墨田区大江戸両国亭晩秋情景
2024年11月28日 | カテゴリー: 山木康世
昨日夕刻から降り始めた冷たい雨は、明けて朝から良い天気。日中は20度ほどもあって汗ばむ陽気とのこと。
夜半の3時に起きて深夜便を聴いていたら「恋人よ」「冬が来る前に」そして少しの予感通り「白い冬」がかかる。
そして「最後の一葉」太田裕美である。作詞は松本隆。何気なく聴いていたら「白い冬」のフレーズが。早速検索の虫がググる。1976年の歌である。その昔オフコース小田氏が「さよなら」で「白い冬」を使いたいが良いかと確認を取りに来た、と元才谷のスタッフから連絡が来た。僕は作詞者でないから一存では答えられなかったが、工藤に成り代わり快諾した。工藤は当たり前の「白い冬」のフレーズを考案したかのように大事がっていたので成り代わってである。それが今太田裕美が歌っているではないか。少し拍子抜けした「白い冬」
そのことを両国亭で話した。かすかなお客さんの反応を期待してのことである。お一人同時刻に深夜便をお聞きになっているお客さんが「白い冬」を聴いていた。
昨夜は小さなスピーカーの携帯ラジオで聴いたせいか、ハモリがよく聞こえてご満悦の夜更けの就寝となった。もう寝なくちゃの天の声が聞こえてきた。
いたって心身、喉を除いて快調である。
11月は何かと節目の74歳だった。和歌山、島根とつつがなく小さな歴史を大きく刻むことができて、ひとえに皆様方のお陰である。
般若心経の「色即是空 空即是色」あらためて晩秋情景に音読す。

市川市サクラコートホールにサボテンとネームタグ
2024年11月23日 | カテゴリー: 山木康世
前回は7月横浜から高速道で移動、乗り過ごし10キロ、逆戻り10キロ計20キロ余分に走って会場に着いた記憶が蘇ってきた。会報127号発行準備の中の市川市。上から読んでも市川市、下から読んでも市川市。市川市に限らず市のつく市はこれに当てはまるのでそれほど面白いことでもないかもしれない。近場の駅は妙典駅。ここが東西線地下鉄の駅名だとは今の今までつゆ知らず由々しき事態。なんともいきなり親しい地名になってしまった。川を超えたら千葉県、しかしそこが単純にのどかになるとは限らない。浦安を抱えている分、のどかになるどころか車は忙しい。TOKYOデスニーランドだがCHIBAにある。そこんところCHIBAの人は複雑なのでしょうか。
ここには真間の手児奈(ままのてこな)伝説がある。平安時代の話で手児奈さんは貧しい農民だったが見目麗しき女性で二人の男に愛され、その罪の意識に苛まされ自ら命を絶ったという。みなさんもどうぞお気をつけてください。
「安田くんとサボテン」久しぶりに歌いました。
ラブリーの日と言うことで可愛いサボテンをご用意いたしました。磁石で鉄製のものにはくっつきます。失くさないでどうぞ可愛がってやってください。そして今日の日を思い出してください。きっと良いことがあるでしょう。
松江プラバから2日目、すっかり日常のLiveLibraryに戻ってYAMAKINGSONGSは進化し続ける。日々の忙しさにかまけて美しい心を失くさないよう、サボテンとともに大事なものにネームタグに名前を入れておこう。
今日は風が強い勤労感謝の日のようです。昔の新嘗(にいなめ)祭で天皇さまが今年のコメの収穫に感謝して、そして来年のコメの希望を新たにする日ということです。この新嘗祭のほうが現代のコメ事情には必要な祝日ですな。

可愛いヒヨコライトが光っています

サクラコートホールは「和」の雰囲気です
島根県松江市/さんびる文化センタープラバホールに米粒の神様と一緒に
2024年11月21日 | カテゴリー: 山木康世
ホテルのカーテンを開け放すと東の空から朝日が差し込んできた。待ちに待ったプラバホールの当日、天気は上々のようだ。90年のふきのとう「春の雨」アカペラですっかりとりこになって脳裏を離れなかった夢がまさに本日叶う。
会場に入ると下見をした15年程前以上の圧倒的スケールで飛び込んできた。客席中央で天井を見上げたら、何とも言えない気品あふれる作りで感動した。ステージ中央にはパイプオルガンが女神のように君臨していた。ふきのとうの時には気づかなかった女神の存在。
中央に50年音楽生活の弁天様とのツーショットフラッグも吊るし終えてリハも終わった。あとはお客さんを待つのみ。1時間の待ち時間ののちいよいよ夢の実現。
松江宍道湖湖はヤマトシジミの産地。オープニングはDmオープンによる「蜆の詩」作った当初は20番もある大作だった。しかしレコーディングで4番までとした。少し緊張もあるのか80点の蜆だった。なんだか右足の靴の底の1点がねっぱっているようで違和感を覚える。気づかれないように少し動かしてみる。やはり米粒の神様がへばりついているようだ。楽屋で食べた弁当の米粒が一緒にステージについて来てしまったようだ。まぁ米粒の神様とでも呼んでおこう。5曲ほどでいなくなった。アカペラで「春の雨」再現もしてみる。それからラスト「思えば遠くへ来たもんだ」を含み「水の底に映った月」全20曲アンコール最後の締めの「風来坊」は地元グループ「風来坊」と締めた、鳴りやまぬダブルアンコール。「メリークリスマス」でヤッター!
3か月ほど準備をして温めていた夢が今まさに終わった瞬間である。いや3か月ではない、下見をした15年ほども前からすでに僕の中では温めぬいてきた松江プラバホールの夢が今まさに終わったのである。夢は現実となって一つの歴史として刻まれた。
大勢の人が夢の実現のために動いて心を寄せてくれた。実際に松江まで飛んでもきてくれた。もちろん地元松江の人の応援は心強いものがあった。
幾つになっても夢は持ち続けなければならない。自分の身でありながら時間と共に老いという見知らぬ訪問者に口をふさがれ身動きが取れない身になることは怖いことである。それを夢という目的を持つことができれば時間を少し軽減できて訪問者に居留守を使うことができる。
みなさんどうもありがとうございました。大きなプロジェクトは大成功でした。来年の弾みになるはずです。蔵出しの良い酒を準備にかかる杜氏さんの心境で年末を楽しみましょう。

プラバホールロビーで

さあ、本番スタートです

DVDは2月発売予定です

アンコールは風来坊のお二人とも1曲。もちろん曲は「風来坊」

終了後の楽屋で。汗いっぱいのTシャツが熱演を物語ります
岡山BlueBluesに小川のイルミネーションを
2024年11月19日 | カテゴリー: 山木康世
水は大切ななくてはならない基本である。しかしその水が天から降り注ぎ止まないで災害を引き起こし甚大な被害をもたらす。これは太古の時代からの自然な営み。何も水に非があるわけではない。ここまで自然を舐め切った人間という生物の愚かな営みの結果である。
やはり水のある風景は人間の心に潤いをもたらし、ギスギスした都会の生活に潤滑油という油を注ぎもたらしてくれる。
岡山の中心部に夜になるとイルミネーションが施された、決してきれいではない小川が流れている。投宿したホテルのすぐ脇を流れている。
何度か岡山に来ているのに、この川の存在は知らなかった。春になったら桜でも咲いているのだろうか。今はイルミネーションが夜の川面を照らしている。
bluesは色で言えばblue、青、憂鬱なのである。何かとブルーな毎日を水に映ったイルミネーションのごとくたまにユラユラキラキラは悪くない。
bluebluesは感心するほど行き届いていて清掃されて木造りの良さに惚れてしまう会場である。お見せできないが楽屋の長椅子連が良い味を出している。この楽屋でもチョットしたLiveは可能である。ウッドベースが立ててあり、金盥を利用した楽器が面白い。
今日は「ステーション」つぶやきバージョンで始めた。自分の得意技でもあるつぶやき、ささやきバージョンは人の評価はともかく自分の声を生かした弾き語りにはもってこいの演奏スタイルと自負している。深夜一人座ってボロローンと歌作りをしているときは決まってささやきバージョンだ。人生の時間からしてこの方が長い気がする。詩を吟味するには自分に向かって歌うとよく理解できる気がする。
ステージではつい気が入りすぎて涙がこぼれ落ちそうになったりする。気を付けなくてはいけない、涙漏れ。50年のYAMAKINGSONGSは追想、回想、思い出では語りつくせない、ホテルの横を流れる小川の潤いのような涙を伴った心持にさせてくれる。
たくさんの人たちの心の隅に長く色づいている歌を作ってきたという喜びを、今本当にかみしめている。拍手の大きさを聞けば分かるというもんだ。評論家の下手な講釈など必要ない。ネットのランキングなど僕には無意味である。そんな歌作りをしてこれた皆さんに大いなる拍手を送ります。
明日はいよいよ神様の故郷、出雲は宍道湖のほとり松江でこの旅の最終章を飾る。準備万端、喉のイラつきも24時間で取って見せる。

岡山市内を流れる西川のライトアップ

「きれいだな・・・・」

ブルーブルース最高!

ブルーブルースは素晴らしい会場だ
周南ガンボ回天の願い
2024年11月17日 | カテゴリー: 山木康世
ふきのとう時代、新幹線でこちらに来ると徳山の駅名がなじみだった。ソロになってガンボという店に来るようになって随分と時間が経つ。ガンボと言えば周南ガンボ、徳山ガンボではない。店の名前を山崎某かが付けたと言う。
今回は5年ぶりのlive。前回音響の彼女と「白い冬」を歌ったっけ。音合わせも2回ほどして、珍しい女性とのコラボだった。あれから5年も経つのか。青空を流れる雲の行方は何処へ?オーイ雲よ、また会おうな、というわけでガンボに来てる。スピーカーが巨大になっていて驚いた。1000キロワットほどもあるJBLは余裕の音を出していた。ちょっとしたホールをまかなえるほどの力のスピーカーだ。JBLといえば若かかりしころの憧れのアメリカのスピーカーメーカー。垂涎の的、水前寺清子。
あの日徳山港をい号潜水艦に搭載された回天。いったん出航したら戻ることの許されない人間魚雷回天。ひとり狭い船内に座して、目標の戦艦を目指して突入。祖国の勝利、繁栄を願って彼はひとり、胸中に去来するものは。彼の、彼たち先人のお陰で、今の日本、僕らがいることは確かだ。
戦争は愚かで勝者も敗者もない、と言われているが相変わらず地球上どこかで紛争の絶えない人類の歴史を鑑みると、決して上等な生き物ではない。
世界はつながっている、一国の独走が許されない時代に僕らは生きている。即刻住みよい世界を目指してリーダーたちは真の会議を開いて、孫子が露頭に迷わぬよう良い毎日、生活を心がけよう。YAMAKINGSONGSがその一役を担ったら本望である。
お忙しい中、みなさまありがとうございました。

大きな拍手をありがとうございました

ガンボでもマイペースを貫くいつものライブ

人間魚雷回天のレプリカ前で記念撮影
広島市/SIX ONE Live MOON 風来坊は暮れゆく秋の旅。
2024年11月16日 | カテゴリー: 山木康世
広島は安芸の晩秋情景は今までの日本では考えられないほど暖かくやはり冬ではなく秋である。
初冬のはずだが確実に四季折々秋の章である。寒いより暖かいことはこの上なく良い。
空を見上げりゃ満月なのかココナッツムーンなのかオイラの目がゆがんでるのか、酔いのせいなのか哀歌が切なく口の端からこぼれ落ちてくる。
ふたりの夜は無情にもひとりぽっちの夜さ。北国では銀色の世界が始まってもうすぐ白い冬。歩道橋の下でダーティーマンひとり寒くはないか。今より磨き上げて大きくなったら黄昏のビールでも飲みながら今日というボーダーラインを越えていこう。それにしても生きてることは、奇跡と言えるかもしれないね。
電信柱の青大将がソロリソロリと這い上って行く。あの日の少年の魂は蒸発なんかしていない。オイラの心の中にいつだって会いにやってくる無言の魂は蒸発なんかしていない。
眠れない夜だった季節の夕暮れにひとり風来坊は暮れゆく秋の旅。

右の椅子の上にちっちゃいアヒルが…

天井からシャンデリアが釣り下がり、床にはフカフカの絨毯。ゴージャスな会場

まるで稲荷社の参道に奉納された鳥居のように、赤柱が並びます

お客様から納められた提灯もずらりと

広島ライブスタッフ、関係者とライブ終了後に
20241110葛飾区鎌倉空の杜
2024年11月11日 | カテゴリー: 山木康世
千葉方面へ、荒川を渡ると会場はすぐである。時折ビスタのフロントガラスに雨粒が。夜には雨になるという。しかし今のところ問題はないようだ。証拠に雲間から青空が見え隠れしている。日曜と言うことでトラックが異常に少なく快適な「空の杜」への出勤である。先日で今年100本目、今日は101本目のLIVElibrary。
ライフの駐車場は更に駐車スペースが増えていて快適この上ない。こんな駐車場があるかないかで今日一日の幸福度が違ってくる。
「空の杜」の窓からは大家さんのお庭が見えて、四季折々を見せてくれる。今の時期、彩りの紅葉系の木々がないのか殺風景なお庭であるが緑の木々は心を安定させて、移ろいゆく時間を感じさせてくれるのも幸福度の一つ。
一曲目「晩秋情景」
♪北風ピープー吹いてくる 私はひとり泣いている みんな何所へ行ったのさ 北風吹いてくる ♪
11月初旬、本来はこの歌のような風が吹いてくる季節だが、まだ穏やかである。
「山登り」
ギターを持ち替えて、しばし父のことを思い出す。父はもうすでに登頂済み、青空の彼方へ、果たして自分は何合目にいるのだろう。
「サヨナラの時は北風の中で」
少しコードアレンジをして臨んでみた。淡々と終始、あまり抑揚変化のない歌は身にしみてくる。
「ひとりの冬なら来るな」
思い出の札幌は豊平「中原マンション405号」ここで多くの歌を作った29歳の冬は忘れられない冬である。鉄の煙突付きのストーブの小窓から見える内部燃焼の炎は希望の明かりでもあった。真夜中に外に降りしきる雪を眺めながら妄想の泉の時間。隣の部屋の机の上には、何度も重ねることの出来る買ったばかりのティアックカセットレコーダーが。東京ではStudioでしか実現できない歌の録音重ね録り。こんなことが手軽に出来る時代になった。しかもカセットテープにである。絵に例えると夢の絵画制作である。朝まで何度も何度も夢中になって色を重ねたことだろう。
「哀しきゴンドラ」
小品であるが妹のいない僕にとって歌で夢を叶え癒やすことの出来る良い歌だ。
「季節の夕暮れ」
静かなる心のメッセージ。「空くう」の意味をもう一度確かめてみよう。
「三浦半島波高し」
横須賀に係留されている「戦艦三笠」は明治時代の立役者。鎖国を解いて日本国は何かと厄介な世界へと乗り入れ、まずはロシアのバルチック艦隊を撃破。名将東郷平八郎は世界的リーダーにのし上がって日本を強国に導いた。それから大きな戦争が2回あっての後、長くは続かず昭和20年の日本国破滅的ダメージ。2013年11月に「戦艦三笠」の中で行われたLIVEは意義深いものがあった。
「冬は夜空に星座を連れて」
四季折々の歌冬の章。いつか春夏秋冬を歌ってみよう。
アンコールは「濡れ手で粟」
北海道拓殖銀行破綻の時代をかみしめながら、学生時代の金字塔「夕暮れの町」で締めくくった。
歌った歌を全て語ったわけではないが、概ね本日季節柄「空の杜」におけるLIVEは僕の今の音楽観を発揮できた良いLiveだと自負して生ぬるい風を受けながらビスタは中野へ環七を驀地。
お忙しい中、「空の杜」にて時間を共有してくださったみなさん、誠にありがとうございました。
週末からは西日本、そして念願の松江へただひたすら生きるのみでYasu。

アンコールの頃にはすっかり日も暮れました
西新宿あんさんぶる音本年100回目記念晩秋情景
2024年11月09日 | カテゴリー: 山木康世
ジョージがビートルズを辞めてソロのアルバムを出した。オール・シングス・マスト・パス。二枚組の大作で全米で1位を記録した。ジョージにしてみれば、してやったりで気持ち爽快だったろうな。在籍中には何かと二人の存在の陰にいてどんな気分だったんだろうと想像を巡らす。
アルバムの内容もさることながら、ジャケットが素晴らしい。過去、現在、未来を案じさせる意味深いアイデアである。
西新宿のあんさんぶるに立つと、一昔前のまだ超高層ビル群が建っていない東京都の水瓶であったころを夢想してみる。
デビュー時の50年前にはまだ確か一つ二つが建っていただけだ。それから見る見るうちに建ち初め都庁ができてビルの森に。中野に越してきたときマンションのベランダから、遠く新宿方面に光り輝いている不夜城の明かりを双眼鏡で眺めたものだ。いつかこのビル群も壊される時が来る。どんな感じで時代の交代が行われるのだろう。もちろん僕はこの世にはいない。
「あんさんぶる音」は本年一月に一回ライブしている。今日で通算100回目の記念ライブである。いつもは大勢で近くのホールで行われるコンサートなどのリハーサルとして使われることが多いと教えられた。
気が付いたら11月である。気が早いが「メリークリスマス」を歌った。ふきのとう時代初めて複数の弦の人をスタジオに招いてアレンジして見よう見まねで衣をまとってみたが、思うほどの効果がなく、この歌一曲で夢は断念した思い出の歌だ。四季折々の歌、冬の章も歌ってみた。完成間近でこの先少し歌詞は変わるだろうが、基本線は変わらなく春夏秋冬の章完成の日でもあった。いつかまとめて歌ってみよう。四季が昔ほどはっきりしなくなった地球、日本であるが心にはやはり四季の美しい日本であったほしいと1年越しで作った歌である。
もうじき西日本へ歌いにゆく。神様の故郷、島根はどんな心持ちで僕を迎えてくれるだろう。先日田辺でお払い、身を清めた。準備万端、心身いたって健全、人事を尽くして天命を待つ心境である。
お忙しい中、みなさま、まことにありがとうございました。急に寒くなりましたが日々つつがなくお過ごしください。
明日は葛飾区晩秋情景「空の杜」で何を歌って何を話そうか。

12月も「あんさんぶる音」でお待ちしています

ライティングも工夫しました
中野シアターかざあなと階段と忘れ物
2024年11月04日 | カテゴリー: 山木康世
NHKラジオからフォーレやガーシュインのSPレコード演奏が聞こえてくる。クラシックと言えば大げさに考えがちだが、レコード盤に刻まれてチリチリ、カリガリと共に聞こえてくるクラシック、実にシンプルでメロディが聞こえてくる時代のクラシック演奏、良いなぁ。
100年前の時代の人たち、町の風景がシンプルだったんだな。思うに今は演奏者の技術、特に早弾きなどに注目が集まりすぎて肝心のメロディが聞こえてこない。スピードの持つ魅力も分からないこともないが、スポーツ並みの早さやアクロバットを競っていても意味がない気がする。人よりも多くの情報、情報、情報の洪水、へたすりゃ自分の足下にまで水が来ているのに情報、情報。100年前の人間たちの心を覗いてみたい。レコード盤に微かに片鱗が刻まれているよ。
「かざあな」はどてっぱらに風通しの良い穴。
いつもは部屋の管理人不在、ドアノブに吊されたケースの中に渡された鍵で室内に入ることが出来る。もちろん事前に渡された暗号番号でケースを開けるのだが、コロナ禍以来、電話などで教えてもらった番号で入室するのである。が、今日は何故か開いていた。
ここは一歩踏み間違えるとゴロンゴロンと落ちてゆく必至の狭い急峻な階段のご挨拶がある。
今日の肝心のLIVEはいつもとどこか違っていた。おそらく弁慶社の御利益だろう。そして無事終演、あの階段にお別れして車で5分の我が駐車場へ向かった。
その2時間後、ハタと我に返った。着ているものがない。ウインドーブレーカーを羽織っていないではないか。連絡を取ってもらうが埒があかない。すでに次の部屋の使用者が使っていることだろう。行ってみるか。
10分の歩行の後、階段に再度ご挨拶。何やら中では若者数人がたむろしている。関係者のような顔をして楽屋へ向かった。あるではないか。見慣れた濃紺の薄いブレーカーが。言葉を一言も発せず、暗号の鍵も要らず衣服を取り戻してきた。階段にお別れを告げて帰ってきた。やれやれ。
お忙しい中、階段をものともせずYAMAKINGSONGSにお会いしに来てくださった皆々様、誠にありがとうございました。
来る7日、西新宿初台「あんさんぶる音」でお待ち申し上げておりますでYasu.

田辺市鬪雞神社と弁慶さん
2024年11月01日 | カテゴリー: 山木康世
今日は朝から心がざわついていた。奈良紀宝町田辺ツアー最終日、弁慶さんの故郷、 和歌山県田辺市 世界遺産 鬪雞神社
「山木康世 Live Library 2024」
~歴史と浪漫のまち田辺 弁慶さんに届け 心の歌~歌奉納続き社務所内におけるLiveの日である。
先ずは駅前に堂々と屹立する弁慶さんにご挨拶。雲の中、時折顔を出す太陽の元、晴れ男健在なりの田辺駅前である。それから学校のすぐ脇の八坂神社にお参り、ここには弁慶さんが子供のころお座りになったという石が置かれている。丸くお尻の形にえぐられた椅子に座ってみるが途中で止めにする。座ったがいいが抜け出すのに大変だろうと思うくらいジャストサイズ。止めにした。
いよいよ鬪雞神社へ向かう。
弁慶さんのお父さんの時代に源平合戦があった。そこで双方から援軍を頼まれた。お父さんは水軍の大将だった。どうしたものかと思案、そこでこの神社内で7羽の鶏に紅白の印をつけて戦わせた。結果すべて白が勝ったので源氏方に付いたといういわくつきの神社なのである。
境内にある弁慶社の御前で歌奉納という運びになる。誰も参列者のいないひとりぽっちの歌奉納も寂しいな、そのうえ雨にでも降られては晴れの日に相応しくないな、など要らぬ心配だった。
宮司さんにお祓いを受けて玉串の奉納に続き社に向かって高らかに「弁慶と義経」出会い編を歌い上げた。長年身体に染みついたYAMAKINGSONGSは伊達ではない。夢中になって全国を歌いかけ巡ったあの頃を身体が覚えていることの不思議さ月日の長さの大事さをかみしめる。
30分ほど休憩ののち、2時間にわたる~歴史と浪漫のまち田辺 弁慶さんに届け 心の歌~は50年の長さを自らが感じ入る良いひと時を過ごすことができて幸福な田辺市の夕刻だった。大勢の皆さんにサイン、写真撮影も気分が軽かった。
終演後宮司さんによる鬪雞神社ご説明を受けてお札を奉納させていただいた。木のお札の一部をお守りとしてもいただいた。
お忙しい中、大勢の皆さんふきのとうつながりでの歌による絆は長い年月を経ても色あせていなかったね。本当に長い時間ありがとうございました。
最後に多大なるご助力いただきました森さん、そして泉さんご夫妻、そしてそして心の内なる弁慶さん、誠にありがとうございました。生涯の一日となりました。

弁慶社の前で宮司さんと。これから歌唱奉納

後ろには全国から応援に来てくださったみなさま

田辺にも足跡を刻みました

お花も届きました。ありがとうございます。

主催の泉さんご夫妻、PAさんと

境内にはもちろん弁慶像
