となりの電話 山木康世 オフィシャルサイト

ラジオ 電話生出演のお知らせ

2024年09月03日 | カテゴリー: 山木倶楽部九段支部  

9月7日(土)
YBS(山梨放送)ラジオ https://www.ybs.jp/
番組名:「ミュートレック~MuTrek~」内 10:00頃から
パーソナリティー:神部冬馬

ぜひお聴きください。
ラジコでもお聞きいただけます。

大阪府高槻市/福寿舎「蔵」における所感

2024年09月02日 | カテゴリー: 山木康世  

台風10号のニュースが気にかかる中野の朝、東名、新東名、名阪そして京都入り。静岡過ぎあたりからニュース通りの天気予報。浜松、名古屋、松阪とゲリラ豪雨である。気持ちはこりゃ台風、間違いなしか、やれやれ、この先如何様な展開に天の采配があるのだろう。
浜松では先日亡くなった中本輝美さんのことが頭を離れず、まさに涙雨かと窓を叩きつける雨を横目に会っておきたかったなぁと反省す。
しかし天は我を見放さず、台風の速度、進路の変更。鈴鹿を過ぎた頃には雨は上がって、京都では曇った穏やかな夕暮れ。その後大阪、そして高槻と、やがて台風はものの見事に太平洋へ熱帯低気圧と変わって消えていった。
できることなら長生きしたい。それも医者いらずのクスリはリスクをモットーに自分の足で行きたいところへ行ける幸せを感じていきたい。幸せは青空の彼方から、どこぞで聞いた一節だが、まったく天の機嫌は大事である。気の持ちようで一日が変わってくる。若い頃と同じような心のときめきを持ち続けたい。
50年自己流音楽人生。ひとえに周りの人たちの理解と、この心のときめき感があったからこそである。
福寿舎「蔵」は色々と教えてくれる。無くしてしまったあの頃や、共に生きていたあの人達の思い出や、人が集まってそこにそれぞれの今の思いの息遣いや、工夫次第でより快適になれるという自分の意志を何も言わずに語りかけ教えてくれる。
自分の歌の尺度や物の考え方の再確認は必要だ。
関西ツアー3日間で延べ50曲以上を演奏、歌わせていただいたが大事な大事な3日間だった。
9月に入ってようやく暑さも収まって、田んぼにたわわに稲穂が実る頃と昔の人は考えた。地球沸騰などという物騒な言葉も出てるほど、地球も生きている。そこに住む自分は73年お世話になっている。いっときスマホを離れ、せめてロマンとしてでもいいから、天を眺めて「秋」の訪れを有り難み、楽しんで毎日を過ごしたい。
みなさま3日間、共に楽しかった。有難うございました。

高槻はスタンディングで2時間


完全防音の蔵のライブ


高槻駅にも近い場所にあります

大阪西区5Th Streetは「気」をもってして台風という災いを寄せ付けなかった

2024年09月01日 | カテゴリー: 山木康世  

5Th Streetの建物は築100年という。頑丈な建物は100年などものともせず我を迎えてくれる。戦争にも生き延びて、ここから焼け野原の向こうに大阪駅や通天閣を四方に見ることが出来たという幸運なビルである。日本で始めてディスコが行われたビルともいう。
予定時間よりもはや目に着いたが少しきつい階段を3階へ。前田さんが黙々と汗を拭き拭き独り言も交えて今日の配信ライブに向けて準備中だ。この入念な準備が今日の結果を執り行ってくれた。
僕の声の性質を分かってくれて少し変化をつけてくれた。それも曲によるイメージを分析、瞬時に対応、より良好な歌声を作ってくれた。何度も心通わせている結果と断定した。いくら腕のある人でもこうは行かない。やはり時間は大事なのであるな。
ギターの音はGibsonB25の特性を十二分に知っていての話、少し手を加えて更に良い音に仕上げてくれた。会場と人の有無、機材の関連性で耳に伝わる音は変化する。さじ加減ひとつで良くも悪くもなる。こんな魔法のようなことを前田さんの脳みそは2時間を超えるLIVE中フル回転。休むこと知らなかったようだ。更に照明の色分け作業。カメラワークと追い打ちをかける。このときの前田さんは時間を忘れている。歳を取ることを忘れている。否むしろ脳が若返った分身体も若返ったはずだ。
普段と違う良好なる声やギターに僕の脳は大喜び。それはやる気という気になって空を駆け巡る。僕も時間や歳を忘れていた。
台風の話で弄ばれた反動か、滅多にないほどの音楽会をつつがなく、いやそれ以上に執り行うことが出来て前田さんに、お客さんに、そしてミューズの神様、弁天様に大いなる感謝の夕刻。
100年とはいかないまでも、その半分50年間作り続けてきた我の証。子供や孫が成長するのと同じように、当時作った歌たちは進化を遂げて成長してきたYAMAKINGSONGS。
さぁ今日はガラッと変わって蔵によるLIVE、果たしてどのような蔵出し一番を皆様の前に提供できるでしょうか。
高槻の町は、長姉が若かりし頃住んでいた町。病気が一時好転して飛行機にも乗れるように母が一度遊びに行った町でもある。みんなして喜んだなぁ。

熱い声援をありがとうございました


素晴らしい音響がBOSSの演奏に大いに影響、迫力あるステージでした

京都SOMENOKYOTO御礼

2024年09月01日 | カテゴリー: 山木康世  

ニュースによると台風は関西を直撃、てんやわんやの世界を予想半分だったりしてたが、なんと朝には青空が見えている始末。どこへ行ったんだ台風。どこにくるんだ台風。時速15キロから10キロに落ちて迷走中。
ソロになって初めて京都でライブ、会場は都雅都雅。お店の人、大阪からのスタッフ一同天井に据えられたテレビ画面を食い入るように見ていたあのときの台風は真っ直ぐに京都に向かっていた。刻一刻と京都上空に迫りくる自然の脅威を恨み節で見ていた。
「こりゃあかんわ。できてもみんな帰ることもできんわな。中止!」
あれから30数年、情報過多時代における自らの対処をいかにするかの大事さをえらく痛感した。なるようにしかならないし、なすようにしかならない。一つ一つの適切な判断や決断が連続されて良い人生か、悪い人生かを決めていく。ツキという言葉も不思議な現象だ。ゲームや麻雀などをしているときに訪れる言葉では説明できないツキがやってくることに度々遭遇してきた。まるで神様による采配に支配されるひとときのようだ。このツキを持っている人は多数存在する。自らが招いた結果なのであるが、人それぞれが考える将来の姿はいくつもあって、悲観的か楽観的かでもずいぶん変わった未来像があるだろう。
世界地図で見れば小さな島国に過ぎないが、そこに住む人間はもっと小さくゴミやホコリのような存在だ。しかしそのゴミやホコリが考えて起こした行動の結果が世界地図なのだ。スーパーコンピューターがいくら逆立ちしたって届かない自然や宇宙や時空があるということを肝に銘じておこうと更に思った。
その道の専門家がよってたかって導き描き出した台風の進路であったろうが、他にも存在する風の行方による速度と方向は少し間違って想像して緻密過ぎる情報がみんなの頭の中を専有してもてあそんだように見える。
晴れ男超健在ぶりを遺憾なく発揮した関西ツアー初日の我の天晴な行動に決断に拍手、
詳細な予想地図よりも、現在の空の色をもってして訪れるであろう目の前を予想するのも悪くない。


花街宮川町のお茶屋へ。ではなく行きつけの居酒屋へ

さいたま市/琴勝流大正琴本部 2Fホール御礼7回目

2024年08月26日 | カテゴリー: 山木康世  

昨年11月27日以来の大正琴本部である。列島を寒波が襲いずいぶん寒かったようだ。9ヶ月ぶりのさいたまは台風が来週には来襲しそうな猛暑である。実は前回の気温のことなど思い出しても思い出せない。そして今回が7回目であることも実感がない。
川口市に属する安行(あんぎょう)は世界の盆栽の地であるという。今日は久しぶりの「盆栽の歌」を少しアレンジして歌った。
♪ねじり鉢巻きキリリと巻いて半纏脚絆に直足袋履いた日本の風景♪
これは事務所を出る直前に書き改めた一節であるが、今改めて読み返すと少しおかしい気がしてきた。これは庭師や祭りの艶やかな姿で、盆栽作りはもう少し穏やかに剪定ばさみでチョッキンチョッキン、あっちから眺めこっちから眺め、あーでもないこーでもないと自問しながら、あーら切りすぎちゃった、これが盆栽の風景ではあるまいか。何でも奈良時代、唐から持ち帰った趣が始まりらしい。
会場の横に八雲神社と呼ばれる小さな拝みどころがある。ここに必ず立ち寄って二拝二拍手一礼をして今日のつつがなき無事を祈る。
2階の会場正面に我と弁財天との大旗を掲げてのLiveLibrary。アメリカのGibsonと日本のスズキと札幌のクワイアンが、そしてドイツのホーナーが2時間の味付け剪定作業を行った。なんだか盆栽づくりにも似ていないこともない73歳50年目のチョキチョキチョッキーン。

♪PaPa Don’t cut more prease MaMa OK!
あらら切りすぎちゃった まぁまぁ良いか
私空飛ぶ世界の盆栽♪

「やはり大旗は迫力があるなあ」


B-25がよく鳴っていました


遠く仙台からのお客様いらっしゃいました

新宿永谷ホール(新宿Fu-)でベンベーン

2024年08月23日 | カテゴリー: 山木康世  

ゲリラ豪雨が各地で話題になっているが、今日は中野でも出立前に遭遇した。
事務所から駐車場へ向かうときはそれほど案じていなかった空模様。しかし車に乗ろうとした瞬間、大粒の雨がポツポツ。見る間に叩きつけるような雨が、今までの曇り空は急転直下、ワイパーも効かぬほどの集中豪雨。この雨粒たちはどこで成長して降りてきたのか。信じられないほどの威力で地上を叩きつけて、さっきまでの安穏とした日常を一気に変えてしまう。
新宿までの30分、車はライトを点けいささか安全運転。外を歩く人も傘の無力さを思い知って、びしょ濡れで軒下などで雨宿りする人もいる。まさに「打ち水の唄」よござんす、よござんすと雨の非情さを恨むともなく人間の非力を痛く感じるFu-への道。
6回目ほどのFu-であろうか。使い勝手もかなり上達した。
大雨の中、荷物数点を運び込む。ここは小さなホールと言った感じで、尺高のステージ、引き膜も用意されていて気分は演芸人、弾き語り2時間1本勝負。
場所柄色んな人が道路を往来、外国人も多くオーライ、行き慣れた駐車場もエレベータに一人で乗り込んで窓を開けて出した右手で操作ボタン、B3まで降りる。何でもかんでも人の手に委ねる駐車場が多い中、ボタン操作で駐車スペースへ自車を移動、保管する行為は大人的で宜しい。

♪新宿の空は雲ひとつ無い青空 
 けれど昨日の空とはどこかが違う
 放射線量なんていう言葉が普通に 
 当たり前のように使われる時代になった
 明日のことや将来のことは誰も知らない
 ケセラセラ ケセラセラ
 明日は明日の風が吹くさ心配ない
 ケセラセラ ケセラセラ♪

願いを込めて今日のスタートだ。
本当に昔では考えられないほどの夏の暑さ、雨の威力、地震、噴火、穏やかだった列島の姿は今はない。世界各地も同じである。地球の磁場の逆転、地球内部のマントル深くでの逆回転などホントー?と疑いそうな地球である。考えても何もできない。ケセラセラ的自然に身を委ねる考え方もある意味賢い生き方かもしれない。戦争の愚かさに未だ懲りない世界のリーダーのもとに生きていないだけでもましだ。
さて日本のリーダーは果たして誰になるのであろう。女性総裁なんていうのも必要な時代なのかもしれない。2世3世の総裁だけは勘弁ベンベーンとギターを置こう。

木曜日の午後、新宿へようこそ


ラスト曲は「別れのワルツ」


アンコール! アンコール!

曙橋ライブハウスコタン 中牟田俊男+山木康世

2024年08月18日 | カテゴリー: 山木康世  

はるか50年以上前、上京したとき事務所に先におられたのが武田鉄矢率いる「海援隊」だった。そのメンバーに中牟田氏はおられた。無口でしゃしゃり出ない地味な存在だった。しかしいつも変わらぬ雰囲気でしっかりサポートを続けていた。デビューしてコンサートに前座で連れて行かれて20分ほど歌う。ステージ慣れを養うためである。そんなとき舞台袖で聞いていつもいいなぁと思っていた歌をコタンでリクエストした。「故郷未だ忘れ難き」である。
♪故郷未だ忘れ難く 酒さえ飲まなきゃやさしい親父
故郷未だ忘れ難く 殴られた痛みも忘れました♪
 中牟田氏の今日のギターは国産スズキである。手にとって鳴らしてみて驚いた。今までこれほど鳴るギターに接したことがなかったので感動した。当時はおそらくマーチンのコピーであったろうが、本家を超えていた。ウソではない。しばらく虜になっていた。こんなギターが日本で作られていたとは、さすがバイオリンのスズキである。それを聞いていたのか聞こえていたのか、我がギブソンが2回も弦を切ったのである。おそらくギブソンの嫉妬であったろう。今まで弦が切れないギターとして自慢であったのに。
 息子さんが今日は数曲一緒した。遺伝子は恐ろしいものがある。何もわざわざ真似しなくとも、出てくるフィーリングが物語っていた。声はもちろんであるが歌いっぷり実に似ている。子供のいない自分にとって、この光景はかなり羨ましい事実であった。これほど体内から湧き出ずるフィーリングが似るとはおそれ入谷の鬼子母神である。
 大阪でもやってくださーい。そうですね機会があえばやりたいですね。と応えた。ウソではない、チャンスが有れば大阪に限らずやってみたい。
 息子さんのギター、歌いっぷりにも共感を覚えたが、最後に出してくれた卵料理と塩焼きそばにも負けぬくらいの舌鼓を打ってしまった。

ソロの順番をジャンケンで決めました。BOSSは負けて後攻の演奏


中牟田俊男さん、中牟田和久渡さんと3人で数曲演奏

ミュージックレター第6弾「打ち水の唄」配信開始です

2024年08月17日 | カテゴリー: ミュージック・コラム  

ミュージックレター有料版 第6弾「打ち水の唄」の配信を開始しました。

暑い夏に涼しくなるこの一曲をどうぞ、
古き良き日本の横丁の夏の風景を思い出してください。

各契約サイトでお聞きいただけます。
ダウンロード販売も実施しています。ぜひ、お聴きください。

https://linkco.re/qHnUzaMX

「春の雨」「春は雨と桜を連れて」「おれんぢぺこ」「風薫る五月」「粉雪」も 絶賛販売/配信中です。

中牟田さんとリハーサル

2024年08月16日 | カテゴリー: スタッフ・ダイアリー  

曙橋コタンで本番さながらのリハーサルを行いました。
明日のライブが楽しみです。

ギターサポートは「コタン」の中牟田和久渡オーナー


中牟田さんのギターをちょいと拝借

東中野マ・ヤン酒とバラの日々

2024年08月11日 | カテゴリー: 山木康世  

中野からJR総武線で新宿へ向かって1つ目の駅が東中野、まぁ東方面にあるわけだ。出口が東西南北とあってちょっと考えた。ムーンロード入口はどちらに当たるのか。中野駅ではいつも北口でしかほとんど出ないので考えてしまった。連絡通路が見えていて線路の向こうにムーンロードも見えているのに、さてどちらへ行けば正解なのでしょう。階段の矢印は西口はあちらとある。あの連絡通路を渡ればマ・ヤンはすぐそこなのにもしかしたら閉鎖して使われていないのでは。などと猛暑の後遺症なのか余計なことを考えてしまった。そして素直に矢印に行ってしまった。山手通りの賑やかな日差しが見えてくる。お恥ずかしい話、振り出しに戻った感じだ。乗ったときは2両目、こりゃラッキーと思ったものさ。5分前までは簡単にムーンロードに着くと思っていた。
ホームの端から端まで歩かされるとは、まだまだ初心者。連絡通路へ直接行ける階段があれば何の問題も起きないのに。
ママの「ひとりぽっち」は孤独を予感する女性の気持ちを淡々と歌い上げて作者冥利に尽きた。ふきのとうでもそれほど歌っていない歌を歌ってくれた。
札幌レコーディングのこの歌は今は亡き今泉君のピアノアレンジで行われた。バンドメンバーだけで執り行われた「011」「北極星」はより強く思い出に残るアルバムだ。31歳、32歳の頃の東京を離れた札幌で創った歌で、それぞれに思い出深い。
今日は猛暑の東中野で東田ママによって丁寧に歌われた。40年以上時を経てよみがえったバラードは、横でGibsonを弾いていてまずまず思い通りの感情移入となって幸福だった。
次回12月は青系の色のものを一つ身に着けて来て下されば、今年のテーマ「星月夜」が成立するはず。その頃は北風ピューピューなのだろうか。
みなさんありがとうございました。元気で夏を乗り切ってまたマ・ヤンでお会いしましょう。マ・ヤンとは沖縄語で一匹の猫と教わった。

50年間変わらない空間、空気感がたまらない


客席もすぐ近く、BOSSの呼吸音も聞こえます


アンコールで東田ママと「ひとりぽっち」をデュエット


ママ、ありがとう!12月もよろしくお願いします

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