還暦天晴音始末記
2010年10月25日 | カテゴリー: ミュージック・コラム
日曜日、都に降る雨は いとしめやかに降りました
土曜日の余韻を押しとどめるように降りました
一日は一日で同じ時間が巡るだけ
始まってしまえば2時間は2時間でしかない
南から北から磁石のSとNが引き合うように
六百名のエネルギーが中央に集まった
36年のキャリアと六十歳の初心が入り交じった
得も言われぬ不思議な時間の2時間は
まさにサタデイナイトフィーバー
あの夏の日、あの冬の日、あの時、あの場所、あの年齢のそれぞれの思い出の一コマが、シャッターを押した写真の映像のように脳の片隅を横切っている。
僕も思っていた。そうだよな、この歌を歌ったときの一コマはあーだった、こーだった。六十歳の決別。
「弁慶と義経」で六十歳の始まり。
還暦という言葉が現実味を帯びて我が身に降りかかったとき、自分はどのように世間に振る舞うのが自然体なのだろうと真剣に考えた。どのように過ごしたら自分流の還暦なのだろうと。
36年かかってたどり着いた自分の評価が下された。全国の理解者によって下された。
まさに天晴であった。
天気から時間からすべての宇宙の法則は一糸乱れぬ整然さで10月23日過ぎていった。
みんなの笑いと涙のエネルギーは飾り気がまったくなく、僕の心を真っ直ぐに突き刺した。
決して営業などと言う安っぽい還暦祝いではなかった。人間と人間同士の素直なお祝いの一日だった。いろんなうれしさを過ごしてきたが、格別な特上のうれしさがこの日に待っていたとは知らなかった。生きていることが無上の喜びとなった。
どんなお礼の言葉を尽くしても尽くしきれない。
一つだけ言えることがある。これからも良い歌を、特に良い言葉の歌を作り出すことが一番のお礼ではないだろうか。
そんなことを考えながら、中野通を横切った土曜日コンサートの朝。
歩道橋の下から突然、クリクリ目玉の小学生男子が見上げながら
「スミマセン、今日は何日ですか?」
「10月23日だよ」
「ありがとうございました」
あの少年は誰だったのだろう。学校が休みなことをうっかり忘れて登校してきたのだろうか。
「おじさんは今日コンサートなんだよ」って声を出さないでバイバイした。
日曜日の雨は涙雨だったのだろうか。
雲の上をフワフワと一日彷徨っていたような「この国に生まれて60年」の土曜日、どんな細胞が死んで生まれ変わったのだろう。
すぐに72号会報発行、新潟、前橋とライブが待っている。休んでいる暇はない。いつもと同じように、さぁ4階の階段をトントンと小気味よく下りて、月曜の朝を歩いて行こう。
「スミマセン、今日は何日ですか?」
(山木康世)