ。よしよしと頭を撫でてやった。
そこで思った教訓を。
目立たないことは日頃探すのに戸惑うこともしばしだが、こんな時、逆に目立たないことが功を奏する。その前に日本人の道徳の一つに他人の荷物などは絶対に関与しない、もしくは拾ったら警察に届ける。困っている人の立場になって物事を考える。これが常識だった。しかし今はいろんな国の人達が訪れてそうも行かなくなった時代になった。忘れた、落とした人の責任で目に入ったものは持っていきますよ。こんな非常識なことがまかり通る時代になってしまった。
やれやれ事なきを得て、ダイアリーを書くのを忘れてしまっていた。
長い半日が朝で終わってしまったような気分で忘れてしまっていた。
非常に良好な桜坂劇場だった。永の知人たちの訪れもあってやる気や集中力も存分だった。その後の泡盛、赤魚も最高の夜だった。しかしその後に訪れる丑三つ時の大捜査線の伏線になっているとは誰も神様もご存知あるめぇの桜坂劇場興奮の結末の一日であった。
みなさまありがとうございました。

那覇の中心部にある「桜坂劇場」