となりの電話 山木康世 オフィシャルサイト

西新宿あんさんぶるstudio音

2024年02月13日 | カテゴリー: 山木康世

あんさんぶるは外来語で複数による音楽の心地よさとある。
決して独りよがりの弾き語りの世界ではないのだ。独りよがりは言い過ぎで、通常の音楽のバランスからすれば少し偏っているのだ。まぁ俳句や短歌の世界に近いのかもしれない。しかし一人で何でもこなさなければならず、快刀乱麻という言葉がピッタリかもしれない。強いて言えばギターと声のアンサンブルと言えるかもしれない。同じ人による一人音楽会なので総合力では劣るかもしれない。

今日の一押しは

「春は雨と桜を連れて」
春は雨と桜を連れて山から街へ 冷たい風も幾分柔らかさを増して 
春は心身に素晴らしき哉 春の風 君と一緒に生きてます忘れたりしない

夢と希望を乗せて赤い郵便列車が 山を越えて街を越えて君の街に
ふさぎこんで泣いていた心に届く 穏やかに季節は巡り巡っていきます

春一番の風が吹いた街に吹いた 聞こえてくる春の足音spring has come
寒い冬が手を振って山の向こうに 君と元気でまた笑って会えますように

昨今巷間では「推し」という言葉がやたら使われてますが、言葉を知らない他民族のようで黙して語らず、違和感と怒りを覚えている。

春の歌たくさん歌いました


天窓からの光が弁天の顔を浮かび上がらせました

渡辺淳一記念館の在る札幌

2024年02月07日 | カテゴリー: 山木康世

FUNまつり最終日4日目~忘れじの春30年目の同窓会~
つつがなく無事打ち上がり盛り上がりました。
晴れ男健在ぶりを遺憾なく発揮、見事な抜けるような空の元、久しぶりの渡辺淳一記念館、懐かしさよりも帰ってきたという感じの文学記念館は鴨々川のほとりに雪の中に建っておりました。
控室に置かれた石油ストーブが良い感じです。集中暖房における暖かさに辟易することが在る。暑すぎて乾燥、喉が悲鳴を上げることのない自分の操作で身近の暖を取ったほうがどれだけ快適か。しかし経済的には効率が悪いのか。
地元のテレビは東京以上にある。チャンネルをつけるとCMばかりを見ている感じで落ち着かない。いい場面になって「続きはCMのあとに、チャンネルはそのままにしてね」あの手法はもう古い。局が少ない時代は有効だったが、現代では視聴者のほうがリモコンという魔法の自分ファースト器具で勝手に変えてしまう。惜しいもんだ、制作者の意図は空の彼方へ、結果など皆待っていない忙しい時代になった。
その点LIVEは良い。2時間お尻の痛いのを我慢して居続けなければならない。スマホもご法度だ。こんな過酷な状況に耐えられる音楽を発信し続けなければ死んでしまう。50年かかって自分で勝手に自己流で作り上げた2時間の世界は、やはりどこにも誰にも負けないと自負がある。今のところ良好です。
ペータ、夢和、千葉におけるFUNまつりにCMはいらない。それぞれの愛器を持ち寄っての心の寄り添いだ。冬の寒さの中での、石油ストーブを前にしての静かなLIVEはとても精神に良い。自分に語りかける貴重な時間である。忙しい現代は自ら自分たちが作り上げた結果だ。ならば少しスピードを緩めるのも自分たちでできるのだ。
晴れ男は空を飛んで東京へ。4日ぶりの青空復活という。午後には札幌を後にするが1週間生活に馴染んだ頃に後にするのはもったいない気もしてくる、が本来の生活に戻るという安堵感も在る。それだけ札幌が遠くへ来たもんだになっちまったのか。
50周年は50執念とも言える4日間、誠にありがとうございました。

シルバーランドのテーマでスタート

まだ療養中でしたが元気なPETAの唄に聞き入っています


満席でした!

千葉さん、PETAさん、夢和さんありがとうございました

エゾ音は蝦夷の人間たちの音楽会

2024年02月05日 | カテゴリー: 山木康世

クラーク博士ら外国人先生を米国から招き入れて未来の町造りをした、ときの江戸を終えて明治に大改革した役人たち。150年ほど前の話である。時計台はその頃には札幌の町に時を知らせ刻んだ貴重な建物である。
日本三大こけら脅しのひとつ、札幌時計台と言われるが、中に入って札幌の歴史を見たら印象は変わるだろう。
エゾ音は45回目という。もうすぐ節目の50回。
主催の浅井氏は大学の後輩である。札幌市と組んで良い音楽会を続けている。BGMにディランを流すあたりで彼の心境を垣間見ることが出来る。
外は雪、マイナスの中大勢の人が雪靴の雪を払いながら木造の階段を上ってくる。会場使用の時間的制約の中、3時間に及ぶ音楽会。トリを努めた。
楽屋で待っている間、黙ってでも聞こえてくる弾き語り後輩連の今。自分の学生時代を思い出す。高くもなく低くもない今の自分を赤裸々らに語りかけているようだ。共感とウケ狙いは似て非なるものである。素朴に素直に、家でポロンポロンが基本だよ。応援してるよ。
FUNまつり、3日目は地元札幌の夜。大いにみなさんと共に打ち上がりつつがなく終演した。打ち上げも久しぶりの元気な盛り上がり。
また会おう。
ご来場のみなさん誠に有難うございました。

開場前から雪の中列を作って待たれています


クラーク博士に見守られながら圧巻のステージ

時計台2Fの会場は、ホールになっています


アンコールは浅井さんバンドと一緒に

大勢のみなさま ありがとうございました

「夢創館」は夢を作り出す揺りかご

2024年02月05日 | カテゴリー: 山木康世

札幌からすぐそこという街、恵庭に生涯初めて降り立った。一度自衛隊のお祭りを見に行ったことはあるが音楽関係では初めてである。
島松駅の目の前に、25年前農協の倉庫が「夢創館」に生まれ変わったという会場があった。このようなしっかりとした倉庫跡の建物はあまり見たことがない。もっともっと知られて良い「夢創館」である。過去には演劇が行われたが音楽はあまりなかったような印象を受けた。
クルマ社会の現代において駐車場などで何かと過密都市札幌で息苦しく悩み考えるより少し離れた恵庭辺りでの活動は心身ともに適していると実感した。東京辺りの過密さではお話にならない。伸び伸びと行うには「夢創館」は館の名の通りである。
経済経済と目の前のカネにばかり目が行って、言葉だけの空騒ぎに付き合うには時間がもったいない。
また是非訪れたいと思った会場である。かつての街の倉庫は経済の台所だったが、今は夢を創りだす大きな揺りかごのような感じでひっそりと雪の中建っている。
また来よう!

夢創館 天井は高く音の響きが素晴らしい会場です


照明は館長が担当してくださいました

お客様からのお花をありがとうございました

FUNまつり初日あけぼのアートコミュニティセンター

2024年02月03日 | カテゴリー: 山木康世

FUNまつり初日の旧曙小学校現あけぼのアートコミュニティセンターにおける〜春はあけぼの〜は9年ぶりでの学校である。このような使われかたをしている学校に誇りを感じて、一日身も心も軽かった。
当時モダンスクールとして建てられた札幌市立曙小学校。今も鉄筋コンクリート3階建ての建物は健在である。東京にいると目まぐるしく建て替えられる50年建物。上へ上へと高さを伸ばして見事である。と同時に人間の生きている時間を考えると虚しさ、切なさ、儚さを感じてしまう。無機質な現代建物の頑丈さはあまりにも頑丈すぎて度を越している。次々と建て替え替えられる超高層ビル群は何を目指しているのだろう。まるでお祭り騒ぎである。そこまでして建てるかいなという呆れてしまう感情も沸き起こる。金があれば建築やの未来願望と手を組んで建て上がるのであるが、そこには人間としてのココロが少し置き去りにされてはいないか。見上げて上に上がって街の眺望に歓声を上げてそれで終わりである。
規模は問題にならないが、それでも70年前には見上げて歓声を上げて飛び回って遊んで学んでいた人間たちが生きているのである。中には健康問題などで建物同様建て替えが必要であるが、元気な人も大勢いて街を国を作っている。何を考え、どうより良く生きていくかがみんなの大方の意見だろう。
デジタル時代、ネット時代における快適な人間の心模様。春はあけぼのである。寒さと雪の中で執り行われたLIVELibraryはいろいろな心模様の寄り集まりを大いに感じさせてくれて大満足だった。ギター弾き語り50年、ここにありという感じか。
公園軒の川崎氏のご尽力により開催され現実となった。中島公園を抜けると電車通りが見えてくる。そこに玄関のように今でも建っている床屋さん。生きていて何度も僕らは髪の手入れをしてきた。それでなくてはまるで本に見る太古の人のような有り様になってしまう。そこでチョキチョキとこまめに手入れをして清々しくなって出直す。考えると髪はふしぎなもんだな。一番の目的は恐らく司令塔のような脳みそを守るという神様の考え方から来てるのだろう。生まれたときにはまだ髪は生えてない。しかし根っこはあって徐々に建物のように黒ぐろと伸びてくる。そして何度も手入れをして50年も経てば生まれてきたときと同じような感じで、もう建て替えもなくなってしまう。という人も大勢出てくる。この時間的経過を考えざるをえない生きるということ。みんな髪の毛の下の脳みそが考えざるをえない時間的経過と今。
同窓会を用意してくれた公園軒。川崎の笑顔を見ていたら、また元気で会おうという未来への希望が湧いてきた。
良い一日だった。何かと手伝ってくださったみなさん、お集まりいただいたみなさん、本当にお寒い中有難うございました。今日は雪の中、隣町恵庭へひとっ走り。

曙小学校の校歌


9年ぶりのあけぼのアート&コミュニティーセンターです

高円寺ShowBoatはマヨネーズを運んで真夜中のミシシッピー河を

2024年02月01日 | カテゴリー: 山木康世

この日生涯2回目のドジを踏んでしまった。中野から隣町高円寺まで電車で5分、しかしこの隣町へ降りること叶わず、なんと三鷹の町まで連れて行かれた。分かりかけていたが電車のドアは無情にも閉まってしまった。嫌な予感が走る。高円寺、阿佐ヶ谷、荻窪、西荻、吉祥寺通過、三鷹でやっと止まった。それ急げ戻れ引き返せ。15分遅れで店に到着。
この日のハイライトは
「ブルーラブレター」。ついに実名報道、イニシャルNNを明らかにした。高校時代の淡い思い出とはいえ、名指しでのラブレター事件の一部始終が歌われた。
「マヨネーズ・ショーボート・ミッドナイト・ミシシッピ・リバー」。場内のコーラスは怪しく河を下っていった。作者もまだ慣れていない早口言葉のようなマヨラーたちの呪文はガリガリネズ公と共にこの先進化していくだろう。
そして「思えば遠くへ来たもんだ」のしっとり加減は実に味わい深かった。やっと歌えた満足感で帰りの中央線一駅は、夕方の無惨、悔しさが嘘のように足取りが軽かった。
みなさんありがとうございました。乗り過ごし、乗り間違いには十分気をつけましょう。

高円寺メモ

2024年01月31日 | カテゴリー: 山木康世

地名の由来は同地にある高円寺というお寺から来ているという。源頼朝も来ているというから古い街だ。
江戸時代にはお殿様が鷹狩をして遊ばれた高円寺。
桃園トウエンがあって季節になると、今のような桜ではなく桃の花を愛でたという。それが後に中野に移ったという。桃園モモゾノという地名が中野に在る。
吉田拓郎の「高円寺」という歌で学生時代、地名を知った。当時はフォークのメッカという感じの街だった。
前中野区長は高円寺に住んでいて、中野区役所に就職、区長まで上り詰めた。新井薬師駅前に在ったラーメン屋「一番」の壁に区長のサイン入り色紙が貼ってあったなぁ。ちなみに小樽出身の区長だった。

さいたま浦和アトリエM

2024年01月29日 | カテゴリー: 山木康世

高速で1時間早く着いたのでロイヤルホストで時間をつぶそうと思いドアを開けると順番待ちの客が。駐車場に停めて近くのアウトレット館へ。マウスとキーボードを買う。よさげなキーボードだったがMac用キーボードだった。事務所に戻って気が付いた。充電の差し込み形状がライトニングというMac独自の形状。故に使用不可能。充電できなきゃただの箱。通電しなけりゃ無用の長物。今はtypeCが世界の基準。MacもtypeCになったとか。
パソコンはMacから入った。そのころの(1992年)のWindowsは使い方が難しかった。その点Macはアイコンをクリックするとソフトが立ち上が分かり易かった。WindowsがMacそっくりな画面になるのは95年、記念すべき1995年である。ちなみに僕がWindowsに切り替わるのは2000年である。8年Macの身だった。Macは好きだった。しかしMacはほかの電気メーカーに製造を許さない。方やWindowsはライセンス生産可能。日本の電気屋さんも次々とWindowsを生産していった。小型の持ち運び用ノートブックもたくさん製造され始めた。それでMacとおさらば。Macの独占的態度と独自性が鼻につき始めていたこともありさらばMac。
「アトリエM」には立ち寄った人の記す記念ノートが置いてある。その1ページ目は誰であろう僕である。2022年6月コロナに翻弄されていた世の中、立ち寄っていたのだ。今回は輝く太陽を背景に、また来ますと書き入れた。光陰矢の如し、月日は百代の過客也か。


国立市スペースコウヨウ御礼

2024年01月23日 | カテゴリー: 山木康世

誰のせいでもありゃしない、みんなみんなオイラが悪いのさ。
帰りの中央道は本来の高速道で快適だった。それにしても15時を何故か13時と思ってしまった、ちょっとした心のすきが長い一日を作ってしまった。
長い一日が終わった。すべて思い込み間違いが今日の始まりだった。
終わって夜の駐車場へ。目ん玉が飛び出しそうになった請求額。久しぶりの高額だった。これは国立を侮っていた。
コウヨウは何度になるのか。使い勝手の良い会場である。今日は大旗を間仕切りに使ってまとまりの良い部屋に改造した。お陰で集中ができて良いLIVELOVELYの日となった。皆様にはサイン入り生写真を。
国立の駅前を散策することにした。いつも車で通り過ぎていたので、歩きの今日は良く分かった。
近所の居酒屋でランチを所望する。刺身定食と行こう。出てきた魚の種類が青魚系だった。体に良いと分かって入るが苦手な血の気の多い青魚。
なななんと15時ではないか!今は13時、2時間も早く着いてしまった。仕方あるまい、荷物を車に引き入れて今後の行動を考える。いつもの駐車場へ行くが満車。向かいのお初の駐車場へ車を入れて考える。料金は確認しなかった。無駄な2時間、どこにも停めようがない。
そして何と1時2分、2分遅れで会場のある光陽ビルに到着。荷物おろしにかかる。半分おろして時間の確認。
駅前のロータリーが新しい町を感じる。地図を見たら分かるが、駅に向かって北の方へ大きな矢印のような道路の町だ。
久しぶりの国立の町は国分寺と立川の間に国鉄が駅を作って国立だ。これは随分前に書いた記憶がある。
右折許可青信号を3回ほど待っていざ国立へ。すでに30分経過している。渋滞の魔界中央道は今日は順調だ。頭の中の時計の針は13時を目指していた。中野から国立までは27キロほど、下でも高速でも1時間あったら着くはずである。
環七を大原まで。ここの選択は間違いではないが混んでる時は選ぶべきではない。なぜかというと中央道に入るには中野方面から行くと甲州街道に入るためには右折しなければならない。この信号が短い。
今日の入りは15時だ。時計の針は右へ直角に、といつもの時は頭に刻み込む。しかし今日は少し上、12時から少し下に曲がってイメージされた。

今日のダイアリーは時計の針を逆戻しして書いてみたが、やはり文章は時系列に並べて書いたほうが分かりやすく読みやすいということがよく分かった。しかしこの作業は脳みそのためには、たまには良いかもしれませんな。

皆様アケルナクウコウ、無事つつがなく終演いたしました。
125号会報は今頃サガワの車に乗って我が事務所へ着々と向かっていることでしょうか。
週末はさいたま市アトリエM、ダイヤルMを回せが頭に描かれております。思い込みはほどほどにと自戒の念を込めましてお待ち申し上げております。サヨウナラ。

すっかり馴染みとなった国立のスペース

アケルナクウコウ 最終日

葛飾区鎌倉「空の杜」御礼

2024年01月22日 | カテゴリー: 山木康世

妙正寺川を覗くと白いサギとカモが仲良く遊んでいる。声をかけると、いつもは警戒心の強いサギは一目散に逃げるのに今日はカモがいるので安心しているのか。
昼の12時に駐車場を出る。そのときハモニカホルダーのことを思い出す。事務所に確か置き忘れている。それを持って行かねばいつもの調子が出ない。そんなわけで少し逆戻り、5分余計にかかってしまう。
27キロとある。1時間かかるとナビは教えてくれる。環七をひた走る。日曜ということで渋滞知らず、雨が降るか降らないかもあるな。これがドライブ日和だとグンと人手が増えて、5割増しの時間を覚悟しなければならん。
3分遅れで「空の杜」到着。住所は東京都葛飾区鎌倉である。
ここは中庭がガラス越しに一面見えてそれだけでホッとする良い会場である。「空」の理念があちこちに生きている木造建築は心を穏やかにする。
まとまった感じの選曲で2時間超えはあっという間、我ながら天晴の空の杜。
大旗が計算されたようにマッチしておりました。ここの管理人さんは行ったらすでに椅子を並べてくれておりました。嬉しかったです。
帰りの夜の環七は行きと同じくらい快適に戻ってこられました。
お忙しい中みなさんありがとうございました。
明日はアケルナクウコウ最終日、コウですね。お待ち申し上げております。


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