福島県喜多方市/FMきたかたライブスペースから心緑の心風を
2024年07月08日 | カテゴリー: 山木康世
田端を終えて宇都宮、山形心配していた雨はなく、連日は真夏の母なる太陽に恵まれて我は幸福也。静岡では40度を超えたという。大谷も6連続三振で心配していたが、調子は戻ったようだ。本物の世界の新人類ヒーローにガンバレーバンザーイ!
山形から喜多方への山道は日曜ということなのかひっきりなしに車が行き交う。田沢の道の駅で丸茄子漬物を所望。ここの山道は秋には素晴らしい彩りを見せてくれる。今は新緑が目に鮮やかだ。
FMきたかたはちょうど1年ぶり。あっという間の1年、遡ること何年になるのか、現小田切役員からFM放送会社を始めると話を聞いた。街の薬局の建物を改築、将来はライブハウスも兼ねた放送局にしたいと案内してくれた。中に入ると薬局そのものだった。笑顔でいたずらっぽく紹介してくれたのが特設麻雀ルームと称する秘密の小部屋。その後東北大震災には大活躍、彼の生来の性格で東日本を救ったのは大げさな話ではない。本来のコミュニティの本領を発揮、今後も令和のノアの箱舟でいてくれるだろう。
次世代の若き社長にも好感。きっとまだまだ活躍してくれるFMきたかた。
大勢のみなさんが来てくれた。しかし肝心のオープニングにやってしまった。ノートPCを楽屋に忘れてしまった。やれやれ、仕切り直しである。
ギブソンB25、スズキ48年、クワイアンで臨んだ。良い音、良い照明だった。余すことなく50年音楽人生をご披露できたものと思う。今夜の「うやむや」は前日の山形に負けず劣らずの読経。みなさんありがとう。
8月には令和の「白い冬」をお届け出来そう。このニュースは今年一番の朗報かもしれない。なにか光明が見えてきそうでワクワクしている。みなさんも暑さに負けず、かの宮沢賢治のごとく強くたくましく明日に生きてくほしい。
ホテルの窓から見える少し湿った感じの喜多方の街は去年と変わらず良い感じで眼の前に広がっている。変に高いビルなんか必要のない現代の福島の奥座敷の街に拍手だ。磐梯山に見守られて喜び多き街は今の日本になにか新風を吹き込んでくれるような予感がするよ。
また元気な街、人に会いに来ようぜ。我ももっと磨きをかけて参上したい旨、みなさんお達者デー!
あーあ花の都の首長が小さなお池にまたもやはまってしまったか。
山形県山形市/山形 洗心庵 満席です!
2024年07月07日 | カテゴリー: 山木康世
山形は第二の故郷。父方のお祖父さんお祖母さんが北海道へ海を渡ってやって来たのが明治35年。駒吉お祖父さんが、なんでも農学博士として北大へ招聘されたという話。僕はずっと明治政府の公募で札幌へ移ったものと思っていたが、どうやら違っていた。大した先生だったわけですな。北海道へ移ってからは、出張のたびに化石などを探して歩いていたそうだ。忠類川などはナウマンゾウの化石の宝庫。当時の北海道を妄想する。お祖父ちゃんも大学の仕事よりも、こっちの趣味の世界に夢中になったのではないだろうか。僕も大学を卒業後、考古学の世界に就職したいようなことを父に相談したことがあったが、父は化石などは昔を探求する世界よりも、未来に生きたほうが良いな、とやんわり言われた思い出がある。まさに父が生涯かけてダリアの新種を夢見た世界はお祖父ちゃんの夢とは違っていたのだな。
おかげさまで「洗心庵」は満席で、多くの人がご来場いただいた。実に僕の好みの会場である。庭の中央に広がるのんびりと鯉の泳ぐ池が街なかの喧騒を忘れさせる。臆病者のスズメが周りに十二分に気を配って時折池の隅で水浴をして、すぐに飛び立つ。スズメも暑いんだな。手入れの行き届いて日本庭園は「洗心庵」のシンボルだ。楽屋にあてがわれたお茶室には平安時代に発見された屋根瓦の飾りが置いてあった。2時間も開場までの時間一人の良い時間を過ごして臨んだ山形LIVE、満足の行く2時間だった。最後の「うやむや」の会場に響き渡った読経はお祖父ちゃんお祖母ちゃんに、そしてヤマガッチャンにも届いただろうか。
「有耶無耶の関」と命名した当時の名もなきお役人のセンスの素晴らしさに脱帽。
そこそこにうやむやに生きていなければ息が詰まって死んでしまう。
ナスの塩漬けは最高だった、ペースメーカーロバくん。マーチンOMは宝だよハッチ。血圧210超えは信じられんぜサトーくん、ツッチー本当にお疲れさんでした。
暑さの中、喜び多き彼方、喜多方へ行ってくるぜ。あばよ、みなさんありがとな。
栃木県宇都宮市/宇都宮 STUDIO P5 餃子美味いぞ
2024年07月05日 | カテゴリー: 山木康世
宇都宮といえば餃子の街としていっとき脚光を浴びて駅前にはテントがいくつもはられ元気な姿を見せていた。
それがいつしか鰻の浜松に席を譲り久しい。何年になるのだろう。僕も浜松=鰻はずっと定着していて、にわかには信じられず、あの浜松がかいとしばし疑ったことがある。
しかし宇都宮には餃子専門店があちこちにあり、ご飯、ビール一切注文できなく、ひたすらにカウンターで焼き立ての餃子にかぶりつく。水餃子の選択もある。
大将は飽きることなく日がな一日餃子と格闘、大きなフライパンに油を敷いて餃子を我が子のように扱い、優しく焼き上げる。最後の仕上げに薬缶の水を蓋の隙間から注ぎ込みジューッ、はい一丁出来上がり!6個が基本であるが、当店の餃子は小ぶりにできておりますので2人前3人前で満足できると思います。初めてご来店のお客様への張り紙を読みながらの舌鼓。2人前を頼む。待つこと7分、眼の前の皿にパリパリと良い感じで焼き蒸し状態の我が子が12個。なんのそのマリ、十分にでかいぞ、僕は正直札幌のみよしの餃子の大きさが好みであるので、昼は12個で大満足だった。確かにビール一杯あったらとも思ったが仕事前である。アルコールはいただけない。
それにしても今日は暑い!熱風がときおり餃子の汗に当たって余韻をさらに蒸し上げ状態にする。汗が吹き出ることはなく、ジンワリジンワリシャツを濡らし始める。
会場には大きな除湿機が2台ブンブン唸っている。暑さの原因に湿度が大いに関係している。ピアノの置かれた場内の除湿機は、ピアノのための除湿と知った。
広々伸び伸び空間は何かと余裕が出来て心身ともに良い。ギター弾き語りにちょうどの広さであるな。
シンガーソングライターであるので、曲はさることながら詩はそれ以上に大事である。餃子の中身と一緒であるな。
猛暑猛暑とワイドショーは拍車をかける。これから少し北上するので気持ち涼しいが、今の日本は東南アジア状態になってしまった感がある。
さぁ夏は思いっきり汗を書いて、水をたくさん飲んで体の活性化、元気に乗り切ろう。そのうちすぐにサミーサミーと背中を丸めて咳でもコンとひとつ寒い冬が待っているのだからね。
東京都北区/スタジオ・アンダンティーノ 第3スタジオ(1階)でのヒトヤスミ
2024年07月04日 | カテゴリー: 山木康世
バタやんこと田端はんは古いギブソンをそんなに持ち上げなくても良いのにと言いたくなるほど胸の上の方まで持ち上げて
♪ワタシがアナタに惚れたのは ちょうど十九の春でした♪
僕の好きな日本のミュージシャンだ。歌手ではない。音楽スタイルをきちんと持っていた音楽人なのだ。マイク片手にパフォーマンス、ついには振り付けもしてしまうカラオケ大好き演歌歌手ではない。ウケ狙いでマイクを胸にあてがい何かを考えていそうでいないなんちゃって歌手でもない。
彼が歌うと実に幸福な気持ちになったもんだ。そんな日本の歌手探したってそれほどいなかった。
僕が16歳の高校生、ギターを始めた頃ときめいたのはテレビに出てくる加山雄三だった。加山はんも必ずギターと一緒に歌を歌っていた。「旅人よ」で薬缶の中のお湯は沸騰、蓋が音を立てて弾けて床に転がり落ちた。
それほどギターは大事なのである。言葉足らずで語り足りない気持ちをギターは代弁してくれる。援護射撃にハモニカも、その時の彼の胸の内を口中から雄叫びす。
筋書きのない50年音楽文士による2時間はたまらなくこらえられない山登りのピクニックなのである。道端に何がいるか、咲いてるか俺は目を見開き、耳をかっぽじて夏の汗を拭き拭き黙々と歩いてゆく。なんだ!前を歩いているのは父さんじゃないか。足が遅くなったと言え父さんを追い越さない。追い越せない。いつも父さんの尻や背中を見て歩いてゆく。無言で何か言っている。「そろそろ馬の背でヒトヤスミするか」って言ってくれそうで言わない。休まない人だった。いつも動いてた。そんなとき、「よしヒトヤスミだ」っておにぎりを広げる一時は最高だった。青空に遊ぶ鳥たちもピーピー枝でヒトヤスミ。あんな午後のヒトヤスミ、夢のようなヒトヤスミだったな。
文士の村、田端の駅頭でレンホーが東京都の舵切り胸の内を雄叫んでいた。
さて東京を、日本を誰がどのようにお導き下さるでしょうか。
バタやん、一曲おねがいします。
春日部市/昭和楽器ミニホール
2024年06月30日 | カテゴリー: 山木康世
記憶とは不思議な現象だ。
駐車場に着くまで、会場の思い出が浮かんでこなかった。それがである、駐車場に近づくにつれ、鮮明に思い出してきた。脳みそのどこに刻まれていたのかヒョイと顔を出す。あとは昨日のことのように連続コマのように脳裏から映し出される。自分の脳であるのに、人ごとである。これは今までの経験上何度なく繰り返して面白いなぁと脳みその不思議さを体験してきた。
楽器店のホールはここと言わず、全国的に安心して快くLiveのできる会場である。建物に今いる人、来る人の目的意識が遠からず同じであるという連帯感のようなものがそうさせるのかもしれない。音楽に今関わって生きているという連帯感かな。
音楽の一番の魅力は「今」昔でも将来でもない「今」に関わって生きているという実感である。脳みそのどこががそれを一番司っているのか。そして人々の癒やしとなってパワーとなってある種中毒性のような症状をもたらす。空気や水と同じようなものでホワイトボードに書いて説明のできるものではない。
すでにお客様と会う前から始まっている音楽会。そして終わってもすぐには収まらず、余韻というものが会場や人に残って徐々に消えてゆく。そんな中、叫声や理由のわからない人に会うと、幻滅していっぺんに興醒めである。
余韻の楽しめない人は勘弁である。皆の空気を壊してしまう。こんなことも脳のなせる業。個々人で違うので一概には言えないが、諍いや争いごとを生む言葉の持つ暴力性を排除して感じて人に接していこう。
僕は短時間でも良いから人と会ったときに笑顔になれるような歌作りをしてきて。決してお笑い的な笑顔だけではない。心底出会っているときにココロが軽くなるような楽曲。これは僕自身も含めて軽快になれるような時間を持てることである。現実は厳しいかもしれないが、それをいっとき忘れさせてくれるような歌は最高のサプリメントであるな。
梅雨の合間なのか、それとも空の気まぐれなのか、まぁ晴れ男、本領発揮の春日部の昼下がり。
皆様どうもありがとうございました。
明日から7月、水曜日までしばし歌へ水をやり養生します。田端アンダンティーノで脳みそが驚くような青々とした癒やしの長ネギのような束の収穫が出来たらと夢みてさらばじゃ。ちなみに半夏生の候ですな。
東京都新宿区/あんさんぶるStudio音に降る雨は思い出通り雨
2024年06月29日 | カテゴリー: 山木康世
梅雨なのだろうが大きな雨粒が間だんなく降り続く。
しかし気温は低めで涼しいくらいだ。
あんさんぶるStudio音の思い出に雨傘はいらないくらい晴れや曇りの中、荷物を運び入れた記憶しかない。副都心の都庁を初めとする高層ビル群が今日は雨に煙っている。
都知事選挙が来月7日に行われるが、果たしてこの国は大丈夫なのだろうかと候補者の雄叫びを聞いてつくづく思った。
50人を超える候補者の実態を見て唖然としてしまう。NHKが放送する政見放送、これはお笑いよりも面白いテレビ番組だ。自社をぶっ壊すと口を揃えて雄叫び。それを甲斐甲斐しく手話通訳しなければならない人の哀しさよ。こんなイベントのために税金を取られて、魔法を信じて生きてきた。しかし予想するほど良い街作りをする長はいなかった。世の中まさに有耶無耶色なのであるな。
香港で82年に「思い出通り雨」が大ヒット、しかし歌っているのは「ふきのとう」ではなく、地元の女性シンガーの歌う「思い出通り雨」。
そのころ北海道に住んでいて、まだ現役で「ふきのとう」活動中。そんなニュース聞かないで過ごしていた。10年ほど前にYouTubeで知った事実。花束を抱えて一人の女声の歌う「思い出通り雨」大喝采である。若い頃東京で作った歌が海を超えて見知らぬ人たちに愛されている。そしてその女性シンガーの人生を変えた「思い出通り雨」
この歌は82年Hong Kongヒットベストテンに香港の人たちの記憶に残っているはずである。
そこで考えた作者の歌う「思い出通り雨」を聞こう日本音楽ツアーHong Kong。
今の時代は巨大なものと、超個人的な狭く深く自分だけのお宝が共存する時代。選択するのは個々人の自由にある。
新宿の小さな一室で行われている音楽会。そこで一人の人が興味深く耳をそばだてている。自分が若かりし頃に心打たれた「思い出通り雨」ギターによる弾き語り。やっとたどり着いた心の原点。静かに人知れず涙していた。
そんな妄想を表に出たら夜がかき消していた。雨は上がったようであるが、すでに日は落ちている。夏至から数えて1週間、本格的な夏がやってくる。
高円寺ShowBoat サーフェス顛末記踊る阿呆も見る阿呆
2024年06月27日 | カテゴリー: 山木康世
この日の中央線は飯田橋でトラブル。大幅に足並みが乱れた。あいにくと言おうか幸運にも中野から西方面はそれほど影響はなくいつもと変わりない。人身事故でなくホッとする。双方に悪影響だけで良いことが何も無い。中央線は不幸にもこの手の事故が多発する。御本人の身中を察するに、計り知れない現代における病と言っても良いかもしれないが、それによる混乱も大変なものがある。
サーフェスという機器がある。マイクロソフト社のタブレットパソコンの機器であるが、後発部隊で売り場で当時キャンペーンを展開中に見かけて入手した。しかしサーフェスのキーボードは別売り、使い勝手があまり良くない。材質が好きではない。硬質のものが好きだ。
そして充電がスムーズにいかない。専用のへんてこりんな充電器が付属する。これがあるとスムーズなのだが、この専用というのがダメだ。Macもそうなのであるが今や時代に欠かせない機器となったら、やはり皆で共有できるという考えが宜しい。電気の供給に独自路線の意味はあまりない。
この専用充電器を忘れた。開場から事務所の中野まで一駅なので取りに戻ることにした。1時間かからないで戻ってこれるだろう。前回に使って仕舞った記憶があるので、急いで戻る。まず、電車はすぐに来た。2分で中野、駅前でこれも運良くタクシーが来た。駐車場まで急行。「ここで待っててください、また中野まで戻りますので」
しかしここでポケットを探る脳みそは鍵の忘れ物に気がつく。「スミマセン、駅に戻ってください。」運転手は「ニヤリ」おれ「コンチクショー」時計を見たら30分かかっていない。鍵があれば今頃「ヤレヤレ」
別れ際運転手は「夕方のドライブでしたね。ハッハッハー」
タブレットの輝度を下げてなんとか時間を稼いで臨むことにした。しかしあまり下げすぎると字が見えなくなる。込み入った文字は団子のような感じで小さなパニック、歌い飛ばしや読み間違いなどが起きる。難しい選択だ。これも試練か。
電気がなければただの四角い粗大ごみ。まさに電気は不可欠なおのであるが今どき給電で悩むとは時代遅れの感もあるな。ぜひ光ソーラーによる蓄電の技術を臨むものである。小さな可愛らしい人形が光に反応してお尻フリフリのダンスをする光景である。
事なきを得て残り20%で事なきを得たのだが、2時間半の我が身中は針の筵状態だったよ。
プロは歌詞など見ないと口やかましい芸人がテレビでのたまわっていたが、さすればクラシック世界では譜面台は未だ健在でなくてはならない必需品と言える。そんな言い訳を最後にして長い半日の顛末を記して筆を置く。
明日は西新宿あんさんぶるスタジオ「音」での我が音響機材による山木ワールドのひとときだ。
狂想曲都知事選の喧騒の中、ホッとする住宅街での一人ぽっちの協奏曲を奏でよう。
鎌倉くるくる行ってくる
2024年06月24日 | カテゴリー: 山木康世
雨に濡れたくるくるの緑は、しばし乾いて疲れた心の襞襞に入り込んで潤いを与えてくれる。街の緑なんかどこにでもありそうだが、心に染み入る緑の時間はなかなか見当たらない。瑞々しいことは、心身に必要不可欠なエネルギーの源である。しなやかで力強い竹の持っているイメージである。風雪に耐え抜いてなかなか倒れない日本の竹。
築100年以上のモダン木造建築のくるくるを訪れたとき、年に4回は来てみようと思った。春夏秋冬の庭の景観にどうくるくるは表情を変えるだろうか。
時折江ノ電が庭のすぐ向こうを音を立てて通過する。静かな庭の佇まいを江ノ電は破って一時今を感じさせる。今と昔が良い具合に入り交じり妙に心が落ち着き時間を忘れさせてくれる。
梅雨入りを予感させる大粒の雨が屋根や庭に音を立てて降る。しかし終演のころには雨も上がって、庭の緑がキラキラと光ってさらに深みを増し、枝で遊ぶ鳥たちも空で歓声を上げている。こんな箱庭のような緑にさえ心に栄養を与えてくれる。現代人のあくせくせざるを得ない日々に必要だよな、と思ってしまう。しかしこれを感じるか感じないか、必要としているかいないかと問われれば、それぞれだ、声で説明できない感受性は幼いころからの教育だと思っている。
縁側の大きなガラスの向こうに広がる緑を見ながら、電車の音や鳥のさえずりを聞きながら、ここに生のギターと声による水彩画のような音楽を奏でる。こんなひと時を贅沢と言ってもいいかもしれない。
いつも会いに来てくれる大学の後輩の元気な姿も活力の素、はるか50年以上も経過した時間を超えてやって来てくれたお客さんのお姿も活力の素です。いつもの皆さんのお姿ももちろんのことです。
今度はいつの季節に訪問しよう。お隣の店でランチをして、移動してlive、題して「くるくるlunch&live」も面白いかもですね。
明後日は中野の隣町、高円寺におけるShowBoat、待ってまっせー。
どうぞお元気で!
駐車場へ向う道には妙正寺川という川が流れている。
2024年06月23日 | カテゴリー: 山木康世
神田川と同じようにお江戸を流れる比較的小さな川であるが、歴史は長い。その昔から流れている町民の水としての川は偉大である。どれほどの人たちの生活を支えてきた川であろうか。今も変わらず流れ続ける川、川に歴史ありである。流れを変えたり地下に埋めてしまったりと人間の都合で生き残っている川は哀れである。いつかしっぺ返しが来る。それほど人間は偉大ではない。
そんな川に水鳥が住んで生きている。鴨の親子は見ていて心が和む。今日は子供が6匹も居て、親鳥に向かって何かを学んでいるように見える。その隣には我が家の町から電車で向うと鷺ノ宮という駅があるが、そこからやって来たのか白い優雅な鷺が一羽遊んでいる。いつも居る鷺と同じ鷺だろう。足音や人の気配を感じると、動きを止めて、すぐに立ち去ってしまうので静かに川を眺める。今日はお隣の鴨の家族がいるので安心なのか、懸命に川に頭を突っ込んだりしている。
ぼくは川崎の鷺沼に行ってくるよ。昔鷺が多数生息していた沼でもあったのだろうかね。2回目のフラメンコダンススタジオ「caramelo」 でのLiveLovely。
いわゆる国道246をひたすら横浜方面へ。多摩川を越えるとやがて見えてくる鷺沼。
たくさんの皆さんが土曜の夕刻お見えになり良好なひとときを過ごすことが出来ました。誠に有難うございました。お天気も晴れでしたが、どうやら明日からは雨のようです。梅雨入りの呼び雨でしょうか。
潤いの雨として天の恵みに感謝しよう。明けて23日は鎌倉くるくるへ行って参ります。
あーあ一日早かったか
2024年06月21日 | カテゴリー: 山木康世
早くに目覚めた。今日は川崎の鷺沼だ。そして新しいアンプも入手した。
以前からチャンネル1が時々内部反乱を起こし雑音が出たりしていた。コンデンサーの劣化に有りと経験上考えて、他のチャンネルを使い回しこなしてきた。
中野にはあいにく電気屋がない。ないことはないのだがパソコン中心の店が4軒もあるのに、オーディオ、楽器店がない。まぁ需要がないので仕方がないとは思うのだが。ネットで頼めば翌日すぐに来る時代なので町になくても困ることはないかと新宿へ出かけたりする。
そんな中、フジヤカメラという元カメラ屋さん、今はオーディオ専門もやっている会社がある。昔からあったのだが、ブロードウエイ2階の引っ込んだところにあって目立たなかった。今は人通りの多い道に出店したのが5年ほど前。こんな専門店を見ると嬉しくなってしまう。そこで新しい懸案の新しいアンプを入手したのでワクワクして今日は鷺沼と思い続けていた。そして5時半起床となったのだ。
なんだ明日じゃないか。一日間違えた。