となりの電話 山木康世 オフィシャルサイト

山形はお祖父ちゃんの故郷

2024年06月20日 | カテゴリー: 山木康世  

僕には二人の祖父さんたちがいることになっている。二人とも写真でしか知らないのでこんな言い方になってしまう。
父方は山形の駒吉祖父さん。母方は函館の松太郎祖父さん。
両者は山と海と対象的である。住んでいた町だけでなく職業も方や農学博士、方や網元である。考え方は知らねども、写真で見る限りお顔立ちも柔、剛、ソフト、ハード何かと水と油のような感じに受け止められる。
父母の結婚式に両者は顔を合わせているのだろうか。昭和18年のことであるのでご存命なはずだ。札幌と函館、松太郎さんは汽車で冬の札幌まで来たのだろうか。
100年も経っていない頃の時代に非常に興味がある。戦争に負ける前と負けた後、日本は違う国のように成らざるを得なかった。生きていた祖父母たちの複雑な心境はどうだったのだろう。もちろん青春の頃の両親にも会ってみたい。
今ではビデオなどでまるで生きているかのようにいつでもバーチャルではあるが会うことができる。
僕には数曲お二人のことを偲んだ歌がある。
自分の血の故郷のお二人に関心がないはずがない。ないとすれば自分自身に対しての否定である。
DNAに組み込まれて生き続けているであろうお二人の血。他に祖母、両親の賜物、結晶であるとされている。
今度、駒吉祖父さんの故郷、山形へお邪魔する。
お陰様で大入り満員御礼という話である。お客さんの中に混じって、きっと祖父母や血縁者の目に見えぬ魂が目と耳を済まして息をこらしていることだろう。
大勢の方のご尽力で生きている。特に土屋氏には長きにわたる絶え間なき心の握手に感謝、乾杯を申し上げます。

国立スペースコウヨウでの効用は如何に

2024年06月17日 | カテゴリー: 山木康世  

初めて電車で出かけた。中野から30分かからないで国立に着く。いつもは車で中央道で出かける。しかし日曜ということで渋滞で有名な高速道はしばし考えてしまう。
東京、新宿などから中野まではここ30数年何度利用したか。東から西へと、さらに八王子、塩尻、松本まで延びている中央線。とりあえず真っ直ぐである。気持ちの良いほどに真っ直ぐである。新宿副都心の高層ビル群が遠くに見える。夕景に富士山の姿も何度も拝んできた。
その富士がマンション建設で見えなくなって一騒動。建物は完成して契約者も出てきたというのに、ありゃまあ解体作業と来たもんだ。そんなにマンション一棟が簡単に建てたり壊したり出来るもんなんだ。半ば呆れて報道を聞いていた。その現場の街が国立なのである。
駅から降りて昔の駅舎という小さな可愛らしい建物で待ち合わせ。中では街角ピアノがかなりの音量で披露されている。演奏者は90歳のお方という。時ならぬ演奏会並みにピアノの華麗なる技が披露されている。
そこを抜けて目指す向陽ビルまでは300mほど。何やら報道で見覚えのあるマンションが見えてきた。車道にカメラを構えた人までいる。あいにく富士の姿は遠望できなかったが、お金持ちの国と業者とお客との現場に連れてこられた感じの日曜の昼下がり、まぁ勝手にやりなさいだな。。
我はせっかく混雑を避けて電車で確実に来たというのに、中野から乗ってすぐにsurfaceの忘れものに気づき事務所へ舞い戻って約1時間、国立に来たという身なのであまりマンション富士山騒動には関心が起こらず。また次回来た時には、すでに取り壊し済みと言うことくらいしか思わなかった。それにしても勿体ない話だ。戦争で瓦礫と化す建物と同等の勿体なさだ。何という愚かな人間のいち姿。金余り現象もほどほどに。
50年かけて作り上げてきた歌たちの「言霊」を2時間じっくりと歌い上げた。「言霊」は本当に存在して他者へ感染するそうだ。そう考えてみると良い仕事をしてきもんだ。
未だ梅雨入りはしてないようだが、いつでも準備はOK。長い恵みの雨の後には痛烈な太陽の夏本番が待っている。基礎体力を落とさぬように健全なる心身の毎日を忘れないで乗り切って行こう。
みなさまお忙しい中ありがとうございました。週末には鷺沼、日曜は鎌倉へとキャンバスを変えて趣味道楽生業の音楽道に邁進いたす所存です。お待ち申し上げまするでYasu。

リクエスト曲もたくさん歌いました


さて、終了。ありがとうございました

田端アンダンティーノを終えて

2024年06月14日 | カテゴリー: 山木康世  

この日の忘れ物は筆舌に尽くしがたいほど多かった。
理由はわかっている。事務所で録音の日々、ライブの間隙を縫って、ある目的の下レコーディングしている。その際いつも現場で使用しているハモニカ、カポタスト、コード類を忘れてきたものだった。
昨夜まで忘れないように眼の前に揃えておいたのにこの無様。階段を降りる。大丈夫だ、肩にかかる3個のバックを確かめつつ自分に言い聞かせるように階段を降りる。
開演時間が1時間ほど遅かったのが功を奏した。
スタッフEさんの快い申し出に甘えた。本来は近隣の池袋の街に買いに行ってもらおうと考えた。しかしなんと山手線が不幸にも人身事故で不通、急遽御茶ノ水へ探しに行ってくれたのである。マイクコードが5メートルと少々長かったが電気は十分伝わる。のぞみの黒いカポタストも急いで走って買ってきてくれた。
ハーモニカはこの日なかったが、ことなきを得て梅雨の手前の田端の街に青空が広がっていた。
ハーモニカの分、口笛で対応した2時間はある種新鮮であった。お客様には十分の説明がなく申し訳なかった「うやむや」
数学や物理の公式のように世の中は流れていない。むしろ曖昧色満開に染まっている。うやむやな態度は単純に見れば優柔不断、しかし見方を変えれば遠慮深謀。
何事も素早く対応したいものだが、早まって諍いを起こすよりはマシである。現代においての近代兵器の戦争、行く末は核兵器も辞さないという頭の硬いオエライサンに戦争の意味合いを問いただしたい。何よりも平和、健康であってこそ共存共栄のもと美しい水の惑星の変わらぬ姿なのであるから。

すっかり馴染みの会場になったアンダンティーノ


山手線田端駅から5分です

東京都葛飾区空の杜で考える

2024年06月10日 | カテゴリー: 山木康世  

大きな窓の外の緑がキレイだ。
川向うは千葉県市川市である。葛飾区鎌倉が住所である。大仏様がおられるのは神奈川県鎌倉。
近くにライフという大型スーパーがある。そこに置かれている駐車場はステキな駐車場である。一応入口には係のおじさんがなんとなく立って目を光らせている風。しかし無料で、基本ライフ利用者のための駐車場なので、短時間でも何時間でも心置きなく気持ちよくお買い物をして、ドッサリと車に積んでお帰りくださいというわけだ。都心ではすぐに1時間いくらのお金をいただきますとなる。
北海道のセイコーマートはダントツで日本の売上ナンバーワンと聞いたことがある。間違っているかもしれないが、北海道では1番だ。ここではお買い物に対して袋はご入用ですか、なんて野暮なことは言わない。なぜか北の国では無料で入れてくれる。小泉某が発案したコンビニ袋有料対策。これは環境への対策らしいが、話によると石油製品のゼロコンマ以下の利用率らしい。いかにもこの袋を全国レベルで有料にしたら減ることは間違いないだろう。いいことを思いついたもんだ。しかし家での今までのゴミ袋の女神として有難られていた袋がなくて困った、などという話も出てくる。果たして真相は、この環境対策への取り組みに関してはセイコーマートは失格であるな。
必ず店側に聞かれるか申告するレジ袋問題。変な買い物風景が出来上がったものである。母親の時代は必ずカゴなどの入れ物を持参して買い物に行った時代である。
楽しく買い物して、駐車場から気持ちよく帰るのがステキな午後の一時の風景である。あのレジ袋が問題なら、ストロー同様石油から作らなければいい。粗雑な紙袋で結構だ。店側の負担なのか環境への配慮なのか、どちらにしてもお客様が大勢おいでにならなければ寂しいレジ風景なのだ。
そんなわけでおじさんから遠く離れた出口のそばの停車枠に車を止めて空の杜へ。
東京では自転車も締め出されて、もちろん車は短時間でも駐停車不可能である。車社会と言われて久しいが、法外な料金も取る業者も出てきて、車で街へ出かけることは決して楽しいことではない。
しかし鎌倉のライフは今のところせこいこと言わない。おじさんも途中でいなくなったり目を光らせているわけではない。
空(くう)の意味をしっかり捉えて、車メーカー共々一緒に住みよい現代の車社会のあり方を考えたいものだ。
シンガーソングライターと言うのなら、地に足のついた自らの言葉で音楽を奏でよう。社会の問題点なども、シンガーソングライターには格好のテーマであると思うのだが、いかがだろう。
まさに世の中、有耶無耶、空の杜である。

カーテンを閉めず、庭を眺めながらの明るい空間でのライブは希少


いつもありがとうございます


この日はサインのプレゼント付き

73歳北海道の締めは「小樽K・cafe」

2024年06月07日 | カテゴリー: 山木康世  

美原の記念桜はこの2、3日のうちにすでに盛りを過ぎていた。
蘭越、真狩を過ぎて羊蹄は頭をスッポリ雲に隠して、雄姿を拝むこと叶わず。
留寿都を左に入ること4キロ、懐かしい美原が見えてきた。かつて65年ほど前に生活した官舎は見つけることすら困難な草の中。そこから毎日羊蹄を眺めて,美原小学校まで、村落の端から端まで毎日通学。子供の足でずいぶんと遠いと感じていたが、今ではあっという間の距離、車で1分だ。
確かここに学校とグランドが、その向かいに記念樹がと思いつつゆっくり車を進めた。行けども行けども見当たらない。Uターン、あったあった、桜が咲いていた。幹回りは太くなって、もうあの頃の幼い感じはもうない。写真の通り枝一杯に花をつけて風に吹かれていた。横には「平成15年閉校記念イベント」とある。確かに皆で植えた桜の樹だ。風雪に耐えて17年、見事に花を咲かせて、これからは大人になってゆくはずだ。
小樽は函館と同じような親族が住んでいた身近な港町。函館よりも町自体の規模が小さく、しかし坂がいたるところにあって、いつも冬は大変だろうなと思ってしまう。
ニシンが豊富に捕れた往時を妄想する。昔は半日がかりで札幌から来たものだ。海水浴場や潮まつりでの海からの花火を遊んだものだ。
一匹長屋→ありがとう→今回のK・cafeと30数年で姿を変えたが、中に入るとそれほど変わっていない。ステージが広くなり当時は弾き語り中心のliveが多かったのだろう。複数の人数対応、スピーカー類も随分と充実していて、音に余裕があって良い感じだ。
今回はjourneyreasonと3曲共演した。男性ピアノと女性ボーカル。と一寸変わった編成である。
「やさしさとして想い出として」「山のロープウエイ」そして「白い冬」彼女の声質は女性にしては野太いものがあり面白い。オリジナルキーでこなしてくれた。ハモリも万全のキーだ。
12月の札幌までに何かしら具体的なつながりが出来たらふきのとうホールはにぎやかホールになること間違いなしだ。半年後の74歳札幌を夢見て、北海道ツアーの締めとします。
皆さん、誠にお忙しい中ありがとうございました。

店名は変わりましたが以前の店の雰囲気を残しています


JourneyReasonの二人と共演


美原に寄って記念樹の桜を確認


かつて小さな集落があった真狩村美原

ヒーイズ フィッシャーマン!

2024年06月04日 | カテゴリー: 山木康世  

お昼前札幌出立、定山渓→中山峠→ニセコ→黒松内→八雲→大沼公園→七飯そして夕刻の函館である。函館山が遠くに、ここまで来ると眼の前、津軽海峡の向こうに青森、大間辺りが見えてくる。北海道の南である。札幌から4時間、イカの町、往時の活気のあった町を偲ばせる金森倉庫郡は函館の宝であるな。建て替え建て替えで忙しい日本の落ち着かない東京もエネルギーを感じて頼もしいが、なぜか虚しさも同居する現代である。
母の親戚が大勢住んでいた函館の町。海とは無縁の羊蹄山の麓から函館の町は♪遠い山の向こうの 知らない町よ♪大都会、電車の走る町、函館山のロープウエイ、トラピスト修道院、温泉、棒二森屋、七飯の絵描きのおじさん、大事な大事な子供の頃の夢いっぱいの街、函館は今でも脳裏にぎゅうぎゅう詰めでいっぱいだ。町中に溢れていた塩辛工場の匂いまでこびりついていて風に運ばれてくる。大人になってギターをかついで青森から上陸、青函連絡船の桟橋は内地からのなくてはならない北海道上陸への道。
あうん堂の入口にはGLAYの大きな写真が飾られている。彼らが高校生の頃に通っていたという会場は木の温もりで一杯だ。対象的に音響設備に抜かりはない。マスターは挨拶もそこそこにステージ後ろの壁に新しい弁天様との中旗を貼ってくれる。リハを終えて案内された楽屋は説明の通り見事な天井裏の楽屋である。あれほど頭には気をつけて下さいと言われたのに。頑丈な木の梁に2回も頭を強打、目を覚まさせてくれる。
夕方に広げた数の子、身欠きニシンの親子弁当は美味かった。ニシンはまた少し戻ってきたが、いっとき遠ざかっていた魚である。独特の趣を持つニシンは好き嫌いがあるだろう。骨がうるさく、すぐに傷んでしまう。季節になるとニシンを求めて日本海を北上、まだ日本領が半分あった大きな大きな島、樺太の町へでかけた松太郎祖父さん。海が山のようにうねって真っ白くなりニシンの到来を告げる。大きな双眼鏡に飛び込んできて逸る心を抑える祖父さんの胸中を思うと涙が出てくる。生活ではあっただろうが、男のロマンの大漁節で抱腹絶倒、声も枯らさんばかりに眼の前のお宝を一匹逃さずガンバレー!とヤンシュウたちにエールを送る。帰ったらみなで美酒の乾杯だ。
2時間半の現代の孫の大漁節は終わった。ふきのとうのイメージから抜け出ることが出来ただろうか。祖父さん、どうだっただろうな。良い意味でも悪い意味でも今を生きなきゃ一回きりの人生もったいない。
終演後、月寒高校の同級生K氏が待っていた。今は写真家で函館が故郷になってしまったという。函館新聞のA氏は退職に際して、中学の頃から憧れだったと言って、今日の紹介記事を自ら大きく書いて頂いた。
そんなこんなで時空を超えての応援もあってあうん堂LiveLibraryは盛り上がって終えることが出来た。誠に皆々様のおかげである。
♪イカを食いたきゃ函館においで♪
♪松太郎さーんニシン来た来た樺太へ♪
ヒーイズ フィッシャーマン ヒーイズ フィッシャーマン!
僕ら全員人生の荒波でのフィッシャーマンである。海をかき分けかき分け航海を強く続けよう。
ありがとうございました。

アコースティック音楽を奏でるのに最適なウッディな空間でした


函館の想い出を語りました


「あうん堂ホール」のマスター笹井さんと


月寒高校の同級生、函館新聞社の記者もご来場


ミニひまわりを発見。あした「ひまわり」を歌おうか


真狩村「湧水の里」で水を汲む

「永遠に在れ 僕らの青春に乾杯!」

2024年06月02日 | カテゴリー: 山木康世  

札幌に来て以来初めての青空。4日間待ちわびた。これから中山峠を越えて噴火湾を左手に南下、母の故郷思い出の町函館へ向かう。
昨夜の道新ホールには久しぶりに音楽仲間が集合。良い一日だった。
1963年に北海道新聞社のビルが建った時に、同時に道新ホールは作られた。僕は中学2年生である。まだギターというものに興味を示す前の頃の話だ。1965、2年後にギターを手にして虜になって60年ほど前の話だ。テレビ塔が建って町の火の見櫓がなくなって、札幌が徐々に近代都市へと様変わり、僕も多感な時期を迎えるわけ。
道新ホールには学生の頃何度かフォークソングクラブ定期演奏会で足を運んで、自分たちで切符を売って運営した。あの頃、大通公園を真下に見ることが出来た楽屋は洋室と和室に姿を変えていた、
町の中央にある、新聞社のホールということで、何かしらの文化の香りを感じて良い気分で演奏会をしたもんだ。いつも満員御礼、札止めという演奏会を思い出す。
この日のお題目は
「ありがとう 道新ホール」~永遠に在れ 僕らの青春に乾杯!~
出演  山木康世/佐々木幸男/みのや雅彦
ゲスト 手風琴/工藤忠幸

お別れの日に大勢の人たちが集まって僕たちと一緒にホールの別れを惜しみつつ感謝の日となった。
このような北海道在住の音楽仲間とともに過ごした日は久しぶりである。楽屋での話は一様に健康の話である。同じような年齢を迎えて一番の関心事はこれにある。健康一番である。自分たちの手作りの音楽を携えてホールいっぱいに音のシャワーである。平和、健康、つつがなくさらなる平穏の日々に音楽は貴重である。
ビルは少し離れたところに建てられ、ホールはなくなるという話だ。寂しい感じもする。時代の流れなので仕方がないとは思うが、自分たちの成長とともに移りゆく町で存在感のあった
中堅700名収容の道新ホールは6月いっぱいで姿を消す。
本当に長い間ありがとうございました。ご苦労さんでした!

左からみのや、山木、佐々木。3人で歌う「風来坊」からコンサートはスタートしました


最後は全員集合。楽しい2時間でした


6月いっぱいで道新ホールは閉館です

森の中のもーりすがモーと鳴いた日

2024年05月31日 | カテゴリー: 山木康世  

意外なほど気温は上がらず、朝にはストーブが必要となるとは。確かに三吉神社例大祭の頃は寒かったなぁと思い起こした。
藻岩山訪問のジンクスに漏れず、今日のフォレストホールLiveとレストランジュエルディナーライブ、申し訳ないほどの雲の中。関係者の「終わる頃には晴れると思いますよ」の言葉も虚しく、日が沈んでも雲の中。フォレストホールはまだ良かったのに、レストランの方はなんたること。
黒の「もーりす」をステージに引っ張り出してフォレストはLiveした。意外と大きい「もーりす」この日初披露、録音盤を聞いてもらった。しかし残念なことにお客様にはここまで。記憶の片隅に置いてもらうことにした。札幌の歌を中心に90分、久しぶりの緑に包まれてのLiveはここならではの雰囲気があって良いLiveLibraryが出来た。さぁレストランジュエルへ急いで車移動。

もいわ山のリスでもーりす? モーと鳴くからもーりす??

ステージの背後はガラス張り。もいわ山の自然林が広がります


すでに朝の11時よりセッティング音決めをしていたので対応は素早い。初お披露目の中旗も予定通り吊るしてのディナーライブ。
後半、井田漁業さんの歌「僕らは夜明けを待っている」を歌い上げる。「次の歌はサロマ湖でホタテを食べている井田さんからの依頼のあった歌を歌います」これには我ながら天晴なジョーク。間違いではないのだが、ホタテ漁を営んでいるといつもは歌うのだが、今日はこの言葉が出たときには大笑い。笑いの一つにこんな言葉があるとは知らなかった。落ちのある会話、誠にギスギスした世の中の潤滑油であると再認識した。
大勢の関係者に支えられて、もいわ山の日における、LiveLibrary2本立ては外の天気以外つつがなく終演した。
北海道初日の長い一日は終わった。
ここでのお客様には「もーりす」ユーチューブを後日無料で聞いていただこう。置き土産、この日を思い出してくだされ。
ちなみにもーりすの鳴き声はモーではない。リスがウシのようでは森中が喧しくて仕様がないが面白いな。

「かんぱ~い」おいしいディナーをどうぞ


夜景は「心の目」に見えていたはず


本日のライブも弁天に守られて

明日へ もーりす

2024年05月29日 | カテゴリー: 山木康世  

皆様におかれましては益々ご健勝のことと存じます。
只今小生故郷北海道に身を委ねております。とても過ごしやすい晴れの夕刻です。

明日は藻岩山フォレストギャラリー、その後レストランでディナーLiveの1日です。
レストランライブにお越しの皆様には、出来立てのホヤホヤの新曲「もーりす」を2ヶ月間ユーチューブでお聴きいただけるよう、感謝の新曲無料配布をいたします。
残念ながらフォレストギャラリーにお集まりの皆々様にはお聴かせすることが叶いません。
でもご安心を、ステージで初披露できるかなあ、と夢見ております。

2月以来の札幌、見事に雪もすっかりとけて緑一色の札幌です。

江古田マーキー火災報知機でハジマリハジマリー

2024年05月26日 | カテゴリー: 山木康世  

なんと5分前に1ベルのような感じで、ビルのどこかでけたたましく報知機が鳴り出す。しばらくやまない。そういえば日曜日の小倉での打ち上げの席で、宴もたけなわ、これから盛り上がろうという矢先に、すぐ近くの報知機が鳴り出した。あまりにも近すぎて現実味がない。しばらくして止んだ。その後も、話が盛り上がりそうになると鳴り出す。何回か繰り返されると、ついには笑ってしまう。こちらの動向をまるで見聞きしているようだ。
今回は1回で鳴りやんだが、不思議な一ベルだと楽屋で聞いていたがと開園後ステージで面白がったが予想ほど受けなかった。
守護神のごとく去年の10月以降各地で張ってきた大旗も、店長自ら時間を割いて張ってくれた。これは意外な効果があって、誰もやっていないようだが、持ち運びも重量も負担が少なくとても役に立つ小道具だと実感している。
6月の梅雨入り前のさわやかな五月の風のもと心に優しい涼風の音楽を届けることが出来て何よりだった。「星の旅人」の迷走はあったが、キーの選択の際、有り得る迷走と承知の沙汰、本人はいたって遊んで楽しんだがご愛敬、お客様には戸惑いの手拍子となったことだろう。実に旅人はオクターブを行ったり来たりの脳みそフル回転。おいでよおいでよと夜空のUFOに呼びかけても、これじゃ降りてこられずか。
神様なんかいないのかもしれない。しかし神様のいない世の中はギスギスして夢も希望もない。自分の心だけにある神様は自分を素直にして従順の心を取り戻してくれる。毎年毎年神社へ参拝、おみくじに一喜一憂している姿は癒しのほかに何があるというのだろう。日本にはすべての物や自然や気象にもや八百万の神がいると考える人が多くいるようで、古来依存型の優しい民の国だったのだろう。
最後は「神様にありがとう」で締めくくった。今はそれほどでないにしても、時間という神の魔法がどう出るかわからない。れに備えて健康に留意しておけば「待ってました!」の世の中に巡り合うこともある。そんな時節の到来を指をくわえないで待っていよう。
ご多忙のところ皆様ありがとうございました。またお会いしましょう!お達者で!
西武一番電車が新宿へ。キンコンカンと警笛が鳴っている。

最初にマーキーでライブをしたのは1992年12月でした


いつものお客様の熱い拍手、ありがとうございます


この風景が江古田マーキー

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