北九州市八幡区美原町MSCstudio御礼
2021年08月29日 | カテゴリー: 山木康世
昨日はお忙しい中、コロナ問題の厄介な中、たくさんの皆さんご参加ありがとうございました。
瀬戸内海の入口、はたまた出口の馬関海峡の下関市。向かいは本州門司ですね。1963年、僕は中学1年生でしょうか、小倉、八幡、若松、戸畑の4都市が合併してできたという北九州市、当時は福岡を抜いて一番の大都市の出現だったようです。地理が好きだった僕は地元の新聞の1面トップ記事を覚えています。九州ってどんなとこだろう?それにしても札幌からはずいぶんと離れた海の向こうの遠い街だなぁ、と感慨深げに記事を見たのを覚えています。目の前に広がる躍動の街、北九州市に普通にいることの当たり前さに月日の長さを感じます。
MSCstudioは良い感じの音楽スタジオでした。南さんを含めた音楽の好きな人たちの結集力のたまものですね。しっかりと換気タイムも設け、目に見えない恐怖には万全の構えの中、お気遣いののりさんのOA、そしてLivelibrary、直前のリクエストも含めた熱い夕刻を過ごすことが出来ました。小野さんも高い山の上から油を舐めなめやってきてくださいました。転倒にはくれぐれもお気をつけてください。
またお会いしましょう、皆さんおげんきでー!
嗚呼!「思えば遠くへ来たもんだ」
2021年08月27日 | カテゴリー: 山木康世
ご存知海援隊リーダー武田鉄矢氏との共作中の共作で南麻布で書きました。
なぜか今でもこの歌の作曲者が誰であるか知らない方が目の前にたまに現れたりして僕は浦島太郎状態になったりします。
「どうしてあの歌を最後に歌われたのですか?」
実はデビュー当時同じ事務所の先輩格に海援隊がおられたわけです。
そこで何かとつながりを神様は持たせてくれたのです。今思えば本当にラッキーなことでした。
そしてこの歌は生まれたわけですが、そのことを知らないお客さんのために、武田さんの故郷、福岡の日の配信で詳しくお話ししましょう。どうぞ「思えば遠くへ来たもんだ」ご期待お楽しみ下さい。
東京港区南青山マンダラ御礼
2021年08月23日 | カテゴリー: 山木康世
オリンピックも終わり、もう8月も終わろうとしているのに、この科学の文明の時代にコロナ問題は相変わらず去年と同じ、否それ以上の猛威を振るっている。というのは漫画やアニメの過度な表現に似ていなくもない。この国の真の責任者は誰なんだろう?おそらく先の戦争の時も国民は何を信じたのか飛行機を竹やりで落とそうとか、バケツリレーで焼夷弾の延焼を防ぐとか隣組の班長のいかにもの説明を受けて懸命に必死でお国のためと真に受けたのだろうか。もしかしたら感染者の数が収まっては出番が減ってギャラが減るということを見込んでの専門家がいたとしたら厄介な問題だ。死亡者数が最終的な問題で、ならば名前は伏せるが年齢と既往症のあるや否や、個人的コロナとの関わり具合を国民に示して、なるべく間違った判断をしないよう導いてくれやしまいか。自粛だけでは国民の数が多すぎて路頭に迷っている。等々考えること多々の2021年8月の東京港区にお集りの皆様お忙しい中、誠にありがとうございました。配信先の心優しき皆様、いかがだったでしょうか?少しは心癒された日曜の昼下がり、真夏の夢のひと時で心軽くなったでしょうか?
もう少し活字の大きさが大きければ無心になって本を読んでみたいと思う今日この頃ではあります。
配信へご参加の皆様へ御礼
2021年08月21日 | カテゴリー: 山木康世
南青山mandala livelovely。明日はゲン担ぎの22日ですのでlovelyです。
事前に数曲、皆様へコメント、エピソード、質問などいただき、先ほど目を通しまして、涙の出る思いでした。
ただ歌うだけのliveでも良いのでしょうが、今回皆様へは具体的な関わり合いを持ってみようということで事前にご案内いたしました。
果たしてどのような効果があるかは分かりませんが、ここにきてネットの不特定多数時代、そこで少数精鋭、深く密に関わることの大事さ、意義を感じてしまいます。歌を通してここまで来た両者の関係はただならぬ関係。なるべく時間の許す限り全国の皆さんへ知っていただくつもりです。
大いに不安な時代、心豊かに微笑んで行こうじゃあーりませんか。もちろん会場へお忙しい中ご参加の皆さんへの人一倍の感謝は言うまでもありません。存分に楽しんで涙してくださいね。
何だか因縁を感じてしまう美原町live。
2021年08月20日 | カテゴリー: 山木康世
黙々と一人の男が自分の夢を具現化した。いつも思っていた夢、定年を過ぎたらスタジオを持ちたい。自分もさることながら音楽の夢を信じ続けているプロアマ問わずミュージシャンに是非存分に歌って使ってもらおう、
数年前に長年連れ添った奥さんと不慮の別れ、お会いした時微塵も悲しみを出さない彼の強さは何処からくるのだろうと感心した思いがある。
黙々とその後も悲しみに負けないで、スタジオの夢を具現化したのだ。
その名を北九州は八幡区美原町「MSCStudio」。
今回、残念にもフォークビレッジのlivelibraryはコロナに負けて目前で叶わなかったが、大いなる助っ人が現れて、長いこと生きていれば面白いことが待ってるもんだと我密かにバンザイす。南さん、アリガトー!
いい加減な奴には、いい加減な風呂の湯の沸き具合の世の中しか待っていないし、良い加減な奴には良い加減な風呂の湯の沸き具合の世の中が待っている。
yasasiihitohearigatou!
2021年08月19日 | カテゴリー: 山木康世
ただいまラジオ出演をしましたが、メール等でいろいろと応援ありがとうございました。
いつまで続けられるのかというテーマが自然に普通になりつつある今ですが、声に張りがなくなったり活舌がいまいちとなったときはサインかもしれない。ライブを続けるのはそれを維持するためでもある。良い歌を創って、それを引っ提げて各地へ赴き歌い続けることが自らの音楽生命を引き延ばす格好の手段である。ライブそのものが人生、生きていることの証と言える。みなさんまた元気でお会いしましょうね!
葛飾区鎌倉空の杜御礼
2021年08月11日 | カテゴリー: 山木康世
私の時間を無駄にしたあなたにお礼を言います。
私の人生の一部を棒にしてくれたあなたにお礼を言います。
なんの権限で土足で私の部屋に踏み込むのですか。
私は穏やかにやり過ごそうと目をつぶりつづけました。
あなたは私の部屋で自分の権利を主張して台無しにしました。
他の人の時間も心もすべて台無しにしてくれました。
ありがとうと最後に言っておきます。
それほどまでして歌い続ける意味がどこにあるのでしょう?
あー空しい!僕の捲き続けた種が腐り始めたことを分からせてくれたあなたに御礼申し上げます。
最後に言っておきます。僕は僕のために歌を創って歌っているだけのことです。
それさえも、まさに「空の杜」のひと時でした。
江古田マーキー御礼
2021年08月08日 | カテゴリー: 山木康世
階段を降りると昨夜までいなかったセミが2匹腹を向けて横たわり固まっている。1匹はよくあることなのだが2匹が相次いでいることは珍しい。桜の木の下に丸い小さな黒い穴が例年になく早く開いていた。今年は早いな、と思っていたら急に合唱が始まった。1週間ほど前の焼けつくような早朝だった。
広島と長崎に原爆が落とされた8月の夏は人類が永遠に忘れてはいけない歴史である。人間は優れた動物であるとともに、実に愚かな馬鹿げたエゴの塊の動物である。自分たちを破滅に導くようなモノを一部の優秀な科学者、物理学者たちが日夜励んだ結果がこれである。
「ENOLA GAY」がリトルボーイを広島まで運んで落とした張本人である。B29の機長の母親の名前が「ENOLA GAY」であると知った。アメリカ人は洒落がきつい。戦争にまでジョークを忘れない。機長は軍の命令で落とすしかなかったのか。その結果が招く惨状を想像しなかったのか。涼しい顔でテニアン飛行場へ戻っていったのか。たった一人の人間の指令で何十万人の未来が奪われた。「ENOLA」を逆から読んで背筋が寒くなった。「ALONE」である。機長が生まれてこなかったら広島はなかった。
そんな発見のあった翌日のマーキー。読み飛ばしを平気でするトップの人間の恐るべきノータリンの国と世界の国は評価している。実に悲しいコロナの夏の日本。オリンピックの金の数よりも大事なことを、せめて年に一度家族で話す大事な8月の我が国であると階段のセミが語りかけてきた。
明日は大事な2曲、懸命に歌います。声が届かないことは本当にもどかしく無常であると感じ入るマーキーの夕刻だった。
お忙しい中、皆様誠にありがとうございました。内藤様にも熱い御礼をいたします。
大阪市/5th Street御礼
2021年08月02日 | カテゴリー: 山木康世
7月も終わり大暑の8月葉月の始まりです。昨夜の京都の雨は7月のお別れという感じの土砂降りの雨で黒沢監督の雨の名シーンを思い出しました。
1953年のマーチン0018は良い音してました。5th Streetのマスターは店に入るなり、用意していたかのように手渡してくれました。そこで「ハチミツと黄色いレモン」を弾き比べてみて、ギブソンB25との違いを聞いてもらいました。「まるで違う歌に聞こえますね」とはマスターの弁。僕が持っている1943年の同じ機種の10年弟にあたる0018は見た目もきれいで、木もシットリ感を残しており感動の1台で本番でも使わせていただき、久しぶりの5th Streetを楽しみました。横でスズキも指をくわえておりましたが、スズキも負けてはいません。大阪と言えば「長距離運転」今までで一番の出来だったとは関係者の弁。スズキが醸し出した演奏の数曲、だいぶ馴染んでまいりました。
いろんな人との出会いやギターとの出会いはLivelibraryを続けることのできる要因の一つかもしれませんね。
皆様お忙しい中、誠にありがとうございました。こんな筋書きのないドラマの内側が少し見えていましたか。またお会いしましょう。次回は是非配信も行ってみましょうと5th Streetを後にしました。
京都SOMENOKYOTO御礼
2021年08月01日 | カテゴリー: 山木康世
1曲目「弁慶と義経」創った当時、我がLive史上初めてのギター即興を楽しむ歌が完成したと大いに喜んだことを思い出す。ギブソンB25はこの歌を表現するのに欠かせない楽器だった。
「勧進帳」の意味も初めて詳しく知ったのもこの歌のおかげである。
そして今日の配信で前半を京都関連の歌でまとめた。弁慶が義経と五条大橋で出会って最後は平泉の方へ逃避行、最後まで主人の義経を守る弁慶。しかし何としたことか今日の歌は主客転倒、4番の歌いだしを義経とするところを弁慶と歌ってしまった。義経が弁慶を守るという珍事に見舞われギター熱演中、苦笑い。過去に数多く歌った「弁慶と義経」穴があったら入りたい心境だった。ご両人申し訳ない。
お初に近い「田舎町」学生時代歌を創り始めた頃の熱き思いを思い出す。
小樽から日本海をフェリーに乗って憧れの京都の街への一人旅。山の向こうから朝日が昇ってきた。京都の街に一人降りたってこんなに遠くまで音楽の旅を続けるとは思ってもみなかった。
コロナ禍における思い出の京都配信Livelibrary。みなさまお忙しい中誠にありがとうございました。
明日から8月葉月、関西ツアー最終日、大阪市/5th Streetへ歩を進めるため夢の王国へ出向きます。