夢見る頃
2010年04月22日 | カテゴリー: ミュージック・コラム
1974年、君はいくつだった? 君はどんな中学生だった? どんな歌が流行っていたの?
僕はその頃、全国各地をギター担いで見知らぬお客さんにステージの上から歌っていた。来る日も来る日も「白い冬」ラジオ、キャンペーン、コンサート、アルバム作り、まるで旅鴉のように飛び回っていた。
やがて時が経って「風来坊」は沖縄へ飛来、島巡り1週間コンサートが昨日のことのようによみがえってくる。北海道の渡り鳥は南国の風に吹かれて、石垣の港で南十字星に見ほれていた。
「春雷」は故郷、故郷へと僕を誘った。住み慣れ始めた花の都を離れて三十路の春を迎えていた。
君はその頃、恋愛の真っ最中? それとも受験勉強? はたまた就職戦線異常在り?
それから僕は38歳まで札幌で暮らした。札幌から相も変わらず「12月の雨」。札幌の朝から千歳の町へワゴン車は何度行ったり来たり…。
時は平成の世の中、車の免許皆伝をきっかけに再度上京、42歳で「ふきのとう」18年の歴史に幕を下ろした。すっかりやり尽くしたので、もうこれ以上の未練もやり残しもない。まったくない。
もう君は結婚して子供が一人いるかもしれない。男の子?女の子?それとも独身貴族を謳歌しているかもしれない。
そして光陰者百代之過客なり。2010年やっと60歳に手が届こうとしている。
君の子供も巣を離れ、もしかしたら結婚、子供までいるかもしれない。
僕がこうして今も歌の世界で生きてることができるのは、みんなみんな僕を理解してくれる心優しき全国の価値観共有者である。
僕との出会いの始まりはいろいろあるだろう、そして今の状況も人それぞれだろう。
他人と比較することの無駄、無意味、無価値、自分は自分なのである。子供がいたって夫がいたって、独身だって自分は世界の中で、宇宙の中でたった一人の自分なのだ。他人だって同じことさ。
世界は60億人、宇宙のはては約150億光年に達するという。銀河が約100億個以上存在する宇宙は何も自分と関係ないように巡っているようだが違うのだ。君がいることの関連性で世界は宇宙は成り立っているのだ。葉っぱの陰でひっそり生きている虫ではないのだ。部屋から一歩も出ないで生きることなんかできないだろう。君が玄関のドアを開ければ、風が起こって微かな変化が起こるのだ。ただ見えなくて感じないだけだ。君がいなくなれば君が認識する世界も宇宙も無になる。そして僕もゼロになる。
♪夢見る頃を過ぎても 君の君らしさや
優しい心はいつまでも なくさないでね♪
「優しい心」が人を幸せにするキーワードであることは間違いがない。
さぁ季節外れの雪が舞うという東北へ東北へ草木はなびく、山木はNaviく。
(山木康世)