三条市横山酒店「楽道」 やささ(大佐三)ツアー完了
2025年05月19日 | カテゴリー: 山木康世
栃木県佐野市から高速を走ること4時間で新潟県三条市に着く。途中谷川岳トンネルを越えると風景はがらりと変わる。トンネルを抜けるとそこは北国だった。まさに10キロ(1万メートル)の地底を走ると群馬県は新潟県に。完成までに何年かかったのか、いつもここを走ると先人たちの血と汗の結晶の努力に敬服せざるを得ない。土木工学を一応専攻したので橋やトンネルへの興味は未だ尽きない。子供のころ日本は海で離れていて、つながっていなかった。それがいつの間にかつながって便利になった。唯一沖縄だけは飛行機で行くしかない。その分異国情緒たっぷりで、日本も広い国だねとつい歌ってみたくなる。
約2年ぶりの三条、壁にずらりと架けられたギター、ベース、ウクレレを眺めていて横山店主の気持ちが痛いほど伝わってくる。店主との出会いは10年近く前になるのだろうか。第一印象は自分からずけずけと人を押し退けて歩いてきた人じゃないな、少し控えめな酒屋の主人と言った感じだった。あれから何度か伺って、こよなく音楽と楽器、周辺機材をこよなく愛する音楽人と分かってきた。昨日は終わってから寿司屋で2時間あまりも話ができて面白かった。ふきのとうは僕が参上した日から勉強したそうだ。若き日にはチューリップ三昧の人だった。今でもそうだろう。そこに少し入ることができて何よりだった。
ますます充実の「楽道」お客さんも大勢いらしてくれて感謝の賜だ。中学生の時「風来坊」を知って、今年還暦を迎えたという男性、高校の仲良し同輩仲間ともふきのとう音楽と共に全国車旅の話、初めてソロになって喫茶店にお呼ばれしたときの息子さんが40を越えていた、超おもしろ興行しは元気そのもの昔と何も変わっていなかった。柏崎からいつも熱い視線でいらしてくれるMさんとは寿司屋で店主と共に夜遅くまで話をした。
三日間の神奈川→栃木→新潟、つつがなく終了した。
みなさんのご理解・応援のもと元気でいられることの幸運をかみしめ感謝の意に絶えません。
目には青葉山ホトトギス初鰹 山口素堂
新緑が目に染みて山にはホトトギス、海には初めての鰹が心身に潤いを与えてくれる。良い季節になった。そのうち暑い暑いと天をにらんで冬の寒さを懐かしがったりする。大いに今の季節を満喫しよう。新潟米どころの田圃に青空が広がり、白雲がたなびいている。♪yasassa-yasassa-♪

客席は1曲目からステージに集中

ブルーの照明の中で歌います

懇親会も盛り上がりました
栃木県佐野市/ぎゃらりー酒蔵楽に人魂と音魂と弁天様
2025年05月18日 | カテゴリー: 山木康世
佐野は朝から雨である、それも音を立て地面にしぶきを上げている。当分止みそうもない温い雨である。
金ピカの佐野厄除け太子堂の鐘楼を思い出すなぁ。42歳の大厄除けに東京から車を飛ばして来たときには、もっと地味だったな。
数年前の佐々木幸男と二人ジョイントライブ。思い出すな。元気だろうか。いつの間にか二人とも金ピカに。でもいいや、世間にはいろいろな事情があるってもんだ。
今回は出流山(いずるさん)の湧き水の近くの参道へ続く山道で出会った琵琶を弾く弁天様への感謝を込めたYAMAKINGである。偶然の出会いであったが、大きな旗にして全国へ持ち歩いたほどのインスピレーション。この直感は大事である。滅多に当たらないが、脳内にこだまして次のステップの足掛かりとなる直感。これで半世紀以上来たと思っている。
ふきのとうの頃は、関わりあう人も同じ世代の人が多かった。事務所、レコード会社、地方のイベンター、お客様などみんな同じ時代を同じ感覚で生きていた。それが時間とともに徐々に違ってきて家族ができて、さらに広がってゆく。そして永遠の別れという人も出てきた多様性の同世代人の行方。
「ぎゃらりー酒蔵楽」は600年ほど前に創業されて、栃木で最古の酒蔵として営んできた由緒ある酒蔵である。会場となる蔵は米蔵であったという。それを20年ほど前に改築、梁はそのまま生かして床を少し持ち上げて響きのいい会場に仕立て上げたという。程よい床からの響きで音響もナチュラルリバーブが効いてイイカンジである。天井は気持ちがいいほど高い。
お客様が傘をたたんで暖簾をくぐってやってくる。本当にこの雨の中ありがたいことである、
♪酒を飲むなら美味い酒 今宵時間を忘れて♪
オープニングは米蔵へ、酒林へ敬意を表しての「我が友よ」である。CDアレンジをした鹿児島の彼もいつしか向こうの人となった。
そしてリハの時と全く違う響きに気が付き修正する。そうだ大勢の集まったお客様の服、帽子、髪の毛、自らの重さが作用して音の響きを吸収したのである。このことはプロとしてやってきた手前、場内における変化を何度も体験、体感してきた。しかしLiveは生き物、生ものであるので状況次第で予測不可能なことがある。
昨日とは同じ人間であるが、一晩寝て雨も降っていて、細胞も違っている。ミトコンドリアも違っている。思考や魂も若干変化している。それがYAMAKINGSONGSに微妙な味付けをして披露される。蔵出しのような感じか。それが面白くて半世紀作り続けてきた一番の動機だろう。
自分のため、自分が面白く今日を元気で生きるため、決してノスタルジーで商売している訳ではない。時々顔をのぞかせるほどの懐古、しかし2時間の蔵出し味付けには必要不可欠な要素ではある。
一同が退けた会場から余韻をいただく。そして暖簾の向こうの外は雨も上がっていた。
まだ陽も高い。ひとっ走り新潟県三条市へ向かおう。この分だと4時間ほどで着く。

お客様との一体感青感じたライブでした

会場入り口です

栃木県最古の酒蔵

蔵人のアルバイトでもするか

庭も素敵。売店の甘酒ソフト、うまいっす

高速道のCD売り場ではいつものお仕事を実施
神奈川県大和市/スペースつきみいつもココロに太陽をクチビルに歌を
2025年05月17日 | カテゴリー: 山木康世
大和市は2014年にこう宣言している。「60歳代を高齢者と言わない街」
2018年「70歳代を高齢者と言わない街」
僕がこれを見たのは、とある日東名高速道を走って東京に戻る時だった。高速道の上をまたがった横断歩道路に旗がかかっていた。それまで大和市の存在も知らなかった。
そして大和市の街のスローガンを見つけたときは、お年寄りを目鱈やったら高齢者というひとくくりで扱うことに多少の抵抗感もあってか声にして口に出して見たほどである。
その上現在では75歳以上を後期高齢者としてくくっている。その昔には考えても見なかった還暦、古希の自分がいつの間にか当たり前のように生きている。それも好きな音楽を生業にして更に回数を重ねて充実のお年寄り、老人の仲間入りして生きている。しかし国は「人生100年時代」などと無責任にの賜ってもいる。長生きは確かにお目出度いことではあるが、薬漬け、病院通いの毎日の100歳では考えてしまう。ちなみに全国で100歳以上の方は9万人おると言う。そんな中、人口25万人の大和市の宣言はいろんな意味で意義深いものがある。
笑顔、感謝、生き甲斐を忘れずに「なかきよのとおのねふりのみなめざめなみのりふねのおとのよきかな」室町の頃から歌われている回文によるお目出度い和歌である。これを知ったのは「七福神」を作った頃である。初夢に宝船に乗った7名の神様たちの到来を願っての切なる希望を、枕の下に紙に書き込んだ昔の人たちの風習。
今忘れているのは困難、絶望、病、見えざる将来の不安などが声高に言われすぎ、蔓延していて、お目出度いことが遠回しになっているような気がする。いくら遠大な博覧会など開催しても、心の奥に潜んでいるモヤモヤが晴れなければ先の歌などを読み下す余裕も楽しみも生まれてこない。スマホによる情報は洪水のように押し寄せるのだが、自分の能力を超えてしまい、結果何も見なかった、知らなかったと同じ人生では息を詰まらせてつまらない人生となる。
先の回文は「長き夜の遠の眠りの皆目覚め波乗り船の音の良きかな」となる。読んでいるだけでも「なーるほど!」と合点が行き一時的にでも幸せな気分となる。
こんなことを考えながらの大和市のスローガン、にやっとした街におけるYAMAKINGS、結構なお時間でございました。皆様方、いつもココロに太陽をクチビルに歌を。誠に有り難うございました。

初めての大和市ライブでした

「別れのワルツ」で終了
横須賀市音楽ホールこだち千葉から東京、神奈川へ
2025年05月12日 | カテゴリー: 山木康世
千葉県東金から木更津へ、そして海ほたるを川崎方面へ。89年に行われた横浜博から30数年、海ほたるは何年になるのだろう、過去3回走ったことがある。幕張が見える。スカイツリーが遠方に、誠に気持ちの良い5月の東京湾の潮風である。
浮島で横浜方面へ、大黒ふ頭、レインボーブリッジを超えて横浜八景島が見えてきた。八景島と言えば「シーパラダイス」東京に越してきた頃、横浜は博覧会真っ最中、そして八景島を知った。ある日そこにある水族館に行きたくなり、午後の遅い時間に車を走らせて閉館間際に着いた。そして「皇帝ペンギンオーロラの空へ」を作った。
「こだち」のある横須賀市追浜は直ぐ近くである。一度ここをおとずれているのだが全く記憶にない。会場に着いたら「あーここだ」と通常は落ち着くのであるが、今回は楽屋に入っても全く記憶にない。それどころか追浜が横須賀駅前の中心街とはかなり離れていることも意外だった。YAMAKING面目なく穴があったら入りたいほどの記憶力である。
「皇帝ペンギンオーロラの空へ」「三浦半島波高し」「小春日和」と冒頭3発を神奈川に敬意を評し特化して選曲。
ラストの「水の底に映った月(徐福伝説)」まで2時間超えの渾身のYAMAKINGSONGS、如何だったでしょうか、是非感想などお寄せください。
現代はマスの時代、音楽などは量より質という大事な局面もあるのですが、あまりにもランキング重視が気になるところ。本当は歌の持っている質も問われるところ。ある種作り手の思考が大きく関わる問題とも思っている。後世まで長く記憶に残る歌を作り出せるか、発見を見いだせるか?Beatlesの偉大なところはアイドル的顔面の良さもさることながら、数々の楽曲の良さであることは間違いのないところ。時を超えてYouTubeに登場するBeatlesはもはやクラシックの領域である。同じ時代に生きたことは奇跡かも知れない。良い時代に生まれ育ったもんだ。
規模はゾウとアリほども違いがあるにせよ、音楽人として生きる心意気は何も変わりはない。
追浜はその昔、源氏の某が追われて遂に逮捕された浜で、村人が追い浜→追浜と言う地名にしたそうで、街に歴史有り、人に歴史有りである。

追浜で2度目のライブ。北海道からお越しのお客様も

東金から横須賀へは東京湾を横断。海ほたるで休憩

やっと150年
千葉県東金市八鶴館で花火を打ち上げよう
2025年05月11日 | カテゴリー: 山木康世
丁度1年ぶりの八鶴館、東金市まで車で2時間である。北海道の人で東金を知っている人は何人いるだろう。僕は小学校のころから地理が好きで、理由は分からないが東金は知っていた。おそらく東のお金とかが面白くて知ったのだろう。
その昔家康が鷹狩りとしてこの地を訪れていた。小さな池を見て、大きな人造湖を吉田某に作らせたという話を前回来たときに知った。春にはサクラの名所で各地から賑わうという。
「山木」のご本家は千葉県で「八巻」がルーツらしい。道の途中に「ヤマキ質屋」「居酒屋康世」を見かけた。ヤマキはそれほど珍しくなくなってきたが、康世には驚いた。お客様からの情報でした。生涯3人しかお目にかかったことの無い名前のこと故、非常に驚いた。
ネガティブにでは無くポジティブに生きよう。
そこで早速実践した。「花火」という歌があって歌のラストに「もう消えちゃった 僕の花火 もうなくなった 僕の花火」という最後、それを「まだ消えてない 僕の花火 まだなくなってない 僕の花火」とした。今までの寂しく終わってしまう花火の命に力強い息吹を吹き込んでみた。良いのである。52年ぶりに改作してみた。どうせ生きるのであれば、せめてポジティブに。とても大事なことのように感じて力強さを僕ももらった。
年に2回訪れても良いなぁと思うほど目の前の池と八鶴館のたたずまい。場内の音の響きが更に後押し、もう少し地元の人にもより多くアピールをしたいと家康つながりのYAMAKINGSONGS。
お忙しい中お越し頂いた皆々様へ感謝の意を、そして僕の歌たちによって明日からの生活が少しでも潤うよう祈願します。
またお会いしましょう、どうぞお元気で。

山木節炸裂

ご夫婦でのご参加が多かったライブ。皆様もお誘いあわせください

重要文化財の建物も見ごたえあり

家康ゆかりの八鶴湖
神楽坂イタリアンアズーリ+チャペルの昼下がり
2025年05月08日 | カテゴリー: 山木康世
先日3日土曜西新宿あんさんぶる音で行われたYAMAKINGの後、「これから丁度1週間空いてますな、体が鈍って心配だわ」とささやいた。それを聞きつけ、「探しますか?良いですよ」という返事。「腹ごしらえを皆でランチして、歌の歌詞に飲食のキーワードがある歌をリクエストして貰うというのはどうだべな?」
それから3日日を置いて快晴の元、神楽坂チャペルで今ではもうかけがえのない隣人様たちとのYAMAKING。
アズーリにおける皆様たちとのお食事。大満足の御満腹、お腹にたっぷりブーちゃんを仕込ませて、はす向かいという程に近い日差したっぷりのチャペルで「飲食関係限定演奏会」
誠に満足の連休明けのYAMAKINGSONGS。遠く栃木・福山からもご参加頂き只今現在健全である心身に感謝、これからの身体安全家内異常なしを祈願、2月以来のチャペルは音の響きが最高で、脳みそがリラックス幸福へといざなってくださった。別れを惜しみつつ神楽坂という坂で神様と楽しんで坂道を下って参りました。
医食同源、病は気から、幸せは青空の彼方から、心より皆様方へ感謝、まだまだ道は続く。良い人生への同伴者、随伴者として今後ともどうぞよろしく御お願い奉り申し上げ候也。

明るい初夏の日差しが差し込む会場

100%リクエストの楽曲でした
端午の節句
2025年05月05日 | カテゴリー: 山木康世
今日はこどもの日。端午の節句。心に鯉幟を打ち上げよう。
雪の溶け始めた5月の風に乗って翻る6匹の鯉幟。東京の節子叔母さんからのプレゼント。
冷えて冷たい畳の上に母が広げた新聞紙にくるまった吹き流し、緋鯉、真鯉たち。オレのは一番最後の小さな鯉だ。黒が基調の鱗模様だったのを覚えている。
叔母さんは遠く離れた大都会東京で山の中の姉さんの家の生活を考えて贈ってくれたんだな。長い半年の冬の暮らしは想像を絶する他と隔離された世界。雪が溶けて春の初まり。子どもたちの嬉しい顔を思って贈ってくれたんだ。と思いたいが真相は闇の中。
中国人と結婚して大久保界隈で中華料理店を営み、離婚、ブラジル人と再婚したのを覚えている。波乱万丈の人生を送ったようだ。
鯉幟を見ると節子叔母さんの笑顔を思い出す。母からすれば国家公務員の地味な生活、妹の恋多き華やかな東京の生活をどう思ったことだろう。叔母さんの晩年は京都でアパート一人暮らし。仏像の世界に執心、生きていたようだ。
みんなが生前中は、そのうち時間ができたら色々と聞いてみたいと思ったことが聞けずじまい。惜しいことをしたと思う事柄の一つだな。
ご両人とも漁師網元松太郎さんの娘たちである。
新宿区あんさんぶるStudio音から50年の足音が聞こえてくる
2025年05月04日 | カテゴリー: 山木康世
「お客さん、ここは東京都の水瓶、来年にでも何処かに移転して副都心が作られるそうですよ。」
「へぇー!副都心か、未来都市ですね」
「陰で政治家の暗躍が見えてきますが、私どもにも情報が来たってくれぇ裏でゴッソリとお金が動いてるんだろーなー」
「これだけの膨大な街作り、どうなってるんですかねぇ。まぁ淀橋なんかの昔の住所が声なき声で教えてくれますね。」
「そうですね、昔の面影を住所が教えてくれますね、アーハァハァー」
僕がデビュー前に東京を訪れたときのタクシードライバーとの会話だ。
あれから50年以上が過ぎ去って、今ここに立っていると感慨深いモノがある。僕が札幌からお江戸へ移住したのが平成元年4月、サクラが咲いてたよ。ベランダの遠く向こうに生き物のような高層ビル群の赤いランプが点滅している。初め京王プラザホテルが建ち初めのろしを上げた。あれから随分増えた副都心ビルだなぁ。
ニュースでは何でも丸の内の都庁が移ってくるそうだ。世界的に有名な建築デザイナーが設計をするそうだな。
巨大な建物が仁王立ちしているような都庁には頼もしさも感じるが、同時に威圧感も感じた。ここが副都心の顔、東京の顔、日本の顔でもある訳か。そこには未来は感じるが、先人が遠大な時間をかけて作り上げてきた日本固有の伝統文化の面影は微塵も無い。そこでは都の水を売ってて、ビルの巨大な壁にはマッチング映像が年間億単位で映されているそうだけど、そんなために税金ははらいたくないなー。バブルの時代を見つめてきたビル群、バベルの塔ならぬバブルの塔に見えなくもない。
今新宿駅前は大改造中だ。6年はかかるらしい。不便を強いられて6年か。若い6年はさほどでも無いが、歳行ってからの6年は長い。先日渋谷の街に行ったが、どこぞの街かと思われるほどの大変貌、人並みに飲まれて息が苦しくなった。果たして6年後の西新宿はどうなってるんだろうかね。
蔵出しの新曲を徐々に徐々に出して味わって頂こうと画策中だが、6年有れば何か良い蔵出しが顔を出していることだろう。
今週末土曜には千葉の東金、八鶴館にお邪魔する。前回伺った際の目の前の家康が作らせたという巨大な人造池が今回はどんな気持ちを我に与えてくれるだろう。
車で1時間半でのどかな街や風景が広がる。
近頃のYMMAKINGSONGSは本当に自分を助けてくれていると実感する。それを感じさせてくれる皆さん、昨日もありがとうございました。またお会いしましょう。

月1回のペースでライブをしている「あんさんぶる音」

入り口です

終了後のサイン会
東京都中央区日本橋東京音楽堂 ピアノホール(B1) に雨が降る
2025年05月03日 | カテゴリー: 山木康世
東京でも一番東京らしいモダンな界隈銀座日本橋。そこでもmitsukosi辺りは世界の東京に恥じない心が晴れ晴れする不思議な街並みだ。1400万人が暮らす大都市東京。
子供のころ三菱アワープロレス中継でガラス張りのネオン華やかな丸ビルが必ず空から映し出されて、これが東京かと日曜日の8時に思いを馳せたものだ。
海からお邪魔するとこの銀座の奥座敷に江戸城がドンと控えている。お殿様のお家の玄関だったのだろう。明治時代は人口が13万人だったと聞いたことがある。新潟や金沢、富山、島根辺りが断トツに人口は多かったという。
それが何度かの戦争でついにお江戸は焼け野原、戦後復興で銀座は蘇った。そして今、信じられない変貌を遂げていた。
今日は久しぶりに電車でお邪魔した。何かと駐車場事情に不安を覚えたからである。切られ与三郎状態のビスタに少々哀れさも正直感じたこともある。
中野を出るときはほぼ雨は0%、中野駅に着いて発車したら20%、地下で走ること30分目指す日本橋に着いて地上に出たら0%、これは晴れ男の挑戦を受けている天の服従の構図。
やたらセキュリティーの厳しいピアノホール、トイレにも鍵が必要だった。
愛情100%のお客様のお陰でYAMAKINGSONGSはイイカンジで2時間越え、明日のあんさんぶる音の西新宿へ弾みをつける。
皆がお帰りになって地下から地上へ、雨が大地をたたきつけている。驟雨とうヤツだ。富岳三十六景の雨のシーン、はたまた三船敏郎7人の侍シーン。こりゃタマラン、タクシーで何とか最寄りの神田まで。
何とか5時半の豪雨の日本橋から脱出、中野の街まで中央線はひた走り、一日が無事終わった。世界のコスプレの町、中野は33年である。やはり落ち着く、住めば都、しかしたまに世界の銀座日本橋へ出かけるのも悪くない。やれやれ、土曜になってしまった。

静かな空間に心地よい音が響きます

雨の中ありがとうございました
新宿区あんさんぶるStudio音の春風に吹かれて
2025年04月28日 | カテゴリー: 山木康世
「人体の驚異」ご覧になったでしょうか。いささか番組のキャスティングには言い分も御座いますが、何せ今の時代の最先端のCGを見るだけでも価値ありと思い紹介させて頂きました。
その昔「ミクロの決死圏」というSF映画が御座いました。まだ学生の分際で封切りの映画館で見ること叶わず、時間を置いて二流館という、いわゆるセコハン映画館へ足を運んだので御座います。映画館がセコハンという意味ではなく、フィルムが一度使われてしまったという意味のセコハンです。
その昔の札幌における映画は2本立てが普通で御座いました。通常1本ではお客さんが来ない、敬遠するという算段で2本立てが行われました。しかし中には鳴り物入りの話題の映画は1本というのも御座いました。見たいのは見たくてウズウズなのですが学生の身では大蔵省と相談、大体においてセコハン2本立て、3本立てというのを楽しんだもので御座います。「ミクロの決死圏」も話題の映画で、何せ人体の中へミクロになった科学者先生がお邪魔して内臓や血管を見せてくれるという代物でした。決死圏という言葉が小生の血肉を奮い起こさせたので御座います。
今時のアニメの漫画が封切りの時代では血肉が湧き起こらないので御座います。時代はAI、デジタル時代、お茶の間で昔とは比較にならない緻密さ、華麗さでCG画像で人体の驚異、不思議さを見せてくれるのですから期待に胸が弾まないわけがない。
しかし何かとお笑いを番組に挟み突っ込まなければ気が済まないという番組制作者の思惑なのか、笑いを入れてくる。この際我にとっては必要のない配慮なのです。それゆえにこの番組のキャスティングに少々不満がござったので御座います。あの黒いサングラスでのゆるキャラお笑い司会者が苦手なので御座います。
この番組があると知ったのが先日放送された、いわゆるこの日放送分のプレ(告知)番組でした。これがプレとは思えないほどのボリュームと華麗さに魅せられて本番を期待して、一人で見るにはもったいないと思い紹介させていただきました。
しかし何たる不覚、本人は昼間Liveの疲れと少々のアルコール摂取によるリラックス状態、その上番組のバラエティー化に退屈さを感じてしまい、気が付けばいつの間にかエンディングテーマが流れておりました。
「あんさんぶる音」は週に2度も行われるという人気さ(あくまでも我にとって)でこの会場の持つイイカンジを感じてもらえるのではないでしょうか。この日も春風が心地よく、故障していた車のエアコンも完治、コンディションは最高、ランチの焼き海苔盛り豚骨ラーメンの塩分はエナジーをくれて、お陰さまで満足な日曜の昼下がりで御座いました。
皆様誠にありがとう御座いました。土曜にはそっくりここでまた
YAMAKINGSONGS、前日の中央区におけるピアノホール、心よりお待ち申し上げております。
人体とはしなやかな伸縮自在、かつ何万年も土に居残る無骨強靭さの中に秘めたる神様のお創りになった緻密なテクノロジーの賜物、アリガタヤ、アーアリガタヤ‼

次回は5月3日、お待ちしています

新宿高層ビル群にも春の日差し

西新宿路地裏の小さな公園