となりの電話 山木康世 オフィシャルサイト

江古田マーキーライブありがとうございました

2012年06月17日 | カテゴリー: ミュージック・コラム

「普段あまり歌わない歌をうたう」というテーマライブが実施された江古田マーキー。
たいへん多くのお客様にお越しいただきありがとうございました!
次回は8月18日(土)です、よろしくお願いいたします。

3月10日(土)限定盤新CD発売!

2012年03月05日 | カテゴリー: ミュージック・コラム

3月10日「復興前夜」コンサートで当日限りのCDを限定販売します。

タイトル
「復興前夜~三陸福島鎮魂歌~
収録曲
1 SANRIKU FUKUSHIMA鎮魂(インストゥルメンタル)
2 復興前夜
3 遠い夜明けのブルース
4 粒粒辛苦
5 早く来い来いおらが春
6 ケ・セラセラ
7 静かに水の流れが岸を削って行く
8 勝手に持って行くな

全8曲2000円。売り上げの一部を三陸・福島県に寄付します。
多くの皆様のお越しをお待ち申し上げております。

明日18日ラジオ生出演

2012年02月17日 | カテゴリー: ミュージック・コラム

2月18日(土)レインボータウンFM http://www.792fm.com/ にて
山木康世が生放送の番組「大江戸ワイド Super Saturday」に出演致します。
放送時間は12:00~13:00、この間に出演いたします。
インターネット放送もありますのでぜひご視聴ください!

札幌にてリハーサル

2011年07月21日 | カテゴリー: ミュージック・コラム

ベースの木村圭子さんと音合わせ中。
共和町の皆様、すばらしいライブになること間違いなしです!

三陸を救え!

2011年03月16日 | カテゴリー: ミュージック・コラム

しばらくの間、書く気も話す気もなくなっていた。
町がまるごと一つ目の前で数分で崩壊して行く。テレビの前で思考停止ゼロで見入っていた。これは映画ではない。今現実に起こっている事件なのである。歴史の発端なのである。

こんなことが起こって良いのだろうか? 今までの我々の築いてきた哲学やマナーや幸福感など一切お構いなく大量の水は数分でやってきて去っていった。すでにこの世にいない父も母も祖母も祖父も想像できない現実の姿を我々は目撃してしまった。

おそらく地球上では何度もこのような大地と水の営みは行われてきたのだろう。
しかしそれを目の前で世界中の人が目撃するなどということはなかったはずだ。何もできずにただ見ていることしかできない。水がなくてはすぐに命を奪われる、か弱い人間。
しかし水ほど怖いものはない。まさに両刃の刃である。

1000年に一度の大惨事、よりによって集合体で襲ってきた。
非常に穏やかに優しく振る舞ってきた日本人、日本国が非常な力で根こそぎ崩壊された。前もって宣言することもしないで大自然の宣戦布告、なすすべもなく町が無くなってしまった。家もお墓も信号機もポストも学校も犬も猫も人間も花も木々も役場も警官も消防士も車も電車も車いすも、大事な大事な心も全部持って行った。
すべてをゼロにしてしまった。否ゼロ以下にしてしまった。

生き延びた人たちの心の声を我々は静かにして耳を澄まして聞く努力が必要だ。そしてできるところで手をさしのべる。
現場から遠く離れた僕すら茫然自失の状態、現地の人たちの整理しきれない気持ちをくみ取ろうと努力しよう。
そして原発も翻弄されている。必死の努力で納めようとしている。

戦後焼け野原から復興した日本、日本人、我が親たちの世代。
僕はネジを巻き直して今一度自らを見つめ直している。
三陸を救え!

(山木康世)

僕に何か御用ですか?

2010年12月23日 | カテゴリー: ミュージック・コラム

何とも珍しく穏やかで暖かい12月の夜の町、蕎麦屋でカレーを食し今日は冬至かと思った。昔は家でよくカボチャの煮付けがこの日には出たな。母ちゃんの味付けはニッポンイチ。高知県安芸市からたくさんもらったユズをマーキーのお客さんに、ユズ湯でもどうぞと配ったのはいつだったかな。確か今頃のライブだった、
一年で一番夜が長い日、これからは徐々に昼が長くなると言うわけか。結構なことだな。北海道の冬など4時と言えば真っ暗だ、みんな冬眠前の熊のようにイソイソと家路を急ぐ。寂しい限りだ、まだ4時だぜ。
そんなこんなで食い終えて薄暗い道を帰ろうと自転車置き場へ向かった。後にニュースで、12月に入っての今日の暖かさは50年ぶりということを知る。
細い路地は人と通り過ぎるとき、気をつけなければ肩に当たってしまうほど狭い。

「すみません、僕に何かご用ですか?」
一瞬何か道でも尋ねられたのかと思い、そして何か変な会話だな、そして顔を合わせてしまい、そしておまけに目まで見てしまった。こりゃやばい、普通の目じゃない。
そして「…別に…」と答えていた。
やせ気味逆三角形、風が吹いたら飛ばされそうな鉛筆のような、かなりキチンと身なりの整った学生風、めがねの生気のまるで感じられない薄気味の悪い男に声をかけられ驚く。返事をした後、様子をみるでもなく早々に立ち去った。

マズイ、マズイ、奴はマズイよ。しかし奴は後をつけてくる模様。後ろを見ないように、足早に振り返ることもしないで自転車置き場まで急ぐ。走ったりして奴も追っかけてきたりして、見知らぬ男と夜の徒競走はないっしょ。この間1~2分、角のパチンコ屋の向こうに自転車は置いてある。そいつを曲がって何気なく見るともなく見ると、暗がりの中キラリと、まだついてくる様子。

急いで水色の自転車のキーを指し、遠回りになるが奴の方へは向かわず逆方向へ帰り道、腰を浮かしたままペダルをこいだ。まさか本気で走って追っかけてきたりしてはいないだろうな?

あいつは何なんだ、またどこかででっくわしたらことだな。それにしても何で自分に「ご用ですか?」なんだ、「用事ですか?」だろう。丁寧語の間違った使い方じゃないか。それとも俺、つまり相手に対し丁寧に使っていて間違いではないのか、あー根本が間違っている。俺がお前に何かご用ですか?だろ。お前が先ず「すみませんが?」で俺が「ハイ、何かご用ですか?」だろ、これが正解だぞ。あー何で奴の言葉遣いを検証しながら俺は自転車で暗い夜道を急いでいるのだ。
年末は何かとみんな気ぜわしく、どんな気持ちで過ごしていることやら、クワバラ、クワバラ。頭の中に呪文のようにさっきの「すみません、僕に何かご用ですか?」が駆け巡る。

あれからあの男は、師走の町で何人に声をかけて、今頃自分の部屋で氷のように冷たい表情で鏡に向かって「すみません、僕に何かご用ですか?」なんて独り言言ってニヤニヤしているのだろうか。
あー夜からずっと奴の言動が走馬燈のようにつきまとってくる。あのとき俺の出方次第で事はどんな展開をしたのだろう?手に隠し持っていた果物ナイフで…

昨日は事務所のポストにティッシュにキチンとたたまれくるまれたレジの領収書が5,6枚。誰が何のために?何のメッセージだろう。だいたいがレジの要りもしない領収書を見知らぬヒトンチへ置いてゆくかだ、それもご丁寧に紙に包んで。これも考えたら気味が悪いだろう。私の昨日をお知らせしますってかい。

みなさん人には親切にしましょう。しかし時と場合により触らぬ神に祟り無し、しかし宝くじでも当たんねぇかな、騒がぬ紙に当たり無し、しかし世の中は難しいねぇ。

(山木康世)

BAKARASHI

2010年12月20日 | カテゴリー: ミュージック・コラム

■まるで組合の旗振り交渉の図。それが3万人、5万人だというから恐るべし。何ともナチスの大集会のような構図だ。何がってかい?そうさ、近頃の巷で流行っているコンサートだというから聞いて驚き、桃の木、山椒の木だ。
■サッカーの試合でもサポーターは大きな旗を振りかざし声援を送る。確かに分からないわけではないが、応援団は最上段に陣取って、大風にも耐えて試合中はためいていたものだ、野球の試合では。
■嵐とAKBがオリコンチャートシングル10位を独占。これは異常事態。これにエグザイル辺りがくれば非常事態、戒厳令である。音楽の瑞々しさや、もの悲しさの一欠片も無くなってしまった感に見える昨今の音楽事情。
■嵐は171億円をはじいたそうだ。何ともうらやましい、恨めしい数字である。いつからか集団による音楽が体勢を占めてしまった。まぁ人のやることなのでそれぞれである。しかしそれに群がる若人(おそらくそうであろう、中にはそうでないお方もおられるか)のお祭り気分と、我が日本の景気低迷、パワーダウンを思うとき何かしら白けた風が吹くのである。
■ARASHIとAKBを分解、合成してみた。BAKARASHI、以上ギブアップ状態の師走、日本の念仏踊りコンサートを評してみた。

山木康世

「湯冷めして風邪引くんじゃないよ」

2010年12月17日 | カテゴリー: ミュージック・コラム

そうだった、そうだった。
真冬の銭湯からの夜道、頭上には宝石箱をひっくり返したような星屑がひしめき合って光っていた。光っていたと言うより、夜空は白かった。というわけで天の川なんてわかるはずもない。どこが川でどこが河原でどこが草むらかなんて境がない。
体からは温もりの余韻が蒸気となってほとばしっている。髪の毛と言えばまるで鶏のトサカか剣山を乗っけたような感じでカチンカチンにとんがっている、風呂屋を出て、ものの数秒でこの始末、手にしたタオルを振り回す。どうですか、忍者の如く夜道を忍び足で、手には白い刀が握られているではないか。いつの間に、さっきまで体をゴシゴシ洗っていた、あの白いタオルが変身している。キャッキャッ言いながらチャンバラごっこで帰ってくる。
果たして気温は何度だったのだろう?寒いことは知ってはいたが、冷凍庫の中にスッポリとかのたとえを知らなかった。冷蔵庫なんて夢の夢のまた夢。
それにしても昔の母親たちは冬の間はいいとして、夏の時期をよく冷蔵庫なしで過ごしたもんだ。こまめにこまめに市場に買いに行ってたんだろうな。家族分、キッチリと剰らないようにやりくりしていたんだろうな、えらーい!洗濯機だってないから、朝から家族分の汚れ物を半日かけてお洗濯、洗ってゆすいで絞って干して、えらーい!
母の手も体に似合わず大きな頑丈な手をしていたのを思い出す。
まさに家族を守り養い育てた愛情いっぱいのグローブだ。何でも受け止め、お茶の子さいさい、目の前で魔法の如く問題解決。かぁちゃーん会いたいよ、と言ってみたくなった。
明かりのともった窓が見えてくる。玄関を開けたら常夏の世界が待っている、と言いたいところだが、アカギレやシモヤケがすぐにできるほどの暖かさしかなかった昔の室温。母はタオルで待ってましたとばかりにゴシゴシ、トサカを人間の髪の毛に戻してしまう。伝家の宝刀もすっかりしなびて石塚商店御用達と相成る。
「湯冷めして風邪引くんじゃないよ」冬の星座の向こうから母の声が聞こえてくる。

山木康世

かっち、聴いてるか

2010年11月14日 | カテゴリー: ミュージック・コラム

「みなさん、見てください、あの雄姿を、地元の方は見飽きてるかもしれませんが、遠く内地よりお越しの皆さん、コンサートは一時中断、写真に納めてください」
旧体育館の会場からガラス窓の外を見たら、見事な羊蹄の雪をかぶった山頂が西に傾き始めた太陽の光を浴びて真っ白く輝いていた。見事としか言いようがない。名人の絵の数万倍心を打たれた。陽の当たる角度の具合が丁度良いのか実に立体的である。山頂より下方に伸びた、幾筋の山ヒダが陰になり、日向になり一幅の絵画である。切り取って持ち帰りたくなるほど、あの瞬間の山と光の表現力は芸術であった。陽は時間を追ってすぐに西に落ちて行き、見る間に山の表情を変えて行く。窓辺に駆け寄ってニコン、カシオ、フジを両手に山に向けてシャッターを押し続けている。

かっちは毎日飽きるほど見ていたであろう羊蹄山。あの日、重機とトラックに挟まれて粉々になったかっちの人生。棺の顔は作られた人形さんのようであったと聞いた。身体は包帯でグルグル巻き。何も悪いことしてこなかったかっちがなぜにあのような死を選ばなくてはいけなかったのか。可哀想にとしか言いようがない。かっちが生きていたら、また違った故郷巡礼になったのに、悔しい。おまえはいつものように薄ら笑いを浮かべて、妙に人なつっこく、決して俺には反抗的な言葉を吐かなかった。「山木さん、また喜茂別でコンサートやりましょうよ」これがおまえの最後の言葉か、まだまだ若かったのに、まだまだいろんな夢を見て暖かい冬を迎えられたのに。

かっち、聴いてるか、歌いに来てるぞ。羊蹄山だってこんなに歓迎してくれたぞ。

そしてコンサート会場は「弁慶と義経」が終わり、照明が効くほどの薄暗さになり「嶺上開花」最後の熱演、みなさんとお別れだ。3番のさびの繰り返しに来て、突然場内の電源が落ちて、暗くなり、アンプはダウン。一瞬のうちに生の歌声とギターになった。この音量の違いに異次元に迷い込んだような錯覚を覚えた。しかし異次元ではなく、こちらの生の方が我らの生きている次元であった。場内から力強い合唱が輪になって、こだまのように聞こえてきた。最後の最後に電源は復活、見事な演出。もしかしたら、かっち、おまえの仕業だな。

故郷巡礼、本当の意味で自分のバックボーンを育んでくれた羊蹄山山麓の11月に乾杯である。

2時間ほどで札幌に舞い戻ってきた。あの頃の札幌は、遠い山の向こうの知らない町、僕は父さんの肩におんぶされて降り注ぐ頭上の満点の星々を見上げていた。まさか六十歳になるころにここでコンサートをするなんてだーれも知らなかった。いつもいつも未知の妙薬で味付けされた毎日の連続で僕の心は休む暇がない。かっちが「お先に失礼します」と言って、先に休んでしまったことが未だ信じられない。

(山木康世)

リハーサル

2010年11月12日 | カテゴリー: ミュージック・コラム

いよいよ本日となりました札幌記念コンサート。

前夜は熱いリハーサルが行われました。

明日は晴れそうです。皆様のお越しをお待ちしております。

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