高円寺ShowBoat サーフェス顛末記踊る阿呆も見る阿呆
2024年06月27日 | カテゴリー: 山木康世
この日の中央線は飯田橋でトラブル。大幅に足並みが乱れた。あいにくと言おうか幸運にも中野から西方面はそれほど影響はなくいつもと変わりない。人身事故でなくホッとする。双方に悪影響だけで良いことが何も無い。中央線は不幸にもこの手の事故が多発する。御本人の身中を察するに、計り知れない現代における病と言っても良いかもしれないが、それによる混乱も大変なものがある。
サーフェスという機器がある。マイクロソフト社のタブレットパソコンの機器であるが、後発部隊で売り場で当時キャンペーンを展開中に見かけて入手した。しかしサーフェスのキーボードは別売り、使い勝手があまり良くない。材質が好きではない。硬質のものが好きだ。
そして充電がスムーズにいかない。専用のへんてこりんな充電器が付属する。これがあるとスムーズなのだが、この専用というのがダメだ。Macもそうなのであるが今や時代に欠かせない機器となったら、やはり皆で共有できるという考えが宜しい。電気の供給に独自路線の意味はあまりない。
この専用充電器を忘れた。開場から事務所の中野まで一駅なので取りに戻ることにした。1時間かからないで戻ってこれるだろう。前回に使って仕舞った記憶があるので、急いで戻る。まず、電車はすぐに来た。2分で中野、駅前でこれも運良くタクシーが来た。駐車場まで急行。「ここで待っててください、また中野まで戻りますので」
しかしここでポケットを探る脳みそは鍵の忘れ物に気がつく。「スミマセン、駅に戻ってください。」運転手は「ニヤリ」おれ「コンチクショー」時計を見たら30分かかっていない。鍵があれば今頃「ヤレヤレ」
別れ際運転手は「夕方のドライブでしたね。ハッハッハー」
タブレットの輝度を下げてなんとか時間を稼いで臨むことにした。しかしあまり下げすぎると字が見えなくなる。込み入った文字は団子のような感じで小さなパニック、歌い飛ばしや読み間違いなどが起きる。難しい選択だ。これも試練か。
電気がなければただの四角い粗大ごみ。まさに電気は不可欠なおのであるが今どき給電で悩むとは時代遅れの感もあるな。ぜひ光ソーラーによる蓄電の技術を臨むものである。小さな可愛らしい人形が光に反応してお尻フリフリのダンスをする光景である。
事なきを得て残り20%で事なきを得たのだが、2時間半の我が身中は針の筵状態だったよ。
プロは歌詞など見ないと口やかましい芸人がテレビでのたまわっていたが、さすればクラシック世界では譜面台は未だ健在でなくてはならない必需品と言える。そんな言い訳を最後にして長い半日の顛末を記して筆を置く。
明日は西新宿あんさんぶるスタジオ「音」での我が音響機材による山木ワールドのひとときだ。
狂想曲都知事選の喧騒の中、ホッとする住宅街での一人ぽっちの協奏曲を奏でよう。
鎌倉くるくる行ってくる
2024年06月24日 | カテゴリー: 山木康世
雨に濡れたくるくるの緑は、しばし乾いて疲れた心の襞襞に入り込んで潤いを与えてくれる。街の緑なんかどこにでもありそうだが、心に染み入る緑の時間はなかなか見当たらない。瑞々しいことは、心身に必要不可欠なエネルギーの源である。しなやかで力強い竹の持っているイメージである。風雪に耐え抜いてなかなか倒れない日本の竹。
築100年以上のモダン木造建築のくるくるを訪れたとき、年に4回は来てみようと思った。春夏秋冬の庭の景観にどうくるくるは表情を変えるだろうか。
時折江ノ電が庭のすぐ向こうを音を立てて通過する。静かな庭の佇まいを江ノ電は破って一時今を感じさせる。今と昔が良い具合に入り交じり妙に心が落ち着き時間を忘れさせてくれる。
梅雨入りを予感させる大粒の雨が屋根や庭に音を立てて降る。しかし終演のころには雨も上がって、庭の緑がキラキラと光ってさらに深みを増し、枝で遊ぶ鳥たちも空で歓声を上げている。こんな箱庭のような緑にさえ心に栄養を与えてくれる。現代人のあくせくせざるを得ない日々に必要だよな、と思ってしまう。しかしこれを感じるか感じないか、必要としているかいないかと問われれば、それぞれだ、声で説明できない感受性は幼いころからの教育だと思っている。
縁側の大きなガラスの向こうに広がる緑を見ながら、電車の音や鳥のさえずりを聞きながら、ここに生のギターと声による水彩画のような音楽を奏でる。こんなひと時を贅沢と言ってもいいかもしれない。
いつも会いに来てくれる大学の後輩の元気な姿も活力の素、はるか50年以上も経過した時間を超えてやって来てくれたお客さんのお姿も活力の素です。いつもの皆さんのお姿ももちろんのことです。
今度はいつの季節に訪問しよう。お隣の店でランチをして、移動してlive、題して「くるくるlunch&live」も面白いかもですね。
明後日は中野の隣町、高円寺におけるShowBoat、待ってまっせー。
どうぞお元気で!
駐車場へ向う道には妙正寺川という川が流れている。
2024年06月23日 | カテゴリー: 山木康世
神田川と同じようにお江戸を流れる比較的小さな川であるが、歴史は長い。その昔から流れている町民の水としての川は偉大である。どれほどの人たちの生活を支えてきた川であろうか。今も変わらず流れ続ける川、川に歴史ありである。流れを変えたり地下に埋めてしまったりと人間の都合で生き残っている川は哀れである。いつかしっぺ返しが来る。それほど人間は偉大ではない。
そんな川に水鳥が住んで生きている。鴨の親子は見ていて心が和む。今日は子供が6匹も居て、親鳥に向かって何かを学んでいるように見える。その隣には我が家の町から電車で向うと鷺ノ宮という駅があるが、そこからやって来たのか白い優雅な鷺が一羽遊んでいる。いつも居る鷺と同じ鷺だろう。足音や人の気配を感じると、動きを止めて、すぐに立ち去ってしまうので静かに川を眺める。今日はお隣の鴨の家族がいるので安心なのか、懸命に川に頭を突っ込んだりしている。
ぼくは川崎の鷺沼に行ってくるよ。昔鷺が多数生息していた沼でもあったのだろうかね。2回目のフラメンコダンススタジオ「caramelo」 でのLiveLovely。
いわゆる国道246をひたすら横浜方面へ。多摩川を越えるとやがて見えてくる鷺沼。
たくさんの皆さんが土曜の夕刻お見えになり良好なひとときを過ごすことが出来ました。誠に有難うございました。お天気も晴れでしたが、どうやら明日からは雨のようです。梅雨入りの呼び雨でしょうか。
潤いの雨として天の恵みに感謝しよう。明けて23日は鎌倉くるくるへ行って参ります。
あーあ一日早かったか
2024年06月21日 | カテゴリー: 山木康世
早くに目覚めた。今日は川崎の鷺沼だ。そして新しいアンプも入手した。
以前からチャンネル1が時々内部反乱を起こし雑音が出たりしていた。コンデンサーの劣化に有りと経験上考えて、他のチャンネルを使い回しこなしてきた。
中野にはあいにく電気屋がない。ないことはないのだがパソコン中心の店が4軒もあるのに、オーディオ、楽器店がない。まぁ需要がないので仕方がないとは思うのだが。ネットで頼めば翌日すぐに来る時代なので町になくても困ることはないかと新宿へ出かけたりする。
そんな中、フジヤカメラという元カメラ屋さん、今はオーディオ専門もやっている会社がある。昔からあったのだが、ブロードウエイ2階の引っ込んだところにあって目立たなかった。今は人通りの多い道に出店したのが5年ほど前。こんな専門店を見ると嬉しくなってしまう。そこで新しい懸案の新しいアンプを入手したのでワクワクして今日は鷺沼と思い続けていた。そして5時半起床となったのだ。
なんだ明日じゃないか。一日間違えた。
山形はお祖父ちゃんの故郷
2024年06月20日 | カテゴリー: 山木康世
僕には二人の祖父さんたちがいることになっている。二人とも写真でしか知らないのでこんな言い方になってしまう。
父方は山形の駒吉祖父さん。母方は函館の松太郎祖父さん。
両者は山と海と対象的である。住んでいた町だけでなく職業も方や農学博士、方や網元である。考え方は知らねども、写真で見る限りお顔立ちも柔、剛、ソフト、ハード何かと水と油のような感じに受け止められる。
父母の結婚式に両者は顔を合わせているのだろうか。昭和18年のことであるのでご存命なはずだ。札幌と函館、松太郎さんは汽車で冬の札幌まで来たのだろうか。
100年も経っていない頃の時代に非常に興味がある。戦争に負ける前と負けた後、日本は違う国のように成らざるを得なかった。生きていた祖父母たちの複雑な心境はどうだったのだろう。もちろん青春の頃の両親にも会ってみたい。
今ではビデオなどでまるで生きているかのようにいつでもバーチャルではあるが会うことができる。
僕には数曲お二人のことを偲んだ歌がある。
自分の血の故郷のお二人に関心がないはずがない。ないとすれば自分自身に対しての否定である。
DNAに組み込まれて生き続けているであろうお二人の血。他に祖母、両親の賜物、結晶であるとされている。
今度、駒吉祖父さんの故郷、山形へお邪魔する。
お陰様で大入り満員御礼という話である。お客さんの中に混じって、きっと祖父母や血縁者の目に見えぬ魂が目と耳を済まして息をこらしていることだろう。
大勢の方のご尽力で生きている。特に土屋氏には長きにわたる絶え間なき心の握手に感謝、乾杯を申し上げます。
国立スペースコウヨウでの効用は如何に
2024年06月17日 | カテゴリー: 山木康世
初めて電車で出かけた。中野から30分かからないで国立に着く。いつもは車で中央道で出かける。しかし日曜ということで渋滞で有名な高速道はしばし考えてしまう。
東京、新宿などから中野まではここ30数年何度利用したか。東から西へと、さらに八王子、塩尻、松本まで延びている中央線。とりあえず真っ直ぐである。気持ちの良いほどに真っ直ぐである。新宿副都心の高層ビル群が遠くに見える。夕景に富士山の姿も何度も拝んできた。
その富士がマンション建設で見えなくなって一騒動。建物は完成して契約者も出てきたというのに、ありゃまあ解体作業と来たもんだ。そんなにマンション一棟が簡単に建てたり壊したり出来るもんなんだ。半ば呆れて報道を聞いていた。その現場の街が国立なのである。
駅から降りて昔の駅舎という小さな可愛らしい建物で待ち合わせ。中では街角ピアノがかなりの音量で披露されている。演奏者は90歳のお方という。時ならぬ演奏会並みにピアノの華麗なる技が披露されている。
そこを抜けて目指す向陽ビルまでは300mほど。何やら報道で見覚えのあるマンションが見えてきた。車道にカメラを構えた人までいる。あいにく富士の姿は遠望できなかったが、お金持ちの国と業者とお客との現場に連れてこられた感じの日曜の昼下がり、まぁ勝手にやりなさいだな。。
我はせっかく混雑を避けて電車で確実に来たというのに、中野から乗ってすぐにsurfaceの忘れものに気づき事務所へ舞い戻って約1時間、国立に来たという身なのであまりマンション富士山騒動には関心が起こらず。また次回来た時には、すでに取り壊し済みと言うことくらいしか思わなかった。それにしても勿体ない話だ。戦争で瓦礫と化す建物と同等の勿体なさだ。何という愚かな人間のいち姿。金余り現象もほどほどに。
50年かけて作り上げてきた歌たちの「言霊」を2時間じっくりと歌い上げた。「言霊」は本当に存在して他者へ感染するそうだ。そう考えてみると良い仕事をしてきもんだ。
未だ梅雨入りはしてないようだが、いつでも準備はOK。長い恵みの雨の後には痛烈な太陽の夏本番が待っている。基礎体力を落とさぬように健全なる心身の毎日を忘れないで乗り切って行こう。
みなさまお忙しい中ありがとうございました。週末には鷺沼、日曜は鎌倉へとキャンバスを変えて趣味道楽生業の音楽道に邁進いたす所存です。お待ち申し上げまするでYasu。
田端アンダンティーノを終えて
2024年06月14日 | カテゴリー: 山木康世
この日の忘れ物は筆舌に尽くしがたいほど多かった。
理由はわかっている。事務所で録音の日々、ライブの間隙を縫って、ある目的の下レコーディングしている。その際いつも現場で使用しているハモニカ、カポタスト、コード類を忘れてきたものだった。
昨夜まで忘れないように眼の前に揃えておいたのにこの無様。階段を降りる。大丈夫だ、肩にかかる3個のバックを確かめつつ自分に言い聞かせるように階段を降りる。
開演時間が1時間ほど遅かったのが功を奏した。
スタッフEさんの快い申し出に甘えた。本来は近隣の池袋の街に買いに行ってもらおうと考えた。しかしなんと山手線が不幸にも人身事故で不通、急遽御茶ノ水へ探しに行ってくれたのである。マイクコードが5メートルと少々長かったが電気は十分伝わる。のぞみの黒いカポタストも急いで走って買ってきてくれた。
ハーモニカはこの日なかったが、ことなきを得て梅雨の手前の田端の街に青空が広がっていた。
ハーモニカの分、口笛で対応した2時間はある種新鮮であった。お客様には十分の説明がなく申し訳なかった「うやむや」
数学や物理の公式のように世の中は流れていない。むしろ曖昧色満開に染まっている。うやむやな態度は単純に見れば優柔不断、しかし見方を変えれば遠慮深謀。
何事も素早く対応したいものだが、早まって諍いを起こすよりはマシである。現代においての近代兵器の戦争、行く末は核兵器も辞さないという頭の硬いオエライサンに戦争の意味合いを問いただしたい。何よりも平和、健康であってこそ共存共栄のもと美しい水の惑星の変わらぬ姿なのであるから。
東京都葛飾区空の杜で考える
2024年06月10日 | カテゴリー: 山木康世
大きな窓の外の緑がキレイだ。
川向うは千葉県市川市である。葛飾区鎌倉が住所である。大仏様がおられるのは神奈川県鎌倉。
近くにライフという大型スーパーがある。そこに置かれている駐車場はステキな駐車場である。一応入口には係のおじさんがなんとなく立って目を光らせている風。しかし無料で、基本ライフ利用者のための駐車場なので、短時間でも何時間でも心置きなく気持ちよくお買い物をして、ドッサリと車に積んでお帰りくださいというわけだ。都心ではすぐに1時間いくらのお金をいただきますとなる。
北海道のセイコーマートはダントツで日本の売上ナンバーワンと聞いたことがある。間違っているかもしれないが、北海道では1番だ。ここではお買い物に対して袋はご入用ですか、なんて野暮なことは言わない。なぜか北の国では無料で入れてくれる。小泉某が発案したコンビニ袋有料対策。これは環境への対策らしいが、話によると石油製品のゼロコンマ以下の利用率らしい。いかにもこの袋を全国レベルで有料にしたら減ることは間違いないだろう。いいことを思いついたもんだ。しかし家での今までのゴミ袋の女神として有難られていた袋がなくて困った、などという話も出てくる。果たして真相は、この環境対策への取り組みに関してはセイコーマートは失格であるな。
必ず店側に聞かれるか申告するレジ袋問題。変な買い物風景が出来上がったものである。母親の時代は必ずカゴなどの入れ物を持参して買い物に行った時代である。
楽しく買い物して、駐車場から気持ちよく帰るのがステキな午後の一時の風景である。あのレジ袋が問題なら、ストロー同様石油から作らなければいい。粗雑な紙袋で結構だ。店側の負担なのか環境への配慮なのか、どちらにしてもお客様が大勢おいでにならなければ寂しいレジ風景なのだ。
そんなわけでおじさんから遠く離れた出口のそばの停車枠に車を止めて空の杜へ。
東京では自転車も締め出されて、もちろん車は短時間でも駐停車不可能である。車社会と言われて久しいが、法外な料金も取る業者も出てきて、車で街へ出かけることは決して楽しいことではない。
しかし鎌倉のライフは今のところせこいこと言わない。おじさんも途中でいなくなったり目を光らせているわけではない。
空(くう)の意味をしっかり捉えて、車メーカー共々一緒に住みよい現代の車社会のあり方を考えたいものだ。
シンガーソングライターと言うのなら、地に足のついた自らの言葉で音楽を奏でよう。社会の問題点なども、シンガーソングライターには格好のテーマであると思うのだが、いかがだろう。
まさに世の中、有耶無耶、空の杜である。
73歳北海道の締めは「小樽K・cafe」
2024年06月07日 | カテゴリー: 山木康世
美原の記念桜はこの2、3日のうちにすでに盛りを過ぎていた。
蘭越、真狩を過ぎて羊蹄は頭をスッポリ雲に隠して、雄姿を拝むこと叶わず。
留寿都を左に入ること4キロ、懐かしい美原が見えてきた。かつて65年ほど前に生活した官舎は見つけることすら困難な草の中。そこから毎日羊蹄を眺めて,美原小学校まで、村落の端から端まで毎日通学。子供の足でずいぶんと遠いと感じていたが、今ではあっという間の距離、車で1分だ。
確かここに学校とグランドが、その向かいに記念樹がと思いつつゆっくり車を進めた。行けども行けども見当たらない。Uターン、あったあった、桜が咲いていた。幹回りは太くなって、もうあの頃の幼い感じはもうない。写真の通り枝一杯に花をつけて風に吹かれていた。横には「平成15年閉校記念イベント」とある。確かに皆で植えた桜の樹だ。風雪に耐えて17年、見事に花を咲かせて、これからは大人になってゆくはずだ。
小樽は函館と同じような親族が住んでいた身近な港町。函館よりも町自体の規模が小さく、しかし坂がいたるところにあって、いつも冬は大変だろうなと思ってしまう。
ニシンが豊富に捕れた往時を妄想する。昔は半日がかりで札幌から来たものだ。海水浴場や潮まつりでの海からの花火を遊んだものだ。
一匹長屋→ありがとう→今回のK・cafeと30数年で姿を変えたが、中に入るとそれほど変わっていない。ステージが広くなり当時は弾き語り中心のliveが多かったのだろう。複数の人数対応、スピーカー類も随分と充実していて、音に余裕があって良い感じだ。
今回はjourneyreasonと3曲共演した。男性ピアノと女性ボーカル。と一寸変わった編成である。
「やさしさとして想い出として」「山のロープウエイ」そして「白い冬」彼女の声質は女性にしては野太いものがあり面白い。オリジナルキーでこなしてくれた。ハモリも万全のキーだ。
12月の札幌までに何かしら具体的なつながりが出来たらふきのとうホールはにぎやかホールになること間違いなしだ。半年後の74歳札幌を夢見て、北海道ツアーの締めとします。
皆さん、誠にお忙しい中ありがとうございました。
ヒーイズ フィッシャーマン!
2024年06月04日 | カテゴリー: 山木康世
お昼前札幌出立、定山渓→中山峠→ニセコ→黒松内→八雲→大沼公園→七飯そして夕刻の函館である。函館山が遠くに、ここまで来ると眼の前、津軽海峡の向こうに青森、大間辺りが見えてくる。北海道の南である。札幌から4時間、イカの町、往時の活気のあった町を偲ばせる金森倉庫郡は函館の宝であるな。建て替え建て替えで忙しい日本の落ち着かない東京もエネルギーを感じて頼もしいが、なぜか虚しさも同居する現代である。
母の親戚が大勢住んでいた函館の町。海とは無縁の羊蹄山の麓から函館の町は♪遠い山の向こうの 知らない町よ♪大都会、電車の走る町、函館山のロープウエイ、トラピスト修道院、温泉、棒二森屋、七飯の絵描きのおじさん、大事な大事な子供の頃の夢いっぱいの街、函館は今でも脳裏にぎゅうぎゅう詰めでいっぱいだ。町中に溢れていた塩辛工場の匂いまでこびりついていて風に運ばれてくる。大人になってギターをかついで青森から上陸、青函連絡船の桟橋は内地からのなくてはならない北海道上陸への道。
あうん堂の入口にはGLAYの大きな写真が飾られている。彼らが高校生の頃に通っていたという会場は木の温もりで一杯だ。対象的に音響設備に抜かりはない。マスターは挨拶もそこそこにステージ後ろの壁に新しい弁天様との中旗を貼ってくれる。リハを終えて案内された楽屋は説明の通り見事な天井裏の楽屋である。あれほど頭には気をつけて下さいと言われたのに。頑丈な木の梁に2回も頭を強打、目を覚まさせてくれる。
夕方に広げた数の子、身欠きニシンの親子弁当は美味かった。ニシンはまた少し戻ってきたが、いっとき遠ざかっていた魚である。独特の趣を持つニシンは好き嫌いがあるだろう。骨がうるさく、すぐに傷んでしまう。季節になるとニシンを求めて日本海を北上、まだ日本領が半分あった大きな大きな島、樺太の町へでかけた松太郎祖父さん。海が山のようにうねって真っ白くなりニシンの到来を告げる。大きな双眼鏡に飛び込んできて逸る心を抑える祖父さんの胸中を思うと涙が出てくる。生活ではあっただろうが、男のロマンの大漁節で抱腹絶倒、声も枯らさんばかりに眼の前のお宝を一匹逃さずガンバレー!とヤンシュウたちにエールを送る。帰ったらみなで美酒の乾杯だ。
2時間半の現代の孫の大漁節は終わった。ふきのとうのイメージから抜け出ることが出来ただろうか。祖父さん、どうだっただろうな。良い意味でも悪い意味でも今を生きなきゃ一回きりの人生もったいない。
終演後、月寒高校の同級生K氏が待っていた。今は写真家で函館が故郷になってしまったという。函館新聞のA氏は退職に際して、中学の頃から憧れだったと言って、今日の紹介記事を自ら大きく書いて頂いた。
そんなこんなで時空を超えての応援もあってあうん堂LiveLibraryは盛り上がって終えることが出来た。誠に皆々様のおかげである。
♪イカを食いたきゃ函館においで♪
♪松太郎さーんニシン来た来た樺太へ♪
ヒーイズ フィッシャーマン ヒーイズ フィッシャーマン!
僕ら全員人生の荒波でのフィッシャーマンである。海をかき分けかき分け航海を強く続けよう。
ありがとうございました。