小田原市おだわら市民交流センター 「UMECO」 ROOM4御礼
2023年02月27日 | カテゴリー: 山木康世
箱根街道の七曲りを甘く見ていた。夕刻から夜ということもあり目が周りになじんでいない。空を見上げれば三日月の真下に惑星と思われる星が二つ、何かを暗示するかのようにぶら下がっている。何星かそれ以上追及はしない。35キロほどの三島から小田原への道のり。二つの選択ができる。それほど急ぐ必要もないので下道の箱根街道を選択。1時間もあれば夜道のことだし着くだろう。これが甘かった。ナビを見るととんでもないヘアピンカーブの連続だ。よく昔の人は、この道を作ったもんだ。関所を超えて、あと何刻で駿府の国から相模の国へ。調べたら箱根旧街道というものがあって、江戸時代の旅人はこちらの道だ。そこは八曲がりと一つ多かった。西から東へ入ってくる人なぞそれほどいなかったのかな。
~小田原や お城通りに 朧月~
何とか難所を超えて小田原に着いた頃にはとっぷり日も暮れていた。
明けて小田原の空はピーカン、今日も健在晴れ男。小田原駅に向かって左に進むと、何やら旧いたたずまいの家並みが続く。小田原名物、名産品の店が軒を連ねている。
小梅、干物、お茶、僕好みの嗜好品。そして「山安」ときたもんだ。なるほど昨夜の三日月、星、星の暗示がここにありだったのね。夜空の神秘的暗示ここにあり。
お忙しい中、ご参加くださった皆様、誠にありがとうございました。2023年2月最後の日曜の小田原livelibrary後半は戦争収束、平和を祈願した切なる反戦ソングスでまとめさせていただきました。
三島市ほとり御礼
2023年02月26日 | カテゴリー: 山木康世
深夜久しぶりの緊急警報が鳴った。北海道道東での地震速報であった。あの嫌な音は好きになれない。なんでも音響学者が敢えて人間にとって不快な音を製作したそうだ。不安になるような音を突然お構いなしにお茶の間へ。それでみんな到来するであろう事故や災害に身構えるというもんだ。その前に人は、あの音を聞かされて不愉快になる。コロナで僕らは3年間も翻弄された。真実は何処へ?そしてロシアウクライナが始まって世間の目や耳は戦争という殺し合いへ持っていかれて1年である。いつ何時やってくるかもしれない事故や災害、ほとんど宿命として捉えるのが正しい選択である。その前に一喜一憂しても待ってはくれないのが正しい見方なのだろう。
近頃選曲をしても曲順は考えないことが多い。ただしギターの持ち替えは意味があってのことなので一応考慮する。昔は詩の持っている意味合いを考えて並べて最後はドラマチックになどと考えて少しの時間をとって選曲していた。しいかしここへきてあまり意味がないような気がしてきた。それよりも刻一刻変わる両者の時間を楽しんだ方が正解のようである。
下手に作りこんだ作品のアザトサに慣れてしまって、聞いてる人を落とし込もうとする目論見は自然の織り成す時間が作るドラマには到底勝てないのである。そこんとこが少し見えてきた感がする。
近頃気合という意味ではリハーサルもない方が良いような気がする。自分だけの確認だけで済むような人生を送っているなぁと感ずるほとりでのlivelibrary。だいぶこなれてきました。
お忙しい中、みなさんはるばるありがとうございました。今日はミステリーツアーと称してみんなでアイマスクをしてバスに乗車、台風直後の小田原の思い出を肴に人生って参ります。
成るように成る 為すように為す。
港区南青山MANDALA御礼
2023年02月24日 | カテゴリー: 山木康世
お日柄もよろしく、風も穏やか季節は雨水「気雪散じて水と為{な}る也{なり}」さらに初めて春霞が立ち上り草木が芽吹く頃とある。日本は四季の国、四季の移ろいを文学的に残してくれた先人に拍手。もともとは中国からの移入らしいが、それを日本の気候に合わせてアレンジ、日本流として残した。これを読み噛み砕くと太陽の子供として生きている、生かされているなぁと感じ入る。
ロシア・クライナ戦争が始まって1年である。ますます混迷を深めていつ終わるのか、どうして終えるのか先が見えない悲しい世界がコロナとともにやってくるとは。
春の足音が聞こえ始め、土の中からふきのとうが顔を出す。希望の春の到来をみんな待っている。そこへ水を差す戦争。
プーチンをプーチャン、ゼレンスキーをエンゼツスキーに改名。立てていた目くじらが少し目立たなくなり頬に笑みが浮かんでくる。いくら火薬を使用しても争いは収まらない。むしろ拡大して取り返しのつかない事になりかねない現代戦争。
大勢の人から若き日に芽吹いて残してきた草木をリクエストされ、時間内に納めることができなかったことを謝ります。しかしその心を車で運んで三島、小田原へと撒いてくる所存。
昨日の配信有人Live、ロマン・ペーソス・ユーモアの織りなす山木ソングス100%ヒューマンLiveLibrary。
お忙しい中皆様誠にありがとうございました。
北区東十条スタジオフェイス御礼
2023年02月23日 | カテゴリー: 山木康世
三寒四温という言葉がある。冬から春に向かって天気が3日ほど寒くて4日ほど温かい日が続き、これを繰り返して春になるという。まさにこの言葉通りの東京で晴れ男連チャンの文句のない晴れ加減であった。
22日はLiveLovelyの日。格別の日で意識を少し他日とは変えて臨んできた。この日は2008年のポスターカレンダーを自筆サイン付きお渡しした。「いつもありがとう!」58歳という若き日のテリーズギター姿をお渡しした。終活などという言葉が聞こえてきそうであるがそんなことは考えてもいない。ただこの頃を思って、自分と照らし合わせていただき、たまに振り返ってみるのも悪くないと思ったお渡しであった。
選曲はしたものの順番を考えずの2時間であった。通常何かとドラマチックに仕上げようと開演前にあれこれ曲順を思案する。しかし意外と考えるほどの趣のLiveにならなかったりする。Liveは生き物、生物、三寒四温なのである。刻一刻と時間とともに姿を変えて進行してゆく。当然ギターアレンジも変わってくる。お客さんとの心のやり取りでラスト、エンディングへと向かってゆく。この2時間の仕上げ方が実に微妙で自分でも面白いく更なる前進をと毎度夢見させてもらっている。
お忙しい中、夕刻の東十条で共にした皆様、誠にありがとうございました。またお会いしましょう。
今日は徳仁なるひと天皇陛下様の御誕生日お祝いの日。おめでとうと天も祝福、我は南青山MANDALAにてお祝い申し上げ候と相成ります。僕より10歳も年下の天皇陛下様、なんだかこそばゆくお祝い申し上げ会場で配信でお会いできる喜びにむせんでおりまする。天皇様がお生まれになった日、僕は10歳、山の中から大都会札幌へ移り住んだ、心はまさに三寒四温の日々、何かと子供から大人へと三寒四温の激変の毎日、何を夢見ていたのでしょう。
春日部市小宅ホール御礼
2023年02月13日 | カテゴリー: 山木康世
千葉県から埼玉県へ。
昨日に引き続き満点の青空。柏→野田→江戸川を渡るとそこは埼玉県春日部市である。江戸時代この川を利用して江戸へ生活物資を運んだ重要な川であった。今でも川幅は相当なもので往時を偲んでしばし見ほれる。北海道はどこまで行っても北海道なので、このような県境というものがない。昔の藩の名残が今では県として政治を司っている。川を挟んで目と鼻の先であるが、政治経済だけではなく県人意識も違うと言うから驚きだ。道産子としてはある意味歴史の永さを感じてうらやましくもある。川は橋が架かっていなければ人間の意識まで変えてしまう。昔の人にとって川はいろんな意味で超えることの出来ない自然の隔たり、隔離、差別を助長した天然の関所のような感じだったのだろう。今では車で橋を渋滞していても5分ほどで隣の県へ行ける時代になった。
小宅は2回目、2021年というからコロナ禍での初見参で有ったのだが、申し訳ないが会場の記憶が全くなかった。一つだけ思い出したのが、トイレの壁に掛けられた日本犬の鉛筆によるデッサン。これを目にしたとき、これは見た記憶がある。しかしドアを開けて会場を見渡しても一部の記憶もない。不思議なものである。当時自分がどんな感情でここを訪れていたのか興味深いものがあった。
いつのころからニューミュージックの人は話し上手と相場が決まっていった。当初はそんな話聞いたこともなかった。それがいつの間にか逆転現象、話がおもしろいので行ってみよう。という業界になってしまった感がある。粋な小話のような話は結構なのであるが、男の無駄な長話には今でも少し抵抗がある。そんなこんなで話の少なかったlivelibrary、しかし心は燃えていた、傾ける熱情は昨日以上のものがあった。
結果昨日とはひと味違う良好なlive日和となった。ただ一つ思い出の新譜ジャーナル栄光の日々は切ないほどに我が身に感傷を与えた。星は天から大地である。お忙しい中お集まりいただいた皆様、誠にありがとうございました。椅子の並べなど大いにご助力くださったお店の奥さんを始め良い一日をありがとうございました。冬の夜汽車は天上を黙々と走っている。
船橋市音楽空間SOLA御礼
2023年02月12日 | カテゴリー: 山木康世
前日とは打って変わって雲ひとつない青空。船橋まではアッという間に着いた。柏の半分という感じだ。
北海道にいる頃から何かと聞いていた船橋。ヘルスセンターの歌は知らないが、ヘルスセンター会場で行われるイベントなどでよく名称は耳にした。僕の思い出としては元風俗場がライブ会場に変身、ガラス張りの床で異様な照明の元、悦に入った船橋が鮮明に記憶に残っている。はいー、踊り子さんには触れないでください、とかなんとかおっしゃって男たちの前で踊った踊り子さんは今どうしてる。
なかなか終わらないロシア・ウクライナ戦争。大きな地震はそんな人間の愚かな行いに「止めなさい!」とでもいうような天からの鉄槌のようで、3万人近い犠牲者、建物の崩壊などを見るにつけ、戦争を行っている両者の愚行を嫌が上にも見せつけられる。そのうえ武器の商人たちは、殺し合い、破壊のおかげで4割増しの売り上げに喜んでいるという放送は人間の哀しいサガを見て考えさせられる。幸福とはなんなのだろう。100年前の関東大地震では10万人が亡くなったという。多くは火災による被害だという。その後の戦争で何百万人も亡くなった。建国記念日だったのにすっかり忘れていた。ふなっし様のことも忘れていた。
今日は春日部へ。昨日とは一味違ったlivelibraryに努めよう。
大勢の皆さん、お忙しい中ありがとうございました。
明後日はふなっしー様の船橋SOLA
2023年02月09日 | カテゴリー: 山木康世
昔テレビで朝から晩まで自分の周りで起こったことを記憶している超記憶者の話があった。その人は証拠として絵とともに説明を入れてこと細かく覚えているというもので、そういう人がいるもんだと感心したり少々人間の知られざる脳の秘密に驚いたりした。
方や認知症などという、自分であって自分じゃないという寂しい病のことが問題になったりしている。昔でいえばボケである。これが自分に降りかかったらと思うといてもたってもいられなくなる。
矢張り脳は使ってナンボのものらしい。鍛えることができるならジムにでも通って鍛えたいが、そんなジム聞いたことがない。
僕は週2くらいで大好きなliveを行っている。これは実は脳にとって非常に良いと感じている。それでもお恥ずかしい話、歌詞はPCを見なくてはただの人というお粗末ぶりである。そして見ててもあらぬ歌詞が口をついて出てきたりすると、あらら…。
1994年からPC日記を書き続けた。1年で総文字数50万文字に及び十数年が過ぎた。今でもその頃のことが読むと鮮明に蘇ってきて面白いもんだと感じている。しかしそのことが自分一人だけの記憶だと面白くないと思い始めた。誰かと共有して初めて喜びに変わるのである。今も気が向いたら日記を書いているが、昔の50万文字には到底及ばない。
角田順との思い出コラボから1週間、本来なら配信してもおかしくないご時世である。しかしマーキーはその設備を整えていない。今後も考えていないらしい。ぼんやり思い出してほくそ笑むのもまた良いか。
しかし今回先ほどの超人ぶりでまるでレコーダーから書き起こしたかのような書き込み。恐れ入谷の鬼子母神。読ませてもったら更に事細かく蘇ってくる。
何を歌ったかさえ忘れがちである。しかしPC曲順を見ると思い出せるのでそれほど心配していない。
もしも隣の人がかような記憶達人だとしたら人間の脅威の肉体はそれほど不思議な話ではなくなるね。
コロナ禍において人と話すことがメッキリ少なくなったとよく聞く。家にジッとしていて人と合わなかったり話さないでいると脳はゴロゴロして退屈しているんだろうな。これがボケの始まりかもしれない。認知症などという言葉から来る、いかにも専門用語ではなくボケ=呆けで良いのに誰かが言い始めた差別用語反対のひとつなのだろうか。少しユーモアのあるボケは自分次第で遅らせることができる。僕の音楽Liveはそんな要素を秘めていると自負して明後日の船橋へ歩を進める。その前に雪予想の嫌な天気予想。晴れ男はどこまで対決できるか。ふなっしー様オセーテセニョリータ。
練馬区江古田マーキー大御礼
2023年02月05日 | カテゴリー: 山木康世
やはり晴れ男健在、お天気の神様は我に今のところご機嫌の采配。嬉しくなってしまう。風も穏やか季節の変わり目、立春の一陽来復。ミスタージュンとの「いいちこ」ノリの約束の日。
皆様のホントに暖かい喝采の拍手、息遣いはいつも以上のものがあってジュンも驚きうらやましがっていたよ。そうだよね、長年培ってきた我らがウエノ、アリノブを始めとするマーキー魂だよ。この熱気、興奮、静かさは大事な両者の宝物だな。
ジュンは打ち上げで日本のニール・ヤングと評してくれた。まぁディランチルドレンの世界のニール、気分は悪いはずはない。いいことを言ってくれた。コロナ禍においてミュージックレターを配信していたニールの姿はあるべきミュージシャンの姿で大いに同調した。売れるための歌作りは本文ではない。結果売れるような歌作りがソングライターの務めなのである。
とりあえず30年間ホームマーキーに通い詰めた結果がジュンとのなんちゃってコラボ赤鬼青鬼「百歌狂乱」良い夕刻だった。皆さんと共に長いこと生き抜いてきて、それをジッと見ていた神様からの祝福贈り物なんだよな。
デジタル真っ盛り、しかし心までデジタルになるわけではない。心はいつまでもアナログさ。デジタルはあくまでも手段だな。アナデジで行こう!ダンスや訳のわからない歌を取りやめて、もともっと良質の歌が今のすさんだ日本の世の中には必要だ。無駄な受け狙いから脱却しなければ世界から確実に取り残されて落ちてゆくのは時間の問題。マーキー魂は今こそ必要なのだ。
お忙しい中、一寸お寒い中、皆様御清聴ありがとうございました。ジュンもありがとう。サダボーもついでにありがとう。
今日の朝6時からのNHKドラマ「大富豪同心」の主人公の名前がヤマキで驚いたよ。八巻だったけど。近頃最良2023年の予兆を感じる一つだったよ。アディオス!
明日は地元マーキー
2023年02月03日 | カテゴリー: 山木康世
ギターに20代後半にツアーで同行した角田順と一緒に数曲コラボ。
着々と準備をしております。なんちゃってコラボではなくカッコいいコラボになりそな予感。
嫌なニュースの続く世の中。どうして容疑者の顔がTVで隠さなくてないけないのか。僕などは市中引き回し、親の顔も載せるくらい厳罰にしないと世の中のルールが変わってゆく危機感を覚える。人権など出てくる話ではない。
明日は音楽って、ギターっ、人って良いなぁという午後のひと時にしようと、今からワクワクしている。
大勢ワイワイ目撃に来てください。
寒いっスね。
練馬区高松ドルチェ御礼
2023年01月31日 | カテゴリー: 山木康世
いやはや遅れてしまって申し訳なしでゴザンス。
中野から練馬へ思いの外早く着くショートカットがある。
新青梅街道沼袋を右折、直進を続ける。環七にブチ当たるが斜めに横断直進、やがて目白通りに出る。斜めに左折、立派な練馬区役所が左に見えてくる。ずっと先には関越自動車道乗り場がある。その前に東京の大動脈環八を通過笹目通りを右折やがて目指すピアノプラザが左にある。この道を知っているかいないかで移動のイメージが随分と違ってくる。
39歳で昭和が終わってやがて平成、東京へ再度出かけようと決意。ふきのとうは15年経っていた。3年でふきのとう解散、24歳白い冬から活動通算18年42歳になっていた。ソロ活動を42歳で始めたので今年で30年経過した計算だ。中野へ移り住んだ頃、車移動となるとナビの世界もこの世になかったので地図を片手に、信号のたびに確認、時には双眼鏡を備えて道路案内板を。時には渋滞に巻き込まれ何かと厄介、時間がかかってTVでは裏道情報などの番組もあったほどだ。
雲一つない天晴れ男の2023年1月最後の日曜livelibraryドルチェは今回で6回目ほどだろうか。駐車場も難なく確保、一日最大800円と良心的だ。
一日を良くも悪くも送るのは自分次第だ。物事をポジティブに考えると、どうやら神様は救いの手を差し伸べて甘美な人生へと導いてくれるようで、まんざら世の中も悪くないなとニンマリ。ドルチェとはイタリア音楽用語で「甘美」。
明けて2月、最高に寒い日の続く如月である。衣更着とも書く。何でも寒くて更に衣服を重ねて着る月。4日は節分、豆まき、江古田マーキー、ジュンとのコラボのヤマーキーの日である。立春、この日を境に冬はサヨナラ、春がコンニチハ。
お忙しい寒い中、皆様まことにありがとうございました。
柊(ヒイラギ)の小枝にイワシの頭をぶら下げて、豆を蒔いて福は内、鬼は外。
「二月ひとつきは小糠こぬか三合で暮らす」ほどあっという間に過ぎてしまうそうで気をつけよう、いやはや。
週末にココロよりお待ち申し上げまする。