熊谷市タニタ楽器御礼
2023年12月23日 | カテゴリー: 山木康世
この冬で一番の冷え込みのニュース。日本海側は雪で、北海道も大雪という。不要不急の外出は控えてくれ、出たー。いつ頃からか知らないが、こんなヤワなアナウンスが流行りだした。でも日本一の関東平野は雨0%の洗濯日和。
関越を走ること1時間、東松山出口?熊谷じゃないの。タニタの東松山店にでもナビは入っていないかと思い、路肩に停めて再検索。間違いない。
東松山市9万人、方や熊谷市20万人。面白くないだろう熊谷市。それでも地勢が悪かった。新幹線、高速道は日本全国各地に歪を産む。まぁ落ち着いて暮らせるという利点もある。
タニタ楽器の5階は何度目の訪問だろう。使い勝手の良いホールステージには季節柄大きなクリスマスツリーが飾られていて、イルミネーション付きであった。
下の楽器売場で見つけたクリスマスプレゼント。24日のLIVEでお客様にプレゼントする。ほんとにささやかなものですが、気は心、なかなか手に入らない代物だ。
13曲しか歌わなかったと叱られたので、アンコールを30分やった。
寒くお忙しい中お集まりの皆さま、誠にありがとうございました。
それでは明日24日クリスマスイブ江東区でお会いしましょう。
※昨日ショックなことがありました。中野からの帰りのバスでのこと。若い女性に席を譲られました。断りました。考えました。そのように世間的には見られているのか。気を取り直して、戻ってまいりました。人生初のことでしたのでショック。
苫小牧三星ハスカップホール御礼
2023年12月20日 | カテゴリー: 山木康世
1999年の日記にこんな記事を見つけた。
「元「ふきのとう」山木さん JR日高線にテーマ曲【苫小牧】
・元人気フォーク・デュオ「ふきのとう」の歌手・山木康世さん(48)=札幌出身=が今月から、JR日高線(苫小牧ー日高管内様似間)のテーマソングを道内外のライブで披露している。同線の運転士をしている知人の依頼を受けた作品。浦河、静内など地名を盛り込んだ軽快な曲で、聴衆の反応も上々だ。曲は「ようこそ春の日日高路」。歌詞には「馬の背中ごし昆布干し 波穏やかに太平洋」「桜の花びらがひらひらと勇払原野を飛んで行く」といった具合に、沿線の特産や景勝地などがふんだんに入っている。山木さんは日高線の列車に乗ったことがないが、地図をながめ、車窓からの風景を思い描いて作詞し、「当初の狙い通り歌を聴いて旅行ができる曲になったと思う」と話す。道内に三つある運輸営業所のうち、日高だけがテーマソングを持っていなかった。このため、山下正勝所長が「車内やイベントで使える曲がほしい」と希望。運転士の三浦弘明さん(38)=苫小牧市在住=が7年ほど前から交流がある山木さんに打診したところ、快諾してくれ、今年あっという間に作り上げた。火付け役の三浦さんは「日高の風景を凝縮したすばらしい曲です。山木さんの古里北海道への思いが伝わってきます」賛辞を贈っている。1999年3月12日(金曜日)北海道新聞」
♪ようこそ春の日 日高路♪
サクラの花びらが ヒラヒラと勇払原野を 飛んで行く
苫小牧から鵡川へ ようこそ春の日 日高路
ここから始まった音楽生活50年における苫小牧との始まり。まだ昭和の時代で僕もソロになって6年ほどのこと。48という自分の歳を見て、正直若かりし頃の思い出だなぁと回顧する。
今回のホールは一番広いスペース、新宿で使った旗も遺憾なく発揮できた。ほどよい自然のリバーブ感で歌に集中できた。お花もいただき記念ライブに花を添えてくれて感謝いたします。
冒頭3年ぶりでしょうか、なんておっしゃってしまいました。去年の5月に来ていたんでしょう。あまりの風の冷たさで脳も少し固まったよう。
北海道3連liveだったが、冬の寒さ、風の冷たさ、道路のツルツル、昔はそれほど感じなかった自然の驚異を痛く感じた3日間だった。
みなさんありがとうございました。また近々お会いしましょう。
最後に片付けに手を貸してくれた様似の男性に深々と感謝いたします。
旭川アーリータイムズ御礼
2023年12月20日 | カテゴリー: 山木康世
やはり旭川の冬はきっちりと冬である。深川辺りからそれは始まり、トンネルを抜けると根の張った雪の12月の街である。
野澤がこの世からいなくなって1年。ここ一年はご無沙汰だったが、この夜、心置きなく一人、法要LIVEを行った。道内および札幌から、はたまた東京、千葉、神戸、大阪などからの賛同者でお店は賑わって、野澤の在りし日を偲んだ。
野澤との付き合いは相当に長い。なにせふきのとうファンクラブ結成のときから僕らは繋がっていた。そしてこの頃は一方的な関係だったのだが、ふきのとうが解散、ソロになって度々旭川に足を運ぶようになった。
実に実直で飾らない穏やかな野澤だった。デジタル時代になってかなり経つが彼がパソコンやスマホに夢中になっている姿を見たことがない。しかし店内の天井のサイン色紙やトイレの壁一面に貼られた過去のLIVE者チケットを見ると、かなりこだわった生き方をしていたのかもしれない。2階の楽屋には相当数のビデオがまめに整理されて保管されている。レコードの数も相当数である。もしかしたら自分の忘れているような歌も発見できるかもしれない。
最後に会って話をした2年前の冬に、彼に残されたものをどうしたら良いか尋ねられた。僕は日本の宝の一つとしてネット上に誰でも見ることのできる博物館的な空間を作ってみたら面白いし有効的に使い方など今後の在り方を提案した。
本編が終わりアンコールで外を見ると、まだシンシンと雪が降っている。なにやら一人の男が店先の前を雪かきしている。そして振り返るとカウンターの向こうがやけに静かだ。さっきより薄暗い感じがして、よく見るとお客さんは誰もいない。カウンターの中のスタッフも誰もいない。石油ストーブのシューシューという音だけが聞こえてくる。いつの間に全部終わったんだろう。もう一度窓の外を見ると、さっきの男もいない。今日の日が終わったようだ。サヨナラ。
大勢の皆さん、お忙しい中野澤氏の一年法要liveにお集まりありがとうございました。
札幌テレビ塔御礼
2023年12月18日 | カテゴリー: 山木康世
朝起きると白い冬札幌で、全国の天気予報、日本海側大荒れの天気ときたもんだから諦めていたが、なんと東の空に光が出始めて街に朝日の影を落としている。これは期待できるぞ。
十年以上も上ったことのないテレビ塔。子供の頃は雪まつりに心踊ったものである。時折横殴りの小雪が降っている。それでも大通りの西の先にある大倉山ジャンプ台が見えるかもしれない。
LIVE前のランチはめったに口にしたことのない味を楽しんで、年行ったら量よりも質かなと思ったりした。
さて半年ぶりのLIVELIBRARY、新宿で使った旗をどう貼るかは結構な問題である。でもこれがあるかないかで会場の雰囲気が変わってくる。なんとかうまく収めた。
外は冬、中は夏。故郷のマチを見ながらのLIVEもおつなものである。
次回は2月の4日間連チャンLIVEで50周年後半を始める。
みなさん如何だったでしょうかね。忙しい中ありがとうございました。またお会いしましょう。
今日は昨日だったらと思わせる天気の中、太平洋の街、苫小牧へ歩を進めます。
ゆっくりじっくり野澤氏に向かって
2023年12月16日 | カテゴリー: 山木康世
千歳に着いて時計を見る。4時である。すでに日は暮れかかり遠くの恵庭岳がボンヤリと白く光っている。
半年ぶりの北海道、思ったほど雪はなく気温もさほど寒くない。
旭川の野澤氏が亡くなって1年、葬儀の日には出席できなかったので今回liveで追悼する。僕がソロになって直に手紙をくれて、ぜひ旭川でやってほしいというものだった。手紙には店内を紹介する写真が2枚あったような覚えがある。
旭川はふきのとう時代、札幌、函館辺りとコンサートを行った街で、思い出は会館の裏手の冬の石狩川でジャケット写真を撮って、打ち上げで「やんしゅう」という居酒屋の前でスタッフ、メンバー全員でハイポーズ。あの頃の思い出がピークであろうか。母が亡くなった時には女将さんが香典をよこしてくれた。なぜかその時の店内の騒々しい音と共にこっそりと皆に気づかれないように渡してくれた女将さんの姿がクッキリと焼き付いている。あのときのコンサートでは野澤氏は一番前の客席にいたという。
そんなこんなを思いながらアーリータイムズを訪れると、あの独特のパーマの長髪で迎えてくれた。今後たびたび訪れる予感の初対面、弟のような感じで人懐こく音楽に関しては人一倍真剣だった。子供のころ、ふきのとうファンクラブで、自分が日本で一番若い会員ではないかと自負していたとその頃の会員証を見せてくれた。中学生だった野澤氏。ガラスケースに収めて大事にしていた、ふきのとう関係のチケットや年賀状に胸が熱くなった。
そんな昔のことはさておいて、新曲を楽しみにしてくれるいつも前向きな姿に僕も共感し一生懸命歌いに行ったものだ。
カウンターの中で今回も煙草をくゆらせて聞いてることだろう。貴君が好きそうな歌を用意して2時間聞いてもらおう。貴君がいないアーリーで歌うことが俄かに信じられない訪問であるよ。
まぁゆっくりじっくり冬の夜長、聞いてくだされ。
北区田端アンダンティーノ御礼
2023年12月14日 | カテゴリー: 山木康世
俺と弁天様
50周年皮切りの10月22日から50日程が経った。今でも鮮明にあの日の朝からタクシーに乗って楽屋に入り、モニターを見ながら出番を待ったことを思い出す。映しだされた画面に続々と各地からのお客様を待ってましたよと心でお迎えしていた。
会場に入った途端に目に飛び込んできたステージいっぱいに広がる俺と弁天様。久しぶりの良いツーショット。いつかものにしようと思っていた画像である。めったに撮れるものではない。心の隅でこのショットは何かと助けてくれると確信した。
弁天様は弁財天様の通称である。元はインドの神様で音楽・知恵・財物の神様。
50周年はつつがなく終えたが、ここでとどまっているわけではない。むしろ前進あるのみとその後も励んできた。そしてこの旗も打ち上げ花火のようにパッと開いて終わるわけではなく。日々の積み重ねで何かが一緒に心に積もり積もってゴールを目指してゆく。この旗も機会があればと伺っていた。そして今日の会場ではためいた次第だ。
今までの旗と違い大きさが違う。使い方次第で弁天様が降りてこられる。琵琶をかき鳴らして一緒してくれる。今日は記念の日でもあった。暗闇の中から目に見えない力で一緒してくれた。北海道へ持って行き一緒する。
本日ご一緒してくださった弁天様たちへ感謝いたします。
12月とは思えない穏やかな天晴な空の一日だった。
来年は辰年だ!
2023年12月10日 | カテゴリー: 山木康世
来年は辰年だ。
こんな株の格言を見つけました。
来年のことを言ったら鬼が笑うと申しますが、言っちまえこの際。
辰巳天井、午尻下がり
辰年(たつどし)と巳年(みどし)は高値を付けて、午年(うまどし)は下落するという格言です。続きがあって『辰巳(たつみ)天井、午(うま)尻下がり、未(ひつじ)辛抱、申酉(さるとり)騒ぐ、戌(いぬ)は笑い、亥(い)固まる、子(ね)は繁栄、丑(うし)はつまずき、寅(とら)千里を走り、卯(うさぎ)は跳ねる。』と続きます。だとさ。
柏Studiowuu御礼
2023年12月09日 | カテゴリー: ミュージック・コラム, 山木康世
ホントお日柄も良く、穏やかな先日までの冬を思わせる寒い日が嘘のような12月8日。
真珠湾攻撃の日、ジョンが撃たれた日。
あの日僕は信濃町のSONYスタジオで録音をしていた。ドアを開けて興奮気味の口調で「ジョンが撃たれた!」と血相を変えてマネジャーが飛び込んできた。僕らをはすぐに作業を中断、ロビーのテレビに釘付けになった。アメリカからの臨時ニュースに唖然として言葉を失くしていた。もうこれでジョンの作るこれからの新しい歌が聞けなくなる。こんなピストルの玉一個で才能が無になってしまった。そんな思いが真っ先に浮かんできた。何だか僕らの音楽の世界の一つが消えてしまったような喪失感に襲われた。
僕が柏WUUのアンコールで「Imagine」を歌った理由だ。
その少し前に歌った「パールハーバー」は日本が今でも汚名を着せられている奇襲攻撃の戦争開始、その時を歌ったものだ。事実は英国に対してすでに南方で宣戦布告をしている。この当時この歌が出来ていたら、今でも歌い継がれているだろうと思いながら歌った。
造り手が息の長い、良い歌を作ろうとしないと結果空気のようなどうでもいい歌が蔓延して変な人間の集まる国に、世界になる。大本は作る本人の崇高なる精神も必要であると近頃痛感する。そんなときに殺し合いの戦争など絶対必要無いのである。死んでしまったらそれでもう終わり、「夜空の花火」なのである。
ご参加いただいた大勢の皆様、お忙しい中誠にありがとうございました。
3週間あまりで今年も終わりですね。
練馬区江古田マーキー御礼
2023年12月04日 | カテゴリー: 山木康世
オーイ冬の空よ 俺は元気だよ
船の舵取りも 大分慣れてきたよ
道に強い日差し 雲の落とした黒い影
一口水を含んで しばし木陰で休んでた
やがて現れた出でたる 一陣の風神が
雷神と連れだって 俺を拳で押した
重い腰を上げたよ 額の汗を拭いたよ
未だ道の途上也 試練修練鍛錬
悟ってなんかない 欲望も枯れてない
間違いも犯すだろう 道も迷うだろう
けれど俺はいつも 胸を張って堂々と
生きてきた出鱈目に 道の真ん中辺りを
いつの間にか人並みに 一丁前に歳を取り
ある日気づいたら 髪は髭は白く
ずいぶん歩いて来たもんだ こんなに遠くまで来てしまった
さてさて次の電車 どこにどこまで来てる
風もなく穏やかな12月初めての土曜日。そして今年最後のマーキー〆の日。今年一年もつつがなく恒例のマーキーを、気心知れたご理解のあるお客様とともに過ごすことが出来たことに無上の喜びを感じておりました。
肩の力を抜いて、まるで普段の生活の延長線上のように如何に歌い振る舞うことが出来るか。何分自己流の音楽人生。半世紀も前に作った自前の歌を今現在、如何様に歌うかはとても面白いモノがあると発見。
僕とお客様の積み重ねあげた時間という魔法の塩の粉が歌に降りかかると、言葉では言えない妙味を醸しだし、双方の脳味噌に電流が発生。現実以上の120点の今の歌に仕上げてくれるのだ。歌の想い出は、ただ単に時間経過だけの想い出ではなくて、今まさに作り上げようとしている総天然色の想い出なのだ。
過去形ではない現在進行形の想い出とでも言っておこう。
まだまだこの想い出作りの娯楽は続きそうである。
お忙しい中、遠くからお近くからおいでくださりありがとうございました。次回はサクラのニュースが聞こえてきそうな3月の江古田でお会いしましょう。
彼の言う冬の蚊の話
2023年12月02日 | カテゴリー: 山木康世
今年の猛暑は蚊を戸惑わせたという。
親の蚊は希望と光に満ちて貯水槽に子供を託した。
しかし子供のボウフラはお湯のような水にアップアップ。
そしてなんとか生き延びた蚊の子供は、やっと冬らしくなった星空の下一軒の事務所の窓辺に。
窓の隙間からコンバンワ。
なんか痒いと小指をポリポリ。耳元でブーンという蚊の囁き。
何だ何だこんな12月に冬の蚊かい。上から読んでも下から読んでも彼(か)の言(ゆ)ふ冬の蚊の話。
私の魂が少しの間お休みになる
一日の疲れた魂が明日に備えて
ジッと横たえてまんじりともせず
また何時間かしたらムクッと起き出す
そして今日は練馬マーキーへ、明けて来週金曜は柏WUUを訪う。みなさんお待ちしてるぜ。
地球沸騰化と言われても北の嵐のニュースは届く。
冬の蚊は何と言って死んでいった蚊。