高松遅歩調後始末記
2010年05月04日 | カテゴリー: ミュージック・コラム
大型連休、どのようにお過ごしでしょうか? ってかい。走っているよ快調に。
昨日は大阪→明石→明石海峡大橋→淡路島→大鳴門橋→徳島→高松。なんと大阪から明石まで、橋にたどり着くまで3時間、窓の外をマラソン選手が手を振り笑いながら駆け抜けて行く幻視が。何という高速運転。天気はさらに加速をつけ、雲ひとつない晴天、気温もグングン上昇。さすが四国であるわい。
「SlowStep」は中心街から香東川沿いの郊外へ引っ越ししましたが、眺めの良い音楽の店に進化しておりました。
マスターの愛犬、ベル社長は連日の運動によりお疲れ、おねむでございました。
ところで世の中には鳥の苦手な人がいる。あの鳥のクチバシ、足の鱗状のかぎ爪、すべてが怖いそうでございます。黄色いヒヨコの可愛いピヨピヨの話をすると、顔面を強ばらせ、唇をキュッと引き締めて、イヤ、イヤの反応をする。聞くと幼き頃のトラウマが。首を切り落とされた鶏が血しぶきを上げて走り回る姿が強烈に脳裏に焼き付いているとのこと。何と残酷なことを、今では動物愛護団体から猛烈な抗議、たたきのめされるような行動。これは僕も遠い昔、目撃している。
当時あちこちの家々で鶏を飼っていた。家族が食うための卵と肉の飼育が目的である。あくまでも家族が生きて行くために必要な栄養を鶏が担っていたのだ。卵は毎日産み落とされて僕らの食卓に。そして問題の肉は、もう卵を産まなくなった鶏の末路なのであろうか、一人の男によって振り下ろされた出刃包丁によって首を切り落とされる。首から流れ落ちる血をカップに受け止める。その血は元気回復の元、お年寄りに配られる。首のない鶏は信じられないが付近を走り回る。この姿が恐怖となって今でも時々おそってくる。やがて鶏はぶっ倒れる。それをムンズとわしづかみ、蒸気のムンムンと立ちこめるお湯の容器に鶏をザブンとつける。僕はあの臭いも脳裏にこびりついている。そして男はお湯から引き上げると毛をいとも簡単に引き抜き始める。やがて素っ裸になった哀れな鶏が真っ白い素肌を表す。
カレーライスの中に収まった夕方の鶏の恵みをムシャムシャとスプーンですくって食らいつき僕らは大きくなった。成長した。ありがとーニワトリさん。
鯨やイルカ漁をすることがやり玉に挙がって妨害行動を受ける。妨害する自分たちは牛を、魚を、豚を平気で殺して食っているのに、何と自分勝手な論理で行動を。人は生きて行くために何でも食って生き延びてきた。本当にグロテクスなものまで口にして生き延びてきたモンだと感心すること度々である。
そんな動物はアリガターイ天使様なのだ。神様からの贈りもの、恵みものなのである。動物は人間様のために犠牲的精神で尽くしてこられた。エラーイ、人間よりもエラーイことが見えてくる。
父の旺盛さを示す例の一つに小鳥の剥製作りがあった。野ウサギの毛皮作りがあった。あの当時の大人たちがよくやった旺盛さであって、父だけではないだろうと思ったりする。僕らの時代には動物を自分の手にかける勇気を持ち合わせていない。そんな時代でもなくなってしまった。
各地でサルやシカが人間世界に被害をもたらしたという情報が聞こえてくる。難しいモンだ、人間と野生動物の共存。
僕は音楽でそんな問題の欠片を歌ってきた、歌っている、さらに歌っていこうと思う今日この頃なのだ。
めんどりぶるうす
可愛いめんどり 可愛いめんどり オハヨーオハヨー 可愛いめんどり 村で一番 可愛いめんどり
卵を産んだよ 卵を産んだよ 初めて初めて 卵を産んだよ 白い大きな 卵を産んだよ
ひよこになったよ ひよこになったよ ピヨピヨ ひよこになったっよ 藁のベッドで ひよこなったよ
ひよこが逃げたよ ひよこが逃げたよ 大変大変 ひよこが逃げたよ ある日どこかへ ひよこが逃げたよ
めんどり泣いたよ めんどり泣いたよ 毎日毎日 めんどり泣いたよ 哀れ嘆きの めんどり泣いたよ
めんどり死んだよ めんどり死んだよ 淋しくて淋しくて めんどり死んだよ 月夜の晩に めんどり死んだよ
めんどり食べたよ めんどり食べたよ みんなでみんなで めんどり食べたよ 今日は涙の 焼鳥のぶるーす
(山木康世)