横須賀市音楽ホールこだち千葉から東京、神奈川へ
2025年05月12日 | カテゴリー: 山木康世
千葉県東金から木更津へ、そして海ほたるを川崎方面へ。89年に行われた横浜博から30数年、海ほたるは何年になるのだろう、過去3回走ったことがある。幕張が見える。スカイツリーが遠方に、誠に気持ちの良い5月の東京湾の潮風である。
浮島で横浜方面へ、大黒ふ頭、レインボーブリッジを超えて横浜八景島が見えてきた。八景島と言えば「シーパラダイス」東京に越してきた頃、横浜は博覧会真っ最中、そして八景島を知った。ある日そこにある水族館に行きたくなり、午後の遅い時間に車を走らせて閉館間際に着いた。そして「皇帝ペンギンオーロラの空へ」を作った。
「こだち」のある横須賀市追浜は直ぐ近くである。一度ここをおとずれているのだが全く記憶にない。会場に着いたら「あーここだ」と通常は落ち着くのであるが、今回は楽屋に入っても全く記憶にない。それどころか追浜が横須賀駅前の中心街とはかなり離れていることも意外だった。YAMAKING面目なく穴があったら入りたいほどの記憶力である。
「皇帝ペンギンオーロラの空へ」「三浦半島波高し」「小春日和」と冒頭3発を神奈川に敬意を評し特化して選曲。
ラストの「水の底に映った月(徐福伝説)」まで2時間超えの渾身のYAMAKINGSONGS、如何だったでしょうか、是非感想などお寄せください。
現代はマスの時代、音楽などは量より質という大事な局面もあるのですが、あまりにもランキング重視が気になるところ。本当は歌の持っている質も問われるところ。ある種作り手の思考が大きく関わる問題とも思っている。後世まで長く記憶に残る歌を作り出せるか、発見を見いだせるか?Beatlesの偉大なところはアイドル的顔面の良さもさることながら、数々の楽曲の良さであることは間違いのないところ。時を超えてYouTubeに登場するBeatlesはもはやクラシックの領域である。同じ時代に生きたことは奇跡かも知れない。良い時代に生まれ育ったもんだ。
規模はゾウとアリほども違いがあるにせよ、音楽人として生きる心意気は何も変わりはない。
追浜はその昔、源氏の某が追われて遂に逮捕された浜で、村人が追い浜→追浜と言う地名にしたそうで、街に歴史有り、人に歴史有りである。

追浜で2度目のライブ。北海道からお越しのお客様も

東金から横須賀へは東京湾を横断。海ほたるで休憩

やっと150年
千葉県東金市八鶴館で花火を打ち上げよう
2025年05月11日 | カテゴリー: 山木康世
丁度1年ぶりの八鶴館、東金市まで車で2時間である。北海道の人で東金を知っている人は何人いるだろう。僕は小学校のころから地理が好きで、理由は分からないが東金は知っていた。おそらく東のお金とかが面白くて知ったのだろう。
その昔家康が鷹狩りとしてこの地を訪れていた。小さな池を見て、大きな人造湖を吉田某に作らせたという話を前回来たときに知った。春にはサクラの名所で各地から賑わうという。
「山木」のご本家は千葉県で「八巻」がルーツらしい。道の途中に「ヤマキ質屋」「居酒屋康世」を見かけた。ヤマキはそれほど珍しくなくなってきたが、康世には驚いた。お客様からの情報でした。生涯3人しかお目にかかったことの無い名前のこと故、非常に驚いた。
ネガティブにでは無くポジティブに生きよう。
そこで早速実践した。「花火」という歌があって歌のラストに「もう消えちゃった 僕の花火 もうなくなった 僕の花火」という最後、それを「まだ消えてない 僕の花火 まだなくなってない 僕の花火」とした。今までの寂しく終わってしまう花火の命に力強い息吹を吹き込んでみた。良いのである。52年ぶりに改作してみた。どうせ生きるのであれば、せめてポジティブに。とても大事なことのように感じて力強さを僕ももらった。
年に2回訪れても良いなぁと思うほど目の前の池と八鶴館のたたずまい。場内の音の響きが更に後押し、もう少し地元の人にもより多くアピールをしたいと家康つながりのYAMAKINGSONGS。
お忙しい中お越し頂いた皆々様へ感謝の意を、そして僕の歌たちによって明日からの生活が少しでも潤うよう祈願します。
またお会いしましょう、どうぞお元気で。

山木節炸裂

ご夫婦でのご参加が多かったライブ。皆様もお誘いあわせください

重要文化財の建物も見ごたえあり

家康ゆかりの八鶴湖
神楽坂イタリアンアズーリ+チャペルの昼下がり
2025年05月08日 | カテゴリー: 山木康世
先日3日土曜西新宿あんさんぶる音で行われたYAMAKINGの後、「これから丁度1週間空いてますな、体が鈍って心配だわ」とささやいた。それを聞きつけ、「探しますか?良いですよ」という返事。「腹ごしらえを皆でランチして、歌の歌詞に飲食のキーワードがある歌をリクエストして貰うというのはどうだべな?」
それから3日日を置いて快晴の元、神楽坂チャペルで今ではもうかけがえのない隣人様たちとのYAMAKING。
アズーリにおける皆様たちとのお食事。大満足の御満腹、お腹にたっぷりブーちゃんを仕込ませて、はす向かいという程に近い日差したっぷりのチャペルで「飲食関係限定演奏会」
誠に満足の連休明けのYAMAKINGSONGS。遠く栃木・福山からもご参加頂き只今現在健全である心身に感謝、これからの身体安全家内異常なしを祈願、2月以来のチャペルは音の響きが最高で、脳みそがリラックス幸福へといざなってくださった。別れを惜しみつつ神楽坂という坂で神様と楽しんで坂道を下って参りました。
医食同源、病は気から、幸せは青空の彼方から、心より皆様方へ感謝、まだまだ道は続く。良い人生への同伴者、随伴者として今後ともどうぞよろしく御お願い奉り申し上げ候也。

明るい初夏の日差しが差し込む会場

100%リクエストの楽曲でした
端午の節句
2025年05月05日 | カテゴリー: 山木康世
今日はこどもの日。端午の節句。心に鯉幟を打ち上げよう。
雪の溶け始めた5月の風に乗って翻る6匹の鯉幟。東京の節子叔母さんからのプレゼント。
冷えて冷たい畳の上に母が広げた新聞紙にくるまった吹き流し、緋鯉、真鯉たち。オレのは一番最後の小さな鯉だ。黒が基調の鱗模様だったのを覚えている。
叔母さんは遠く離れた大都会東京で山の中の姉さんの家の生活を考えて贈ってくれたんだな。長い半年の冬の暮らしは想像を絶する他と隔離された世界。雪が溶けて春の初まり。子どもたちの嬉しい顔を思って贈ってくれたんだ。と思いたいが真相は闇の中。
中国人と結婚して大久保界隈で中華料理店を営み、離婚、ブラジル人と再婚したのを覚えている。波乱万丈の人生を送ったようだ。
鯉幟を見ると節子叔母さんの笑顔を思い出す。母からすれば国家公務員の地味な生活、妹の恋多き華やかな東京の生活をどう思ったことだろう。叔母さんの晩年は京都でアパート一人暮らし。仏像の世界に執心、生きていたようだ。
みんなが生前中は、そのうち時間ができたら色々と聞いてみたいと思ったことが聞けずじまい。惜しいことをしたと思う事柄の一つだな。
ご両人とも漁師網元松太郎さんの娘たちである。
新宿区あんさんぶるStudio音から50年の足音が聞こえてくる
2025年05月04日 | カテゴリー: 山木康世
「お客さん、ここは東京都の水瓶、来年にでも何処かに移転して副都心が作られるそうですよ。」
「へぇー!副都心か、未来都市ですね」
「陰で政治家の暗躍が見えてきますが、私どもにも情報が来たってくれぇ裏でゴッソリとお金が動いてるんだろーなー」
「これだけの膨大な街作り、どうなってるんですかねぇ。まぁ淀橋なんかの昔の住所が声なき声で教えてくれますね。」
「そうですね、昔の面影を住所が教えてくれますね、アーハァハァー」
僕がデビュー前に東京を訪れたときのタクシードライバーとの会話だ。
あれから50年以上が過ぎ去って、今ここに立っていると感慨深いモノがある。僕が札幌からお江戸へ移住したのが平成元年4月、サクラが咲いてたよ。ベランダの遠く向こうに生き物のような高層ビル群の赤いランプが点滅している。初め京王プラザホテルが建ち初めのろしを上げた。あれから随分増えた副都心ビルだなぁ。
ニュースでは何でも丸の内の都庁が移ってくるそうだ。世界的に有名な建築デザイナーが設計をするそうだな。
巨大な建物が仁王立ちしているような都庁には頼もしさも感じるが、同時に威圧感も感じた。ここが副都心の顔、東京の顔、日本の顔でもある訳か。そこには未来は感じるが、先人が遠大な時間をかけて作り上げてきた日本固有の伝統文化の面影は微塵も無い。そこでは都の水を売ってて、ビルの巨大な壁にはマッチング映像が年間億単位で映されているそうだけど、そんなために税金ははらいたくないなー。バブルの時代を見つめてきたビル群、バベルの塔ならぬバブルの塔に見えなくもない。
今新宿駅前は大改造中だ。6年はかかるらしい。不便を強いられて6年か。若い6年はさほどでも無いが、歳行ってからの6年は長い。先日渋谷の街に行ったが、どこぞの街かと思われるほどの大変貌、人並みに飲まれて息が苦しくなった。果たして6年後の西新宿はどうなってるんだろうかね。
蔵出しの新曲を徐々に徐々に出して味わって頂こうと画策中だが、6年有れば何か良い蔵出しが顔を出していることだろう。
今週末土曜には千葉の東金、八鶴館にお邪魔する。前回伺った際の目の前の家康が作らせたという巨大な人造池が今回はどんな気持ちを我に与えてくれるだろう。
車で1時間半でのどかな街や風景が広がる。
近頃のYMMAKINGSONGSは本当に自分を助けてくれていると実感する。それを感じさせてくれる皆さん、昨日もありがとうございました。またお会いしましょう。

月1回のペースでライブをしている「あんさんぶる音」

入り口です

終了後のサイン会
東京都中央区日本橋東京音楽堂 ピアノホール(B1) に雨が降る
2025年05月03日 | カテゴリー: 山木康世
東京でも一番東京らしいモダンな界隈銀座日本橋。そこでもmitsukosi辺りは世界の東京に恥じない心が晴れ晴れする不思議な街並みだ。1400万人が暮らす大都市東京。
子供のころ三菱アワープロレス中継でガラス張りのネオン華やかな丸ビルが必ず空から映し出されて、これが東京かと日曜日の8時に思いを馳せたものだ。
海からお邪魔するとこの銀座の奥座敷に江戸城がドンと控えている。お殿様のお家の玄関だったのだろう。明治時代は人口が13万人だったと聞いたことがある。新潟や金沢、富山、島根辺りが断トツに人口は多かったという。
それが何度かの戦争でついにお江戸は焼け野原、戦後復興で銀座は蘇った。そして今、信じられない変貌を遂げていた。
今日は久しぶりに電車でお邪魔した。何かと駐車場事情に不安を覚えたからである。切られ与三郎状態のビスタに少々哀れさも正直感じたこともある。
中野を出るときはほぼ雨は0%、中野駅に着いて発車したら20%、地下で走ること30分目指す日本橋に着いて地上に出たら0%、これは晴れ男の挑戦を受けている天の服従の構図。
やたらセキュリティーの厳しいピアノホール、トイレにも鍵が必要だった。
愛情100%のお客様のお陰でYAMAKINGSONGSはイイカンジで2時間越え、明日のあんさんぶる音の西新宿へ弾みをつける。
皆がお帰りになって地下から地上へ、雨が大地をたたきつけている。驟雨とうヤツだ。富岳三十六景の雨のシーン、はたまた三船敏郎7人の侍シーン。こりゃタマラン、タクシーで何とか最寄りの神田まで。
何とか5時半の豪雨の日本橋から脱出、中野の街まで中央線はひた走り、一日が無事終わった。世界のコスプレの町、中野は33年である。やはり落ち着く、住めば都、しかしたまに世界の銀座日本橋へ出かけるのも悪くない。やれやれ、土曜になってしまった。

静かな空間に心地よい音が響きます

雨の中ありがとうございました
新宿区あんさんぶるStudio音の春風に吹かれて
2025年04月28日 | カテゴリー: 山木康世
「人体の驚異」ご覧になったでしょうか。いささか番組のキャスティングには言い分も御座いますが、何せ今の時代の最先端のCGを見るだけでも価値ありと思い紹介させて頂きました。
その昔「ミクロの決死圏」というSF映画が御座いました。まだ学生の分際で封切りの映画館で見ること叶わず、時間を置いて二流館という、いわゆるセコハン映画館へ足を運んだので御座います。映画館がセコハンという意味ではなく、フィルムが一度使われてしまったという意味のセコハンです。
その昔の札幌における映画は2本立てが普通で御座いました。通常1本ではお客さんが来ない、敬遠するという算段で2本立てが行われました。しかし中には鳴り物入りの話題の映画は1本というのも御座いました。見たいのは見たくてウズウズなのですが学生の身では大蔵省と相談、大体においてセコハン2本立て、3本立てというのを楽しんだもので御座います。「ミクロの決死圏」も話題の映画で、何せ人体の中へミクロになった科学者先生がお邪魔して内臓や血管を見せてくれるという代物でした。決死圏という言葉が小生の血肉を奮い起こさせたので御座います。
今時のアニメの漫画が封切りの時代では血肉が湧き起こらないので御座います。時代はAI、デジタル時代、お茶の間で昔とは比較にならない緻密さ、華麗さでCG画像で人体の驚異、不思議さを見せてくれるのですから期待に胸が弾まないわけがない。
しかし何かとお笑いを番組に挟み突っ込まなければ気が済まないという番組制作者の思惑なのか、笑いを入れてくる。この際我にとっては必要のない配慮なのです。それゆえにこの番組のキャスティングに少々不満がござったので御座います。あの黒いサングラスでのゆるキャラお笑い司会者が苦手なので御座います。
この番組があると知ったのが先日放送された、いわゆるこの日放送分のプレ(告知)番組でした。これがプレとは思えないほどのボリュームと華麗さに魅せられて本番を期待して、一人で見るにはもったいないと思い紹介させていただきました。
しかし何たる不覚、本人は昼間Liveの疲れと少々のアルコール摂取によるリラックス状態、その上番組のバラエティー化に退屈さを感じてしまい、気が付けばいつの間にかエンディングテーマが流れておりました。
「あんさんぶる音」は週に2度も行われるという人気さ(あくまでも我にとって)でこの会場の持つイイカンジを感じてもらえるのではないでしょうか。この日も春風が心地よく、故障していた車のエアコンも完治、コンディションは最高、ランチの焼き海苔盛り豚骨ラーメンの塩分はエナジーをくれて、お陰さまで満足な日曜の昼下がりで御座いました。
皆様誠にありがとう御座いました。土曜にはそっくりここでまた
YAMAKINGSONGS、前日の中央区におけるピアノホール、心よりお待ち申し上げております。
人体とはしなやかな伸縮自在、かつ何万年も土に居残る無骨強靭さの中に秘めたる神様のお創りになった緻密なテクノロジーの賜物、アリガタヤ、アーアリガタヤ‼

次回は5月3日、お待ちしています

新宿高層ビル群にも春の日差し

西新宿路地裏の小さな公園
新宿歌舞伎町新宿FU-に降り注ぐ約束の春の日
2025年04月23日 | カテゴリー: 山木康世
今年に入って3回目である。どうしたことか約束の10時半なのであるが約1時間の勘違いである。壁にかかった丸型のアナログ時計は8時半を指していた。この針が真上に行ったら駐車場を出て居なければならない。発車オーライの時間である。急がなくては、急がなくては。現実は1時間ズレているのだが本人には気づいていない。少しの疑いも持っていない。まぁ遅れて用意しているわけでないのだが、1時間早いのも問題であるな。
こんなことが今年に入って3度目か。今回は山手通りを右折落合交差点で待機中何気なく聞いていたラジオの「TBSが9時をおらせします」ナニー!?9時、1時間早いんでないの。駐車場を出て10分は経っている。窓を開ければ春の微風が、と言いたいところだが9時ですでに夏の風に近い春風である。寒くて叶わないよりは余程マシであるが。
歌舞伎町へは30分で着く。火曜日であるのに流石東京である。人や車が耐えることなくひっきりなし、朝の賑わいを見せている。新宿区役所通りは「ふきのとう」時代の馴染みの通りである。疲れを知らない子供のような活気を年がら年中呈していたし、今も同じである。ここを何度往復したことか。坂の途中に定宿があった。その先には職安通りがあって「ドン・キホーテ」を初めて知った通りである。今や世界の「ドン・キホーテ」にのし上がった。誰が想像しただろうか。あの雑多店内の有り方から今を想像できただろうか。驚安(きょうやす)のデパート発祥の地。
新宿FU-は弾き語りには持って来いの手頃な大きさで尺高のステージと手引による弾幕がやる気を一気に起こしてくれる。
2時間の準備の時間は至福の時間でもある。目的の約束時間が設定されていて、今日一日のスタートの時間である。徐々に快適な空間と使用機材のコンディションを整える、それだけでもかけがえのない良い時間なのである。気の抜けない時間との勝負。昼の1時までに最高に仕上げる。準備万端、あとは自分の脳みその溌剌さ次第。さぁ30分でお客さんとご対面。
お立会いの皆様、卯月の昼下がり時YAMAKINGSONGS始まりー始まりー。
10月のバースデー時には2日連続の祝宴ステージをここで、そして本番の22日には南青山にて目出度し75歳の祝宴。
今日も満足の一日、皆様大いに一日ありがとうございました。何か歌舞伎町で発見でもありましたか?
約束通り春は雨とサクラを連れてやって来ましたネェ。

10月20,21日もこの会場で!
埼玉県入間郡三芳町TYフェアリーリング三方良しで三芳町
2025年04月21日 | カテゴリー: 山木康世
東京から20キロの三芳町、すぐお隣さんという感じ。しかし人口集中がそうは行かせない。それでも1時間半ほどもあれば余裕のヨッちゃん。
ここの管理人さんはホントに感じが良い人だ。最後には庭から出る車を見送ってくれる。なかなか出来そうで出来ない気は心。人と人とが短時間でも接して良好な場を持つには、この気は心を持って成立する。スマホをバスに乗っても電車に乗っても調子に乗って阿呆みたいに見入ってる輩には分からんべな。まして白杖の人の気持ちや、足の悪い人の気持ちなど感じ入る心は持ち合わせることが出来ないだろうなぁ。スマキチはホントに嫌な社会を作り上げてしまったもんだ、
トランプもSNSに有ること無いことすぐに書いて世界を混乱させる。側近も口を出せないほどの荒技を平気でやってのけている。まぁこちらがそれを見透かして賢く振る舞えば良いだけの話。
喧嘩も言い争いもすぐに応戦しないで、双方6秒待てば結果が変わると言う。いっとき冷静さを取り戻すことで要らぬ争いは収まる。
それにしても、すでに昔の話、戦後の未知な時代のうやむやをこの時代に引きずって、主義が違うと言うだけで過剰防衛、多額の金をつぎ込んで世界は無駄な日々を過ごしてきたもんだ。ネットでスマホでつながってしまった網の目のような世界にどう生きるか、リーダーはトランプを見習って言いたいこと言ってストレスを発散させることも精神的には良いんだろうな。爆弾や銃弾を使って喧嘩をするよりよほどましというもんだ。一番ほくそ笑んでるのは武器商人だ。
民法のテレビは矢継ぎ早に繰り返されるコマーシャルの言いたい放題の金持ち企業の無神経さ。しかし彼らがいなければ番組は成立しないのだから致し方ない。
ホテルのテレビはTOSHIBAだった。それもかなり初期のテレビでリモコンの上部、一番押しやすいボタンが消音。しばし音を消して喧しい自らをよく見る時間が必要だと言ってるようで面白かった。
三方良しという近江商人の経営理念がある。「売り手良し、買い手良し、世間良し」
この際三芳町を三良町と改名いたします。うそ。
みなさんありがとうございました。
昔の精神分裂病は統合失調症というスマートな言葉に置き換わってしまっただけで中身は一緒。クワバラクワバラ。
群馬県前橋市/音処きしんDeヤキイモ連呼
2025年04月20日 | カテゴリー: 山木康世
ヤキイモ ヤキイモ イシヤキイモー オイモオイモ
エー!?この新前橋駅前においての雄叫びは。久しぶりに脳裏に蘇ってきたヤキイモ連呼、思わず声を上げて笑ってしまう、何なの、この気持ちのお察しは、まさか此処でこの季節のヤキイモ。明日やらねばならんべさ。夜風に聞こえてくる本場職人技は違う!窓を開けると生ぬるい夜の侵入、目指すホテルはすぐ目の前、なんだか「ご苦労なこっちゃなー、意外と時間かかったっしょ、ゆっくり休んでなー オイモオイモ」
あっぱれマスターも目出度し還暦になられてお髭も大変似合ってました。配信責任者の奥さんはステージ横で孤軍奮闘、今日も縁の下の力持ち。ベージュの壁一面は来場したミュージシャンの足跡で増々埋め尽くされ、まるで耳なし芳一状態。
県民の皆さんの熱い視線と他府県からの、これまた熱いまなざしと期待に応えるべきの選曲。八ッ場ダムの「ダムに沈んだ町」良い歌を残してきたもんだ。昨夜の暗闇からのイシヤーキーキイモーに押されての「石焼き芋」結構にホッカホカに焼き上がりました。
92歳でお亡くなりになられたピアニスト、フジコ・ヘミングさんも仰ってました。人間は機械じゃあるまいし、間違いをして当たり前、繊細かつ大胆にプレイする。
熊谷に取って代ったような季節外れの猛暑の前橋、開演前に食らった北海道産の塩気の利いた美味い鮭はステージまで付いてきた。ハーモニカを吹くたびに楽屋の握り飯の残像が。用意されたお水で喉を潤そうと企んでいたが、結局2時間越えのYAMAKINGSONGS、一度も手を伸ばすことはなかったほどの熱演、皆様如何だったでしょうか?思わずキーの確認が間に合わず、未遂に終わったウクレレ唱歌、リクエストにお応えできなかった「一年の歌」反省すべき点は多々ございますが明日への課題といたしましょう。明日は埼玉県三芳町TYフェアリーリングでYAMAKINGSONGS。恐らく暑いん!だべな。

「よいライブだった」とたくさんのお客様から感想を頂戴しました

前橋は29度!でした

「貴信」マスターと奥様。いつもありがとうございます。