さいたま市/琴勝流大正琴本部 2Fホール御礼7回目
2024年08月26日 | カテゴリー: 山木康世
昨年11月27日以来の大正琴本部である。列島を寒波が襲いずいぶん寒かったようだ。9ヶ月ぶりのさいたまは台風が来週には来襲しそうな猛暑である。実は前回の気温のことなど思い出しても思い出せない。そして今回が7回目であることも実感がない。
川口市に属する安行(あんぎょう)は世界の盆栽の地であるという。今日は久しぶりの「盆栽の歌」を少しアレンジして歌った。
♪ねじり鉢巻きキリリと巻いて半纏脚絆に直足袋履いた日本の風景♪
これは事務所を出る直前に書き改めた一節であるが、今改めて読み返すと少しおかしい気がしてきた。これは庭師や祭りの艶やかな姿で、盆栽作りはもう少し穏やかに剪定ばさみでチョッキンチョッキン、あっちから眺めこっちから眺め、あーでもないこーでもないと自問しながら、あーら切りすぎちゃった、これが盆栽の風景ではあるまいか。何でも奈良時代、唐から持ち帰った趣が始まりらしい。
会場の横に八雲神社と呼ばれる小さな拝みどころがある。ここに必ず立ち寄って二拝二拍手一礼をして今日のつつがなき無事を祈る。
2階の会場正面に我と弁財天との大旗を掲げてのLiveLibrary。アメリカのGibsonと日本のスズキと札幌のクワイアンが、そしてドイツのホーナーが2時間の味付け剪定作業を行った。なんだか盆栽づくりにも似ていないこともない73歳50年目のチョキチョキチョッキーン。
♪PaPa Don’t cut more prease MaMa OK!
あらら切りすぎちゃった まぁまぁ良いか
私空飛ぶ世界の盆栽♪
新宿永谷ホール(新宿Fu-)でベンベーン
2024年08月23日 | カテゴリー: 山木康世
ゲリラ豪雨が各地で話題になっているが、今日は中野でも出立前に遭遇した。
事務所から駐車場へ向かうときはそれほど案じていなかった空模様。しかし車に乗ろうとした瞬間、大粒の雨がポツポツ。見る間に叩きつけるような雨が、今までの曇り空は急転直下、ワイパーも効かぬほどの集中豪雨。この雨粒たちはどこで成長して降りてきたのか。信じられないほどの威力で地上を叩きつけて、さっきまでの安穏とした日常を一気に変えてしまう。
新宿までの30分、車はライトを点けいささか安全運転。外を歩く人も傘の無力さを思い知って、びしょ濡れで軒下などで雨宿りする人もいる。まさに「打ち水の唄」よござんす、よござんすと雨の非情さを恨むともなく人間の非力を痛く感じるFu-への道。
6回目ほどのFu-であろうか。使い勝手もかなり上達した。
大雨の中、荷物数点を運び込む。ここは小さなホールと言った感じで、尺高のステージ、引き膜も用意されていて気分は演芸人、弾き語り2時間1本勝負。
場所柄色んな人が道路を往来、外国人も多くオーライ、行き慣れた駐車場もエレベータに一人で乗り込んで窓を開けて出した右手で操作ボタン、B3まで降りる。何でもかんでも人の手に委ねる駐車場が多い中、ボタン操作で駐車スペースへ自車を移動、保管する行為は大人的で宜しい。
♪新宿の空は雲ひとつ無い青空
けれど昨日の空とはどこかが違う
放射線量なんていう言葉が普通に
当たり前のように使われる時代になった
明日のことや将来のことは誰も知らない
ケセラセラ ケセラセラ
明日は明日の風が吹くさ心配ない
ケセラセラ ケセラセラ♪
願いを込めて今日のスタートだ。
本当に昔では考えられないほどの夏の暑さ、雨の威力、地震、噴火、穏やかだった列島の姿は今はない。世界各地も同じである。地球の磁場の逆転、地球内部のマントル深くでの逆回転などホントー?と疑いそうな地球である。考えても何もできない。ケセラセラ的自然に身を委ねる考え方もある意味賢い生き方かもしれない。戦争の愚かさに未だ懲りない世界のリーダーのもとに生きていないだけでもましだ。
さて日本のリーダーは果たして誰になるのであろう。女性総裁なんていうのも必要な時代なのかもしれない。2世3世の総裁だけは勘弁ベンベーンとギターを置こう。
曙橋ライブハウスコタン 中牟田俊男+山木康世
2024年08月18日 | カテゴリー: 山木康世
はるか50年以上前、上京したとき事務所に先におられたのが武田鉄矢率いる「海援隊」だった。そのメンバーに中牟田氏はおられた。無口でしゃしゃり出ない地味な存在だった。しかしいつも変わらぬ雰囲気でしっかりサポートを続けていた。デビューしてコンサートに前座で連れて行かれて20分ほど歌う。ステージ慣れを養うためである。そんなとき舞台袖で聞いていつもいいなぁと思っていた歌をコタンでリクエストした。「故郷未だ忘れ難き」である。
♪故郷未だ忘れ難く 酒さえ飲まなきゃやさしい親父
故郷未だ忘れ難く 殴られた痛みも忘れました♪
中牟田氏の今日のギターは国産スズキである。手にとって鳴らしてみて驚いた。今までこれほど鳴るギターに接したことがなかったので感動した。当時はおそらくマーチンのコピーであったろうが、本家を超えていた。ウソではない。しばらく虜になっていた。こんなギターが日本で作られていたとは、さすがバイオリンのスズキである。それを聞いていたのか聞こえていたのか、我がギブソンが2回も弦を切ったのである。おそらくギブソンの嫉妬であったろう。今まで弦が切れないギターとして自慢であったのに。
息子さんが今日は数曲一緒した。遺伝子は恐ろしいものがある。何もわざわざ真似しなくとも、出てくるフィーリングが物語っていた。声はもちろんであるが歌いっぷり実に似ている。子供のいない自分にとって、この光景はかなり羨ましい事実であった。これほど体内から湧き出ずるフィーリングが似るとはおそれ入谷の鬼子母神である。
大阪でもやってくださーい。そうですね機会があえばやりたいですね。と応えた。ウソではない、チャンスが有れば大阪に限らずやってみたい。
息子さんのギター、歌いっぷりにも共感を覚えたが、最後に出してくれた卵料理と塩焼きそばにも負けぬくらいの舌鼓を打ってしまった。
東中野マ・ヤン酒とバラの日々
2024年08月11日 | カテゴリー: 山木康世
中野からJR総武線で新宿へ向かって1つ目の駅が東中野、まぁ東方面にあるわけだ。出口が東西南北とあってちょっと考えた。ムーンロード入口はどちらに当たるのか。中野駅ではいつも北口でしかほとんど出ないので考えてしまった。連絡通路が見えていて線路の向こうにムーンロードも見えているのに、さてどちらへ行けば正解なのでしょう。階段の矢印は西口はあちらとある。あの連絡通路を渡ればマ・ヤンはすぐそこなのにもしかしたら閉鎖して使われていないのでは。などと猛暑の後遺症なのか余計なことを考えてしまった。そして素直に矢印に行ってしまった。山手通りの賑やかな日差しが見えてくる。お恥ずかしい話、振り出しに戻った感じだ。乗ったときは2両目、こりゃラッキーと思ったものさ。5分前までは簡単にムーンロードに着くと思っていた。
ホームの端から端まで歩かされるとは、まだまだ初心者。連絡通路へ直接行ける階段があれば何の問題も起きないのに。
ママの「ひとりぽっち」は孤独を予感する女性の気持ちを淡々と歌い上げて作者冥利に尽きた。ふきのとうでもそれほど歌っていない歌を歌ってくれた。
札幌レコーディングのこの歌は今は亡き今泉君のピアノアレンジで行われた。バンドメンバーだけで執り行われた「011」「北極星」はより強く思い出に残るアルバムだ。31歳、32歳の頃の東京を離れた札幌で創った歌で、それぞれに思い出深い。
今日は猛暑の東中野で東田ママによって丁寧に歌われた。40年以上時を経てよみがえったバラードは、横でGibsonを弾いていてまずまず思い通りの感情移入となって幸福だった。
次回12月は青系の色のものを一つ身に着けて来て下されば、今年のテーマ「星月夜」が成立するはず。その頃は北風ピューピューなのだろうか。
みなさんありがとうございました。元気で夏を乗り切ってまたマ・ヤンでお会いしましょう。マ・ヤンとは沖縄語で一匹の猫と教わった。
田端スタジオアンダンティーノ
2024年08月10日 | カテゴリー: 山木康世
今日の懸案は、近くの駐車場問題だ。
6月いっぱいで隣接する便利な駐車場が閉鎖してしまった。何かと田端といえばこの駐車場セットで脳に刻まれていた。それが突然の閉鎖、跡地にマンションでも建つんだろうなと勝手な憶測がなされた。さよなら今までありがとうと6月のときに別れをした。
そして7月の此処でのLIVEでは駐車場は閉鎖状態だった。近所の駐車場を探したが難儀した。
そして猛暑の今回、駐車場探しに坂道を車は上って、先月使用した駐車場の空き状態を確かめるべくゆっくり進めた。「空」が幸いにも目に飛び込んできて喝采をした。
しかしであるよ、目を転じて左を見るとなんと便利な駐車場が綺麗にリニューアルされて有るではないかアンダンティーノ!
喜びの声で猛暑を忘れた。リニューアルオープン記念という1時間200円セール中とあった。ありがたや節である。
夏の札幌の朝は早い。一組のカップルが寄り添って帰宅中。酔いも手伝った男が囁いた。「ここでキスしようか」女が驚いた。「何バカなこと言ってるのさ、酔ってるの」電線で朝飯物色中のカー公がバカァーと鳴いたんだとさ。
今日の「雨に濡れて」は穴があったら入りたく初めから迷走状態、ついぞ脱出できず、お客様には迷惑千万、金返せ。
今後二度と執り行いませんと天地神明にお誓い申し上げます。
表に出ると鳴いてるはずの蝉の声は聞こえず、トンボが一匹生ぬるい夜風に遊んでおったとさ。もう秋かいQ!?
桐生デイサービスこらしょで「風に吹かれてMinstrel」
2024年08月05日 | カテゴリー: 山木康世
「風に吹かれてMinstrel」という歌がある。
「ふきのとう」解散後、ソロになってすぐに作った歌である。
Minstrelとは吟遊詩人。中世のヨーロッパで諸国を巡り歩いて歌を作った、今で言うシンガーソング&ライター。この旅の資金源となる王様のもとへ戻って歌を披露する職業人。面白い人たちがいたものである。王様は本当は自分が旅をしたいのだが、そうもいかない身体、そこで代役を詩人に思いを託し頼む訳であるのか。ギターのご先祖様のような楽器をペンペンとかき鳴らして詩人は諸国を見て歩き歌を作って戻って来る。
日本でも琵琶法師のようなシンガーソング&ライターはいたのであるね。ただし法師は作詞はしないで過去の歴史物などを紐解きベンベンと唸っていたものか。東西で似ている職業歌人がいたのではある。
そうなれば吾も昭和、平成のMinstrelでありたいと願ってこの歌を作った。「風に吹かれて」はご存じアメリカのフォークの大明神の代表曲。初めて聞いたときはへんてこりんな歌声だな、上手いのか下手なのか。でも淡々と語る歌に引き込まれた。他にはいない世界に静かに心震え燃え惹かれていった。
大明神はノーベル文学賞にまで上り詰めた。しかしデビュー曲で代表作でもあるこの歌をおなじ歌いっぷりをしてこなかった。コンサートで耳をそばだてるのだが、片鱗すら理解するのは難しい大明神。良いのだよ、神様は人間ではないのだからと帰り道納得。
こらしょで「風に吹かれてMinstrel」の新しい試みをした。この歌のキモはサビである。ここのメロディは外せない。前半部分をアドリブで作曲した。二度と聞けないLIVEの醍醐味、何があるか解らない。ハモニカをくわえた脳みそはフル回転。最初で最期の即興メロディはこらしょの部屋の隅々に消えて行った。自分で歌っているのに不可解なメロディが脳内を駆け巡る。
Keyを間違えてウクレレを弾き始めただけの話だったのですが、ピンチをチャンスに変えた見事な50年音楽人生の結実。
こらしょ10年を猛暑の中お祝いできて幸福だった。こらしょの皆さんとそこで通常ケアを受けている皆さんがボードに作ってくれた花のようなお祝いの文字、ありがとうございました。お客様からは花もいただきました。ここには音楽療法士が出入りしているそうだ。
音楽は身体を正常に戻してくれて人に優しい心を育んでくれる。楽器のある人生は潤いのある毎日ということになる。
病は気から=ヤマキとなるとよっこらしょ。またお会いしましょう。
土浦ユージンホールを一陣の風が吹きすさぶ
2024年08月04日 | カテゴリー: 山木康世
土浦といえば「土浦航空隊」。霞ヶ浦といえば「予科練」時を遡ること80数年、我が国は戦時体制、風雲急を告げる慌ただしく物騒な時代であった。資源の乏しい国は、経済経済が高じて、つまり金が金が国の目的となって、結果戦争、もっと国土を広げようと海外へ調達に出かけそのまま住み込んでしまう。こんなことが今では誰が考えても許されないが、当時は世界が帝国覇権主義、植民地主義が堂々闊歩、ひとり歩きしていて、先ず英国、独国、仏国、蘭国などが覇権を世界に広げて、日本も仲間入り、怖い話である。そして原爆という人類が考え出した技術の粋によって終演を迎えた。しかし話はそこで終わらない。技術の粋は馬鹿げているが、頭脳明晰なる一人の天才科学者の脳内のデザインで破滅、破局の縁まで行ってしまう。なんとも愚かな構図である。世界が終わってしまっては何の意味もないのに人間はその一歩を80数年前に踏み入れてしまったのだ。そして米国と露国によって加速され三途の川の瀬戸際まで僕らは連れて行かれそうになっている。
新札が発行された。前のお札に比べて妙に軽い感じのポップなデザインのお札である。今の時代を反映している。しかし写っている人は、経済人、学校創立者、感染学者。その昔は聖徳太子が一番だった。それから福沢諭吉、そして渋沢栄一。国の考えの変遷を読み取る事ができる。やはり僕にはロマンの欠如を感じて寂しい気もする。
僕の前の社長は人生電卓であると言いきって心のなかで僕は少々反発していた。それだけじゃないだろう。もっともっと必要なのは豊かな心というものがあるだろうと。今の時代は電卓どころではなく、目に見えないネットでの金の動き。登るのも早いが落ちるのもあっという間の時代。昔は金が高じて戦争までやらかす人間なのである。クワバラクワバラ。
ユージンホールには400人のフラメンコダンス生徒が出入りしていて栄華を極めていたという。
土浦には戦時下の建物がそのまま保存されていて一般公開を有料でしている。
平家物語、徒然草が猛暑の中だだっ広い飛行場跡地の農地で風に吹かれていた。
みなさん遠路はるばる誠にありがとうございました。
今日は群馬県デイケアサービス「こらしょ」へドッコイショヨッコラヨッコイショ。
墨田区両国亭は非日常的日常劇場
2024年08月01日 | カテゴリー: 山木康世
楽屋に入るなりキッチンの壁に張り紙が。
「楽屋にネズミがいます・・・・・・・」
これは近頃衝撃的な警告だ。その昔には、北国ではゴキブリよりも日常的にネズミがあちこちを徘徊していた。ネズミ駆除のために親たちは苦労していたようだ。夜中に天井を横切る足音には胸がざわついた。我が家には顔の見えない他者が住んでいる。人が寝静まった頃、食べ物のある台所付近に夜な夜な集まってくる。生き延びるのに必死だ。
翌日ネズミ捕りに掛かったまるまる太ったネズ公。親は無情にもドブに網ごと沈めて御臨終。今考えればなんとも無惨な光景を子どもたちは見ていたのだ。そして小さな生き物であるが、死というものを間近に見ていた。
今どきは猫もいなくなってネズミもいなくなったような世の中である。猫にしてみればネズミの捕り方を知らないうちに、オイラも役所の人間に捕まってしまったよ。
そんな物騒ではあるが必死に生きているネズ公の情報を垣間見た両国亭の日。しっかりゴミは持ち帰りましょう。
この日3月以来の田中くんがやってきた。卒論に山木康世を取り上げて嘘のような3月の日だった。取材も受けてあれから4ヶ月も過ぎていた。卒論も書き上げて就職も決まったと晴れ晴れの顔で両国亭に来て報告してくれた。やったね田中くん。
長いこと生きていれば面白いことにぶち当たるもんだ。予期せぬドラマは尽きることなく飽きない。
両国亭は一寸した劇場である。歌舞伎の配色の幕も用意されていてお囃子とともに2時間は始まる。時折表通りを走る車の音や救急車の音も特別ではなく日常なのである。
梅ヶ谷親方も静かに見守っている客席との距離感も弾き語りには丁度いい。高座も弾き語りのようなもの。下げや落ちのある日常は生活にハリややる気を起こさせる。猛暑の中長く生きていれば退屈や独りよがりになりがちである。
如何だっただろう、お客様に活力や朗らかさが届いただろうか。お陰様で当方は気の良い7月最後の日となりました。又お会いしましょう。猛暑に負けない体力気力で後半戦を乗り切りましょう。
さいたま市アトリエMに行ってきた
2024年07月28日 | カテゴリー: 山木康世
埼玉県は言わずとしれた猛暑県。なんでも東京の膨大多量な排気ガスが上空へ、そして風に乗って運ばれ下降。そこが埼玉県という話で、何も自然現象の話だけではなく人為的な高音上昇沸騰という申し訳の立たない話である。江戸時代には、今では考えられない東京湾の涼風が夏風に運ばれて内輪で快適に過ごすことが出来たという話である。しかし今の時代、それだけでは済まされず地球的な規模での列島熱帯化ということも言えそうだ。そのまんま日本列島香港化ということが現実なのかもしれない。小樽の手宮洞窟の古代の岩石に痕跡が残っているという。地球磁場が逆転した痕跡が残っているという話。大昔には小樽は香港のような自然だったという遺産。だとしたら人間の小賢しい手には終えない話であるね。
アトリエMはお気に入りの東京から22キロという距離にある。羽田空港などよりよほど近い感じで1時間もかからないで着いてしまう。5回目の訪問だろうか、今年に入って2回目である。御夫婦揃ってお出迎えされなんとも恐縮である。旦那さんは旗を吊るしてくださり、CD購入までされて下さった。築3年というから程よい時期に差し掛かって、脂も乗り切っている会場である。クラシックの気品格調高いきれいな会場はいつ伺っても清々しく、初心を思い起こさせてくれる。音楽の持っている青年の心は年を変に取らさせない。いつまでも若々しい心は世海を老けさせない。新鮮であることはなかなか難しいが、手軽な方法として良質な音楽を生活に取り入れることである。この良質は難しいが、空気や水と同じように大事である。
自ら発信者でもある僕はお客さんの心に寄り添おうといつも思っている。しかしそれを出来る出来ないのも会場次第である。会場はものは言わないが発信する人の身体がビビッと反応する。温度、湿度、防音、快適さは目には見えにくい。
外に出ると車がひっきりなしに行き来する道路である。そんなことを感じさせない異空間が広がりいっとき夢心地。
今回もおもてなしの心を受けて、まことに良い夕刻前のひとときでした。
埼玉県2日続きの楽日、心が何かを取り戻した。こんな日の連続で毎日を過ごしていったら、きっと年を忘れた偏屈親父で過ごして行くのでしょう。
みなさんお暑い中誠にありがとうございました。
埼玉県三芳町TYフェアリーリングには天使が住んでいるか
2024年07月28日 | カテゴリー: 山木康世
独自のポスターをお店が制作されてお迎えして下さった。フォーク界のレジェンド。ありがたい話である。そんな評価を下さって頭の下がる思い。あまり周りに左右されず好きに生きてきていつの間にか50年経っていた、というのが正直な話である。好きなことをやっていたら時間はあっという間に過ぎて気がつきゃホームでごろ寝である。時間は相対的なもので、一定はしていない。その人の心次第で長くも短くも感じる。
楽屋は息子さんの音楽部屋で、毎日趣味の時間を音楽に費やしていることが手に取るように分かる部屋であった。もしかしたら仕事なのかもしれない。メーカーと共同開発したスマホ、タブレットを挟んで譜面台とする発送は目からウロコであった。今の今まで挟むということに考えがいかなかった。これでいいのだな。何も置くという考えに縛られることはないのだ。さっそく考えてみようと思った。紙ではできないのだ。めくるという作業には不可能なのである。何かに置かなくてはならないのだ。しかしデジタル画面では機械がめくってくれるので挟んで固定できれば済む問題なのだ。
息子さんのお母さんは前回入院なさっていて残念がっていたが今回は無事手術も成功、お聴きに足を運んで下さった。
86年生きてきて初めての感動でした。LIVE開演当初からドラマ性を感じ、あっという間の2時間、本当に初めてのことでした。という感想を直に聞いて、あーわかってくださるお人がいてくださり幸福の極みでした、という正直な感想だった。CDと手鏡を購入くださりありがとうございました。ますますご健康で僕の世界を生活の中に取り入れてくださることを切に祈ります。
会場となる建物デザインは重要である。ほとんどが面白みのないビルが普通なのだが、ここは違っている。夢のあるデザインなのである。窓枠、屋根、壁などをどう作るか。個性の出るところであり、手間暇、経済面でも違ってくる。しかしそこに人が住んで、お迎えもする。一軒家ならではの主人の顔を見せることも出来る家という生きてる人間の容れ物なのだ。
高層マンションには出来得ない顔を持った建物の意外な重要性に気づかない人が多い気がする。特に大都市では利便性、合理性が過ぎる感が否めない。限られた時間を如何に過ごすかは住む人の問題である。良い顔の住まいに願わくば住みたいものだ。もう遅いか。