となりの電話 山木康世 オフィシャルサイト

甲府桜座におけるギター弾き語りの世界

2024年09月24日 | カテゴリー: 山木康世

 ここで歌いたい。と甲府湯村温泉ライブ後に下見に訪れた夜を思い出す。
明治時代の建物らしい。山梨日日新聞に当日の意気込みを40字コメントでと、お願いされた。50年ざわざわをギター1本で弾き語る。  
ひとくちに50年と言っても、やはり大事な掛け替えのない時間である。
  山があっても山梨県。子供の頃に遠く離れた見たこともない山梨を勝手に思って皆で笑ったものである。武田信玄の出生地。風林火山を旗印にあの時代を駆け抜けた部将の心意気や如何に。
「ましら」はお猿さんのことである。夫婦のましらがOAを努めてくれて、15分ほどのステージの後に「白い冬」をコラボした。無理を言ってご一緒してもらった。50年の時を超えて桜座のジョイントは格別なものがあった。
皆の強力、ご理解の下日曜の昼下がり満足の一日だった。音響、照明の若手スタッフも吾の2時間を存分にサポート、憧れの桜座、アッという間に終了しました。まだまだエピソードや裏話をしたかった。また来よう。次回はもっと落ち着いた車座のような感じの桜座に思いを馳せる。
 名に恥じない一時だったと思います。また磨きをかけてここでやることを一つの目標に生きていきたいと思っております。
またお会いしましょう。更に充実のひとときを。ありがとうございました。長野3日間の最終日、良い9月23日のお彼岸でございました。

 ただいま、桜座のライブを配信しています。28日まで何度もご視聴いただけますので、ぜひお申し込みください。
online@yamaki-club.com まで。

ライブ配信アーカイブ、予約受け付け中です


ステージ下手から


地元で活躍する猴(ましら)と一緒に「白い冬」を歌いました


全国からたくさんのみなさま、ありがとうございました


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伊那スーミンの脇を時折通過する電車に思ったこと

2024年09月24日 | カテゴリー: 山木康世

何度も伺っている長野県であるが、今回始めて地政的街の位置関係を把握できた。
 長野、松本、塩尻、伊那、諏訪、飯田、などの街がどのように配置されているか。
僕はふきのとう時代から長野県がおふくろの味噌汁風な日本の故郷原風景に写って好きだった。早春の田園風景を味わい深く感じて、どこか美原の風景と重ね合せて受け取っていた。雪が溶ける前、降っては止んで上がっったと思ったらまた少し降って、凍りついたこれから出番を待っている田んぼを歩く感触が好きだった。
今回の50年ツアーは残暑の長野であったが、大雨の被害の能登地方のことを思えば幸いであった。山々に囲まれた長野県は山育ちの僕にとって、原風景なのである。「ふきのとう」を貫いている基本的音風景は山々にこだまする早春の息吹のような、青年の持っている未完の希望、夢、素朴な男女のロマンなどのごちゃまぜが浮かんでくる。いつまで経ってもあのときの初々しさを失くしたくない。50年経つが格好の原点回帰のできる音楽をたくさん作ってきたことに今更ながら誇りに思い大事にして行きたいと思った。
  忙しい現代をいっとき忙しいと思わせない「ふきのとう」の音楽は心底癒やしの音楽と自認した。
  人が人を思いやる気持が、ますます必要とされるデジタル時代に生きる人間の技として備えていても損はない。
 伊那スーミンの少し条件の悪い会場の2時間は僕に語りかけてきたよ。みなさんどうもありがとうございました。

サンドイッチやリンゴジュースもおいしいカフェでした


最近はずっとスタンディングです

音楽生活50周年記念日 塩尻風待茶房

2024年09月22日 | カテゴリー: 山木康世

今日はふきのとう「白い冬」デビューの日として刻まれている記念すべき格別の日。果たしてどんな一日が待っているのやら。
お店に入るとレイアウトが大変身、以前のステージの位置が反対向きにセットされている。確かにステージが大きくなって安定しているようにうかがえる。
この店に初めて足を踏み入れてから10年は経っている。店名の風待茶房はふきのとうのアルバムからの命名だ。壁にはご結婚10年おめでとうの色紙も見える。今のところ全国で一番の「ふきのとうを愛する」を自認するお店に思えて、なんとも嬉しい限りだ。
マスターは「柿の実色した水曜日」「運命河」を熱唱して吾を迎えてくれた。うれしいやら恥ずかしいやら、若き20代の頃の歌である。
ならばと「白い冬」で出発進行。2時間超えの記念日は始まり緩急新旧織り交ぜてつつがなく熱く終了した。最後は「水の底に映った月(徐福伝説)」
只今、吾の音楽人生のスタイルはギター弾き語りシンガーソング&ライターである。どちらかというと詩にシフトを置いている70代の日々である。家でもステージでも変わらぬ心持ちで臨んで、まるで禅問答のような感じで毎日を過ごしている。
非常に心の置き場が安定していてライブやステージが面白い。過去の歌のおさらいや、現在の歌の確認、発見など今昔物語を楽しんでいる。それもお客さんの前で共有している感もあって感謝、幸せモンである。おまけに今日は御祝のような感じで2曲も歌ってもらった。
「運命河」後奏で大胆にもやり直しをした茶房のオヤジはワンツースリーフォーとカウントした。待てよ、確か3拍子の歌のはずだったが、待てよあぁいいか、そんならセーノーで良いんじゃないのかと出番を待つ吾はおさらいをしていた。
混雑の3連休の中、大勢の皆さんと共にこの日を迎え過ごすことができたことに感謝感謝。

会場が一体となったライブでした


「風待茶房」オーナーの北野さんらと記念ショット

八千代ライブカフェ「凡(ボン)」におけるステキな土曜夕刻

2024年09月15日 | カテゴリー: 山木康世

今日は柏からの移動である。同じ千葉県内への移動であるので、少々高をくくっていた。おまけにマイカーのナビには新しい高速道路がデータされていなかった。
下道で1時間ほどで着くだろうと高をくくっていた。しかし実際の下道の渋滞さは尋常ではない。一つの信号を通過するのに3回も待たされる始末。これでは先が思いやられる。iPhoneのマップで行く。iPhoneには最新情報が載っている。流山高速、及び外環道がビスタナビには載っていなくて、道なき道を走る。やはり道路も生き物であるとつくづく思う。更新状況を教えてくれなくては意味がない。DVDによるカーナビを感じてしまう。2002年に乗り換えた車は、一変した世の中に付いてイケてなく、むしろ困惑さえ覚えさせる。親しんできた女性アナの音声を遮断、iPhoneの男性案内に身を任せた。
予定通り40キロを走り「凡」に到着。ママさんはわざわざ下まで降りてきて荷物の搬入を手伝ってくれた。意外と出来そうで出来ない歓待の実印。いそうでいない人に会って身体共に軽快となる。
ピアノの鎮座するステージは、毎日の空間に思いを巡らすと音楽のある毎日が頭を巡る。インテリアはヨーローッパ基調である。シックで穏やかなライブカフェは自然気持ちも穏やかで豊かになる。アメリカンフォークが基本であるが、年齢を重ねてヨーロッパの空気感が馴染むようになってきた。
今日もスタンディングによる2時間半のステージ。まだまだやり足りない時間であった。昨日の柏とは一味違う、ほぼ全曲総入れ替えの趣、メニューである。
「凡」は「平凡」であること。ことさら取り上げないこと、しかしフランス語「Bon」は「いい、ステキうまい」おそらくこの2つを加味して店名を決めたのではなかろうか。もしもこんな決め方をした人の店なら僕の性に合っている。さりげないステキさは平凡であるが非凡なのであるよ。
セシボンは「とってもステキだ」さりげない言葉だが、そんな歌もあった若き日の思い出。死語になってほしくないと思いつつデジタルの世の中に生きている。
八千代は非常に長い時間のこと。山木八千代も悪くない名前だな。また伺いましょう、皆さんありがとうございました。

ヨーロピアンなカフェでの昼下がりライブでした


店内を彩るのはガレやリヤドロ人形などホンモノの芸術作品

柏StudioWUUテリーズフェア

2024年09月15日 | カテゴリー: 山木康世

2時間スタンディングで配信は行われた。
先日の高槻の蔵におけるステージで復活した。ギターの作り出すリズムを体全体で作るのは座って作るよりも詩にマッチしているのだろう。妙に言葉が生き生きとしてくる。これは実感である。
ふきのとうの頃はスタンディングが基本であった。18年間立って歌っていた。やがてバンドが着いて弾くギターの役割が軽減された分、ギターへの追求はしばらく鳴りを潜めてしまった。
そしてソロになって座ってやることが当たり前のようになっていた。
今夜はテリーさんを偲んで、配信をテリーズテリーでまとめた。もちろんライブの配信であるのでステージそのものである。
あるギタリストはレコーディングにはYAMAHAを使っていた。1音1音はっきりした音が録音されると言うのだ。
倍音の多さで共鳴楽器ギターの良し悪しが決まってくる。しかしこれは生身の人の耳が感じ取ることが出来る良し悪しで、録音となると違ってくるような気がする。つまり人の耳ほど正確には再現し得ないのである。倍音が邪魔をするというようなことまで真起こってくる。音離れの良いYAMAHA系の音はマイク乗りが良いと言うことになる。
テリーさんはYAMAHAフォークギターの立役者だ。それから独立テリーズギターが製作され始めた。時は僕がふきのとうを止める2年ほど前ではなかろうか。工房に遊びに行って壁に掛かっていた1台の試作品に目が止まり、それが後にソロになってからの愛器となった。
もう1台は還暦の年に頂いたテリーズテリーである。裏版には亡き母への父親制作のダリア、バイオレットキミを精巧に再現して彩ってくれた。このギターの守護神でもある。還暦コンサートまでに間に合わせてくれると言ってたが時間になっても到着しなくてヤキモキした。最後のリハを終えて一段落というところで、客席の奥の方から声が聞こえてきた。「やぁ遅れまして申し訳ない」さっそくステージで弾いた思い出がある。GibsonB25のフルサイズでお願いしてあったのだが、果たして良かったのだろうか。しかし見事に弾き易さのために敢えて作ってくれた貴重で大事なテリーズテリーである。
2台は思い出と感謝を込めて30年ほどを総括的に2時間にまとめた。楽器は精神の延長戦上にある。何を思い時間を弾きこなすのか。若い頃には成し得なかった技術と精神が複合されて良い時間を過ごしている。
歌詞には更なる面白妙味を感じている。言葉のマジックは思い出のギターに包まれて、柏StudioWUUの空間を羽ばたいて、配信となって電波に乗って皆々様の元へ。
そしてテリーさんは黄泉の国への階段の半ばを過ぎた頃だろうか。聞こえましたか今日の晴れの音たちがステージを存分に飾ってくれましたよ。
テリーズテリーは永遠なれ!

ライブ配信で全世界の人が生ライブを楽しめます


「今日はスタンディングで頑張ろうかな」リハーサルで

西新宿おもろ町あんさんぶる音楽会

2024年09月09日 | カテゴリー: 山木康世

およそ4キロほどだろうか。チョイとひとっ走りという感じで会場に着いてしまう。都庁や高層ビル群が青空の下9月の風に光っている。おまけに頭上を高速道路が迂回して交差していて未来都市であるが、現実生き物のように日々変化し続けている元東京都の水瓶跡地である。それも1970年代初めに始まった未来都市作り。そこにヒッソリと昔の景観が残されていて大勢の普通の人たちの暮らしが息づいている。この微妙なバランスの街がこの辺一帯の感想である。おもろ町、久しぶりの暑さである。猛暑+残暑=猛残暑とテレビで誰かが言っていた。地球温暖化は地球沸騰化と化して、この先当たり前の日本の四季となるのだろうか。今やアジアのどこぞの熱帯地方の日本の瑞々しい四季折々の風景の中に住まざるを得ないことになるのだろうか。
やがて大地震が各地で起こって、富士山が噴火、都内にも火山灰が5センチも積もって完全に都市機能はダウン。高速道路も新幹線もストップ、大雪にでも見舞われたら真実生きていけるのだろうか。確率30年以内に70%と言われて5年は経ったか。その間に思わぬパンデミックもやって来て、収束したかのように見えるが、果たして真実は。
テリー山木モデルは14年経って木が乾いて内蔵マイクの音が実に養生された感じで、良い音だなぁと惚れ惚れした。黄泉の国へ旅立ったテリーさんに旅立ち前に一度お聞かせしたかった。それともあんさんぶる音のどこかの中空で立ち止まって聞かれていたかもしれない。何度も何度も去来した想い出と共に2時間を弾き終えた。オーストリアのクラシックの世界で使われているマイクと教えてくれた。当時はまだ木が生だった。今や程良く乾燥して木が気になって僕の心を充満、テリー山木モデルは完成されたようだ。テリーさんありがとうございました。
来る柏StudioWUUでは2台のテリーズフェアと相成ります。どんなYMAKINGSONGSを奏でることでしょう。
つきることのない音楽の旅はまだまだ続きます。等身大の身の丈の誰もが分かり口ずさめるシンプルな歌作りのモットーは変わることなし。心はアナログ、手段はデジタル、片手にテリーズギター、もう片方の手は空けておこう。幸運の扉を開けるためにとっておこう。
みなさん日曜の夕刻、お忙しい中誠にありがとうございました。如何だったでしょうか、おもろ町での小さな音楽会はおもろかったでしょうか?

池袋ムーブメントスタジオ節目の9月

2024年09月07日 | カテゴリー: 山木康世

札幌に戻った次の年、31歳の9月は節目の年だった。
コックリさんのお告げは1年に迫っていた。
「山木さんは32歳で死にます」ありがたくないお告げを地元女子高生3人から上京前の23歳で聞いて、何かとあの頃の歌の詩に反映されていて、結果ありがたかったのかもしれない。今でもますますよく歌えるわけですから災い転じて福となすとなった。
実際には帰った次の年に朝野球で左足首完全骨折という不足の事態を招いてしまって3ヶ月入院を余儀なくされた。そして母との永遠の別れという9月を迎えた。
母が黄泉の国へと旅たった朝の、赤とんぼがスイスイと泳ぐ抜けるような空の青さを忘れることができない。夜明け前、病室の窓を叩いて母を起こすかのような大風もすっかり止んでいた。
あれから43年、31歳の僕は深い悲しみの中、今の僕と比べてまだまだ未熟だった、が札幌に戻ってまだ見ぬ未来への希望に燃えてもいた。6年の東京生活でできなかった音楽へののめり込みは強くなっていた。と同時にもっと地に足をつけた地元での生活も考えていた。
生きてきて半分以下の時間内で起こった節目の年は、神様から見ればあらかじめ設計内のことだったのかもしれない。74歳になろうとする9月の池袋ムーブメントスタジオにおけるLiveLibraryは少しおとなしめだったかもしれないが、今しか歌えない歌を噛み締めながら歌った。
ご参加いただいた皆々様にはどう写ったことだろう。
ムーブメントスタジオは照明も充実、環境も整備されて使い勝手が良くなってやりがいのある一日となった。
明日の西新宿あんさんぶる音、1週間後の柏WUUではテリーズテリーを弾きまくり、テリーさんへの弔い感謝としたいと考えている。

大阪府高槻市/福寿舎「蔵」における所感

2024年09月02日 | カテゴリー: 山木康世

台風10号のニュースが気にかかる中野の朝、東名、新東名、名阪そして京都入り。静岡過ぎあたりからニュース通りの天気予報。浜松、名古屋、松阪とゲリラ豪雨である。気持ちはこりゃ台風、間違いなしか、やれやれ、この先如何様な展開に天の采配があるのだろう。
浜松では先日亡くなった中本輝美さんのことが頭を離れず、まさに涙雨かと窓を叩きつける雨を横目に会っておきたかったなぁと反省す。
しかし天は我を見放さず、台風の速度、進路の変更。鈴鹿を過ぎた頃には雨は上がって、京都では曇った穏やかな夕暮れ。その後大阪、そして高槻と、やがて台風はものの見事に太平洋へ熱帯低気圧と変わって消えていった。
できることなら長生きしたい。それも医者いらずのクスリはリスクをモットーに自分の足で行きたいところへ行ける幸せを感じていきたい。幸せは青空の彼方から、どこぞで聞いた一節だが、まったく天の機嫌は大事である。気の持ちようで一日が変わってくる。若い頃と同じような心のときめきを持ち続けたい。
50年自己流音楽人生。ひとえに周りの人たちの理解と、この心のときめき感があったからこそである。
福寿舎「蔵」は色々と教えてくれる。無くしてしまったあの頃や、共に生きていたあの人達の思い出や、人が集まってそこにそれぞれの今の思いの息遣いや、工夫次第でより快適になれるという自分の意志を何も言わずに語りかけ教えてくれる。
自分の歌の尺度や物の考え方の再確認は必要だ。
関西ツアー3日間で延べ50曲以上を演奏、歌わせていただいたが大事な大事な3日間だった。
9月に入ってようやく暑さも収まって、田んぼにたわわに稲穂が実る頃と昔の人は考えた。地球沸騰などという物騒な言葉も出てるほど、地球も生きている。そこに住む自分は73年お世話になっている。いっときスマホを離れ、せめてロマンとしてでもいいから、天を眺めて「秋」の訪れを有り難み、楽しんで毎日を過ごしたい。
みなさま3日間、共に楽しかった。有難うございました。

高槻はスタンディングで2時間


完全防音の蔵のライブ


高槻駅にも近い場所にあります

大阪西区5Th Streetは「気」をもってして台風という災いを寄せ付けなかった

2024年09月01日 | カテゴリー: 山木康世

5Th Streetの建物は築100年という。頑丈な建物は100年などものともせず我を迎えてくれる。戦争にも生き延びて、ここから焼け野原の向こうに大阪駅や通天閣を四方に見ることが出来たという幸運なビルである。日本で始めてディスコが行われたビルともいう。
予定時間よりもはや目に着いたが少しきつい階段を3階へ。前田さんが黙々と汗を拭き拭き独り言も交えて今日の配信ライブに向けて準備中だ。この入念な準備が今日の結果を執り行ってくれた。
僕の声の性質を分かってくれて少し変化をつけてくれた。それも曲によるイメージを分析、瞬時に対応、より良好な歌声を作ってくれた。何度も心通わせている結果と断定した。いくら腕のある人でもこうは行かない。やはり時間は大事なのであるな。
ギターの音はGibsonB25の特性を十二分に知っていての話、少し手を加えて更に良い音に仕上げてくれた。会場と人の有無、機材の関連性で耳に伝わる音は変化する。さじ加減ひとつで良くも悪くもなる。こんな魔法のようなことを前田さんの脳みそは2時間を超えるLIVE中フル回転。休むこと知らなかったようだ。更に照明の色分け作業。カメラワークと追い打ちをかける。このときの前田さんは時間を忘れている。歳を取ることを忘れている。否むしろ脳が若返った分身体も若返ったはずだ。
普段と違う良好なる声やギターに僕の脳は大喜び。それはやる気という気になって空を駆け巡る。僕も時間や歳を忘れていた。
台風の話で弄ばれた反動か、滅多にないほどの音楽会をつつがなく、いやそれ以上に執り行うことが出来て前田さんに、お客さんに、そしてミューズの神様、弁天様に大いなる感謝の夕刻。
100年とはいかないまでも、その半分50年間作り続けてきた我の証。子供や孫が成長するのと同じように、当時作った歌たちは進化を遂げて成長してきたYAMAKINGSONGS。
さぁ今日はガラッと変わって蔵によるLIVE、果たしてどのような蔵出し一番を皆様の前に提供できるでしょうか。
高槻の町は、長姉が若かりし頃住んでいた町。病気が一時好転して飛行機にも乗れるように母が一度遊びに行った町でもある。みんなして喜んだなぁ。

熱い声援をありがとうございました


素晴らしい音響がBOSSの演奏に大いに影響、迫力あるステージでした

京都SOMENOKYOTO御礼

2024年09月01日 | カテゴリー: 山木康世

ニュースによると台風は関西を直撃、てんやわんやの世界を予想半分だったりしてたが、なんと朝には青空が見えている始末。どこへ行ったんだ台風。どこにくるんだ台風。時速15キロから10キロに落ちて迷走中。
ソロになって初めて京都でライブ、会場は都雅都雅。お店の人、大阪からのスタッフ一同天井に据えられたテレビ画面を食い入るように見ていたあのときの台風は真っ直ぐに京都に向かっていた。刻一刻と京都上空に迫りくる自然の脅威を恨み節で見ていた。
「こりゃあかんわ。できてもみんな帰ることもできんわな。中止!」
あれから30数年、情報過多時代における自らの対処をいかにするかの大事さをえらく痛感した。なるようにしかならないし、なすようにしかならない。一つ一つの適切な判断や決断が連続されて良い人生か、悪い人生かを決めていく。ツキという言葉も不思議な現象だ。ゲームや麻雀などをしているときに訪れる言葉では説明できないツキがやってくることに度々遭遇してきた。まるで神様による采配に支配されるひとときのようだ。このツキを持っている人は多数存在する。自らが招いた結果なのであるが、人それぞれが考える将来の姿はいくつもあって、悲観的か楽観的かでもずいぶん変わった未来像があるだろう。
世界地図で見れば小さな島国に過ぎないが、そこに住む人間はもっと小さくゴミやホコリのような存在だ。しかしそのゴミやホコリが考えて起こした行動の結果が世界地図なのだ。スーパーコンピューターがいくら逆立ちしたって届かない自然や宇宙や時空があるということを肝に銘じておこうと更に思った。
その道の専門家がよってたかって導き描き出した台風の進路であったろうが、他にも存在する風の行方による速度と方向は少し間違って想像して緻密過ぎる情報がみんなの頭の中を専有してもてあそんだように見える。
晴れ男超健在ぶりを遺憾なく発揮した関西ツアー初日の我の天晴な行動に決断に拍手、
詳細な予想地図よりも、現在の空の色をもってして訪れるであろう目の前を予想するのも悪くない。


花街宮川町のお茶屋へ。ではなく行きつけの居酒屋へ

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