観音寺市
2016年06月18日 | カテゴリー: 山木康世
観音寺と書いて かんのんじ かんおんじ と二通りある。
香川県観音寺市とくれば かんおんじし である。市内には琴弾(ことひき)山という山があって、その山に「観音寺」というお寺もある。何だか音楽が連想されていい感じの町である。
全国には かんのんじ というお寺や地名が少しある。福岡のお寺は観世音寺(かんぜおんじ)かんおんじは口に出して言うと言いづらい。その昔には、観世音寺だったりて。「世」がいつのまにかなくなった。世直しのために観音寺にした。なんていうことを考えてみたりした。信じるか信じないかは汝次第である。
ホテルのロビーで「寛永通宝」の一文銭をいただいた。400年ほど前にはこのお金が全国に流通していた。何ともタイムスリップだ。町にある浜、有明浜にはこのお金の砂絵もあると言う。
歴史のノスタルジー感いっぱいの観音寺市を後に高知の最西端の町、宿毛へと出立。天気も良い。
四国へ
2016年06月17日 | カテゴリー: 山木康世
ここのところ涼しくて朝晩はヒンヤリした日が続いた。
今日は元に戻って蒸し暑くなるという。沖縄では早くに梅雨明け、もうじき本州も明けるだろう。
今日から3日間四国へ行ってくる。
香川県観音寺市、高知県宿毛市、愛媛県松山市と3カ所ライブしてくる。
観音寺市、梅雨の時期、粟井神社の境内にアジサイ約3,000株が咲き乱れるという。ここは是非アジサイの歌を歌わなければ。
宿毛市の宿の窓から見えた3連水車を思い出す。今は休んでいない水車だろう。
松山市ではその名もズバリ「風来坊」という名のお店で行う。
今まで生きてきた経緯で全部つながっている。
3日間充実した良い日にしよう。
ライオンビアホール
2016年06月15日 | カテゴリー: 山木康世
独特の開放感とノスタルジーが広がる店内は僕の性に合いビールの味が一段と冴える。
新しい店にはそれなりに斬新さというような魅力はあるが、時代が失ってしまった懐かしさの広がる店はそれ以上に魅力的だ。そこに集う人たちの笑顔を見ていると幸福になってくる。
酒を肴を美味しくいただける健康という幸福は何物にも代え難いものがあるなと本心思う。
昨日は若い頃の東京を語れる数少ない音楽仲間と一緒出来てビールが美味かった。まだまだ個人名が直ぐに出てくる脳は老いを恐れることなしと語ってくれているようだった。
マーキー音始末記
2016年06月12日 | カテゴリー: 山木康世
穏やかな6月の昼下がり、恒例のマーキーライブつつがなく終了。
新潟からのよーすけ、音呂との「嶺上開花」「ひとりの冬なら来るな」「メロディ」「風来坊」は至福の時間でした。
初披露「マーキーの歌」で間違いを事前に発見。当の本人から卒論ではなく、入試面接で尊敬する人は誰かと聞かれ山木康世と答えた。その人は誰ですか?詩人です、と答えたのが実態。いやはや持ち前のいい加減さに穴があったら入りたい状態。許して下され。
みなさん有難うございました。またお会いしましょう。
マーキーの朝
2016年06月11日 | カテゴリー: 山木康世
良い陽気で気分の良いラジオ体操の朝である。伊豆への大渋滞の朝から1週間である、早いなぁ。
今日は新潟からよーすけと音呂がやって来て一緒する。
ちょうど彼らとおなじような歳の頃に作った歌が、場内にどのように響き渡るのか興味深い。あれから30年は経っているだろうか。
全国的に30度前後の夏のような日が続く。しかし網走では気温は上がらずヒンヤリした一日とのこと。ひっそりとした網走湖畔の風景が広がる。日本も広いもんだ。
お越しくださるみなさん、こころよりお待ち申し上げます。よい一日を!
マーキーの歌
2016年06月08日 | カテゴリー: 山木康世
千川通りに桜が咲いて 江古田の街に春が来た
西武池袋線江古田駅を下りて ブラブラ歩くこと3分
吉野家の手前を左階段をかけ下りると 地下にフォークソングの店が
僕は年に6回通い続けている 我らが愛すべき江古田マーキー
オーナーの上野君は僕と同じ年 気は優しく空手の強者
媒酌人はかの有名な 牛を素手で殺したという 世界の大山名人
世の中が目まぐるしく変わっても 変わらない歌心
歌を愛して平和を愛して 我らが愛すべき江古田マーキー
店長でPAの有信君は シンガーソングライターでもある
大学の卒論に詩人山木康世のことを 一人論じたという
先生たちはその人は誰かと 首をひねったそうだ
店の顔でもある音響を担当 我らが愛すべき江古田マーキー
みなさんようこそ待ちに待った マーキーライブの始まり
今日は新潟から音楽仲間がやってきて 一緒に歌うよどうぞ楽しんで
少しだけ昔に戻って 懐かしみ希望や夢を見よう
東京は練馬フォークソングの老舗 我らが愛すべき江古田マーキー
湘南海岸夕景
2016年06月07日 | カテゴリー: 山木康世
伊東・伊豆高原は皆さんが書かれておられるとおりの良い2日間でした。その昔は東京の奥座敷的な高級保養地だったのでしょう。今だと車で日帰りできますが、当時は丸一日東京までかかったそうです。伊豆高原で終始鳴いていた林のウグイスとホトトギスに心癒やされました。
帰りは東名が8キロ渋滞と出ていましたので、弧を描くような湘南の夕暮れの海を右手に見ながら西湘バイパスを帰ってきました。凪いだ海の向こう三浦半島、遠く房総半島までが自然のスポットライトを浴びてよーく見えました。
バックミラーに淡いシルエットの富士まで見えた時には思わず声が出ました。ゆっくりと平和に暮れて行く、とても良い贅沢な時間の帰り道でした。みなさんも一度走ってみてください。しょうなんです。
今週末のマーキーは新潟からの若い音楽仲間と心通わせます。大いに楽しみです。しょうなんです。
夜空の火星
2016年06月02日 | カテゴリー: 山木康世
夜空に火星が煌々と光っている。
火星に降り立った不思議な夢を見てから2年が過ぎた。
小樽から一匹長屋が閉店したというニュースが届いた。
山小屋のようなライブハウスにもう行けないのかと思ったら寂しくなった。
マスターは今病魔と戦っている。気丈に気長にがんばって完治を切に願っております。
六月無礼
2016年06月01日 | カテゴリー: 山木康世
あっという間に六月である。
六月無礼という言葉を知った。
暑さが厳しい時には服装が多少乱れても、無礼だととがめだてをしないということ。
入れ墨もどき、尻の見えそうなホットパンツ、スマートフォン中毒、ヘッドンホン輩、これらはみな平安、武士の時代の人間から見れば無礼なのであろうな。
では無礼とは何ぞや?
礼儀に外れること。さま、心。失礼。
では礼儀とは?
社会の秩序を保ち、他者との交流を全うするために、人として踏み行うべき作法。
ネットでの顔の見えない無礼な行いや個人主義の反乱で、世の中とは、他人とはを十分に皆、肝に銘じて生きてゆかなければとんでもない無秩序の社会が出来上がりそうで梅雨を迎える季節、気持ちが落ち込んでゆく。
六月(ろくぐぁつ)や峰に雲置く嵐山 芭蕉
良いこというなぁ、よほど昔の人の方が人間らしい世の中に生きていたようだ。爽快に壮快に生きてゆく努力をしよう。