となりの電話 山木康世 オフィシャルサイト

イクラ

2015年12月06日 | カテゴリー: 山木康世

イカのついでだ、イクラも作ってみっぺ。
まずスーパーでいかにも生きのいい生筋子を買ってくっぺ。そしたら塩の利いた生温い湯を用意する。そして買ってきた筋子をボチャンと入れて、優しく優しくほぐしてゆく。アーラ不思議ポロポロとほぐれてくっぺ。ここで塩水の不思議な力を如何なく見せつけられる。騙された筋子は母なる海に抱かれて安らかな眠りにつく。
表皮をすくい取り捨てて、パラパラ粒々を小瓶に移して、酒と醤油(これは各自の好みで良いっぺ)の海で再度眠ってもらう。よい子のみんなは一日もしたら美味いイクラの完成で歓声を上げる。
なおイクラはロシア語だという。ロシア人も偉いっぺ。
でもこの食い方は平安時代あたりから日本人も食っていたらしい。日本人も偉いっぺ。
以上だ、やってみろーよ。
良い日曜日を!

イカの塩辛

2015年12月06日 | カテゴリー: 山木康世

イカの塩辛はやはり函館産がうまいようだ。
僕の母は函館産なので、親戚のおばさんおじさんが大勢いて賑やかだった。
物心が付いた美原時代には海産物が多く届いていて、不自由しなかったようだ。
それが今でも魚が好きな理由だろう。
タラコ、数の子、鮭、ニシン、サンマのぬか漬け、あーどれもこれも塩辛い大好物の魚たち。
大人になってイカの塩辛は良く漬けた。漬けたなどと大袈裟な話ではなく、チョイトスーパーで買い求め、まな板でさばいただけの話。イカの皮の上手いはぎ方も覚えた。ゴロを混ぜて2時間もすれば立派な塩辛だ。ユズの木っ端を入れたりすると、何とも上品な塩辛の出来上がり。あっという間に一匹食ってしまう。
実家を離れ一人になって魚もさばけなかった。カレーライスも作れなかった。今では大分腕が上がった。肩こりがひどくて腕が上がらないことは一度もなかった。
肉も良いが魚はもっと良い。

風邪の便り

2015年12月05日 | カテゴリー: 山木康世

朝晩冷え込んできた。まぁ季節は秋から冬へとまっしぐらなので致し方がないが、やっかいなのは風邪の嬉しくない便りである。
出来ることなら受け取りたくないが、受け取ってしまったら早めの回復。その前に予防だ。
今日のメルマガに書いたが、喉のうがいよりも鼻のうがいがより効くそうだ。
道聴塗説(どうちょうとせつ)=道ばたで聞いた話をすぐに他人に受け売りすることを言う言葉であると知った。いますね、この輩。
この記事は道聴塗説であるので効果のほどは如何に。

良い土曜日を!

石垣島古謡

2015年12月04日 | カテゴリー: 山木康世

先日石垣古謡を生で聞く機会があった。
元来沖縄の民謡に魅せられた一人でもあるので実に心にスンナリと入ってきた。
20代後半で「風来坊」を創って、沖縄で絶大な支持を受けた。そのお返しとばかりに「ここは沖縄」という歌を沖縄限定盤として出した。見よう見まねで沖縄音階を取り入れて創った。
難しい話は抜きにして、沖縄音階は西洋の音階とは違い、いわゆる2音と6音抜きで寂しい哀愁のある音階である。本土の民謡の4音7音抜き音階とも違い、独特の沖縄感を醸し出す。と勝手に解釈している。
そして沖縄本島からさらに南へ下った石垣島の歌う古謡は心に染みて来る。
この日はサンシン、オカリナと横笛の共演。さらに哀調を増す。
オカリナが途中でメロの3度上を吹いていた。もしかしたらここはユニゾンの方が良いのではないかと一人感じていた。音楽の感じ方は人それぞれであるので、これはあくまでも僕の私感である。ただ哀愁感を増したいのならユニゾンだなと強く思った次第だ。

続マイナンバー

2015年12月03日 | カテゴリー: 山木康世

先日マイナンバーの話を書いた。その際亡くなった方にも届いたりして云々と書いた。
昨日友人からお母様が亡くなられて、その後マイナンバーが届いたと言ってきた。僕のダイアリーを読んでいて、現実になったのでそれを報告したような感じだったが、読んだときいたたまれなくなり切なくなった。心よりご冥福をお祈り致します。
どだいすべての国民を把握するなんていうことは無理な話。100人や200人の村の話ではなく、億の民の刻一刻変わる動静など誰が把握できるというのか。把握しても意味がない。その前に人間の尊厳に対して失礼な話である。
いつから日本は経済優先、効率化優先、スピードアップ至上の国になったのだろう。

北京の空

2015年12月02日 | カテゴリー: 山木康世

テレビで盛んに流れている北京の汚染された空。
東京の駐車場に雨が降って一夜開けたフロントガラスの汚れ具合が異常なときがある。
偏西風に乗ってここまで来てるんだなぁと思った。数年前まではなかったことだ。
思い起こせば子供のころの札幌の空も、特に冬場の空はひどかった。表に出ると風のない日など煤煙の臭いが鼻をさす。軒先にぶら下がった茶色に変色したツララ、黒いチリの混じった庭先の雪。石炭が暖房の主だった頃の話。
まさに今の北京のような空だったのだな。
PM2,5と言う言葉もなくスモッグの一言で片付けていた風のない日の冬の札幌の空を思い出す。
北京の人たちが気の毒だ。

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