となりの電話 山木康世 オフィシャルサイト

東京我が町における中野シアターかざあなで風穴を開ける

2024年05月12日 | カテゴリー: 山木康世

天晴な五月晴れの下、ウクレレによる「お池のほとり」まぁこれは予想ができて久しぶりのカエルのゲロゲロもご納得。しかし若い時ほど勢いのない老齢のカエル。
続く「運命河」は果たしてどうなることやら。どうなったどころかギターより良いじゃん、と今日のかざあなLiveを占った。ウクレレはギターより弦が2本少ない4本である。その分声を出していてシンプルに届くような感じで歌いこめる。音の厚みはギターより少ないが、その分ストレートに届くようである。もちろん弾き手にはそれなりの技量と時間が必要とされる。本場ウクレレには1000以上のコードがあるという。
今日は愛器Gibsonb25、1本で臨んだ。本来もう1本テリーズテリーのガット仕様があるのだが、今日はLive中にオープンDとレギュラーで楽しんだ。
「星空のページェント」転調はやはり苦手である。頭が混乱の極みに。しかしこの脳の活発さは、歳と共に無理してまでもやるべきである。レギュラーで演じると黙っていてもまぁ無難にこなせる。しかしオープンDにおけるEmキーソングスは不思議な魅力を持って僕に語りかけてきて4分ほどを演じ切る。脳ミソはフル回転である。このコードでしか聞こえてこない音の微かなささやきに耳をそばだてながら次の展開をしなければならない。
今、このコードフォームにおける往年の楽曲を洗いなおしている。作者自らによる時間の経た歌たちに、今の息吹を吹き込んでいるという感じだ。
「ビードロの夏」「案山子と人と烏」「奴凧」など新鮮な気分で終えることができた。一言で言うと「工夫」なのであろうな。「工夫」によって滞っていた脳のよどみを自ら元気にさせる。渋滞解消時の気分だな。
てなわけで「かざあな」において我が脳ミソに風穴を開けることができた、5月の半ばの我が町のLiveLibraryはおもてなし気分で裏のない良いLiveができましたとさ。
みなさんありがとう、今週は九州へ旅を続けてくる。アディオスアミーゴ!

久しぶりの「かざあな」で音に集中


大きな拍手をありがとうございました


「かざあな」の楽屋を公開

戦争に行かなかった父 その1

2024年05月10日 | カテゴリー: 山木康世

父は果たして本当の父親だったのか。僕がこの世に来る前の話なので誰もわかる話じゃない。役所だって大勢の人の記録をとっているだけで知ったこっちゃない。結婚の儀を挙げた札幌中央区の三吉神社の当時の宮司に聞いたって分かるはずもないし、当然生きていないじゃないか。
DNA鑑定も良いだろうが、もうこの世にいない父親のDNAなど、お別れの無言で焼かれちまった骨以外なにも残されていなくて宇宙にすら存在していない。まぁ手がかりとして分かるような話をすれば、少し顔立ちが似ている。自分で性格が似ていなくもない。これは想像するしかない。そうか骨の鑑定でのDNA抽出は現代の科学では可能なのか。
いろんな思い出の情景・場面で、生前の父親が確かにこんな感じで家族に接していたな、とか、こんなことを口にしていたとか、嫌だったなぁとかを思い出す。
父はカメラ愛好家でライカの高価なものを持っていた。オリジナルダリアの新作を撮るためだったようで、家族の写真とかで撮られた記憶がない。新年などに家族が集まったときに撮る機会があって、いつも時間がかかりすぎて家族は呆れるのが常だった。
仕事の手伝いをするとき父は詳しくあーすれこーすれを言わない。昔の人間は手取り足取りではなく、自ら見て触れて覚えろというわけか。要するに察すれと言うこと。これが苦手だった。
僕の好きな思い出のひとつに、小学生の頃、父と外出するときバス停までよく手を繋いで歩いた。そのときよく握った手をモゾモゾと動かしていたことを妙に思い出す。無意識だったのか意識的だったのか。末っ子で人一倍かわいかったのかなぁ。
父は晴れて国家公務員を60歳で退職、札幌の実家から50キロほど離れた早来に土地を購入、家を建てて念願の若い頃からのダリアの花作りを誰にも時間にも邪魔されず始めたのである。
父は70歳で免許取得、自動車学校開設以来だと自慢していたな。あの世で今時の高齢者の事故をどのように見ているか。何年乗車していたのか、80半ばに返納、その間にずいぶんと楽しんだのだろうな。札幌にはなかなか出てこなくて、近くの田舎の駅に停めて電車で来ていたもんだ。千歳までよく送ってくれた。時間になるとソワソワしていたのを思い出す。ハンドルには遊びが必要だといって必要以上に遊んでいて、助手席でドキドキしていたが、あまり口に出して言うに言えない空港までの懐かしい時間があったなぁ。別れた後無事家に帰ったか心配もした。本当に好奇心の強い人で何事にも関心を持った興味の尽きない人生を楽しんでいた感じのする人だった。

「風薫る五月」ミュージックレター有料版で配信開始です

2024年05月10日 | カテゴリー: ミュージック・コラム

ミュージックレター有料版 第4弾「風薫る五月」配信開始です。

ふきのとう時代、長野のコンサートから特急に乗って東京に帰るときの爽やかな車窓風景を眺めて作った歌です。
今回の山木流アレンジでお送りしています。

各契約サイトでお聞きいただけます。
ダウンロード販売も実施しています。ぜひ、お聞きくださいませ。

https://linkco.re/m5xsv6f8

「春の雨」「春は雨と桜を連れて」「おれんぢぺこ」も 絶賛販売中です。よろしくお願いします。

池袋ムーブメントスタジオ常識の殻に閉じこもるな

2024年05月07日 | カテゴリー: 山木倶楽部

今日のポイント「アジサイの花」「案山子と人と烏」のチューニングにあり。
小学生の頃より習った、西洋音楽の影響により余りにも西洋ナイズされて常識化された音楽の通念。いわゆるクラシックの基礎・はしくれを叩き込まれてきたようだ。僕がいま行っているのも、そのはしくれの延長線上にいる。すべて自分の脳の成せる技で、学習、記憶の賜物。無意識に音楽を50年も続けてきた。弾いていて、聴いていて心地良いもの。この単純な解釈で続けてきた。
しかし民謡や民族音楽の持っているスケール(音律)の面白さやシンプルさはなかなか体に馴染んでこない。しかしいざ日本の音律などは無意識に理解できる。血の成せる技。掛け値なく心酔できる音楽に遭遇することは難しい。アルコールなどが手伝うと、自分でも不思議なほどのめり込みや心酔感感に出会うことがある。いつもの常識や規律などが取り除かれることにあるのだろうか。
先日バイオリンの弾くアイリッシュスケールを聴いていてループされる音階が実に耳に心地良いのである。理屈や理論ではない感情が寄り添う感じなのである。
先の2曲に付き、ギターのオープンチューニングの響きを用いてみた。
レギュラーチューニングではなく、オープンで聞こえてくる響きでなるべく自由に演奏することに努めた。アドリブの持っている自由奔放さは遊びの心そのものである。
子供の持っている自由さからいつの間にか遠退いてしまった音楽の旅人は、前日の真夜中に取りつかれるようにギターを弾いていた。その結果が、この2曲だったのだ。あーあ面白かったなぁ。
お集まりの皆さん、如何だったでしょうか?面白がってくれましたか、それとも退屈だったですかねぇ。お読みの皆さんもご理解できたでしょうかねぇ?

前夜、睡眠時間を削って繰り返し弾いた2曲に拍手喝采でした


実は大事な忘れ物をして内心焦っているBOSS

5/4(土)南青山マンダラ30周年記念配心livelibrary

2024年05月05日 | カテゴリー: 山木康世

今日がみどりの日だったとは知らなかった。みどりの日と言えば4月29日、つまり昭和天皇誕生日の昭和の日と並んで、いつの間にか連休になりゴールデンウイークを形成していた。みどりの日は由縁など要しない祝日である。確かに国民にとっては連休は嬉しいところ。しかしワイドショーなどで煽られた名所や名店を目指して狭い道をワンサと押し掛けて大渋滞、それがまたワイドショーを構成する。なんとも嘆かわしい祝日である。毎年のことであるのに、懲りない国民。なんかシックリ文句なく遊び心豊かになれない車社会の現代。
そんな祝日の土曜日、青山、原宿、246には大勢の人であふれて賑わっていた。お天気も上々である。
今日は1月以来のマンダラである。30年の節目に何を思う。この日に生まれた人は30才である。相当な時間であるな。世の中も変わって流行る歌も変わらざるを得ない時間である。そこで音楽の店として変わらず立地し続けるには、それ相応なご苦労があったと想像する。店長Y氏とマネジャーT氏の暖かい心が、その苦労、困難を乗り越えて今に至っていると確信する。商売、金の前に人の心ありなのであるな。
liveをしていてこの心が薄い人の店では盛り上がらない。上部だけの音楽はつまらない。2時間の長丁場ではやり手も聞き手も飽きてしまう。終演後かけ上がる階段の足取りや心が軽くなって余韻が口をついて鼻唄のひとつでも口ずさんでお帰りいただきたい。顔色や瞳の輝きもキラキラになって細胞の一つ一つが若返る。良い音楽にはそんな働きがあるとずっと思っている。
次回は誕生日の日などに日程が合えばまた訪れたいと思った次第である。
お集まりの、配心先の皆々様お忙しいなか誠にありがとうございました。アディオスアミーゴ!

赤を基調にした照明で祝福ムード


さて、アンコール


後姿は何歳?

大津bochi bochi は琵琶湖畔の旧公会堂

2024年05月03日 | カテゴリー: 山木康世

5月3日、晴天の中、琵琶湖大津を後にする。予想通り車は多いが困惑の大渋滞ではない。
京都へ抜けるこ国道1号線、弥次さん喜多さんの東海道53次、大津から京都へぬける山道、あと一越えで目指す京都の町。二人の足取りも積もる旅の疲れも吹っ飛んで、一路京都へ。それでも一日はかかっただろう。
関西ツアー、兵庫湯村温泉から始まって最後の大津bochi bochi Cafe & Music Barは1年ぶり、マスタースタッフさんお元気でした。
この建物は旧大津公会堂で石造りのガッチリした建物で旧き良き近代建物のデザインで好きである。
マスターはiPadを片手にキッチリした音作りで、その昔の音の持っていただらしなさではなく寸分の隙間もない。本当にデジタルの音はクッキリスッキリで嫌な気分を除いてくれる。残響音は必要なのであるが、ともすれば余分な箱鳴りの悩ましさにせっかくのLiveが台無しということも昔は少なからずあった。僕みたいな成分の声質の持ち主はハッキリ聞こえるためにスピーカーのメーカーなど指定したものである。
最終日大津bochi bochi Cafe & Music Bar、地元大津、すぐお隣の京都、大阪、はたまた岡山、関東、遠くから高知あたりからも熱心なお客様の賜物で良きLiveLibraryが出来たことに感謝いたします。
偉大なる琵琶湖からの春風は、まっこと爽やかでいつまでも吹かれていたいと思うほど心地よい。希望の湖は昔から人間の営みを支えて、時には争いもあった。水がなければ生きていけない。水が時には反乱を起こし生命を奪っていった。しかし水の惑星たる由縁は、尊い生命の源の星なのである。水の持ってるしなやかさ、そこはかとないパワー、穏やかに、時には力強く面白く生きてゆこう。
弥次さん喜多さんが東京から京都まで旅をした決意は相当なものであったろう。先ず健脚でなくてはならない。負けてはいられない。
みなさんありがとうございました。東海道新幹線車内は思いのほか混雑ではございませんでした。
忘れてはいけない。山の持っている気高い姿も大事であるな。僕の好きな春の伊吹山を左手に見ながら。

旧公会堂の地下にあります


風薫る五月、琵琶湖畔で

南青山MANDALA30周年オメデトウー!

2024年05月02日 | カテゴリー: 山木康世

琵琶湖畔に来ている。
関西ツアー最終日ボチボチでLiveLibraryの日、実に久しぶりのお天道様だ。眼下には電車が行ったり来たり、さらに昔の数多くの名もなきお墓が見える。そして日本最大の湖、琵琶湖である。見ごたえのある風景。室内ではその昔お世話になった家電メーカーSANYO製のファンヒーターがかすかな音を立てて暖をくれる。
明後日4日土曜日、帰京したらお祝い30年の南青山MANDALAへ駆けつける。ソロの足掛かりに弾みを付けてくれた記念すべきお店が30年、中年の域に達したのだ。音楽を始めて20年目の開店、我は43歳、若かったなぁ、ヒヨッコだった。
南青山MANDALAは良いお店で年を取らない。店長を始めとするそこに働いている音楽人のココロが成せるものだ。
いつまでも年を取らない自分や音楽で有りたい。
シックで黒が基調の穏やかな南青山MANDALAに乾杯!
そして昔の我が思い出の南青山の地、年に2度ほどの訪問に何の歌を持っていこう。大げさに言えば聖地訪問の旅。
まず晴れであってほしい!
皆さん、お待ちしています。ご期待ください。

京都北区紫野ソーレカフェは太陽の珈琲店

2024年05月01日 | カテゴリー: 山木康世

アンティークでウッディなフォークギターがよく似合う太陽の温もりのお店におけるオールリクエストLive。
普段は冒頭のあいさつ代わりの歌は何にしよう、ふきのとう時代の歌は何曲ほど、最後は何で締めてアンコールに向かおう、とかそれなりに流れ、大げさに言えば演出を考えてLiveしている。Liveは水物、ギター1本でのLiveには集中力を要する、と同時に盛り上がりも必要だ。しかしあまり考えることはないのかもしれない。
今日のリクエストLiveはそんなことを教えてくれた。何よりも今歌っている歌が一人のお客様と共有して届いているという安心感が自分を前に気分よく進めてくれる。
2時間半に及ぶ夕刻のひと時、よどみなくつつがなく終えることができました。大きな会場であろうが小さな会場であろうが、そこに集うお客様のココロ一つ一つのたまものだと考えている。
有名な金閣寺が、さらに明後日の大津、琵琶湖が近くにあってちょっと驚き。北区とあったので思い込みで逆の方を思っていた。方向音痴はいつまでたっても治らない。
僕が対策としているのは、歩きながら目印となる店の名前や看板などをそらんじてマークを付けるようにしている。これは意外と功を奏する。脳はどのように記憶するか定かではないが、ある日覚えられなくなる日が来るかもしれない。そんなことを考えながら生きてゆく年齢になった。
言葉は変えることはしないが、ギターは縦横無尽に駆け抜けた方が面白い。メロディはsurfaceには書かれていない。記憶しかない。自分の若き日のさえずりを脳がどこまで記憶しているかで、その歌の個々の力を感じ入ることができる。
みなさんいかがだったでしょうか?
今日は曇天の中、雨でなくて何よりと神様に感謝して琵琶湖の街、大津へヤリスは歩を進めます。ツアー最終日へ向かってボチボチ出かけます。アディオスアミーゴ!

オールリクエスト、ダブった曲はほとんどありませんでした


祇園の路地の奥の奥のカフェでほっこり

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