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葛飾区鎌倉「空の杜」御礼

2024年01月22日 | カテゴリー: 山木康世  

妙正寺川を覗くと白いサギとカモが仲良く遊んでいる。声をかけると、いつもは警戒心の強いサギは一目散に逃げるのに今日はカモがいるので安心しているのか。
昼の12時に駐車場を出る。そのときハモニカホルダーのことを思い出す。事務所に確か置き忘れている。それを持って行かねばいつもの調子が出ない。そんなわけで少し逆戻り、5分余計にかかってしまう。
27キロとある。1時間かかるとナビは教えてくれる。環七をひた走る。日曜ということで渋滞知らず、雨が降るか降らないかもあるな。これがドライブ日和だとグンと人手が増えて、5割増しの時間を覚悟しなければならん。
3分遅れで「空の杜」到着。住所は東京都葛飾区鎌倉である。
ここは中庭がガラス越しに一面見えてそれだけでホッとする良い会場である。「空」の理念があちこちに生きている木造建築は心を穏やかにする。
まとまった感じの選曲で2時間超えはあっという間、我ながら天晴の空の杜。
大旗が計算されたようにマッチしておりました。ここの管理人さんは行ったらすでに椅子を並べてくれておりました。嬉しかったです。
帰りの夜の環七は行きと同じくらい快適に戻ってこられました。
お忙しい中みなさんありがとうございました。
明日はアケルナクウコウ最終日、コウですね。お待ち申し上げております。


西日暮里ルナ・ファン御礼

2024年01月15日 | カテゴリー: 山木康世  

新年1月も半ばになっても、おかげさまで関東平野の晴れは続いております。幸せの一つが天気であることはまちがいないですね。
懐かしい古希お祝い5連続コンサートで通った街並みが思い出されます。西日暮里駅前風景はあの日のまま。
約1000日前行ったり来たりで5日間過ごしたんだ。コロナが始まったばかりで、この先どうなるんだろうと思い煩った。しかし目に見えない敵にどうやら勝って、僕らは生き残っている。でも敵は消滅したわけではなく、時折弱い人に悪さをし続ているようだ。
まぁ兎に角餃子の王将のビルの6階に集結、いつもの馴染みの音楽会を開いた。JR山手線は、この辺りカーブでかなりきしんだ音を立てて建物に侵入。お客様にはご迷惑をおかけいたしまして、改めて謝りたい所存です。それと最後の最後「3番サード」におけるチューニングをミスってしまい、落ち着かない気分を作ってしまい謝ります。6弦のEを何故にC#などに調弦してしまったのか。
開演時間が午後5時20分という冬場には日が西の空に落ちる時間、カーテン越しに控室から見た西の空に何とも言えないグラデーションを発見、明日の晴れを予感させる冬空に幸せな気分で登壇しました。
世界のリーダーたちは果たしてあのグラーデーションの奇麗な空の地球を幸福に導いてくれるのでしょうか。
皆様お忙しい中、西日暮里のビルの6階にお集まりいただき誠にありがとうございました。
アケルナクウコウ、ルナが終わりました。来週の日曜はクウです。その前に125号会報作成猛ダッシュです。

いつもありがとうございます


ミラーボールを回してみました

川越あけぼのホール御礼

2024年01月13日 | カテゴリー: 山木康世  

風は強いが、空には雲の一片もない。概してこのような日は寒いのだが、それほどではない。
中野から川越まで1時間40分とある。関越を使って行こう。金曜日ということもありスイスイである。これが土曜日、祝祭日になると予想のできない渋滞となるので時間が読めなくストレスとなる。練馬から22キロほどで到着予定である。昼時なので三芳SAで昼食をとる。
お母さん手作りのカレーが美味そうである。写真ではニンジン、ジャガイモ、玉ねぎが大きく一口大で写っていてカレーの色も黄土色している。これは不味いはずがない。近頃美味しいカレーを食べた記憶がない。あの昔風な豚バラの味がうま味を出しているカレーライスがない。妙に黒いカレーが多い気がする。この手のカレーは美味しくない。待つこと10分。どうも隣に先を越されているようだ。カレーは皿に装ってハイ、お待ちどう様、急いでいるとき重宝するメニューなはず。調理のおばさんに’まだですかね?。半券を渡していないので準備していませんよ。白衣のおばさんは促してくれた。拙者としたことが何という不覚。これじゃいくら待っても日が暮れてしまう。番号を呼ばれないではないか。やがて呼ばれた199番。きたきた野菜ゴロゴロ、昔風おばさん手作りカレーじゃ。
川越を降りて10分ほどで着く予定であるが、目指す住所がないと中野の駐車場でナビに言われたので油断してはならない。見過ごして周りをグルグル、いくら少しのどかだと言ってもあなどってはいけない。ナビに翻弄されることしばしである。もっとも最新のナビだと間違いはないのだが、当てにならない10年ものよ。約20分ロスをしてしまった。
あけぼのホールは2度目の訪問である。会場付帯の駐車場は有難いが少々中にシッカリ入るにはそれ相応の技術を要する。
この会場は大旗が存分に発揮される広々空間であった。
大学生が二人終わってから声をかけてきた。
フォークソングの論文を書こうと思ってますので、時間を作ってインタビューを宜しくという話だった。なんでも中学から高校の頃に随分と励まされて今に至っているという。近々彼らの夢を叶えよう。
皆さんお忙しい中ありがとうございました。
明日日曜はアケルナクウコウのルナにお邪魔します。

市川市さくらコートホール御礼

2024年01月08日 | カテゴリー: 山木康世  

日曜日の東京は本当に空いていて快適この上ない。30キロほどを1時間内で走ってしまう。江戸川向こうの市川市までストレスなくほぼ1本道で行ってしまう。道案内や道自体がよく作られているのは地方からの人が多い土地柄のせいではと思ってしまう。
弁天様との旗は見事に会場にマッチした。冬至を過ぎた冬の今は夕刻には暗くなり始め照明効果も出ていい雰囲気で終始アットホームで過ごすことができた。
ぜひ桜の時期に行ってみたいと思いつつ未だ実現せず。お庭には咲き誇るらしいが、見る限り苗木も植わっていない。もうかれこれ5年にもなるのだろうか。基本畳の良い会場だ。
皆様ありがとうございました。

弁天様とスリーショット

畳のあるホールです

南青山MANDALA御礼

2024年01月08日 | カテゴリー: 山木康世  

ただただ山本店長を始めとするお店のスタッフの粋な純の心意気に感謝します。失くしてはならないアマチュアリズム。
僕の40年前の南青山の思い出を3個記しておきます。
①お百度参りの神社は未だ健在、裏通りにヒッソリありました。母の回復を願ってお参りした大事な神社だ。
②江川卓が阪神から巨人へ黒い移籍入団。住んでいたマンションの大家、船田某が後見人だった。葬式に物々しく記者を引き連れてやって来た学生服の江川。すれ違って気がついた。
③246にあったピーコック。ここによく買い物に来た。日用品や食物はここで大方足りたもんだ。
以上まだまだ尽きないが、必ず脳裏を横切る南青山の日々。
ご参加の皆さん誠にありがとうございました。次回は5月に予定しております。

まずは、新年を祝って乾杯!


安定の配信です


アンコール「星の旅人」ミラーボールがまわります 全25曲でした

そうだ南青山MANDALAへ行こう!

2024年01月05日 | カテゴリー: 山木康世  

明日は久しぶりの南青山MANDALAライブ&配信である。
南青山と言えば、日本でも有数の憧れの地。渋谷から表参道を通り青山、神宮外苑を貫き赤坂へと抜ける大通りが246ニイヨンロクである。
ここには六本木や麻布台あたりの異様に高い高層タワーだけは建ってほしくない。空の広がる空間を狭めないでほしい。どうして誰が何があんなに高いビルに憧れるのだろう。
かつて45年ほど前住んでいた南青山。南青山MANDALAの話を聞いたのは、その昔、吉祥寺のマンダラ2で店長をしていた小倉氏からだった。ライブ後の打ち上げの席上、彼は青い設計図面を広げて。来年の4月にオープンしますのでその際には是非出演を。どうしているんだろう、会いたいな。
気取ったりお洒落が苦手な僕は地のままで出続けてきた。明日はこの歳にふさわしい心と外面で真っ向勝負だ。是非遊びに来てください。蔵出し生搾り新曲もご用意いたしました。

中野区なかのStudioGreen御礼

2023年12月29日 | カテゴリー: 山木康世  

本年2023年最後のLiveLibraryを地元中野でつつがなく終えることが出来て幸せでした。
まさにLive日和日本晴れの下、中野南口へ。運良くすぐにタクシーが。今どきのタクシーは中々捕まらず、やってきたバスに乗ることしばし。
「ウーバータクシーが当たり前のようで、運良かったですわ」
「うちはゴーツーですが」
「バスでも行けたんですが、この荷物なんで近いですが・・・」
「あの通りは一通なんで、後ろから来る車が意外と多いんで速やかに・・・お支払いは、現金ですか」
「いいえ、交通系でお願いします」
「助かります、現金のやりとりは時間がかかるんで・・・」
やがて会場前に到着。
「すごい楽器の数ですね」初めて明るい口調でしたが、ありがとうの気持ちは最後まで感じられなかった。
コロナ騒動以来、無人会場貸出が当たり前になった。あらかじめ予約時点で鍵の暗証番号を知らされて、それで入場となる。
使用約束に隣近所騒音迷惑お断りとある。怠ると罰金まで用意されている。
音楽も好み次第で騒音となりうるので十分気をつけたいところ。
音量を抑えて、キーも少し落として、拍手も5分目ほどで少々いつもと違い静かなる弾き語り。
「かんちゃんの春」「ようこそ春の日日高路」と遠い北海道を思い、中野で歌い納めと相成った。案外本来の声を生かした弾き語りは気持ちがいいもんである。
「GoodnightGoodnight」で締めた。しかしである、本当は兎が去って辰がやってくるところを猪が去ってと思わず歌ってしまった。うり坊はまだ遠い宇宙を旅をしている。そんなにすぐに戻ってこない。いやはやいやはや7年待たねばなるまい。
夕刻6時、外は暗い。中央線か総武線か、轟音を立てて師走の街を走り抜けてゆく。
忘年会場は徒歩で10分ほどで着く。
中野に来て30数年、一番地元で足繁く使っている居酒屋さんへ。
待っていた気が置けない会員様との飲食は格別である。
一年の労苦を忘れ、楽しかったことへの感謝と健康を祝ってビールでカンパーイ!
みなさんこの一年本当にありがとうございました。

今年もお世話になりました。

江東区木場JKスタジオ御礼

2023年12月25日 | カテゴリー: 山木康世  

江東区木場までは高速で25分、下道で35分、20キロ圏内都内日曜なので下道をのんびりと昼過ぎにでかけた。案の定空いていて予定通り会場に到着。1週間で今年も終わる。ウサギが跳ねて空に舞い、彼方からタツがやってくる。
父が山に行って、もみの木もどきの松の木を担いで戻ってくる。子供ながらにワクワクしたもんだ。茶の間に添えられて、去年も見たような飾り付けを子どもたちで行う。一番高いてっぺんには金色に光る星を。イエス様が生まれる前の日にお祝いするというクリスマス・イブだと思っていたがGoogleによると

Christがキリスト、masはミサ(礼拝)という意味です。
クリスマスとは「キリストのミサ」という意味であり、世界のキリスト教国ではキリストの降誕をお祝いする日です。 現在では「クリスマス」という言葉自体が降誕祭を表す名詞になっていることは世界共通。

クリスマスイブはなぜ24日なのか?
「eve」は「夜・晩」を意味する古語「even」から来たもので「クリスマスの夜」という意味になる。 キリスト教会暦では日没が一日の始まりであり、クリスマスは24日の日没から25日の日没までとなるので、その間の夜である24日の夜のことを「クリスマス・イヴ」と呼ぶ。

とあった。
日没が一日の始まりとは良い考え方である。

そんなこんなで木場での2023年クリスマス・イブ。普段のLIVEとあまり変わらないが、集まったお客さんの気持ちや心持ちがその歌の解釈を変える。会場もそれほど満足の行く会場ではなかったが、お集まりになったお客さんのお陰でホッコリした良い午後の一時でした。みなさんありがとうございました。

弁天もサンタ帽をかぶってスタンバイ


山木サンタからのプレゼントはカード、シュトーレン、クリップ、その他いろいろ

熊谷市タニタ楽器御礼

2023年12月23日 | カテゴリー: 山木康世  

この冬で一番の冷え込みのニュース。日本海側は雪で、北海道も大雪という。不要不急の外出は控えてくれ、出たー。いつ頃からか知らないが、こんなヤワなアナウンスが流行りだした。でも日本一の関東平野は雨0%の洗濯日和。
関越を走ること1時間、東松山出口?熊谷じゃないの。タニタの東松山店にでもナビは入っていないかと思い、路肩に停めて再検索。間違いない。
東松山市9万人、方や熊谷市20万人。面白くないだろう熊谷市。それでも地勢が悪かった。新幹線、高速道は日本全国各地に歪を産む。まぁ落ち着いて暮らせるという利点もある。
タニタ楽器の5階は何度目の訪問だろう。使い勝手の良いホールステージには季節柄大きなクリスマスツリーが飾られていて、イルミネーション付きであった。
下の楽器売場で見つけたクリスマスプレゼント。24日のLIVEでお客様にプレゼントする。ほんとにささやかなものですが、気は心、なかなか手に入らない代物だ。
13曲しか歌わなかったと叱られたので、アンコールを30分やった。
寒くお忙しい中お集まりの皆さま、誠にありがとうございました。
それでは明日24日クリスマスイブ江東区でお会いしましょう。

※昨日ショックなことがありました。中野からの帰りのバスでのこと。若い女性に席を譲られました。断りました。考えました。そのように世間的には見られているのか。気を取り直して、戻ってまいりました。人生初のことでしたのでショック。

1曲目は何を歌おうかな


クリスマスツリーの時季ですね


ソロCD絶賛発売中!

苫小牧三星ハスカップホール御礼

2023年12月20日 | カテゴリー: 山木康世  

1999年の日記にこんな記事を見つけた。
「元「ふきのとう」山木さん JR日高線にテーマ曲【苫小牧】
・元人気フォーク・デュオ「ふきのとう」の歌手・山木康世さん(48)=札幌出身=が今月から、JR日高線(苫小牧ー日高管内様似間)のテーマソングを道内外のライブで披露している。同線の運転士をしている知人の依頼を受けた作品。浦河、静内など地名を盛り込んだ軽快な曲で、聴衆の反応も上々だ。曲は「ようこそ春の日日高路」。歌詞には「馬の背中ごし昆布干し 波穏やかに太平洋」「桜の花びらがひらひらと勇払原野を飛んで行く」といった具合に、沿線の特産や景勝地などがふんだんに入っている。山木さんは日高線の列車に乗ったことがないが、地図をながめ、車窓からの風景を思い描いて作詞し、「当初の狙い通り歌を聴いて旅行ができる曲になったと思う」と話す。道内に三つある運輸営業所のうち、日高だけがテーマソングを持っていなかった。このため、山下正勝所長が「車内やイベントで使える曲がほしい」と希望。運転士の三浦弘明さん(38)=苫小牧市在住=が7年ほど前から交流がある山木さんに打診したところ、快諾してくれ、今年あっという間に作り上げた。火付け役の三浦さんは「日高の風景を凝縮したすばらしい曲です。山木さんの古里北海道への思いが伝わってきます」賛辞を贈っている。1999年3月12日(金曜日)北海道新聞」

♪ようこそ春の日 日高路♪
サクラの花びらが ヒラヒラと勇払原野を 飛んで行く
苫小牧から鵡川へ ようこそ春の日 日高路

ここから始まった音楽生活50年における苫小牧との始まり。まだ昭和の時代で僕もソロになって6年ほどのこと。48という自分の歳を見て、正直若かりし頃の思い出だなぁと回顧する。
今回のホールは一番広いスペース、新宿で使った旗も遺憾なく発揮できた。ほどよい自然のリバーブ感で歌に集中できた。お花もいただき記念ライブに花を添えてくれて感謝いたします。
冒頭3年ぶりでしょうか、なんておっしゃってしまいました。去年の5月に来ていたんでしょう。あまりの風の冷たさで脳も少し固まったよう。
北海道3連liveだったが、冬の寒さ、風の冷たさ、道路のツルツル、昔はそれほど感じなかった自然の驚異を痛く感じた3日間だった。
みなさんありがとうございました。また近々お会いしましょう。
最後に片付けに手を貸してくれた様似の男性に深々と感謝いたします。

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