腹の虫
2010年03月21日 | カテゴリー: ミュージック・コラム
春分の日の朝方、大暴れしていた強風は嘘のように鳴き止んだ。
本格的な春が来る前の冬の最後の悪あがきのようだった。春の虫たちもいっせいに目を覚ましているだろう。
みなさん、良い日曜日を。
腹の虫
みんな故人をしのんでお坊さんを待っている
こんな神聖な場で鳴きやがる俺の腹の虫
厳かな葬儀場で襟を正してうつむいて
静まり返った悲しい場面で鳴きやがる俺の腹の虫
鳴くな鳴くなこんなところで 俺の面子が立たんじゃないか
久しぶりのラジオの現場でアナウンサーを目の前に
静かなスタジオのマイクに拾われた俺の腹の虫
さぞかし得意で気持ちが晴れ晴れ良いだろうな
恥ずかしそうに頬杖ついて鳴いている俺の腹の虫
鳴くな鳴くなもう終わる 俺の身にもなってみろ
眠れない一夜を誰が知るカラスがカァと飛んでゆく
君を思って切ない朝に鳴きやがる俺の腹の虫
今日が山場だ最後の詰めだがんばろうと
真剣な話し合いの場で鳴きやがる俺の腹の虫
鳴くな鳴くな鳴き止んでくれ 俺も惨めで泣けてくる
暗い映画館で固唾を呑んで見ている
待ってましたクライマックスで鳴きやがる俺の腹の虫
まるで毎日懲りずの迷惑メールか楽天市場か
俺の意思とは関係なしに鳴きやがる俺の腹の虫
鳴くな鳴くな鳴き止まなければ 腹の虫がおさまらん
(山木康世)
きるなのねかねのなるき(切るなの根金のなる木)その3
2010年03月20日 | カテゴリー: ミュージック・コラム
そうか今日は北海道へ行く日だった。それにしてもおいしい夢だった。覚めないでほしかった。周りを見渡すといつもの乱雑した小部屋にギターが一本。朝日に輝いている銀色のビルディング。まさに富の象徴が輝きそびえ立っている。
公的資金=私たちの働いて支払った血税をつぎ込んで大企業を助けることを強いられる空しさを誰が救ってくれるというのか。国からの説明も、企業からの御礼も何もない。
金はそのうちなくなるかもしれない。こんなに人々が海を越えて行き来している現代において、歴史の証人としての価値はあるが、お互いの価値観に換算して使い分けているという時代遅れ的な現実。電子マネー、カードというものに変わろうとしていてますます現金の実態が見えにくくなってきた。給料は銀行へ振り込まれ、雇う方と雇われる方、おたがいの労使関係を正確ではあるが業務的なものにしてしまった。直接手で俸給袋を渡され労働の引き換えにもらう昔ながらの有り難味を感じる現金システムが俺は好きだな、と言ってみたくなる。
話は少し横道にそれるが、先日沖縄からの帰りのJAL便でチケット引換証を検査の窓口でかざすと座席案内票が出てきた。その裏を何気なく見ると「マックホットドッククラシック賞」と書かれている。よく読むと期限付き無料引換券であった。全国のマクドナルドで朝10時半まで使えるという。いつもだとよく読まないで使い終わったらさっさと捨てたりするもんだが、今回は注意深かった。初めて知ったキャンペーンに驚いたり喜んだり、最後の最後まで幸運な沖縄の旅だった。
大昔、金という代物がなかった頃、古代人は物々交換、それから石の大きさや量で価値基準を決めてほしいものを手に入れた。大きな石に穿(うが)たれた中央の丸い穴に棒をさして担いで持っていく古代人の姿が見えてくる。石では重たくて不便なので、今のような金を考えた人がいた。洋の東西を問わず紙と金属というのも面白い。その昔、狸が木の葉を紙幣に、石を正金(しょうきん)に変えた。
青梅街道中野近くの坂道、とある会社の玄関入り口に大きな丸い石が鎮座している。実に存在感があり車で通りかかるときいつも目を奪われる石である。
<終わり>
(山木康世)
きるなのねかねのなるき(切るなの根金のなる木) その2
2010年03月19日 | カテゴリー: ミュージック・コラム
1年前から下に住み始めたお祖母ちゃんは会ったときから初対面という感じがしなかった。顔立ちといい、背格好といいどこかで以前会っていると感じた。デジャ・ブー。あるとき話をする機会があった。なんと40年以上も前に亡くなったお祖母ちゃんの生まれ変わりだった。80歳と40年は差し引きあわないと思う人がいるかもしれないが、このお祖母ちゃんが40歳のとき交通事故で三途の川を渡る寸前に引き返してきた。そのとき亡くなった俺のお祖母ちゃんの魂が入り込んだのだ。それ以来このお祖母ちゃんは俺のお祖母ちゃんとして生きているのだが、もちろん本人は理解していない。しかし、その日から人格が変わったという。去年沖縄のユタに見てもらう機会があった。そのユタの説明によると信じられないがお祖母ちゃんの生まれ変わりだった。
お祖母ちゃんは兄の中学修学旅行に明治政府発行のお札を大事そうに餞別としてよこした。古き時代の武将が馬にまたがったとても感じの良いレトロなお札だった。が如何せん現代では馬にも乗れないお札をお祖母ちゃんは旅行の足しに、とくれたのだ。中学生だった兄の心境や如何に。優しい兄はお祖母ちゃんへ孫の手をお土産に買ってきた。孫の手から孫の手を渡されてお祖母ちゃんはうれしそうだった。(餞別のお返しなどしなくても良いのに、なんて心の優しい孫なんだろうね)お祖母ちゃんは着物の隙間から器用に孫の手を差し入れて背中をゴシゴシ。
いつも髪をきちんと束ねて、薄化粧をして紅をうっすらと引いて歳をとっても身だしなみはキチンとしていたお祖母ちゃんは寒い朝95歳で老衰で他界した。
そのお祖母ちゃんの生まれ変わりがこれから会うお祖母ちゃんだとは誰も信じないだろう。そう言う俺も30代が中心のIT業界の中では異例中の異例、今年還暦だ。でも精神年齢は時には12歳、時には20歳、時には36歳、時には100歳だ。
お祖母ちゃんは言う。余裕があれば金は使うに限る。いつ何時事故、病気などでこの世にいないかもしれない。それならいっそう寄付なども良い。
一夜にして成金になった俺は、昔あれほど憧れていた金の魅力が薄れてきて、近頃単なる数字にしか見えない。死んで残した遺産で家族や子供が不仲になり裁判沙汰。金が猛威をふるう瞬間だ。こんな話は古今東西山ほど聞く。聞くにつけ自分も含め人間は愚かだなと思ったりする。時の政府も金でつまづいた。あれがなければもっともっとスムーズに世の中はシフトできたのかもしれないと考えたら、金は何のためにあるのか疑問さえわいてくる。しかし金には何の罪もない。金をいかに管理するか、金に振り回されない態度の大事さが見えてくる。
お祖母ちゃんとしばしの歓談、別れて部屋に戻ってパソコン画面の金額を数える。一十百千万十万百万一千万‥‥
リーン!突然の目覚ましで俺は目を覚ました。
<以下、明日に続く・・・・>
(山木康世)
きるなのねかねのなるき(切るなの根金のなる木) その1
2010年03月18日 | カテゴリー: ミュージック・コラム
金を手に入れたらなかなか使おうとしない輩がいる。
支払いを引き延ばす輩もいる。引き延ばすだけなら良いが払わないでのうのうと生き延びる輩もいる。
金は元来一つの基準しか持ってはおらず、少なければ希少価値があり、多ければ価値は下がってくる。
持つ人、いろんな程度の金持ち、いろんな程度の金のない人の規準で変わってくるというカメレオン的性格のもの。カメレオンは体の色を変えるだけでなく、左右の目が別々のものを見られるという。人間も実際には体の色を変えないが、化粧など施し擬似で洋服の柄、色を変えて毎日出かけてゆくので立派なカメレオンだ。
左右の目は別、別のものどころか周りのものを一瞬にして判別、見ている。が見たいものを本当に見ているかどうかは疑問だ。
総じて金持ちは金を使わない。ケチである。吝嗇(りんしょく)家が多い。逆説的にそれだから金が貯まるのか。
手元に置いていても増えるわけでも減りもしない。自分の手元を離れて旅して回った結果増えたり減ったりするから、金は生き物だ。七変化心模様。
いまどきの銀行は安全だと思って預けてもスズメの涙しか増やしてはくれず、手数料はむんずと持ってゆく。銀行は3時になると音を立ててシャッター下ろす。昔ながらの残務整理に追われているのか。1円が合うまで帰宅できないというのは本当の話か。人間は休養と栄養を取らなければダウンしてしまうので土曜と日曜はお休みします。その点機械は24時間フル活動、年中無休。かと思いきやきっちり夜は、連休は休ませていただきますときたもんだ。一番金が必要なときなぜか機械は休養を取っている。
ITバブルの時代、六本木に居を構える30代の富豪たちがゴロゴロいるという。
パソコンの画面を日がな一日ひたすら眺めつつ、数字に追われて一喜一憂。一夜明ければ大金持ち。その逆も大いにあり得る。
大都会の遥か向こう、富士山に沈む夕日を眺望、しばし一杯のコーヒーを手に何思う。
俺は本当に周りから敬愛されているだろうか? 今日の儲け分は明日はどうなっているだろうかと考えていたら電話が鳴った。下の階に住むIT同業者からの誘いだ。
「いつもの専用バーでキューっと一杯やっかー?」山形弁訛りの御年80歳のお祖母ちゃんからの電話だ。
<以下、明日に続く・・・・>
(山木康世)
「山木康世の”花”が登場する歌の中で、好きな一説は?」
2010年03月17日 | カテゴリー: ミュージック・コラム
「桜の花を道連れに 川の畔にたたずんで~♪」
えーと、この歌はなんという歌だっけ?
此此然然アンケート”「山木康世の”花”が登場する歌の中で、好きな一説は?」”ランキング で唯一メロディーが浮かんでこなかった。
後は頭の中でフレーズとメロディーを直結して読んでいる。
自分が作った詩なのにひどいものである。
まぁ今に始まったことではないので驚きもしないが。
新年に百人一首と称して自分の歌を百種選んで、下の句、上の句の札を作って会員の皆さんと遊んだことがある。
山木倶楽部会員は僕よりも若干若い人が多く占めているので、この手の遊びを主催したとき少々驚きと興味を持って臨まれた。
その昔、お正月になると本家に親戚一同が集合してお祖母ちゃんへ新年挨拶したものである。
その際お昼の食事が終わったら畳の間に毛布を敷いて百人一首をよくやったものである。冷凍庫のような部屋にストーブが炊かれ、大勢の親戚の人が一同に会して体温で徐々に部屋が暖まってくる。この感じを今でも思い出し、好きである。
小学生に上がる前の子供にとっては木札にかかれた漢字は読み手から読まれても読めない。そこで大きなひらがなや大きな漢字の書かれた札を自分の目の前においてもらって、その札が読まれたらすぐにとる準備をした。
北海道では下の句だけを読む。読み札は厚手の紙でできており、取り札は木でできている。調べるとはこれは江戸時代よく行われていたものという。
「奥山」「むべ」「秋のゆうぐれ」‥‥
記憶をたどっての話なので間違いがあるかもしれないが、これらの文字を覚えている。
木札に書かれた大きな文字。
当時のお正月、子供はお正月だけ遅くまで起きていても良かった。という古きよき時代である。間違っても深夜家族でスナックなどに行き、まだ年端も行かない子供とカラオケを大音量で歌うなどという破廉恥行為は親が許さなかった。世間が許さなかった良い時代である。これは今でも変わらず子供にとって良くない行為であると断言する。
テレビもまだ普及しておらず、テレビゲームもなく遊びといえばカルタ取り、トランプが多かった。中には親と花札などという家もあった。マージャンもあっただろうが我が家にはなかった。「家族合わせ」という3枚の同じ札を集めるカルタも好きだった。今で言うパチンコか?
団塊の世代は一番人口が多い、ということはかなりの確率でこのかなり頭を使う高尚な「百人一首カルタ取り」はポピュラーなものであるのか。
「山検(山木検定)」と称して紙による検査をして遊んだことがある。どれだけ僕の歌を知っているかという歌詞の穴埋め試験である。悲しいかな、ほぼ全滅であった。何気なく耳から聴こえてきた音楽はそれほど強烈な文字と一緒になって脳には刻まれていない。かなり深く思い出さないと出てこないのが現状である。
あるとき、歌詞の書かれているパソコンが壊れて立ち上がらなかった。そこで急遽開演前に紙に書き出さなければならないということがあった。そこで歌いたい歌はあるのだが思い出せなく困惑した。いきなり二十数曲を思い出しスラスラ書くというものは至難の業であった。もっとも暗記して歌詞カードなど読まないで歌うというスタイルであれば何も問題ないであるが。いまどきの若いバンドの人で譜面を立てて歌っている人を見かけたことがない。よほど練習しているんだなぁと感心することしきりである。ついに思い出せない歌詞を相談したら「創って歌えばいいじゃん」というご機嫌なイベンターの返事には呆れたり驚いたりと笑ってしまったが、先ほどの「山検」の現状を知っていればそれもありえた。
近頃歌詞を間違えても、昔ほど恐縮しなくなった。これも「山検」のおかげである。以前は顔から火が出るほど恥ずかしくなり恐縮したものである。
頭は使わなければドンドン鈍くなりさび付く。度忘れ、名前忘れ、物忘れいずれも普段の行いから来るものである。くれぐれも気をつけよう。パソコン歌詞などに頼らなくても一字一句間違えなく淀みなくスラスラと歌えるよう‥‥あぁー無理だ、無理だ、長年の生活習慣病はすぐに治るもんじゃない。
ところで
「桜の花を道連れに 川の畔にたたずんで~♪」
なんという歌でどんなメロディーだったでしょうか?
(山木康世)
東京の夜にハイビスカスの雨が降る
2010年03月16日 | カテゴリー: ミュージック・コラム
雨がベランダのテントを打っている
久しぶりの東京は南国よりは多少涼しい
それでも出かけた時の夜の寒さはもういない
電気ストーブも400Wで十分だ
3月も半ばになると雨は桜の花たちに開花の準備を促しているように降る
もう2週間もすれば中野通りは桜色に染まり始める
沖縄の旅は年度末の締めくくりとして良い旅だった
優しい知己の面々に会えて、さぁまた一歩踏み出そうと張り切れた
献身的なCのおかげで実にスムーズな毎日だった
心友のYとも1時間半いろいろ話ができた
糸満のGの庭に咲く真っ赤なハイビスカスは天然の最高級の芸術だった
Gで食した口当たりがソフトな料理の数々は心の内の声なき声のようだった
いつまでも人に会いたいという気持ちを持ち続けよう
どうやら人に会うのが億劫になったり、面倒くさくなったら引きこもり症候群の始まりと疑ってみよう
鏡に映った君の顔は元気ですか? がんばれ がんばれ
僕は確定申告も終えて、いよいよ半年で記念の暦を一枚めくります
今までと何か違う感性が音を立てて小走りでやってきた6日間の沖縄の旅でした
みなさんお忙しい中、遠路はるばる会いに、聴きに来てくれて誠に感謝する次第です
山木、還暦(ヒデキ、カンゲキ)!
東京の夜にハイビスカスの雨が降っている
10月22日生まれ
2010年03月15日 | カテゴリー: ミュージック・コラム
同じ日に生まれたというだけで、何となく絆っぽい連帯ができるものだ。
知っている人は知っていると思うが我が札幌市立曙小学校の開校記念日が10月22日だった。
超有名人ではイチローが同じだ。
そんなわけで沖縄へ来たわけであるが、何と同じ誕生日の人に3人出会った。こんなことは滅多にない。
沖縄ライブ最終日『音楽(おとらく)』で一人の女性スタッフが
「山木さん、ブログで見たんですけど10月22日生まれなんですよね、私もそうなんです」
「えっ、そうかい、珍しいね一回りかい?」
「いえ、二回りです。O型ですよね、私もO型です。」
「エー、血液型も一緒か。二回りと言うことは36歳かい。二回り下で36歳とは、60歳って思ったより年月を経てるんだなあ」
「後で来ますが先日面接採用した若いスタッフも10月22日です。後で紹介しますよ」
「豊見城モーリスライブを見に来てくれたお客さんの生まれたばかりのお子さんが、10月22日だったと嬉しそうに教えてくれたよ。その子は5回り違うということだね。この3日間で3人とは多い、意外だなぁ、仲間が3人増えたようで嬉しいね」
山木倶楽部の会員の中では3月生まれが一番多い。逆に少ないのが5月生まれだ。
何か理由でもあるのかと考察するに、年度末の3月は意外に手が空いていて、雪の地方などは冬の最後で雪も溶けきらず春、一歩手前である。雪が溶けたら畑仕事が待っている。その前に子供を産んでおこうと考える親が多いのかも。5月は作付け、田植えなど一番忙しい時期だから避けているのではと勝手な説を立てた。
さて我が10月はどうであろうか。冬支度でこれも忙しい時期かもしれない。しかし雪のない地方は一切分からない、如何にもなるほどと言いたいが山木出生地近辺限定説であると断っておく。
ビヴァ10月22日!!
(山木康世)
世界遺産見学
2010年03月14日 | カテゴリー: スタッフ・ダイアリー
沖縄ライブ最終日。
空いた時間を使って中城城跡見学に行きました。
そして今夜のステージはコザの「音楽(おとらく)」。
南国らしいエキゾチックな空間。楽しみです。
旅人の知恵
2010年03月13日 | カテゴリー: ミュージック・コラム
ホテルに少し滞在したとする。
ちょっと時間をもてあまして、ふと考える。そうだたまった下着や靴下を洗濯してみようと考えたとする。
洗面所で3枚ほどの洗濯物を洗ったとする。ハンガーに吊して都合良くバスタブとの境目にあった突っ張り棒にかけたとする。
朝起きて意外に洗濯物が乾いていなくて、着ることもできずまだ湿り気のある3枚を急いで取り込んで帰り支度をしたとする。
帰路、頭の中には3枚が湿ったままでこびりついていたとする。
これでは折角の洗濯が選択ミスということになる。
その防止方をお教えいたします。
洗濯物を絞ったら、ホテルのバスタオルでクルクルと巻いてきれいなところで素足で青竹踏みのように踏んづける、踏んづける。数回踏んづける。理想はウエイトが重い方が効果的である。にわか乾燥機のお出まし。きっちり水分を吸ってくれたおかげで洗濯物は半乾きとなる。翌朝洗濯したきれいな下着と靴下で帰路につく。
心に湿った洗濯物があるとする。
旅先で洗濯物を持って思いっきり太陽の下に出かけて、海に入ったりしてみる。
千年の杉を見に天を突くような山に登ったりしてみる。
大都会に出かけ、大金を懐に一日中買い物に耽ってみたりする。
久しぶりの友に電話して歓楽街で朝まで飲み歩いたりしてみる。
降るような星空を眺めに田舎の山奥に行ってみたりする。
そしてホテルに戻って、ふと考えてみる。まだ、全然洗濯物は乾いていなかったりする。
世間は思ったほど他人に無関心な浮き世であると気づいたりする。
そんな世間の乾いた風を待っていても一向に乾かす風は吹いてこない。風向きは相変わらず湿った最悪の北風だ。湿ったものは絶対乾いたりしない。
旅人は重たい腰を持ち上げて、自省というタオルに丸めくるめた心の洗濯物を踏んづけ始めた。何度も何度も全体重をこれでもか、これでもかと踏んづけた。
徐々に洗濯物のわがみから、ねたみ、そねみ、うらみ、にくみ、やっかみ、くやみ、いたばさみ、まつみと言う水(み)が絞り出されてきた。
翌日すっかり乾いた洗濯物をバックにしまい込み、旅人は軽い足取りで帰路についた。何度でもやり直しはきく。新規まき直し。
空には天晴れな太陽がキラキラ輝いていた。
こんな知恵を旅人はいつの間にか身につけた。
(山木康世)