となりの電話 山木康世 オフィシャルサイト

プロレスが好きだった 2

2010年06月13日 | カテゴリー: ミュージック・コラム 

我が家にテレビがきたのが中学の2年の時だった。父は大枚をはたいてカラー18インチを買ってくれた。NECの4本の足つき大型豪華テレビだ。もちろん床の間にデンと座ってもらった。日本は東京オリンピックで持ちきりだった。父もそれまでは子供たちの学業がおろそかになるとして買ってくれなかった。それが家は建てるは、カラーテレビは買うはで家族へ大判振る舞い。父にとっては一生一大、清水の舞台から飛び降りたのだろう。父の年齢を計算すると、今から46年前、父が生きていれば97歳、ということは51歳の大勝負ということだったのか。やったね父さん!
7時からの新日本プロレスアワーだったと思う。日本人同士の戦いだったが、誰と誰が戦っていたのかは記憶にない。レフリーは地味な感じの阿部レフリー。これはしっかり記憶している。

おそらく時間内に勝つであろう一人が相手のパンツに手をかけて逆さまに、垂直状態に持ち上げてそのまま落とした。これは危険な技である。頭から落ちたら首の骨を骨折しかねない、と素人の目には映るが彼らは計算、打ち合わせ済みの技なのだろう。ドスンと落ちて、そのままフォールに行った。阿部はカウントを始めようと床に低く体制を構えた。そしてカウントをしようと右手を床にたたきつけようとした。そのとき阿部は相手のパンツの脇から、なにやら黒々としたものがはみ出ているのを見つけた。阿部はとっさにそれを映しているであろうテレビカメラのレンズを見つけた。阿倍の動作は機敏であった。始めようとしたカウントを中断。右手でパンツをグイと引っ張って隠した。見てはならない。全国津々浦々にこんなものを見せてはいけない。素早かった。瞬時に隠れた茂みを、何事もなかったかのようにカウント始めた。
やれやれ、きっちり時間通り勝負は終わった。私の業務もこれにて終了。阿部は勝者の片腕を大きく持ち上げて、これからはあまり大技をしないようにとささやいたとかしなかったとか。
(山木康世)