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北海道中標津TicoTico森の木陰でドンジャラホイ

2025年08月26日 | カテゴリー: 山木康世

幾つだったのだろう。確か「ふきのとう北海道ツアー」と称して、コンサートツアーを行うことができるようになった頃の話だから、それほど初期の頃の話ではないはずだ。
中標津のと或る深夜の旅館の話である。
打ち上げを終えて2次会も引けて宿泊予定の旅館に戻ってきた。もう旅館の方もフロントにカギを置いて引き上げたようで、薄暗い玄関でカギを受け取ろうとフトフロントを見ると、だれか知らない人のハガキが置かれている。明日の朝一番にでも出そうという書き手の意図が分かるような置き方で置かれている。読むとはなしに読んでしまった。「・・・東京に戻ったら結婚してください。愛しています中標津より関取M」
売り出し中のM関のハガキだった。当時大相撲の巡業中と同じコースを少し回っていたのであるが、あの中の一人の関取のプロポーズの声を読んでしまったという構図だったわけである。あの大きな図体から書かれた小さなかわいらしい字で書かれた愛の告白。なんとも微笑ましく部屋に戻って良いもの見たなぁと感じで寝入ってしまったことを思い出した。それから僕たちを乗せたマイクロバスは長距離稚内まで走った。
今日は釧路から2時間ほどの行程を走ってきた。
TicoTicoを初めて伺ったとき、マスターが亡くなられて1年ほど経っていた。森の中にポツンと建っていた木造のライブハウスは、基本ジャズのお店であった。映画のワンシーンにでも出てきておかしくないライブハウス訪問も数えること4回目くらいであろうか。周りの緑に圧倒されるような自然豊かな中のTicoTicoにいると時間を忘れる。日頃の喧騒さを忘れる。僕の歌のテーマがよく反映されて自然体で過ごす2時間は何とも得難い2時間である。
オープニングで奏でてくれた釧路のウクレレクラブによる「風来坊」は弾みを付けてくれる。釧路HOBOのマスターのPA手伝いも大変ありがたく盛況さにメンバーともども一役買ってくれた。TicoTicoの今は亡きマスターも片隅で喜んで手をたたいているような気もした。そう言えば最初に伺ったとき本番中椅子に座っている僕の背中を軽くさすり風のように過ぎていった空気を感じた。マスターかもしれない。マスターに違いない。歓迎してくれたのに違いない。
森の中のTicoTicoで北海道ツアーも終わった。それほど暑くなかった八月終わりの2025年は思いで多き刈り入れの幕開けとなり、心置きなく東京へ戻ることができてやれやれ、皆さんへ感謝いたします。どうぞお達者でまたお会いしましょう。
森の木陰でドンジャラホイホイ。

2年ぶりの中標津の夏は涼しくてライブへの意欲が高まります


レトロなしつらい、アンティークな空気感がたまりません


釧路からお越しのHOBOウクレレ倶楽部のみなさんと記念のショット


北海道ツアーのラストを締めるにふさわしい充実の2時間。ありがとうございました

北海道釧路市Acoustic café HOBO ~秋風月 夏の終わりの YAMAKINGSONGS~少し秋模様の風に吹かれてみよう

2025年08月25日 | カテゴリー: 山木康世

生まれて初めて根室に来た日をハッキリ覚えていてる。
ふきのとうとしてデビューして、その後のいつの日なのであるあるが、何月何日とまでハッキリしてはいない。ただ着く前に根室は北海道東の最果ての街で、カニの産地である。知り合いはいないが、もしかして誰かお客さんのカニの差し入れでもあるかもしれないなと微かな希望を勝手に持ったりして根室入りした。
当時は会場に着いてリハをして本番を終えて宿にチェックイン、打ち上げに臨みホテルに戻って翌日に備える。そんな日々の繰り返して、空いた時間を見つけて名所などを尋ねるという余裕もないほど移動移動の連日であった。
しかし根室の日の楽屋に見ず知らずの男性が段ボールを抱えて入ってきて「花咲ガニですが良かったら食べてください」と置いていった。予感どおりのお土産で小躍りしたものである。
根室の街は来週行われるという「カニ祭り」の準備で忙しそうだった。釧路の前の日、400キロ以上を飛ばしてカニを食うために根室に向かった。今回は験を担いで食いに来た。花咲はハナサキ、ハナさんサクさんのお祖母さんたちの呼ばれるところの花咲ガニと良い方に解釈しての根室であった。それにしても何という奇遇であろうか。天上より笑いながら二人してエールを飛ばしていることだろう。「頑張んなさいよ今日は釧路でしょ!」
また昨日に続き一本道を引き返してきた。釧路は年に4割霧の立ち込める街とその昔誰かに教わったが今日は大丈夫晴れている。その上過ごしやすい20℃という涼しいくらいの釧路。
前回HOBOのライブ中に場内が激しく揺れた。ライブ中に生涯これほどの揺れに出会った試しがないほどの揺れであった。一時中断、外に出るかどうか迷ったほど揺れた。しかしその後は収まり何とか終えたことが蘇る。あれからみんな年を少し取っての再会である。花咲ガニのパワーで今回はつつがなく気持ちも新たに2時間超えの懐かし希望の再始動的Acoustic café HOBO~秋風月 夏の終わりの YAMAKINGSONGS~
今日は客席の皆様のお顔がよく見えてまるで知人にでも話しかけるようなライブが出来て良かった。借りてきたカニ、いやネコのようなライブではなかった。ギタークラブの皆さんによる「白い冬」にもパワーを頂いた。みんな長い時間かかってここまで来たねぇ、ありがとうという感じを強く抱いてのHOBOだった。
我が故郷の道東を伺ったのは中学の修学旅行が初めてだった。札幌のある西部とは違って湖と森の神秘の東部は空気が違う、歴史が違う、ロマンが違う、ロシアに近い分異国の風が吹いているような気分にもなる。沖縄にいるときの気分にも似ているか。日本は広い国なのである。決して細長い小さな島国ではない。紛争の耐えない現代に日本の役割を世界の人達は待っている。外交による平和な世界の訪れを期待している。
今年のサンマは10年来の大きさだ、豊漁だと明るく塩梅の良いニュースが聞こえてきての旅である。油騒動、米騒動、戦争、紛争で揺れる2025年であったが景気の良い晴のニュースの到来を祈って願っての旅は続く続く。
この記事を書きながら右手の親指の爪の隙間を嗅いでみたら、少し朝のカニの匂いが残っていた。

根室駅には黄色いポストがありました


毎年食べに行きたい花咲蟹はゆでたてが一番


大河内マスターが開いているギター教室の生徒さんたちが1曲演奏


満員御礼、ありがとうございます

札幌市中央区cube garden(キューブガーデン) ~秋が立つ YAMAKINGSONGS de 残暑見舞~

2025年08月24日 | カテゴリー: 山木康世

あー懐かしや、何年前のことだろう。このステージで繰り広げられた天衣無縫の世界。次々と若きミュージシャンたちが現れ我の作った歌たちを高らかに歌い上げる世界を夢のように2階席から見ていた。最後のアンコールで用意された歌は「初夏」学生時代に作った歌なので随分昔の歌である。階段をトントンと駆け下りてステージへ。我はジャケットの内ポケットから取り出したGキーのハーモニカを事もなげに吹いた。そして最後に表彰状を一人の男から渡された。何を隠そうその男が今夜のゲスト田高健太郎だった。さっき彼が歌い上げた「雨ふり道玄坂」は鳥肌モノだった。その脳みその片隅に刻まれた微かな感動をもう一度と言うことでキューブガーデン、秋が立つ YAMAKINGSONGS De 残暑見舞と相成った。
田高は昨日41歳を迎えたという。我が「ふきのとう」を解散した42歳の頃を思い出していた。学生時代「ふきのとう」をある日何気なく立ち上げてからの日々は我に晴れをもたらして、いろいろあったが今日に至っている。そして思い出のステージで田高をゲストに迎えての「雨ふり道玄坂」アンコールでは「RAOJIN」
今回では普通に使用しているタブレットを止めて、モニターを用意、20曲に及ぶYAMAKINGSONGSを歌い上げた。確かに暗記すれば良いだけの話なのであるが、51年間も人生のパートナーとして譜面台は必要且つ欠かさざるモノとして体の一部になってしまった。ソロになってからのデジタルへの興味はますます高じて、歌作りにおいて重要な歌詞作りを担ってもきた。
札幌は生まれ育って23年間生かしてくれた唯一の故郷である。そのうちの6年間は美原、大人になってこれまた6年間、東京で過ごしてきた。一度は戻った故郷であるが、再度上京、それから早や33年東京人である。好き勝手に風を読んで歩いてきた。周りの人たちの大いなる理解、お客様の大いなる支援、風を見ていた安兵衛はここまで来た。
高齢化で世間は弱さばかりが強調される。肉体の衰えは神のなせる宿命。しかし精神は衰えるどころか、ますます神経質に1本の束ねた鋼よりも強く体外へ言葉の魂となって浮遊する。
2時間半に及ぶ2025年札幌は新たなステップとして記憶されるかも知れない。
みなさまお忙しい中、ご来場誠にありがとうございました。
明日から釧路、中標津と道東の旅である。カニやサンマの美味い季節に風に吹かれて何を思い、何を残すことが出来るだろう。

リハも時間を十分とって本番に備えます


照明の仕込みもOK


本日の体調は万全


ミュージックファンの金子社長とは長い付き合い


背後には桜吹雪


藻岩山のロープウエイのテーマ曲はを歌います


田高健太郎さんと「雨ふり道玄坂」を


大勢のお客様、ありがとうございます


ウクレレも良き相棒


アンコールぐらい照明を派手に

東京都新宿区チャペルカグラ冷えた真の黄昏のビールが飲みたい 

2025年08月20日 | カテゴリー: 山木康世

トランプの先日のプーチンに続きゼレンスキーと会って戦争終結会談が続く。
ゼレンスキーは今回の衣装、前回のときは記者から「どうして正装を着てこないのか」質問されて、確かに普段着のようなTシャツ姿で臨んでいた。彼の答えは「今は戦時なので」ということだった。今回は黒のTシャツに黒のジャケットを羽織り会談に臨んでいた。今回も前回と同じ記者が質問をしていた。質問者に「はっきり覚えているが、今日の君は前回と同じジャケットだね」と笑いを取った。
先日のプーチンのときは飛行場でレッドカーペットでトランプ自身自らお出迎え、カメラが追った。ゼレンスキーは会談を行う建物でトランプがお出迎え。明らかに差別をしている。どうして反対側の人間を厚遇して、同じ側の人間を見下すのか。プーチンは戦争裁判所から逮捕状が出ている人間であったはずだ。本来は即刻逮捕の人間。あの裁きはどうなっているのか不思議に思った。
戦争が始まった当初、連日ゼレンスキーはテレビ出演、現状を嘆いて全世界に訴えていた。そのときの草色のTシャツは一つのブームにもなった。他国の洋服の会社はそのとき着ていたTシャツで一大盛り上がり、世界的にヒットしたと報じていた。同じく戦争が続いて戦時の報道が続く。ミサイルが、大砲が、核の脅威さえささやかれる。そんな中武器商人のせせら笑いが聞こえてくる。報道はなされないが、放送による偏見や誤解が続き3年にも成ろうとしてのトランプ流戦争終結カードの切り方に世界は一喜一憂。ヒラリーは成功すればノーベル平和賞に推薦すると。トランプはそれを聞いて、彼女をまた好きになるかも知れないと。
そんな中でも戦場で兵士が、街では一般市民が殺され続けている。
チャペルカグラに注がれる夏の日差しはタップリアツモリで温室効果満点である。普段はここで牧師さんが二人の祝福をしているはずだ。もしくほ参列者に祝宴の報を述べて皆に感謝している会場である。こんな部屋にいると背開きの惨状や、普段の穢れを忘れさせてくれる。母なる太陽の恵みはやはり幸福が目的なのであって戦争による不幸ではない。そこに流れる歌は集まった人たちの心に幸福をもたらし穏やかさをとりあえず2時間演出してくれる。病や飢えや戦争で死ななくても良い命が軽んじられ消失して行く。実にもったいない話だ。
一つ事件が起きた。「黄昏のビール」で歌詞が何者かによって書き換えられていた。世の中AI時代である。密かに親友、知らぬ間にAIが我がPC内で遊んでいた。勝手気ままに遊んでいた。誰も止められない。そんなことあるはずないと思いつつ奇妙な歌詞で最後を終えてしまったことが心残りであった
でも後は太陽の恵みがPC画面に乱反射、文字を見えにくくすると言う不必要な画面のギラギラに終始話しかけて歌い飛ばしが少しあったことも心残り。
心の中でユーミン=守ってあげたいという声と我=守ってくださいという声の微かなる対話をしていた。(笑)

陽光が注ぐチャペルカグラの午後


夏空が美しく光っていました


足元にはプルメリアの花と青いヒトデ。ポリネシアの海をイメージ

新宿区あんさんぶるStudio音にヒグラシのカナカナが聞こえるか

2025年08月17日 | カテゴリー: 山木康世

今時は二十四節気で立秋、近頃の猛暑、酷暑の夏に対して何とも皮肉な季語であるが、8月7日辺りから秋が漂い始める季節の移ろい。吹く風も少し涼しくなりにけり、緑に露が降りて、ヒグラシが鳴き始める、と言うからなるほどな。高層ビル群からの風たちも少し日が落ちると確かに肌に優しくなったなぁと実感した今年の立秋。これが15日間続く立秋、その後は残暑となる処暑と言うらしいが、子供の頃に北海道には残暑見舞いなとと言う言葉は聞いたことがないくらい夏休みの最後の頃にはホントに涼しさを超えて寒かったな。タンスから出した母の計らい、ナフタリン臭い浴衣を無理に着込んでローソクを点けた提灯を片手に、暗闇に笛と太鼓の音を頼りに盆踊り会場へ、帰ってきたらストーブに手をかざしたもんである。
さらに二十四節気を3分割、七十二候では寒蝉鳴く(ヒグラシナク)とある。あの朝晩にヒッソリとカナカナと鳴いているヤツがヒグラシである。ヒグラシを「寒蝉」と書くとは知らなかった。どこからともなく聞こえてくるカナカナという鳴き声に真夏の蝉の大合唱の勢いはなく、どこか儚げで侘しさも感じたりする。なお中国で発案されて日本に入ってきて日本流の季節観にした日本人たちの季節観にも大天晴れである。ナイーブな感性の先人たちにカンパーイ。
そして80年前、太平洋戦争終結。敗戦の日が8月15日、昨日であったが、まさに朝から晴れた青空の下ヒグラシの大合唱だったのだな。どうして国は8月15日に降伏したのか考えてみた。
広島の惨劇が8月6日の8時15分、人類史上初めての大量殺戮、南のテニアン島から飛んできた一機のB29、搭載された原爆の名が「リトルボーイ」運んできた機の名前が「エノラゲイ」エノラはENOLA、逆さに読むとALONE。独りぽっちで孤独な機が運んできた悪魔の兵器。広島にとどまらず人類の滅亡すらも可能とする兵器の「リトルボーイ」人類がいなくなっても世界の阿呆なリーダーたちは拍手喝采。オレが勝った、オレが勝ったと小躍り。まさに茶番の悲劇を見せつけられて死んだモノたちがバンザーイとでも言って祝福、勲章でももらえると思っているのか、クソリーダーたちにオレの未来を奪い取られて堪るか、宇宙の片隅にヒッソリと息づいてきた人類地球の終焉を演じるクソ役者たちの演説を聴いて虫唾が走る。人間のエゴもこうなるとお話にならない迷演技、大根役者の粗大ゴミ。「ご町内の皆様」早急に永久に無料回収しなければならない。

次回の「あんさんぶる音」は9月5日である。その頃には札幌も終わって、東京けやきホールの翌日である。立秋も過ぎてヒグラシも鳴き止んで処暑、どんな「禾乃登」コクモノスナワチミノルに至っているであろう。
YAMAKINGも51年目の刈り入れを始める節季である。

明後日の神楽坂における、まるでさらに太陽の恵みの日差しをタップリ溜め込んだ植物園状態の「チャペルカグラ」で大いに自然のエネルギーを心身に浴び感謝の汗をかいて前進の糧としよう。
お待ち申し上げております。

本日はお忙しい中、お暑い中毎度ではありますがまことにありがとうございました。平身低頭。

※「リトルボーイ」の威力は20キロトン。キロトンは1000トン。つまり20000トンのリトルボーイだった。大きなフェリー並みのボーイだったわけである。クワバラクワバラ。

久しぶりの曲も多々登場した2時間超えライブ


西新宿の高層ビル群も暑そうです

東京都墨田区お江戸両国亭は日本人による日本人のための演芸場だ

2025年08月13日 | カテゴリー: 山木康世

なんという理不尽さ。順番ってものがあるのに神様は聞き入ってくれない。
小樽のjourneysreasonのボーカルの神馬さんが急逝された。信じられなく絶句。ご病気だったのだろうか。それにしても若過ぎ、早過ぎだ。残された下兼さんの心中を察するに言葉が見つからない。ただただ今は故人のご冥福をお祈りするばかりです。

お江戸両国亭は名前の通り普段は落語、漫才の演芸場だ。僕のほかに音楽をここで奏でる人はいるのだろうか。
初めて足を踏み入れた日を思い出す。
駐車場がすぐ横にあって、お初の会場への期待と未知との遭遇にココロ踊って荷物を運び入れた。楽屋が演芸場していて、出入りする人たちが想像される。お囃子や太鼓、銅鑼まで用意されている。
ステージまで3段ほど高くなっていて、程よい高さで話芸を繰り広げる。こんなステージ今まで経験がない。見晴良好、おやおや客席の右手奥に何やら力士二人の大きな置物が。梅ケ谷横綱の在りし日の栄光である。
今では数回登壇しているのでだいぶ使い勝っても慣れて用意する時間もココロはやって疲れを知らない。
初めの頃の2回目までは歩いて袖から登場していたが、今は幕を使って板付き状態で演じている。思った以上に上り下りがきつくて,ふらつくこと多々あり、身の危険を感じて板付きにした経緯がある。
とても集中できてあっと言う間の時間である。日本の演芸であるので基本座りである。紫の大座布団近辺に配置されたギター、ハーモニカなどは我を支える重要なパートナーである。50年の結実に更に磨きをかける作業をしつつ成果を披露する。こんな音楽人生が待っているとは誰も知らない人生である。健康で長生きしたが故の事柄かもしれない。実に明快で幸福である。迷いなど一点もない。
お忙しい中、お暑い中ありがとうございました。
土曜日の初台studioあんさんぶる音でお持ちしております。

「春雷」から始めてみようか


落語も好きですよ

江古田マーキー己の脳みそのいわれなき思い過ごしには気をつけよう

2025年08月10日 | カテゴリー: 山木康世

今日は長崎に原爆が落とされて80年目。戦争において人の命は軽くなる。日常ではあれほど、地球より重い人の命などと言われるのに、いざ戦争という事態に陥ればチリやゴミのように軽くなる。日常では命の重さに差別はない。偉い大臣でも、ただの人でも、子供でも、大人でも、音かでも、女でもみな平等である。それがいざ戦争という名の下に差別が行われ、人の命など虫けら同然である。こんな愚行をいつまで続けるのか。人の殺され方にランクなどない。素手で殺されるのも、クスリで殺されるのも、兵器で殺されるのも、爆弾で殺されるのも、原爆で殺されるのも、殺される当事者は一瞬のうちに無と成る。

暦の上では立秋、二十四節気で8月8日頃の気候を言って、これ以降残暑となり今までの暑さが幾分和らいで、吹く風にも少し涼しさが加わってくると言う。40度越えの暑さは異常というしかない。経験したことのない暑さでメディアは盛んに不要不急の外出は控えて、熱中症には十二分に気をつけて水分、塩分をとって、クーラーは付けっぱなしにしておいて下さいと。そんな暑さも少し和らいだ今日である。
今日のLIVEの一番の執着心は些細な誤解が最後まで尾を引いた。
キーの話だがAのコードの次はA#ということはすでに60年も前に教わることである。さてその次はBなのであるが、ここが今日の脳みそには爪楊枝が挟まったように謎のらせん階段に陥ってしまった。

リハで楽屋で時間をかけて確かめたのに、ここのドツボにはまってしまい這い上がれないウスバカゲロウに捕獲されたアリの状態。
「水の底に映ってない月」は何とも言いようのない月で夜空にぶら下がっていた。すべてコードの勘違い問題が全てを引き起こし、脳みそを撹乱、全てを終わらせてしまった。
もう二度とこのような話はなしにする。返してほしいあの時間、自分の脳みそが思い起こしていた間違った解釈をした時間を返してほしい。しかし覆水盆に返らず。盆に帰るのはかわいい息子である。戦争も第三者、遠く離れて俯瞰して眺めれば、双方誤解、勘違い、取り返しのつかない意思疎通に欠く結果であるといえるかも知れない大事な国民の命を守る政府が犠牲にして何を得たいと言うのだろうか。

油断禁物、大敵、どこにいつ何時つまずきが待っているかも知れない。
お盆が過ぎて秋風が吹いて、木枯らしが吹くと「寒い、寒い」と天を仰いでいる2月だろう。
次回マーキーは2月の建国記念の日を予定しております。
今日はお忙しい中、皆様マーキーでの夕刻の一時を共有できたことに感謝致します。
どうぞ元気でお達者で、またお会い致しましょう。

広島、長崎を思いスイートホームメモリーを

マーキー、次回は2026年2月です

鎌倉市garden & space くるくると高尾山はつながっていた

2025年08月04日 | カテゴリー: 山木康世

八王子高尾山麓の「八王子ケルティックムーン」を終えて今日は鎌倉由比ヶ浜「くるくる」である。
八王子から横浜経由で鎌倉へ向かう。国道16号線を走ること1時間半くらいで鎌倉である。この国道は150年ほど前から絹街道と呼ばれ重要な道であった。当時は絹製品が重宝され大いに国の輸出品として活躍したのだろう。八王子あたりの環境下で多くのお蚕さんが飼われ絹製品が作られたことが想像される。今となっては絹製品など夢の夢である。
今時の「くるくる」の庭は緑に覆われて時折セミの大合唱、江ノ電 通過と合わさり賑やかである。
高尾山が出てくる「僕だけの太陽」昨日歌う予定がなぜか歌われなかった。今日はお礼を兼ねて歌った。その際、驚いたことがあった。

♪春はそよ風君を連れて 千鳥ヶ淵の夜桜
夏はビールで乾杯 鎌倉の浜辺へ
秋は高尾山のケーブルカー もみじの雨に降られて
冬は雪の降る白馬へ スキーに行こう♪

なんと高尾の前に鎌倉の浜辺が出てきたのである。作者も忘れていた八王子から鎌倉への歌の旅我ながら驚いてしまった。「くるくる」住所は由比ヶ浜である。
車で走ること1時間半、絹の産地から神奈川頼朝様のお膝元鎌倉への2日間はとても快適に過ごした2日間だった。
7月が想像以上に暑かったので8月に入ったのを忘れてしまうほどである。本来8月が夏本番。
今年も残すところ4ヶ月となった。重要な節目の75歳まで、あと2ヶ月。その前に札幌、東京、京都と大事なYAMAKINGSONGSがある。体調はもとより頭の働きにも十分に気をつけて過ごしたいところである。
皆さんありがとうございました。土曜日のマーキーまでしばし休憩です。

弾けば弾くほど奥深く多彩な古のスズキギター

鎌倉も暑かった、お客様の視線も熱かった

東京都八王子市ケルティックムーンで早起きブルースを吹ったぎれ

2025年08月03日 | カテゴリー: 山木康世

初台から八王子まで断続的に25キロ渋滞。八王子まで40kmなのであるが果たして何分かかるだろう。
高速の中央道はご存知のように渋滞が日常化恒常している。しかし、過去に80km渋滞を経験している我には25kmはさほどとは思う。ならば下道の甲州街道は?道幅が狭いので遠慮したいところである。高尾山といえば東京の山として知られるところであるが、一度も登ったことはない。
「ごんすけ」というお店で何年か前に暮れも押し迫った12月に一度食事ライブをしたことがある。あいにくコンディションが良くなく熱をおしての「ごんすけ 」だったことを思い出す。
思ったほど時間はかからずお昼時12時入り、予定に十分余裕で入ることができた目指す「ケルティックムーン」は名前の如くアイルランドのお店である。
アイルランドイギリスの北にある北海道ほどの島国で「ロンドンデリーの歌」などの名曲が思い浮かぶ。哀愁のある美しいメロディーが日本人に好まれる。僕もその一人である。
今日はリクエストで構成された~東京の端っこ高尾のアイリッシュレストランでおいしいリクエストライブ~。
「覚えているかい」「泣きたくなった夕暮れ」「すの前になる一寸法師の歌」懸案の「雨に濡れて」などなど。
そんな中「早起きブルース」が今日一番ホットだった。
途中から湧き出る言葉の泉が如く脳裏に浮かぶがままにベンベーン。音楽の女神がまるでお導きくださるようにベンべベンベンベーン。それとも遠くヨーロッパのかなたからやってきた料理のお味がお導きくださったのか。
30°c超えの風は強力に暑かったが、それでも高尾山からの風は爽やかで良好で幸福な1日だった。
ご参加の皆さん、料理のお味はどうでした?BBSにでもご感想などくだすれば幸いです。その後のライブはいかがだったでしょうか?
毎度毎度おおきに食堂、誠にありがとうございました。
明日は鎌倉に移動、盛夏の「くるくる」で思いの丈を歌い語る。鎌倉もきっとホットだが心は爽やか、くるくるはきっとクールクールだろう。
江の島辺りの一本道の動かぬ停車状態「渋滞のお化け」に遭遇しませぬように大きくパンパン!

八王子高尾ランチにカンパーイ!

背後のYAMAKINGが影のように見守る

東京都新宿区/あんさんぶるStudio音 治療中の奥歯の被せ物取ったろかー!

2025年08月01日 | カテゴリー: 山木康世

世間は8月1日、7月が終わって丑三つ時の今日1日の反省の弁も兼ねての独り言である。
今日は西新宿初台におけるライブ ライブラリー。
中野から車で20分もあれば十分な距離である。地下1階のスタジオは非常に使いやすい。本来は近くの大きなホールでのコンサートリハーサルのために用意されたスタジオらしい。スタジオの片隅にはたくさんの黒い譜面台が置いてある。 オーケストラが奏でることもできるスタジオ なので広さは想像できるというもんだ。音の響きもそれなりに良好である。
今日はバースデーのお客さんのためにはがきを持参、おめでとう、とお喜びの言葉を述べてQRコードを読み取り、あえて生演奏は控えた。ここが味噌である。 はがきに取り込み組み込まれた現代の魔法の文章作法による「おめでとう 乾杯!」はがきにはゲジゲジのような四角に囲まれた絵文字に演奏が刷り込まれている。これを読み取るスマホが偉いのかそれともQRコードが偉いのか考えてしまう。
話した言葉が書き言葉になるという不思議な世界が今や当たり前のようにかなりな正確さで提示してくれる。慣れるまで時間がかかるが書き言葉は脳みそが考えた話し言葉を手によって変換させるのだが、微妙に話し手の気持ちの揺さぶりが 反映され言葉の端々が変化してくる。
長髪の190cmは優にある若い男性が聞きに来てくれた。何でもセルビアからの留学生という。「ふきのとう」大ファンという彼は「ウスバカゲロウ」お買い上げしてくれた。喜んでサインをした。セルビアがどこだか一瞬考えた。バルカン半島の一国であるということを知った。はるばる日本へ勉強しに来た彼はなぜ日本に来たかったのか知りたいところである。10月には帰ると話していたが、是非9月の「けやきホール」には足を運んでいただきたいと思った。僕が札幌で音楽を志した頃の自分を思い出してもいた。
月日が経つのは本当に早いものである。しかしいろんなドラマがあってここまで来てるということは確かなことである。自分が他人によって生かされているということが本当によくわかる近頃である。
今日も1日暑かった。ライブが終わって階段を上り外に出ると心地よい風が吹いてきた。
日本で一番昼間が忙しい副都心にたまに顔を出すのは悪くない。100年後ここはどうなってるのだろう?ジョージ・ハリスンのソロアルバムのジャケットを思い出してしまう。
夏本番8月をつつがなく超えて行こう。
皆様お付き合いいただき誠にありがとうございました。 またお会いしましょう。さっきから30分経ってしまった。
相手に社会にイライラして泣きたくなったら次の言葉を真面目に話して笑ってください。

耳の穴から手を突っ込んで治療中の奥歯の被せ物取ったろかー!

あんさんぶる音入口で。

久しぶりの大漁旗がお目見え。

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