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横浜市大倉山記念ホール八神将(しんしょう)と大倉邦彦

2024年12月12日 | カテゴリー: 山木康世 

もう二十年も経つのだろうか。三百神将が東京は中野、新井薬師寺近くで産声を上げた。時は二千四年実にYAMAKING音楽生活三十年の御祝い、守護神として誕生した。紺のジーンズ、手にはGibsonB-25 を引っさげての神将である。あれから幾年月、全国各地北は礼文島から南は沖縄まで何万海里、海原お浜小浜、宇宙をどれほど駆け巡ったことだろう。山有り谷有り山木有り。二千二十四年八人の神将たちと共に現れ出でたるは横浜、大倉山記念ホールである。
大倉喜八郎とは全く関係のない大倉邦彦という教育者が一千九百三十二年創建の建物である。当時珍しかった女学校や幼稚園を創設、東洋大学の学長などを兼任した偉いお方である。日本の文化伝統を重んじ社会の役に立つ立派な人物を育てたいと九十二年前に創建した、由緒ある建物なのである。特に精神文化を育て育むことに尽力したとある。今まさに我が国に足りないのは、この精神文化である。あまりにも受け狙いやショッピングが全盛である。如何にして人は生きるか、他人と折り合いを付けて生きてゆくかが不足しているようである。
石造りの天井の高い誉れ多き大倉山記念ホールに於いてのみなとみらいヨコハマLivelibraryは予想以上の収穫の多いLiveとなった。大成功のそこには八神将のお出ましも見逃せなかった。
調弦ペグ部損失という訳あり神将は微動だにせず2時間を守護し、昭和バーゲンセールのような貰われ方で八名の理解者に元に。願わくば大倉の願いを受け継いで貰いたい所存でヨコハマ港北区を後にした。
冴え渡る師走の夜空には半月のような月が煌々と、きらめく星座が今夜の寒さと明日の晴れを約束していた。明日は国立へと歩を進める。
皆様ありがとうございました。赤い靴履いてた女の子も途中で酔い潰れず無事帰宅したようです。

八神将がステージに並ぶ


天井が高く重厚なホール。多くの皆様ありがとうございます


ライブ終了後、正面入口で

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