栃木県栃木市/カフェ&ライブミュージック 増茂米店(ましもこめてん)弁天様
2024年04月08日 | カテゴリー: 山木康世
2023年10月22日以来何かと各地のliveスペースでお世話になっているタペストリーがある。可成りの大きさがあるので張る場所を選ぶが、各地なるべく張るようにしている。
このタペストリーに大きな灰色の石の弁天様が映っている。弁天様は七福神の一人で琵琶を片手に音楽の女神として在る。
この写真を見て直観が働き、これは将来において僕を良い方向へ導いてくれる力が在ると直感した。脳内で何かがショートしたような感じである。これを極力持って行って会場に張り巡らそう。後ろから微笑んで静かに見守ってくれている。
その弁天様はどこで撮ったものだろうとずっと思い出していたのだが、撮った情景は思い出せるのだが、果たして何処だったのか。この懸案が栃木県佐野に思い至り霧が晴れるように目の前が明るくクッキリと鮮明になった。
出流原(いずるはら)弁天池におけるショットであった。
この話を冒頭で話して会場に合点が沸いて心が落ち着いて、弁天様との確信の元、感謝の気持ちで始まった増茂米店。もともとお米屋さんが今では音楽の場。隣との境界の石壁に書かれた五線譜に未だ見しらぬ店主と握手をしていた。
ただ空きスペースがあれば音楽ができて始まるわけではない。目に見えぬ良い音楽の持っている癒しの力が充満して心を満たす。この力は実に大事で絵に描いて説明できないものである。
僕は半年前から、力を貸してくれる琵琶演奏者とともに以前とはちっがう心の環境の元、音楽の旅を続けている。

もと米店らしく、背後に稲穂がディスプレイされたステージ

お客様から豪華な花束をいただきました
前橋音処きしんは群馬のプラットホーム
2024年04月06日 | カテゴリー: 山木康世
・私は北海道出身で10歳の頃、兄に連れられて行った大学のお祭りで「プラットホーム」という歌を聞きました。その歌に魅せられて、以来ファンです。その後ギター教室に通って、F先生の元「ふきのとうの歌」を知りました。
・友は酸素マスクを付けて虫の息でした。俺がギターを持って駆けつけても目を閉じたまま反応しなかった。耳元で「俺だよ、起きてくれよ」とささやいても反応なし。生前好きだった「プラットホーム」を歌って聞かせたら少し目を動かしたようだった。
そんなこんなで忘れていた「プラットホーム」の話題が終演後奇しくも出てちょっとびっくり。アマチュアの頃十八番だった「プラットホーム」は、まさに当時の「ふきのとう」のイメージだったかもしれない。
僕の歌作りのモットーの一つに「シンプルイズベスト」がある。ものごと単純なゆえに複雑が可能で多様性を秘めている。複雑なものを単純にするのはなかなか至難の技である。人生においても活かされていて、このモットーはいつも隣にあって網の目のような、蜘蛛の巣のような複雑怪奇な人生劇場を渡り歩くことがそれほど困難ではなかったようでここまで来れたような感じがする。
配信ありの73歳50年ギター弾き語りオール自家製山木ワールド、いかがだったでしょうか。ご清聴誠にありがとうございました。
今日は栃木の方へ少し北上いたします。桜前線に似た旅のようでもあります。

音響が新しくなり、まるでホールで聴いているようでした

BOSSの歌に聴き入るたくさんの皆様
ラジオ出演のお知らせ
2024年04月02日 | カテゴリー: 山木倶楽部九段支部
「大石吾朗 Premium G」に4月28日、5月5日の2週に渡って出演します。
山木康世の音楽、ふきのとうの解散理由? BOSSはフランス人?などなど、内容の濃いトークをお楽しみください。
お聴きいただけるラジオ局は以下をご参考にしてください。全国のコミュニティFMにネット配信されています。
https://musicbird.jp/cfm/timetable/premium-g/
御礼大石吾朗様
2024年04月01日 | カテゴリー: 山木康世
本日のラジオ番組に当たり、何かと小生の一日に時間を割いてくださり感謝の念に耐えません。
思い起こせばコッキーポップ関連でお会いしているくらいで、おそらくふきのとうの片割れくらいの認識で平素はおられたと思います。小生もラジオのスタジオに行き着くまで、最後にお会いしたのは、あの台風もどきの風と雨の洞爺湖の野外ステージ以来、覚えていてくださるだろうかと少々不安でした。あの日は三の木トリオで小生は出演、慌ただしい絡みで終わっていたような思い出、果たして大石様の脳みそに刻まれておられるだろうか。
豈図らんや冒頭の挨拶がこのときの双方の思い出話で、いきなりエンジン全開、最後まで現在過去未来と小生を実り多き会話で進めて夢中にさせてくださりまっ事幸福な月曜の昼下がりでございました。
この日はSONYからのライブ盤復刻のニュース、ソロ二枚、最新作「黄昏のビール」まで幅広く導きいただき、さすが長く音楽、役者をなさっておられる底力を垣間見た所存で、小生までつられていつになく軽妙な自分がいることに気がつく次第でした。
LiveLibraryで時間を忘れて人生を謳歌している中、このようなラジオ番組に出て、さらなる前進、色々と瑞々しいお言葉全身に染み渡り山木ワールドに拍車をかけることができました。
どうぞご自愛ください。アシスタントの峠様、ラジオの大沢様貴重な時間と心の潤いをありがとうございました。
新宿通りに思い出通り雨のような雨滴がフロントガラスに落ちましたが、やがて西の空に青空が、切られ与三郎状態のビスタは軽快に新宿から中野へひとっ走り、一日健やかに小生を心身ともに生かせてくださいました。

実に内容が濃い2時間でした
新曲をミュージックレター(有料版)で公開のお知らせ
2024年04月01日 | カテゴリー: 山木倶楽部
新曲の「春は雨と桜を連れて」公開のお知らせです。
各契約サイトでお聞きいただけます。
ダウンロード販売も実施しています。ぜひ、お聞きくださいませ。
新宿区曙橋コタンの夜は更けてゆく
2024年03月30日 | カテゴリー: 山木康世
中牟田と聞けば海援隊の不動のギター、作曲者としての音楽人である。
その昔学生の頃音楽雑誌などで見かけて知っていた中牟田氏に間違いはなかった。しかし今日の中牟田氏はその息子さんである。御年38歳、只今曙橋で人生を切り盛りしている中牟田氏。
コタンと言えば四谷に在って、フォークの老舗であった。時代に動じないコタンの店に今日はお邪魔する。8年前に曙橋で再起動、マスターは親譲りのマーチンと共に懸命である。老舗ではあるが音は妥協していない姿に共感を覚える。デジタル時代において音響は大いに飛躍的な変化を遂げている。変な偏見を捨てて認めるべきは認めて楽しまなくてはならない。
今夜は知り合いの中牟田氏が来るかもしれないと聞いていたので「蝉」を用意はしていた。しかし確信が持てなかったので僕一人の場として2時間を超える音楽に興じた。
終わって後始末をしていたカウンターの方で手を振ってやはり彼は居た。ずっと変わらない彼の姿に共感を覚える。ずいぶん久しぶりである。ここからすぐ近くのバックインタウンで共演した夜を思い出す。
海援隊の打ち上げの席から思い出したように電話を何度かくれて互いの状況を話し合った若き日の夜。
今年の夏に何か一緒にやろうと決意のもと再会を約束して別れた。しかし昭和の青年たちの決意である。意外と時間はあっという間に過ぎていった、という結果になるのはザラである。ただ一つ、健康で元気で会おうという決意の元にどう見ても間違いのなくなって久しい高齢者のお別れの夜にカンパーイである。
みなさんお集まりいただいた方たちに御礼と今後の元気さを願って長い一日の終わりとします。ありがとうございました!

コタンは念仏坂のふもとにあります

海援隊の中牟田さんとライブ後にビールで乾杯
新宿区曙橋コタン前哨戦Z世代との対峙
2024年03月30日 | カテゴリー: 山木康世
久しぶりの地下鉄曙橋駅。今日は新旧織り交ぜての長い一日になりそうだ。
昼下がり中野の駐車場を出るころ、空は雨を降るのをやめて南の空に青空を見せ始めた。この分だとこの先は晴れだなと持ってきた傘を車において、GibsonB25、ハモニカ、カポを持って普段と少し違って身軽に出かけた。もちろんノートpcは忘れていない。
先ず大学生Tくんと喫茶店で落ち合う予定である、彼の論文取材のためのインタビューを受ける。「山木康世とフォークの時代」がテーマなので孫のようなZ世代と言われる人との会話に胸が弾む。予想以上に僕の作ってきた歌に詳しく、かつ彼なりの考察に舌を巻いた。ずっと昔の自分のその頃とは雲泥の差があるZ世代の現代に生きる力を感じながらの会話の交流は本当に面白いものがあるなと一生懸命応えた。 Tくんは新譜ジャーナルまでバッグに忍ばせていた。まだ彼が生まれる前の昭和の僕の青春時代の詰まっている雑誌である。その時代を僕や僕の作ってきた歌から探ろうとしている令和の青年は何をか思わんである。
今一番会いたい人が何せ山木康世だったので少々面映ゆかった曙橋のコタンへ向かう足取りは妙に軽かった。

卒業論文にBOSSはどう描かれるか。Tさんと。
春日井水辺のカフェカレドニアは春爛漫
2024年03月28日 | カテゴリー: 山木康世
あの店の紅茶、飲んだことあるかい?
どこの何というお店?
名古屋から30分ほどのカスガイという街のカフェカレドニアっていうアイリッシュ音楽大好き人間のマスターのお店だよ
なんでも山木さんは10年ほど前、名古屋でのライブの帰り際に、とある男性から春日井という街でカフェカレドニアという店をやってます。一度liveに来てください。と言われたそうだ。
マスターはその昔CBS SONY名古屋支店に居たという話でその後、山木さんは絆を感じて。あれから10回以上もliveで訪れたそうだよ。そして昨夜はサリーさんという二胡弾きの女性をゲストに春爛漫水辺のカフェに歌い咲くというliveをしたそうだよ。そしてサリーさんはなんと「白い冬」「松太郎さん樺太へ」「風に吹かれてMinstrel」ではボーカルをとったそうだよ。本来なら山木liveなので本人が歌わないとだめそうだけど、山木さんはふきのとう時代のように変幻自在にハモリをしたかったそうだよ。山木さんのハモは天下一品だからね。実によくコラボされてたそうだよ。
満員の会場は老若男女で盛り上がったそうで、久しぶりのお客さんも大勢楽しんだそうだよ。用意したグッズも大いに売れたそうで何よりだったね。
終演後表に出ると夜空の中天に円いお月さんがコンバンワ。
ほんと4日ぶりのご挨拶。ずっと梅雨のような長雨。明日は待ちに待った晴れだ。
イッテラッシャーイとマスターとサリーさんは手を振って言ったとか言わなかったとか。

サリーさんとの共演はすでに10回以上になりました

ご夫婦、親子でご参加の方もたくさん

移動の途中、瀬戸焼の窯を見学しました
豊橋アヴァンティ ウナギと弁天とUFOが桜を連れてくる
2024年03月25日 | カテゴリー: 山木康世
なんとウナギやさんが23日,24日と連休。店先には幟まで出ていたのに残念しきりである。代わりに今日は勝つぞということでトンカツ屋さんでロースかつ定食をいただく。
ベンさんが仲間と一緒に自ら手作りで作ったというアヴァンティはとても良いライブハウスである。音に関しては譲らぬという感じで機材のすべてにプロ級を感じる。妥協を許さない良い音を今回も出してくれてうれしくなる。
弁天様との大旗もピタッと似合っている。お店の方が貼ってくれて大助かりである。この旗は何かと去年の10月以来、心の支えになっている。確か栃木のどこぞで撮った一枚の写真。あれ以来各地で弁天様の微笑みは力を貸してくれている。
いつもの二人もいつもの二人で山木ソングを皆様にご披露、雰囲気を醸し出し盛り上げてくれる。「人生へのメッセージ」は武田さんとの数ある共作の一つ、20代、30代と懸命に作った懐かしき若き時代を思い出す。今頃中国では「思えば遠くへ来たもんだ」が制作されているだろう。新たな息吹を吹き込まれた名作に期待が弾みspringhascomeである。
UFOがアメリカでは委員会ができて国として取り上げられるほど日常茶飯事の出来事として扱われる時代になった。果たして事の真相はというところだが、アンコールで「星の旅人」を歌って夜空の平和なUFOに思いと願いを託して幕を下ろした。
みなさまありがとうございました。あと1週間で桜も開花、ほんとにもう春なんだなぁですな。元気でまたお会いしましょう。

記念タペストリーが背後の壁にピタリと収まったステージ

まるで弁天様と共演しているよう

花田ジャイアンさん(右)曰く「山木さんと共演させていただくのはこれで18回目です」
新城市ライブステージ弦
2024年03月24日 | カテゴリー: 山木康世
しんしろしはしが多すぎるか。遠く北海道の人にとってしんしろはすぐに頭に浮かんでこないはずだ。なぜか印象が薄いのである。さいたま市のような平仮名の市町村名はいただけないが、新城はいい名前であるのに残念である。ちんちろしの方が良いかもしれない。ちんちろりん。
新城は4回目である。「弦」は2回目である。玄関横にいたシェパードのワンちゃんに会う目的もあった。しかし2年ぶりの歳月は残酷だった。病気で亡くなっていた。生き物には必ず死があって有限である。分かっているが、宿命としての死は元気なうちはつい忘れがちである。それでなくては生きていけない。
「弦」はお店の地下にあって音楽人にとって非常に使いやすくしっかりした作りは下手なライブハウスは顔負けである。弾き語りにはもってこいの良い会場である。
今回の「弦」の盛り上がりはどこから来たのかというほど盛り上がった。ライブ会場では、一人の人間の言動、行動が物を言うほど演奏者にとっては繊細にならざるを得ない。そこに集まる人のエネルギーが大いに物を言う。それをキャッチ、演奏者が受けて返す。もちろん初めの発信者は演奏者であることは言うに及ばない。そして時間が経つと得も言われぬ予想もしない雰囲気が出来たりする。今日の出来は満点をつけて良い。だからライブはやめられない。みなさんありがとうございました。
今日はウナギで精をつけて「豊橋アヴァンティ」へ向かいます。天気もまぁまぁ、素敵な配信者でいたいですなぁ。

手拍子足拍子ありがとうございます

アコースティックライブに心地良い空間