となりの電話 山木康世 オフィシャルサイト

江古田マーキー御礼

2023年08月20日 | カテゴリー: 山木康世

なんでも今年一番の猛暑と思えば遠くへ来たもんだ。道理で暑いわけだ。その上湿度も並々ならぬ湿り気で、外に出ればホントみんな服着てサウナに入ってる感じで真っ赤な顔して通り過ぎる。そこで更に走ってくる男に出くわす。いくら運動不足とはいえ人の目も気にしてほしいもんだ。「不要不急の外出は控えて」と閉じこもりがちな国民に向かって無責任な放送が。生きると言うことは不要不急の不連続で続く刻々を呼吸して一日をやり過ごすことも大事なテーマで、皆が皆明確な目的を持って呼吸しているわけじゃないのよね。
てなわけで車で10分、ホームのマーキーへ。近所の駐車場が空いてるかどうかが一日の運不運が決まる。今年に入って幸運にも何故かしら「空」で運は確実につかんでいる。マーキーへの足通りも軽く、一日のLiveの日の段取りがスムースに運んでゆく。
スミジュンも機材をコンパクトにまとめたようで心持ちフットワークが軽い。
ヤマヤスは復活Gibson降臨の日である。もう何年になるのだろう、この地のこの会場で後始末の時に事故は起きた。あれ以来Gibsonのヘッドは片付けなくてはならない懸案事項のトップとして脳裏に刻まれて久しい日々が続いた。今日はそれが霧が俄かに嘘のように晴れたような明確になった記念日だったわけだ。ほぼ半年の入院の末、見事な再生復活を果たした。
これを入手したのは原宿は竹下通りのMという小さな小さな楽器屋だった。目的もなくブラリと立ち寄ったM。そこで偶然の出会い。ソロへの始まりの一つが平成元年竹下通辺りにあったというわけだ。
オープニングは時之介を偲んで3曲やらしてもらった。おーい、聞いてたか。後半はスミジュンとのコラボレーション、誠に清く正しく楽しく過ごすことが出来た。「天人様」の共同歩調は素晴らしいものがあった。息がピッタシは簡単そうで中々出来ない作業である。
スミジュン、お客さん、スタッフ一同、良い一日を過ごすことが出来た幸運に感謝。
火曜日は国立へ出かける。コクリツではない、ご愛嬌たっぷりにクニタチでLiveLovely。待ってますぞ!

久しぶりのギブソンB-25、これぞBOSSの音


角田さんと7曲を披露


「1022が待ち遠しいね」

タイムトラベルでもして今どこに居るのか

2023年08月18日 | カテゴリー: 山木康世

名前を矢上時之助という。と言った。彼はもうこの世にはいなかった。
1週間前ここ八王子にてフォークコンサートがあった。そしてここで本当は再会をしていたはずだ。彼は来ず友人がユーチューブで歌声だけを届けてくれた。
https://www.youtube.com/watch?v=lw71WnQ1Guk

なつかしさ一杯のもういない時之助との再会だった。
月日は残酷である。ふきのとうが好きで、この歌と「皇帝ペンギンオーロラの空へ」も好きだった。
僕よりもずっとずっと優しい男だった。

老兵は死なず

2023年08月17日 | カテゴリー: 山木康世

山野病院に入院して6ヶ月。季節は冬から春を超えて真夏のお盆になっておりました。中野より40分ほどの台東区柳橋への道のりは懐かしく、病院に近づくにつれ記憶が鮮明によみがえってくる。スミジュンからの紹介の渡邊医師は、いかにも職人という感じで出迎えてくれて早速本題に入った。
なるべくオリジナルのロゴとロットナンバーは再現しましょう。ペグも当初の3連に付け直すとして、ざっと見て4ヶ月ほど時間がほしいところ。
患者のB-25はご主人様の帰る後ろ姿を黙って角の方で見送っていた。あれから実に半年が経っていた。
何度か渡邊医師から添付写真付きの状況報告があって待望の蒸し暑い台風一過のお盆の日となった。完全に壊れていたヘッドの修復も見事になされて買ったときとほぼ同じ状態でギタースタンドに輝いていた。復活の日である。手に持ったときの感動を一言で述べることが出来ない。複雑骨折をして10年は経つのであろうか。それでも自前でなんとか数本のネジと接着剤で持ちこたえてきた我が音楽人生の伴侶「GibsonBー25」1965年生まれと言うからアホウドリがギターを初めて覚え始めた年代と奇妙な一致をして奇遇にも符合した。何かの縁であろう。
土曜日の骨折現場の江古田マーキーで完全復活を出来る喜びをかみしめている。
さぁ再出発だ!

半年ぶりに手にするB-25。なかなか離さないで弾き続けるBOSS


山野楽器のテクニカル担当渡邉さん、ありがとうございました!

東京都台東区三筋シェアタイムスタジオ御礼

2023年08月14日 | カテゴリー: 山木康世

八王子翌日の日曜、お盆に三筋に行ってきた。東京都台東区三筋で、老舗の袋物製造業があったり斎藤茂吉が住んでいた町でもある。
日曜と言うことで、ご近所さんはお休みか人があまりおりませぬ。やたらと一方通行があり運転は楽だ。のんびり時間が過ぎて行く。
新宿渋谷池袋のエネルギーも、そりゃ大都会にはよく似合っているが、50年で建て替えなんてどうなんだろう。直下型地震に備えてなのかもしれないが、あまりにも贅沢すぎないかい。跡形もなく消え去るビルに空しさを感じる。そして自分の身のちっぽけさをいやと言うほど感じてしまう。
三筋のような古いこんな町の大江戸の風情も忘れたくないもんだ。
東京のあまりお目にかからない各所に足を運んで、それも仕事と趣味をかねて目的の時間を過ごすという、今まであまりなかった時間をコロナ以降ほどよく過ごしている。便利さも大事であるが、あまり過ぎてもいけない。それよりも心がほどよく和らぐ時間はもっともっと必要ですな。
忙しいなか土砂降りのなか三筋へお足を運んでいただいた皆様、お銭をいただきましてありがとうございました。
お子さま連れのお若いお母さんにもやる気をもらいました。今ごろお子さんはどんな夢を見ているのでしょうかね。ひきつけでも起こしていませんようにまた会いましょうね。今日は2時間ありがとう。

八王子フォークコンサート御礼

2023年08月14日 | カテゴリー: 山木康世

八王子と言っても南大沢である。羽田空港でリムジンを待っていると、南大沢行きのバスがあって、そのときこの街を知った。
八王子市の郊外に広がる山野を開拓して新しい街を作ったようだ。車社会を見込んでの都市計画、大事ではありますな。
会場は円形で、音的には難しいものがあるのかも、しかし人が集うという点では円形は良いですな。
久しぶりの複数のミュージシャンによるコンサート、ラジオの収録も兼ねているということで気を抜けない。
最後は全員による「翼をください」リフレッシュをもらって良いコンサートだった。

全6曲を披露しました


ラストは出演者勢ぞろい

菊川珈琲屋香妹御礼

2023年08月07日 | カテゴリー: 山木康世

大井川を渡って直に菊川、お初でした。お茶の産地宜しくお昼にいただいたアイス日本茶は美味しゅうございました。
いつもとは違うお客さま方、珍しいようなはたまた懐かしいような対応。一生懸命ふきのとう時代の歌を熱演いたしました。最前列に女性客が4人、他は野郎のお客様が熱い視線と拍手を下さった。彼女、彼らの青春時代に届いていた歌たちを絆に50年人生をひもときました。
終わって撤収の際、いきなりの夕立、傘を差して車にいくのも厄介な降り方、待ったがますます勢いは強くなるばかり。荷物をなんとか詰め込んで、窓越しにお店の方、松浦ご夫妻に別れの手を振りました。ワイパーも効かぬほどの土砂降りのなか今夜の宿へ急ぎました。
大勢の皆様ありがとうございました。またお会いしましょう、お元気で。

壁一面に星空の写真が飾られています


OAは御夫婦ユニット「きこりっこ」で1曲


スタッフの皆様と。ありがとうございました

新城みやした珈琲御礼

2023年08月06日 | カテゴリー: 山木康世

今年の大河徳川家康で盛り上がっている新城。新東名の新城PAに降り立つと長篠の戦いの古戦場跡を見ることが出来る。こう言っちゃ何だが言われているほどの大きな山ではなく、こじんまりした山である。ここを舞台に双方が戦い合ったのかと思ってしまう。当時の人たちのトップは自分達の勢力を鼓舞、維持するのに懸命だったのだな。まさに群雄割拠、北の果て出身の自分としてはピンと来ない歴史の流れ。
78年前の8月6日は国内の争いの時代を越えて、国同士の戦いを終えるリトルボーイ。名前とは裏腹に14万人を一瞬で殺戮、殲滅という惨状が8時15分から繰り広げられ、今も続いているいざこざの絶えない世界、トップの人間の考え方が真に試されている時代である。
今や世界は狭くなってつながっている時代だと言うのに、使えない究極の兵器をなくすることも出来ない懲りない人間を恥じてしまう。黙祷の1分に鐘は要らない。子供による演じられたような作られた言葉は要らない。読み上げるトップの言葉も要らない。形骸化、イベント化される8月6日の式典を懸念する。声を大にして今日は菊川で「電信柱の青大将」を歌い上げる。

大勢の人が暑いなか、お忙しいなか「みやした」に集まって下さいました。2回目7年ぶりの新城、つつがなく終えることができました。真のありがとうを50年の誠意を込めて心より御礼を申し上げます。

春日井カフェカレドニア御礼

2023年08月05日 | カテゴリー: 山木康世

何日ぶりだろう、戻ってきやしたで。あの日のモーニングにお邪魔して、朝日のお邪魔する店内に前日の余韻の漂うカフェでちょうど手頃な朝食をいただいた。liveに来てくださったお客さんとも話ができた。ウクレレの話もできた。小一時間お邪魔して次の街へ出立した。お忙しい中、門前でのマスターの「いってらっしゃい」という言葉にホッとしたもんだ。何気ない言葉だけど、「さようなら」では当たり前すぎて寂しく再会を期待できない。
「また会いましょう」と言うことで、明日を期待してとりあえず僕たちは毎日疲れた脳細胞と肉体を休めるために充電の眠りに就く。明日の「おはよう」を当たり前のように期待して眠りに就く。万が一もしやもう会えないかもしれないのに、眠りに就き朝日を拝んでいる。
人と人との付き合いは簡単そうで難しい。それぞれの脳内で感じたことと、口から発せられる言葉には微妙な違いがある。相手を気遣って少し距離をおいて会話をした方が長く深く繋がって居られるようだ。せっかく知り合った仲だ、出来るならまたお会いしたい。
アフリカのとある国の人は目と目を会わせて会話をしないという。対等の立場の人なら良いが、先輩後輩の仲では距離を置いて話すという。日本国では何とも失礼のような感じが優先するようだ。目と目を合わせて話すことが相手他者への誠意の現れと取る。ロシア人は知らない人同士、人前では笑ってはいけないという。失礼に当たるという。アメリカ人の男は四六時中女性のことしか頭にないという。ところ、国が変われば想像以上に異なっているということだ。
こんな近距離で歌を歌って話をして、おざなりの話ではなく嘘偽りのない話をして2時間、大切な中身の濃い2時間なのであるな。
「誠意」という言葉は本当に大事な言葉であるとつくずく感じる今日この頃である。
お忙しい中お会いされた皆さん、誠にありがとうございました。それでは行って参ります。行ってらっしゃい!

満員御礼”


今日の共演は5曲でした

さいたま市アトリエM御礼

2023年07月30日 | カテゴリー: 山木康世

格調高い木真面目風なアトリエM、目の前を走る道路は車が切れることがないほど混雑の道だ。
昨日の熱さは、大都会の排気ガスやエアコンの輻射熱などが大量に環八辺りに東京湾からの風を受けて大集合、そして落下、埼玉県の異常な高温はこの原理が働いているという。申し訳ない気分だ。江戸時代の夏は東京湾からの南風は涼風で涼しかったとかなかったとか。その涼風にチリンチリリンと風鈴が、パタパタと内輪辺りで済むような夏の風情が良い感じだ。もう戻ることはないのだろうか。故郷の夏休みは25度が最高温度で、いつの間にか30度超えの声を聞く。地球温暖化などという言葉は昔の言葉、今は地球沸騰化と言うらしい。
これが冬になれば寒い寒いと言ってるのだから、人間は身勝手な奴らと緑でなく蝉が言ったとか言わなかったとか。
青森ではねぶた祭が始まってるのだろうか。東京に越してきたころ、高速道路を信じて、青森を目指したことがある。6時間の後、夜の青森に入ったが車、車で規制があって、自由に動くことができなかった。サイトウ君に電話して泊めてもらったなぁ。ラッセラッセの声が聞こえてくる。コロナ明けの日本列島、お祭りや花火大会が正常に戻ってやれやれだね。
思い切って汗を流し、2か月、待望の新宿文化センターまでつつがなく、活発に生きて行こう。
みなさまお忙しい中誠にありがとうございました。ポスターチラシ何卒宜しくお願いいたします。太陽が燃え盛っている。

思い出の赤いポスト

2023年07月25日 | カテゴリー: 山木康世

思い出の赤いポストについて書こう。
1992年42歳、実に18年続けた「ふきのとう」に別れを告げたのが5月。20代、30代、40代と寝食を忘れて没頭夢中になった、学生の頃から始めたグループ活動に終止符を打って、半年がいつの間にか経っていた。
さてこれからの船を如何に進めていくのか、淀みなく順調に進めて行くのかの指針はおぼろげではあるが確固としたものはなかった。しかし未知なる世界へ沸々と心は燃えて、興奮と期待で血気盛んであった。今までの音楽人生の延長線上にとりあえず航路を考えて先ずは出港だ。
お世話になった才谷音楽事務所に出向いて自分のものを引き下げてきた。その中にあったファンクラブの会員名簿は船にとっての最高の明かりとなって光っていた。早速買ってまだ使い方のおぼつかないMacへの練習も兼ねて、毎日エクセルのセルへの書き込みの日々。初めてお目にかかる今までのお世話になった熱いお客様の個人情報である。打ち間違えの無いように慎重に時間をかけて打ち終わった。そして印刷である。ハガキを大量に買い込んで、深夜夜ごと模索の日々が続いた。何せパソコン本体もそうであるが、外付けのプリンターへの慣れも相当に要したが、この打ち込み作業によって手懐けることができた。憂い奴よ、近うよれ。
そしてこれからの山木号発信の目的や意義を手短に、しかし内容濃くまとめてハガキにしたためた。
或る夜、西武線の信号を超えて一番近距離の赤いポストに向かった。
どうぞ多くのハガキの返信が戻ってきますようにと柏手をパンパン、深夜の人気のない街なかに響く希望と願いのパンパン。この赤いポストが思い出の山木号出帆の出発港だったのである。50年目の節目に立ち寄った久しぶりの赤いポスト。パンパンはしなかったが感慨深いものがあって夜の蝉も鳴き止んでジッとこちらを見入っているようだった。

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