南青山MANDALAで人生の節目を祝う
2025年10月24日 | カテゴリー: 山木康世
75回目の誕生日。70代と80代の真ん中の日々。
60代は還暦という60年に干支が一回りして元に戻るという大節目の一大イベントだった。そして10年経って古稀という古来まれなる年代突入。人生50年と言われていた時代の人にとっては75年生きるということは未知の世界。一番は栄養状態なのか。その時代の人にとって塩は大好物。塩辛いものでコメを食う。しかし徐々に栄養学が発達していろいろなことが解明されてきた。そして今も続いている。
塩満載の海から上陸してきた生き物の末裔が我らだったとしたら、母親のような存在が海。海は塩辛い。その塩が血管に悪さをする。血管、つまり血の通り道が詰まったり破れたり、そして病を発生、死に至ったりもする。解っちゃいるけど母なる海の故郷が忘れられなく塩を舐める。方や砂糖はもっと手強いらしい。子供のころ母親の障子貼りを手伝って、最後に器に残った糊、つまりデンプン糊に砂糖を入れて食べた。美味かった、そりゃそうだ澱粉=馬鈴薯だもの。そのうえ甘い砂糖と来たら止められない。
今日から世間から後期高齢者と言われる。いかにもお役所的区分の呼び名だ。高貴、光輝、好奇などなど同音異義語がある。後期の次は何?末期、こりゃまずい、いずれにしても皆通り過ぎてゆく道。
3人に一人が60歳以上というニッポンらしい。僕も40代の頃にそんなタイトルのエッセイを書いた記憶がある。この度国勢調査が行われて人口分布の詳しい今を知ることになるだろう。
ボブ・ディラン、ポール・マッカートニー、ミック・ジャガー、エリック・クラプトンそうそうたる先輩80代ミュージシャン。いつの間にかここまで来る時代になったかという雑感。人生100年時代は本当なのかもしれない。
さすればまだ25年もある。しかし25年前と言えば50歳。確実に足の衰えは感じる。歩かなくなったからなのか歩けなくなったのか、どちらかであるが足から来ると聞いていた老いの始まりは確かなのである。
昨日高らかに「RAOJIN」を歌い上げて締めても良かった。「グッドナイトグッドナイト」で締めようという前夜未明の気分だった。
会報132号も発送完了。「山木倶楽部」は歳が行ってますます威光を放つ存在になるような気がするしそうしたい。そのためには中身の充実、健全、生きる意識の強さ。倶楽部自体の活況さ、ゴチャゴチャした個人的物議はさておいて、集団でいることの安心、強さを大いに感じて生きてもらいたい。
そのための羅針盤としての未だ見ぬ力のある歌を書いていこうと思ったトラオンパレード南青山MANDALAであった。
みなさん我が誕生会にご出席いただきまことにありがとうございました。遠方からの惜しみないご支援、ご協力、誠に感謝する次第です。
明日は参宮橋の「革命と鍛錬」何やら意味深な店名、お待ち申しておりまする。

75歳の出発も視界良好、前途洋々

寅年のパワー全開します

クリスマスムードの照明も
新宿永谷ホールFu-いよいよ高貴高齢者の仲間入り。
2025年10月22日 | カテゴリー: 山木康世
先日白内障の施術をして医者嫌い病院嫌いと言ってられなくなったなとジョイさん連に感謝した。
鉄はいつの間にか酸化してボロボロになる。生きる者に必要不可欠な酸素の成せる技。鉄でさえあの様なのだから、もろくてナイーブな骨や肉などは必然的に壊れる運命にあるのだな。実に皮肉な神様の采配。
75年生きてきた。今年のバースデーライブは本当に贅沢で申し訳のない時間を皆さんと共有できて幸せである。古希の五日間も貴重なイベントだった。あれから5年が過ぎたとは、さすれば後5年も直ぐにやってくるのか。80代突入か。
いつの間にか歌で生きる道を歩いてきた。それも自作自演とは恐れ入谷の鬼子母神。
新宿永谷ホールは月日の匂いを感じさせる旧いホールだ。人間は生きていく上で匂いを発して生きて行く。毎日毎日新陳代謝をするためには食べて古くなったモノを外に排出しなくてはならない。しかし人類は匂いを消し去る技術を発明、クリーンな人間像をこしらえた。
人間臭い歌をより強く作らねば成るまい。それとも少し鼻の穴を狭めてしまえば済むかも知れない匂い問題。しかし美味しいモノの匂いまで分からなくなっては困るな。
昔の家の中は臭かった。いろんな匂いが入り交じって臭かった。習慣と慣れで自分の家の匂いは気にならなく、むしろ懐かしさや居心地の良さを感じたりした。他人様の家の匂いを奇異に感じたりした。早く帰ろうと母親と玄関を後にする。そして思いっきり外気を吸って「うまーい!」しかしその空気中に潜む酸素は鉄をボロボロにしてしまうんだぞ、とは気がつかない洟垂れ小僧も75歳になった。
早いですね。明日は本番、嘘偽りのない日で、母の子宮から空気を吸うために思いっきり這い出でた記念の日である。父は自転車で1時間もかかる職場から急いで駆けつけて何を思ったことか。1950年10月22日は日曜日なのでつじつまが合わないぞ。役場に届けた日なのかも知れない。札幌の10月と言えば晩秋情景。吐く息も白いつるべ落としの夕暮れは寒かったろうな。産婆さんの森さんのおばさん、ありがとうございました。森さんがいなかったら、先ず畳の上を第一歩、そしてこの世を歩き始められなかったのですから。
みなさんお忙しい中、誠にありがとうございました。
南青山MANDARAでお会いしましょう。

ちょっと間抜けな顔の虎ですがよろしくです

後ろ姿も気を抜けません

ご主人様、チューニングしておきました

正座ができないのでこれでお許しを
新宿永谷ホールFu-はどうしてFu-?
2025年10月21日 | カテゴリー: 山木康世
西武新宿線の始発地は西武新宿ホテルがある通称ぺぺビル、新宿歌舞伎町の勢いがここの線路によって断たれる。その線路沿いの沿線風景は昔の痕跡を留めて独特の味わいを出している。駅から歩いて沿線直ぐにFu-の青い看板が目に入る。ここが永谷ビル。ここの永谷さんはどうやら不動産屋さんで理念を持っていて芸人の育つ根拠地にしたいというものだ。と楽屋の壁の張り紙に書いてあったような記憶がある。
昨日は落語の催し物があったようで、そこを訪れたお客さんが今日の日を知って来られたという話を伺った。僕は全く思っていないのだが、世間の75歳のバースデーライブというイメージは相当な老齢な弾き語りシンガーという感じであろうか。
そんな噂話をよそに今日はバースデーライブ初日ということでアマチュア時代の歌、なんと50年以上、つまり半世紀前に作った歌20曲オンパレードと相成った。まぁ自分で言うのも可笑しいが今とさほど変わっていないビル建物の外観であるな、という印象であった。しかし住んでいる住人は大いに風貌容姿は変わっているし周りはドンドン変わって行くのが現状である。歌の特に歌詞は原形を留めている。しかし歌い手の心理は天と地の違いもあるほどの時間的経緯がある。つまり昨日と少しずつ変わって行くシワの深さ、長さ、頭髪の有無、目や耳、歯などの衰えによる時間的経過で50年前と偉い違いのヒトがそこにいる。そ
の人が醸し出す歌曲、これは相当に面白い体験なのであるな。機械やAI技術では成し得ないその場でしか成し得ない事実、実に興味深い事実なのである。本人が言うのであるから間違いがないが、熟成、発酵などに似ているかも知れない。一歩間違えば腐敗ということにもなり得る事実。
昔と今の渾然一体。表裏一体と化した2時間であった訳である。これは一つのドキュメント、即席では作れない時空間、未だ解明されていない脳という生命維持装置器官が作り出している生き物の世界の奇妙で、はたまた理性的な現実空間の経験は金銭で買うことの出来ない財産であるような感じに見えてくる。
日が明けて2日目の今日は、より今に近い時間内に作ってきた歌たちの2時間としたい。
すっかり10月の中旬の顔をした西新宿歌舞伎町でドキュメントの出来る幸福感を味わいたいと沸々と心底思っている丑三つ時を後にして、もう寝ます。

ペットのトラ2頭がステージに登場

鈴木さん、毎度お世話になります

北海道から九州までお客さんにお越しいただき感謝です
千葉県松戸市ハンドクラップで本物の歌を
2025年10月17日 | カテゴリー: 山木康世
~水戸街道 松戸馬橋に赤とんぼひらり~
水戸街道は江戸時代の街道の一つで、江戸を立って千住を通って茨城県水戸に至るまでの街道。千住は日光街道の宿場町「千住宿」として、荒川に架けられた千住大橋が交通の要衝として栄えた。松尾芭蕉も奥の細道で訪れ「行く春や鳥啼き魚の目は泪」と詠んで出発地としたという。
今は国道6号線として、やはり交通の要である。ふきのとう時代マネジャーはここを通るのをいつも混んで渋滞しているので嫌がった。
江戸川を渡ると千葉県である。やがて千葉県人口3番目の松戸50万人の街へと続く。ちなみに千葉市、船橋市、そして松戸市である。
馬橋はまばしと読んで宿泊は禁止されていたが、休憩所的な間の宿場として栄えたという。全国にこのような間の宿はたくさんあって調べると面白い。江戸幕府はこのような形で道路整備、関連する宿場を設けて国家繁栄を願ったわけであるな。
Handclapは拍手や手拍子という意味であるが、今回は1曲も手拍子じみた歌曲はなくてしっとりした秋模様の歌曲で決めた。
♪秋はドングリとキノコを連れて♪
秋はドングリとキノコを連れて山ブドウの路を
空では円を描いてトンビがピーヒョロヒヨロ
山親爺は長い冬の眠りに備えて
枯れ葉をひとり敷き詰めベッドに入る
稲穂は首を垂れて黄金色の大地に
山が染まる赤や黄色に枯れ葉のじゅうたん
澄み渡る北の空に光り輝ける
星に願いを君に思いを寄せる街角
一雨ごとに霜が降りて寒さを増して
ストーブを囲んで4人の子どもたちは
おばあちゃんの昔話の絵本を聞いて
いつかサンタの夢を見て 眠りについたよ
美原時代の晩秋を思いながら1曲目、なかなかに良いスタート。
「冬のワルツ」「消えそうなスタンプ」「暮れゆく秋の旅」「チバニアンを見に行った」「佐倉宗五郎」アンコールでは「野良犬HOBOの唄」「夜の終わり」で幕を閉じた。
終演後地下から階段を上がって表に出ると、とっぷり日は暮れていた。昼間来た水戸街道を戻り青砥で右折、環七をひた走り中野に帰ってくる。
来る20日、21日は新宿、22日は青山で節目の75歳記念ライブである。
巨きくなって偉くなってふんぞり返ってる大御所の歌は本物の歌ではない。そこはかとなく深く静かにしみいる歌こそ年齢相応の本物の歌であると思いたい。
秋の夜長ギターをボロンボロロンと一曲でもいいから本物の歌を!

地下1階の光が遮断された空間でライブ

74歳ももうすぐ終了
東京都昭島市フローラカルチャークラブ昭和町と拝島村
2025年10月13日 | カテゴリー: 山木康世
1954年僕が4歳のころ、昭和町と拝島村が合体して市制。市名は両方から仲良く一字ずつ取って昭島市。現在の人口は約11万人、北海道小樽市と同じような規模の街。
僕が生まれる前の戦前には軍需施設があったというから、何かと軍関係の街だったのだろうか。その頃は辺り一面クワ畑があって養蚕が盛んだっという。
八王子から横浜まで絹街道と呼ばれる道路がある。その時代、絹は重要な輸出産業。ここら辺り一帯は絹のためのお蚕さん業者が大勢いたのだろう。横浜から海を渡って世界へ絹の織物は羽ばたいていた。絹製品は高価であるが、部屋に物があふれる現代、多少値の張る持ち物や衣類は自分だけのアイデンティティ確立のために必要なのかもしれない。みながみなアイフォン、ダイソー、ユニクロでは寂しすぎる。
10月といえば立派な晩秋、初冬のはず。それにしてもおかげさまで日中は少し汗ばむが、夕方から夜にかけて程よい気温が続く。
昨晩は開けた窓の隙間から一匹の蚊がコンバンワ。脛や腿に痒みを覚えて明かりをつけるとヤツは慌てていた。さっそく金鳥渦巻に火を点けて眠りについた。
「銀色の世界」「柿の実色した水曜日」「月天心貧しき町を通りけり」「晩秋情景」おなじみ秋色の冒頭と相なった。歌ってていて遠い故郷のことを思っていた。故郷の人は昭島などという街も知らないし、聞いたこともないだろう。
今回「深夜の速達便」はお休み、ショットタイムも次の機会へ。

しっとり落ち着いたよき空間ですね

全国からのお客様、ありがとうございました
東京都葛飾区新小岩鎌倉空の杜でキジバトを見かける
2025年10月09日 | カテゴリー: 山木康世
何度見渡しても、空の杜のお庭は心を健やかにしてくれる。今日はライブ途中に2羽のキジバトが仲良く水浴をしていた。公園などによくいる鳩はドバト。キジバトは全身が土色をしている。
僕が中野に越してきた頃、西新宿のロータリーの小籔の中で見つけて拾ってマンションに連れて帰り育てたキジバト。徐々に成長してみるみる間に大きくなり、あまり見かけない体の色に驚いたことを思い出す。ある日ホバリングをして浮き上がった姿には声を上げたものだ。野生の力を見せつけられ生命の力強さを痛く感じた。やがて窓から巣立って行った日、いつまでも離れないで電信柱でこっちを見ていたな。そして近所の公園の方へ飛んでいった。僕は急いで階段を降りて追いかけるように公園へ行ってみた。呼んでみたけど見当たらなかった。どこかの緑の隙間からこっちを見ていたかもしれないな。
深夜の速達便は「デイゴの花」撮影タイムもだいぶ熟れてきた。しかしたまには休みの日もあっても良いと思った。毎回毎回当たり前のように慣れてしまうより、新鮮さを保つには少し距離をおいたほうが良いときもある。元来の飽きっぽさが顔をもたげる初秋ではあるが、実に暖かい。
10月といえば北海道に住んでいた頃は初冬というイメージであったが、今や北海道でも昔の天候は微塵もないらしい。移りゆく大自然、本当に人間が作り出した異変なのだろうか。地球の大きな営みのダイナミックのひとつであるかもしれない。
タブレットのくっきりしたフォントは精神的にも健やかである。淀みや曇、迷いのない生き方は自ずから溌剌とさせてくれる。目や耳、口は伊達には付いていないのだな。
「空の杜」良い会場である。
みなさんお忙しい中、ともに過ごすことが出来、幸せでした。次は昭島でお会いしましょう!

小岩ライブはカーテンを開けて庭園を眺めながらの明るいライブ

秋祭りの祭り提灯と幟が飾られた「空の杜」入り口
東京都新宿区 あんさんぶるStudio音白内障解消す
2025年10月04日 | カテゴリー: 山木康世
実はここだけの話、前日過密スケジュールを割いて近所の眼科医で白内障の治療を行い施術をした。
幼い頃より目は自慢の視力、悩んだことがなかった。それが加齢に伴い一丁前の白内障。前回の運転免許更新のおり、例の白い丸切れ目の屈辱の複数回やり直しがあって、これは次回の2年後までに直さねばと決意したのであるが、延び延びの施術と相成った。
昔昔の足首骨折以来のリスク解消の病院訪問である。父母よりいただいたる大事な肉体への再生復帰には医者嫌いも手伝って延び延びとなっていたもの。
手術自体は想像をはるかに超える短時間、無痛は話に聞いていた現代医療に舌を巻いた次第で脱帽、早くに済ませておけばと後悔も半分あった。
そして帰りの夜空に見上げた見事な三日月の久しぶりの姿、何度も右目片目で称賛した。
あんさんぶるにおける歌詞のクッキリスッキリも久しぶりである。眼の大事さを痛感、眼前に控える節目の誕生日を心待ちにすることができて大きな前進であった。生まれてきたからには避けられない「死」との遭遇。四苦である「生老病死」は人として大きなテーマであるが元気なときにはつい先送りが常であった。ますます神様のお作りになった正確無比、巧妙なデザインにメスを入れてしまった事実は人が考える以上のものがあった気がする。そしてお医者様への畏怖、驚嘆を感じ入った。今更であるが平身低頭、健康に生きることの大切さは何者にも代えがたい幸福である。
「オータムマン」から始まって、速達便の「YABO」撮影会、高層ビルに星が雪のように降る「眠れないジェラシー」ふきのとう三部作は術後翌日の晴れ晴れした再出発となった。
初台へお忙しい中参加いただいた皆様方にはいつもながら感謝致します。

YAMAKINGSONGSの大盤振る舞い

大虎・中虎・小虎のトラ・トラ・トラ大作戦

「こんなペットが欲しいなあ」
広島市SixoneLiveMOON日本も広い国だね
2025年09月29日 | カテゴリー: 山木康世
松山からしまなみ海道を一走り、山陽道に入り、走ること約4時間の旅。空では絹雲のような白雲が山水画を描こうとしているかのようだ。暑い暑いと今年の夏を何日過ごしたのだろう、確実に秋がそこまで来ている。吹く風の心地良さ。9月も終わろうとしている。北海道で走っているといつまで経っても北海道。アッという間に日が暮れて行く。四国から本州も今ではアッという間なのだが、県をまたいでくると、北海道の広大さとは違って日本の歴史を感じて、その昔の人たちが息づいていた頃の町並みが風と一緒に走って行き日本の顔を感じることが出来て思えば遠くへ来たもんだとなる。
今回はGibsonB25とクワイアンウクレレで2時間1本勝負を駆け抜けてきたが、実はGibsonは去年大修理、半年入院の末の姿だった。勝手にシンドバットであるが古いGibsonは総じてMartinよりも華やかさはないが、朴訥とした力強さが魅力的でソロになって随分と一緒に旅をした。退院後のB25は少し薄れたが、その分高音弦のきらびやかさが増したような気がする。優秀なクラスの子に仲間入りした親の気持ちである。クワイアンは小ぶりながら存在感のある音で楽曲に軽やかな表情を付けてくれてライブに潤いを持たせてくれる。
今回の速達便は「流星ワルツ」で皆と一緒にワルツをした。この世は取り敢えず男と女が奏でるハーモニー、足並みそろえていついつまでも。歌を作り始めた頃の学生時代の夢は、まさに将来良い歌を見ず知らずの人たちと歌える歌を1曲でも残せたら良いという願いも込めて創作し続けてきた。そしてその方はこの方ですよと思い出のショットタイムを22秒設けて刻んで貰った。元来飽きっぽい性格なので、いつまで続くやらと言う企画であるが、飽きずに今年いっぱいくらいは頑張ってみようか。バースデーカードに記したORコードも届いているのやらいないのやら。僕からすれば以前は考えられなかった魔法のような現代のテクノロジーに魅了され、あの四角に囲まれた中のゲジゲジのような謎の判じ絵を何時も感心して見ている。これを考えついた日本人の脳みそにカンパーイである。実は今書いている記事も一端QRコード化、文字変換の後、自分のメール宛てに飛ばしている。瞬間芸の一言に尽きるのであるが、この現場を見たらワァーゲロゲロ!と声を上げるだろう。
つつがなく西のツアー4日間を終了させてくださった時の氏神様と生身の皆様方に大いなる感謝と、これからも変わらない愛AI情とAIの豊かさを願って終了致します。それにしても能舞台いきなり今昔物語、僕の脳みそはピッカピッカに輝いていた。

晴天の広島。ですが、会場内は夜のムード

アヒルが定位置にスタンバイ

アイドルの撮影会ではありません。
愛媛県松山市スタジオOWLにフクロウが降りてきた夜
2025年09月27日 | カテゴリー: 山木康世
松山は雨も上がって穏やかな良い日和だった。少し汗ばむほどの秋の日、夏目先生の頃の松山に思いを馳せる。東京から赴任して数々の名作を生んだ我が国の巨匠。
正岡子規との出会いが素晴らしかったのか。門下生に芥川龍之介、寺田寅彦らがいて矢張り我が国の巨人だったわけである。
今夜の音響は素晴らしく我を集中させてくれた。近頃小規模自前音響の音場に慣れてしまったのか、場にそぐわないリッチで緻密なモニター音響が少々鼻につき集中力が持てなくなり、自然YAMAKINGSONGSが平坦になり長い2時間となる。しかし今日の2時間は我ながらあっという間だった。
エレボの良質なスピーカーが2台天井の隅に配置されていた。通常は転がしと言ってステージの上、演者の足元に配置されることの多いモニタースピーカー。正直デジタルな音が良すぎると、そちらの音が気になり退屈になり肝心な歌の内容が薄っぺらくなったりする。一番はやはりギター一本なので演者の周りを包み込むように自然に聞こえてくると豚は木に登ったりする。この音の他に場内からの返し、響きも重要なのである。
心が奏でて人の心に届く。説明のつかない音楽のシャワーを浴びて、いわゆる癒やしの心が生まれて口元が自然ほころび、目元が潤んで、さっきまでのスマホの見過ぎの眉間のシワがいっとき消える。笑うからおかしいのか、はたまたおかしいから笑うのか。鏡を見て笑ってごらん。脳みそが緩んで少し気持ちが軽くなるよ。不思議だな。
高齢者にシワ隠しやシミ隠しにと美容会社は躍起である。しかしそれよりも肝心なのは心の朗らかさ。気持ちの若々しさ。頬が重力でたるんで妙に近頃下降してきた。こんな人は口元を少し持ち上げるだけで気が軽くなる。お試しあれ。
アンコールふきのとうここにありの3曲。正しく歌わせていただきました。やはり日本中に響き渡った美しく良い歌曲で力があるなと実感した。すべて20代の頃の作である。
皆様と共に過ごしてきた長い時間、そして今の時間、まさに時の魔法にかかったOWLの時間は重要、かつ良質、良好な大人の夜のひと時だった。ちなみにOWLにはフクロウの他に夜ふかし(する人)の意味もあるそう。それともったいぶった人ともある。これは一寸遠慮しとくわ。

リハーサル中

スポットライト1本に浮かび上がるYAMAKING
岡山市ブルーブルースの楽屋には桃太郎さんがいた
2025年09月25日 | カテゴリー: 山木康世
岡山を訪れて何年になるんだろう。ふきのとうコンサートで訪ねた時ががお初であろう。北海道に住んでいて、それまで受ける岡山の印象はやはり桃太郎さんであろうか。桃太郎と言えば吉備団子。吉備とは備前、備中、備後、美作地方の古名とある。しかしきびには黍もある。黍で作った団子。それとも古人の遊び、掛詞かけことばによる団子か。
札幌の近くに栗山という町がある。ここにもキビダンゴがある。ちなみに製造元は私の遠い親戚である。そしてここのキビダンゴはまったく吉備団子と形状、質が異なると言うことを始めて知ったのもふきのとうの時である。
岡山の夜は怖い町なので、あまり暗がりや寂しいところには行かないようにと注意を受けた記憶がある。ふきのとう時代は駅の目の前の第一ホテルというところに投宿した。今の駅前の華やかさとは偉い違いだった。
桃太郎さんが町のシンボルというのは良い。断然良い!ゆるキャラの元祖であろうが鬼退治をする桃太郎は今でも必要な心のシンボル。社会には色々な鬼がいる。さしずめ詐欺鬼、大水鬼、飢饉鬼、戦争鬼、地震鬼、噴火鬼、病鬼、事故鬼、これらを退治してくれる桃太郎。事故に遭った原発の収束に40年もかかるという途方もない時間を費やすとは人間は賢いのか愚かなのか。今日は水曜日だったということもあり「柿の実色した水曜日」を皆と共有した。ネット時代になっていかにも何千、何万人にもつながっているようで、それは妄想かも知れない。むしろ昔の時代の方が少なかったかも知れないが人間として人とのつながりは強くて太く長かったような気もする。「拝啓こんには」昔の水曜日の自分に手紙を書いてみる。性根は腐って変わってしまっていないか。正しくお辞儀をしているか。心の豊かさを僕はすでに30年以上も前に歌で問うている。たばこの煙が他人に及ぼすマイナスの影響を作り出している会社のコマーシャルに疑問を感じてしまう。先ずは身近の人に優しくいよう。
「blue blues」オーナーの思わぬ降って沸いたような大けがを聞き、言葉を失ってしまった。誠に音楽好きできれい好きでいつもいつも何かしら向上心旺盛で控えめな彼に何故神様はあのような夜を用意なさっていたのか。
お忙しい中、皆様方ありがとうございました。くれぐれも事故や病気には注意されて、また元気にお会いしましょう。


今回のツアーはB-25一本勝負

マスター、どうぞお大事に
