となりの電話 山木康世 オフィシャルサイト

2冊の本と1台のMac

2010年02月20日 | カテゴリー: ミュージック・コラム

ふきのとうを解散して一人になったとき町で見つけた2冊の本がある。1冊は「人生歳時記」もう1冊は「菜根譚」である。
何かにつけてこの2冊をひもといてきた。
中野サンプラザの古書フェアで見つけた「人生歳時記」は今は無き省光社発行、飯田豊二著、定価1500円が1000円で売られていた。毎日の言葉が先ず右ページにあり、左ページには日本の今日の出来事や各地の祭り、今日の献立、おもしろコラムが2ページにわたって書かれている。毎日開くだけで日本各地の「今日」や、いろんなジャンルの「事」が読める仕組みだ。

考えたら人生をどのように過ごすかは、自分だけでは決められないで、黙っていればいつの間にか太陽は山の彼方に、海の波間に消えていってしまう。しかし朝からの行動のきっかけを何かで得ればその日の行動が自ずから変わってくる。そのきっかけをこの本は作ってくれる。今でも18回以上は同じページを開いているのだが、発見がある。ページには同じ記事しか書かれていないのだが、昨日と同じ自分はいないから発見があるというわけだ。

「菜根譚」はサイコンタンと読む。
二巻。明末、四川省出身の洪応明(コウオウメイ)の著。成立年代不明。わかりやすい通俗的な処世訓の書。「人間はいつも菜根(まずい食物)をかじっていたら、万事がうまくいく」という語から、書名をとった。

[改訂新版 漢字源 株式会社学習研究社]
この本の名前と効用を新聞か週刊誌か、何かの片隅で読んだのがきっかけだった。そしてこの頃パソコン自己流覚え立ての頃。まずはキーボードアレルギーを「菜根譚」丸ごと写しで修練、克服した。打鍵しながら先人の残した良い言葉を習っていった。42歳の夏である。ふきのとう18年の忙しさにかまけて失っていた社会を取り戻そうと懸命だった。今から18年前の夏、この2冊と1台のMacが今の自分を方向付けた。

何かにつけて使い捨ての風潮が強い今の時代、自分だけの永遠の何かを見つけて肌身離さず、自分のそばに置いておくことの大切さ。そこから幸せの花が開く。

(山木康世)

「半畳を入れる」

2010年02月19日 | カテゴリー: ミュージック・コラム

相撲などで番狂わせがあったとき、場内に座布団が乱舞する。
特に強い力士、憎き力士をそうでもない力士が勝った場合などに乱舞する。
これは江戸時代の劇場で、客がつまらないものを見たときに土間に敷かれた半畳のゴザを投げ入れた名残だという。
今ならその場で鬱憤を晴らさないで、さしずめネットで帰ってから、チクリチクリと顔を見られないぶんハンドルネームという匿名で、人を痛めつけて立ち直らせなくなるほどの半畳を入れる。
どちらがたちが悪いか?
決して明日の江古田マーキー、半畳を入れられることのないよう充実のライブにしよう。そして店の繁盛につながるよう全力投球をしよう。
なお半畳には「起きて半畳、寝て1畳」という自分を戒める良い言葉もある。

(山木康世)

各地の元気な麺野郎異種格闘戦

2010年02月18日 | カテゴリー: ミュージック・コラム

■冷やしラーメン
 夏の暑い山形は盆地なので特に暑い。そんな暑さを取り払おうと噂のラーメン屋へ。このラーメンは山形発祥で中になんとキャラメル大の氷の固まりが入っている。熱さも味の大事な要素と思っている筆者には行列を作って入るほど人気のラーメンという訳が未だに分からないラーメンの一つ。やはりラーメンは鼻水を垂らしながら、釜の中からわき上がる蒸気が、冷えた店内にムンムンの中、食するのが良い。火の玉が燃え盛るような真夏でも同じである。熱くて一息で飲めないスープがラーメンのラーメンである所以とも思っている。

■カレーラーメン
 室蘭で食した。このラーメンは納得できる。すでにカップ麺で食しているのでそれほど意外性はなかったが、これで町興しをしていると聞いたので応援もしたくなった。白い衣服を着て食べに行かないことだ。店を出る頃には変種のテントウムシ状態になって出ること間違いなし。トロトロ状態のカレーは中に熱を閉じこめるので、スープはかなり熱い。口内炎を患っている方も食いに行かないことだ。口内が火災状態になるだろう。文字のごとく口内炎だ。

■塩焼きそば
 北見で食した。ホテルのランチだったので、これが噂のおいしい塩味焼きそばなのかどうかは分からない。もう少しうまいのがどこかの店にあったのかもしれない。北海道の見事な白銀のような色をしていて、本来の焼きそばの♪行ってみたいなジャマイカ♪のコーヒー色を想像していたのでは興ざめである。何事も色眼鏡なし、先入観なしで見る目が、味わう味が大事である。人はついつい自分の価値観で物事を断定しがちである。判断ならまだ救われるが、断定まで行くと裸の王様になる可能性が高い。味の方は北海道人特有の淡泊な、それでいてしぶとい誰にでも嫌われない味かもしれない。

■つゆ焼きそば
 青森県の黒石で雪の中、石油ストーブに当たりながら食した。なんと調理に45分もかけたもんだから中に何が入っているのか分からないほどてんこ盛り、濃厚な焼きそばだ。いくらつゆと言ってもここまで入れなくても良いんでないかいと言いたいくらいつゆだくだ。坊主頭のご主人は実に口が立つ。面白くて待っていても時間が気にならないほどだった。これが手なのかもしれない。靴を脱いでどこにでもあるような一室で待つこと45分、しびれを切らした連れの一人が「取りにうかがいましょうか?」「良いって、落としてこぼしたりしたら何もなんないべさ」食えど食えど中から増殖してくるのでは思えるほどの容量のでかい焼きそばだった。嫌いじゃないよ。
今後個性の強い麺野郎を見つけ次第、筆者は報告をする予定でおります。

◎周口難調ー中国のことわざ
「すべての人の口に合う料理を作るのは難しい」

(山木康世)

物臭太郎

2010年02月16日 | カテゴリー: ミュージック・コラム

カントリーミュージックは日本の演歌と同じだ。
ポピュラーカントリーではなく少し古い正調カントリーを聴いてそう思う。
何聴いても同じ。人はつい言いたくなる。
全く知らない歌でもすぐに体になじんで鼻歌で歌いたくなる。シンプルである。おそらくコードは3つあれば演奏できるだろう。前奏、後奏の型の決まったシンプルさ。

僕がギターを覚えたくなった動機のひとつにカントリーがあった。
コードが3つで良いというところが怠け癖の15歳にはピッタリだった。
未だにその癖は抜けきらない。
いや抜けるどころかますます成長して1つのコードでも良いと考える始末である。

シンプルイズベストを人生のモットーと公言して、自分の物臭太郎の言い訳をしている。
シンプルから工夫すればいくらでも複雑になる。
その逆を行うのは至難の業である。

(山木康世)

江古田マーキーでお待ちしております

2010年02月15日 | カテゴリー: ミュージック・コラム

白い木しか生えていない町はどこでしょう?答えは柏です。
柏Wuuの興奮冷めやらぬ今週の土曜日、僕が数え切れないほど足を運んだ彼の有名なフォークの化石の店はどこでしょう?
答え、東京は江古田、千川通りに面した吉野家の隣、地下に深々と二十数年、根を降ろした根性の店、江古田マーキーでございます。
入魂のライブやるから見に、観に、聴きに来てください。
今から当日の惨状、否参上を夢見て心は躍り日夜眠れぬ夜を過ごしております。
歩いていっても今日中に着いてしまう。そんな近場、我が町中野の隣町でのライブ、みなさーん、心よりお待ち申し上げております。
来られる方は、町が円でないよ、否元い、間違えんでないよ、ちゃんと江古田駅南口で降りるんだよ。
今日も寒いな。

(山木康世)

柏ライブありがとうございました

2010年02月14日 | カテゴリー: スタッフ・ダイアリー


 恒例のライブ会場となりました「柏WUU」でのライブ。
朝は小雪がちらつく寒いなか、多くの皆様にお集まりいただき、感謝です。

 次回の柏ライブは4月10日(土)です。よろしくお願いいたします。

(山木倶楽部)

冬期オリンピックが始まるぞ

2010年02月12日 | カテゴリー: ミュージック・コラム

 北極からの寒波でアメリカの首都ワシントンは機能がマヒするほど降雪が続く。111年ぶり140センチと豪雪に見舞われている。
 カナダのバンクーバーは桜が咲いているという。会場へ雪をせっせとヘリコプターで運ぶ姿がテレビに映っていた。
 本当におかしな話である。

 札幌雪祭りはどうだったのだろう。自衛隊による雪運び作戦はあったのだろうか。
中学生の頃、暖かい冬で祭りも後半に入ると、土俵入り姿の横綱大鵬の化粧まわしの綱の下からだらしなく太い縄がむき出しになっていた。
 人間による温暖化なのか、それとも単なる地球の大きな気候変動なのか。160万光年も先の星の映像を解析、分析している人間が足下の異常を解析、分析できぬとは。

 海の深さ 宇宙の広さ いくら虫眼鏡で のぞいてみても

 折しも関東地方にも大雪警報が発令されている。せめて柏ライブの日だけはお天気でありますようにと煩悩の塊の願う寒い一日でした。

(山木康世)

敵に塩を送る

2010年02月11日 | カテゴリー: ミュージック・コラム

 日本人は、良き日本人、好まれる日本人の規範として「人間は強きをくじき弱きを助け」とする大枠の意識を持っている。
 朝青龍は確かに強かったが、弱気を助けの感じが見られなかった。実生活の彼は分からないが、最後の事件が追い打ちをかけた。
 今までの日本人横綱も強くなって優勝をしたら得意になりたかった人も大勢いただろう。しかし、声を押し殺し黙っていた。
 朝青龍は馬鹿正直すぎて日本の規範に負けていった。
もう勝負が決まったほど相手の勝ちがないと見えても、彼は要らぬ最後の一突き、勝ち誇った態度をした。日本人には合わなかったというわけだ。
 敵に塩を送るという態度はできそうでできないが実に美しく心を平和にする。
 それにしても退職金と功労金で3億円が送られるという。
 ハワイでゴルフ三昧。強ければいい、勝てばいい、そんな風潮がはびこると、ろくなことはなく幸せな世の中にはならない。
 まだ十代で世の中の右も左もそれほど知らないスポーツ選手が億円の話をするのを聞くほど嫌らしく品がないことはない。本人のせいもあるが、みんな周りの大人のせいだ。

(山木康世)

戸(へ)の話

2010年02月10日 | カテゴリー: ミュージック・コラム

 一戸、二戸(にのへ)、三戸、五戸、六戸、七戸、八戸、九戸。
なんと屁の多い、失言、戸の多い地域であろう。よく見ると四戸がない。おそらく死の戸につながるから昔の人は忌み嫌ったのではないか。山木説
 しかし名字になると俄然四戸が一番多いというからおもしろい。ほかに一戸さん、七戸さんがいるという。
 ちなみに十戸が十和田になった説と遠野になった説があるという。
 昨夜のライブは築400年の重厚な渋い古民家で行われた。古い甲冑が左手の奥座敷から見ている。その甲冑のくりぬかれた黒い眼底からジッと天台荘のライブを見ている戦国武士が語りかけてくる。
「お主の幸せはみんなを幸せにすることにある。今夜も真心の歌を頼むぜ」
 大勢の屁の元を製造、発する二戸の夜は深々と更けて行きました。冷え切った空には満天の星が煌めいておりました。
(山木康世)

福音の銀貨

2010年02月09日 | カテゴリー: ミュージック・コラム

 青森の町中を海水が流れている。
よく見ると道路の中央に小さな丸い吹き出し口があり、そこから水がチョロチョロと流れ出ている。降り積もる雪を海水で溶かすという訳だ。その海水は車を傷めるのではと心配もした。
 さらによく見ると、とある一カ所から銀貨が噴水のようにあふれ出ているではないか。夜なので車はあまり通っていなかったが、周りに気づかれないように中央で拾い集めた。それでも集めきれないほど吹き出し続けている。
 そうか、沈没した船の金庫から漂着した銀貨か。難破船からの福音。海賊船からの福音。ウニ、タコ、イカ、鯖、カレイ、マグロ。海からの福音。
 あー拾いきれない。ホテルに戻ってバックを持ってこよう。
 大きな黒いバックを持って急ぎ足で戻ると大勢の人が我先にと拾い集めているんでないかい。そしてあっという間に蜘蛛の子を散らすようにいなくなった。後には一枚も残っていない。歩道に戻ろうと踵を返すと、一枚の汚れた銀貨が足下に。拾おうと腰をかがめた。首を右にひねって車道を見ると海水が洪水のように襲ってきた。わぁー、やばい!
 翌日、ホテルの隣の100円ショップで爪切りを買い求めた。右手の爪もヤスリで整えたから今日の二戸の成功は間違いなし。
 春がゆっくりゆっくりとユーラシア大陸から近づいてくる予感の青森の冬。

(山木康世)

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