となりの電話 山木康世 オフィシャルサイト

水戸ペーパームーン

2018年09月09日 | カテゴリー: 山木康世

2回目のペーパームーン、僕自身も京都以来2週間ぶりのライブです。
水戸と言えば納豆、納豆は大変体に良いそうです。関西の人はあまり食べないそうですね。昔バンドの一人が奈良の人でした。全く駄目でした。腐ってると渋い顔をしていました。しかしあのネバネバが良いんですね。
あとは梅の偕楽園、梅も体に良いと言うこと。
そして体に合ったライブはもっと良いと言うことでしょうか。
元気が出る、やる気がわいてくるようなライブを心がけてギター1本2時間1本勝負、いざ出立です。
まずは笑顔で互いを思いやり、楽しくお会いしましょう。
北海道も少し沈静化、届け被災地に僕のメッセージ!

厚真町

2018年09月07日 | カテゴリー: 山木康世

今回いきなり全国に名を知られることになった厚真、パソコンであづま、あずまと入力しても出てこない。あつまで出てくる。もしかしたら厚真はあつまが正式名称ではないだろうかとふと思った。
やはり正式名称はあつま町だった。テレビ、マスコミはこぞってあづま、あずま町と報道していた。考えてみたら当の厚真町には電気が行っておらず被害の規模も自分たちの呼ばれ方も聞こえてこないわけだ。
すぐにあつま町とNHKを始め改めないといけない。町の名誉のため言っておく。山本さんにはもう懲り懲りしている。
今聞いたらあつまと発音していたのでやれやれだ。
それにしても停電が冬だったら、どれほど深刻だったのだろうと考えてしまった。
北海道に早く電気、水が戻ってきますよう祈ります。

北海道地震

2018年09月06日 | カテゴリー: 山木康世

未明に起きた大地震、地名がダリア園の早来、厚真、安平など聞きなじみのある地名が次々と飛び込んでくる。姉に電話を入れるとものすごい揺れだったと、真っ暗な中不安で怖かったと。札幌市内も大変だったよう。電気が北海道全域で止まっていることが信じられない事態。泊の原発が停止中で何よりだった。まずは普通の生活に早く戻られるよう祈ります。

処暑の候

2018年09月05日 | カテゴリー: 山木康世

昨日の大風は凄かった。各地に被害が広がって、風も怖いと思った。

一度札幌で風速50メートルを体験した。8階建てのマンションが揺れたときには、このまま強くなったらどうなるかと怖かった。

台風一過、秋空だが風が強い。気温も戻ったような。でも9日まで処暑の候、その後残暑でざんすかね。みなさん被害は大丈夫ですか?

ご多忙中の折、250文字,超えないような軽妙なコメントお待ち申しげ候。

意外に若かったんだ

2018年09月04日 | カテゴリー: 山木康世

昭和55年の今日、母との別れの日だった。
59歳、誕生日直前の母との別れをよく覚えている。
台風のような大風の未明に息を引き取った。初めて間近に見る人の死を冷静に見ていた自分がいた。
オレオレ詐欺など小賢しい人間はこの世にいなかった。スマホもSNSもなかった。今より大分人間的な世の中に見える。アナログからデジタルに取って代わった世の中。便利になったが快適か。そうとも言えないか。最後に残るのは人が人に与える心的影響力か。
何かと物騒な天の采配、せめて天上の人たちを思い出して手を合わせるくらいのことは忘れないでいたいものだ。

自分への信頼

2018年09月02日 | カテゴリー: 山木康世

44年前の9月21日がデビューである。この頃は「白い冬」も出来上がり海援隊などの前座を努めて全国を飛び回りデビューの準備に勤しんでいたことだろう。
そして18年ふきのとうを努めて解散、26年が過ぎた。しかしよくやってきた、これたというのが率直な感想である。歌を作ることとギターへの愛情は人一倍である。まだ道半ば、これから良いことがまだ待っていると自分への信頼を忘れず生産をし続けている。
周りの人たちには申し訳ないほどの感謝でいっぱいだ。そして理解あるお客様にも頭が下がる。
いつの間にかのっぴきならないほど来てしまった。
さぁ道なき道を今日も歩き続ける。

関東大震災

2018年09月01日 | カテゴリー: 山木康世

大正12年のこの日にマグニチュード7,9の大地震が起きた。午前11時58分、みなお腹を空かして、さてお昼といこうかと思っていたのでは。
当時父は10歳、母は3歳、でも北海道なのでラジオの有る家は臨時ニュースで知ったくらいだろうか。今のように瞬時に全国に伝わり分かり得る時代ではない。生前何も聞いたことがない。
死者が20万人も出たというから大惨事である。木造民家の火災や倒壊による被害だろうか。
今日から9月、今日は防災の日で1960年に防災の意識を高めようと制定された。
天災は忘れた頃にやってくる。心しよう!

« 前に戻る