となりの電話 山木康世 オフィシャルサイト

美幌小宴会音始末記

2010年05月16日 | カテゴリー: ミュージック・コラム

一年ぶりの美幌である。周囲にはまさに北海道東部の風景が広がっている。
中学の修学旅行で初めて道東に来たとき、目の前の自然に驚いた。松が札幌に生えているのと種類が違う。コロポックルがヒョコンと目の前に現れてきそうである。蕗の葉っぱの下に隠れている神様がコロポックルだ。
あいにく霧の摩周湖、屈斜路湖も霧。川湯硫黄山の茹で卵の出店も今日はお休み。しかしこの霧がさらにロマンと伝説の神秘さを増幅する。大自然は変わることなく静かに息づいている。気温は5度。やはりロシアの環境と同じだ。(と言ってもロシアは知らない。行ったことがない。一度イギリスに行く途中、モスクワに、それも空港に立ち寄っただけだ、エヘヘ)

プチパーティは去年より整然として、ステージ上もキチンとしていた。マスターに話したら、徐々にではあるが上向きと聞く。うれしくなった。毎日の積み重ねで店の表情が変わってくる。入ったときに感じた店の空気は澱んでいなかった。
オープニングアクト「おやぢる」のふきのとう音楽界はうれしい限りだ。当時はきっと中学生だったんだろうな、と思われる今では立派な大人連が僕の音楽を一生懸命歌っておもてなしをしてくれる。こんなこと30年前には考えたこともなかったよ。そうだよな、山木も還暦、元い山木、感激!
降るような星は見られなかったが、僕の心にはたくさんの思いの星が降っていた。

眠れない夜だった 

眠れない夜だった ボンヤリ星を見てる
思い出してみたよ 会いたくなったよ
君の話し方や 癖を思い出した
あのころの僕たちが 笑っていたよ
バスに揺られながら 一度だけ旅をした
見渡す限り草原 オホ-ツクの海

夏でも寒かったね 北の町で僕たち
地球上で二人だけの 初めての夜
ホテルまでの夜道を ほろ酔い加減で
夜空に隠れるように こっそりキスをした
君のひとみのなか 満天 夏の星
ほっぺたにこぼれ落ちた 流れ星一つ

眠れない夜だった 会いたくなった君に 
あの頃とちっとも変わらない 夏の星空

(山木康世)
 

札幌市電ライブ

2010年05月16日 | カテゴリー: スタッフ・ダイアリー

五月晴れの札幌、市電ライブの3年目を迎えました。
応募多数で山木倶楽部会員の方々もだいぶ抽選からもれてしまいましたが、皆さんに気持ちよく出発をお見送りいただき、車内はたいへん盛り上がりました。
車窓から藻岩山を眺めたり、「ロープーウエー前」電停では写真を撮る人も。夕暮れの札幌の街は美しかったです。
写真はサポートギターのジョニーこと曽山良一さんと。

大海原を北上中

2010年05月14日 | カテゴリー: ミュージック・コラム

いよいよ恒例の三吉神社例大祭拝殿でのライブ奉納の日となります。
年に一度の故郷紀行、北帰行、精神の確認、浄化、友との友情。いろいろな意味で三吉神社は、5月15日は、この10年特別な日となりました。帰るところのあるサーモンは幸せモンだ。
産卵期の雄は上あごがのびて曲がるので、俗に「鼻曲がり」と呼ばれる。それにしても鼻の付く慣用語はえげつない言葉が多い。鼻が高い。鼻であしらう。鼻持ちならぬ。鼻で笑う。鼻にかける。鼻につく。鼻の下が長い。鼻を明かす。鼻を折る。以上が明鏡国語辞典。鼻息が荒い。鼻を伺う。鼻っ柱が強い。鼻面を取って引き回す。鼻に当てる。鼻笛を吹く。鼻の下の建立。鼻向けもならぬ。鼻も動かさず。木で鼻を括る。以上広辞苑。

その前日、つまり今日は美幌プチパーティ、ここは2回目でオープニングバンド「おやぢる」は「ふきのとう」の歌を熱く歌ってくれるそうです。まっこと再会が楽しみでございます。マスター、ママも変わらずにいるでしょうか。クッシーの棲んでいるという屈斜路湖はすぐそこです。中学生の修学旅行で初めて見た道東の湖の神秘さを今でもはっきり思い出せる。圧巻は阿寒湖なんて、その後「霧の摩周湖」で一躍有名になった摩周湖、アイヌの伝説がそのまま今でも息づいているような北海道東部の旅へいざ。

翌日は札幌三吉神社例大祭、その前、夕方のひとときを札幌市電車中ライブ。早いもので3回目となります。初夏の札幌の町中を電車でライブと行きましょう。桜はとっくに散っているでしょうか。拙者ダイエット中の身、美味い魚、美味い肉に誘惑の手が伸びますが、じっとガマンの子でいよう。

そして翌日はヤマハライブ。去年の夏、七夕以来の札幌コンサート。地元である故郷、59歳最後のコンサートでございますので、格別な思い出のコンサートにしようと今から気は逸っております。

結婚、離婚を繰り返す精力絶倫サーモンは再結成ツアーを前にメディア戦略へ。
麻薬所持サーモンは逮捕、出所、釈明を述べて、ツアーに臨む姿勢を新たに。
あくまでも36年間マイペースサーモンは大海原を故郷へと遡上、北上いたします。まだまだ旅の途上、航海に牛歩のごとき幸あれ。お会いできるみなさん、楽しみにしています。

(山木康世)

恐怖のツベルクリン反応

2010年05月13日 | カテゴリー: ミュージック・コラム

朝のワイドショーで「小学生女子に子宮頸ガンのワクチンが予防のため打たれました。接種希望者は7割でした」というニュースを聞いた。解説者のTは「性交渉に因って発症します。小学生の高学年くらいになると考えられますので良いことだと思います」と解説していたが、本当に今時の小学生は高学年になるとそんなことまで常識なのかい、と自問自答。進んでるー。

子供の頃のツベルクリン接種は怖かった。結核予防のために国が取っていた措置だとは思うが、毎年あったような気がする。BCGという言葉を聞いただけで、翌日の反応がどうなっているかどうか考えてしまい眠れなかった夜を思い出す。
2日後の朝、起きてパジャマをめくって腕に打たれた注射の後を見る。赤くそれなりに広がっていれば合格。広がっていなければ更に痛い痛いBCGが待っている。直径が10センチ以上が陽性、それ以下は陰性→B!C!G!
学校に行くと皆が腕を見せ合っている。「俺はこんなに大きく広がった。大丈夫だ!アハッハ」とニコニコ顔のやつ。「大丈夫かなぁぁ?」と不安げに腕を何度も何度も見るやつ。
やがて全員が名前順に並んでノギスによって計られる。恐怖の結果発表である。反応の小さなやつは指を二本立てて人に隠れてピシッとたたいたりしている。それほど皆注射はイヤだった。BCGなどになったら逃げ出し、しばらくほとぼりが冷めるまで病欠だ。そんな覚悟のやつもいただろう。罪なツベルクリン反応である。しかし本当に罪作りで近年に予防の効果はほとんどないと言うことで、廃止になったという。外国ではとっくに廃止されていたという。
ツベルクリンに限らず学校の行事で嫌いなものの横綱は「身体検査」であった。その頃の僕は「骨皮筋衛門」(ホネカワスジエモンと読み、ガリガリくんの代表格の言葉。この言葉を考えた先人に座布団100枚。骨と皮と筋だけの人である。相当に怖い。この言葉は父から教わった)骨と皮と筋が体重計に乗ることの恐怖。それも衆人の目の前で確認されることの屈辱感を誰が想像しよう。今ではまるでまるでまるで考えられない贅沢な屈辱感の遠い思い出の日々である。

幼い頃から予防でワクチンが接種されて、いろいろな病気の根絶につながるなら早急にするべきであろう。しかし怖いのは、人それぞれが持っているアレルギー反応というやつである。接種による副作用は神様にしか分からない。
人に頼らず、最後は自分の毎日の生活態度如何が幸せの種子の育ち具合と言うことなのだろう。
それにしても小学生高学年女子の実態は本当の話?男子の話も聞いてみたい。

さぁ明日から寒い北海道へ。桜がまたまた見られる幸福に感謝です。
(山木康世)

僕らは夜明けを待っている

2010年05月11日 | カテゴリー: ミュージック・コラム

民主党の参院選の戦いで、柔道のYが擁立された。そのほかどうなってるのと言いたくなるような、過去のスポーツ選手が他の党からもこぞって票集めに駆り出されるようだ。 普天間基地問題で大混乱の米国への返答を前に日本は何を考えているのだろうと思ってしまった。彼らに何ができるかはっきりした眼で見なければ、この国は終わってしまう。そしてスポーツ選手は金メダル、1位を幼い頃から親や先生にたたき込まれたはずだ。その人が弱い立場の人の気持ちになって物事を考えらるのだろうか。金メダルを必要としない人は大勢いるはずだ。それよりも住みよい社会作りが優先されるべきだ。

アメリカが核を持ち込んでいた事件は、日本側の暗黙の了解があったと結論づけられた。日本とアメリカの間で解釈の違いがあったが、日本側はアメリカとすり合わせをせずに閣内で話し合い、アメリカに気を遣い暗黙の了解をしていたのだろう。
「どうだろう、アメリカは来月核を積んだ船が寄港したいと申し出ているのだが」
「非核三原則に基づいて断りでもしたら、今後日本防衛でアメリカがどのよう態度を取るか分からない。ここは知らなかったということで国民に白を切るという手で乗り切ろう」
「私も賛成です。こと核に関しては大広げに議論しても結論がすぐに出るという単純な問題ではない。結論が出る頃、我々は全員お隠れになっているだろうが、時間が解決してくれるだろう」
「そうだな、嘘をつきたくはないが真実を言って混乱させて冷静に判断できない元、最悪な結論は是非避けなければならない。嘘も方便、方便」
「神の領域に触れるような核の存在を知ってしまった時から人類の悲劇は始まった。核の持つジレンマに我々は悩まされることになったのだ」
「人間は自己保身に基づいて、生き延びようとする。それぞれの立場でそれぞれ議論し始めると結論など出るはずはない」
第二次世界大戦で日本は核を頭上に落とされた。一応終結と見えたが始まりであった。核核戦争に勝者はない、ということに人類は気づいた。両者とも破滅するのである。破滅しないために、持ってはいるが使えない、使わない。そのためには両者が努力して仲良く強調して生きなければならないということを強いられた。米ソが冷戦状態に入ってから、どれだけの大金をつぎ込んだのだろう。核など開発しないで、それだけの大金を他に使っていたらどんな世界が待っていたのだろう。それとも人間は愚かな存在なのでまた未曾有の戦争をして、破滅寸前のところまで持って行ってるかもしれない。

20XX年とある日
馬鹿なことを決定した人間をどうすることもできなかった国民。国民の代表であるはずのトップと国民の立場が逆転した。トップのために国民は犠牲を強いられる。こんな馬鹿げたことのために僕らは生まれ、生きて行くのではない。死の灰が降りしきる核の冬の日、呆然と立ちつくして空を見上げていた。

コックンヘ
君の応援は僕を大いに元気づけているので、あまり考え込まないでほしい。ユーチューブの音源の件だけ僕の気持ちを考えてくれればそれで良い。紹介してくれるのは本当に有り難い話だ。そしてその先にあるかもしれない面倒な話、聞いた人それぞれの問題を書いただけだ。コックンはおそらくきちんと僕のCDを買い求めて紹介してくれていると思う。しかし中にはアルバムなど必要はなく、1曲だけ聴いてみよう、コピーで終わらせてしまおうという人がいたらCDが売れなくなると危惧しただけの話だ。福岡、熊本での熱い応援をしっかり覚えている。これからも独特のコックン節でくれぐれも応援よろしく頼む。
(山木康世)

飯田絵布後始末記

2010年05月10日 | カテゴリー: ミュージック・コラム

走行距離2000キロ突破は5月9日。

夢を見た。
パソコンを保護するインナーバッグが見あたらない。昨日の店へ戻ってみた。長いトンネルを歩いたらおばあさんたちが大勢いて何かをしている。トンネルなんかあったかなぁ?昨日の若いスタッフや社長らが一人も見あたらない。
地面を見ると泥の中にインナーが落ちていた。どうしてこんなところに落ちているのか。しかしよくぞ店に戻ったものだと思いトンネルを戻ると、昨日降ったらしい雪がたくさん積もっている。トンネルの先が明るい。今日は夏タイヤでどうやって帰ろうか、帰れないのではと思いホテルに急いだ。
社長に挨拶をしてから返ろうと思いまた引き返す。今度は昨日のスタッフの他にも大勢の男女が集まっている、そしてお笑いのSもいる。Sはベラベラしゃべっている。
僕と社長はステージの方へ移動して、片時Sを忘れていた。すかさずステージへやってきた。Sは僕のギターを貸してくれという感じで手を伸ばすとチューニングを始めた。本当にギターを出来るのか思いながら、チューナーではなくカポを渡した。Sは実に大きく厚い手をしていた。ごつくて僕の二倍もあるような手であった。Sはここでも笑いを取ろうとしている。隣には店の女性スタッフが。俺の好みだったとか何とか言いながら、Sはチューニングをする振りをしている。ここで夢が終わった。

飯田「キャンバス」ではなんと16年ぶりの再会があった。キャンバスは場所が移ったという噂があったがそれはデマで、もとの場所にあった。階段を下りると薄暗い懐かしい店内が。かなり使い込んだ感じだ。当時僕は前乗りして突然、下見と称して店に現れたそうだ。びっくりしたそうだ。それはそうだろう、電話の一本でも入れればいいものを。これも父の癖の一つだった。そんな父の癖をしっかり44歳の僕が受け継ぎ行動していたとは、驚きだよね。
オーナーのミスターKは初対面の僕に大学生のような印象を受けたという。偽善を嫌って、とても非難して偽善者をクソ呼ばわりして夜遅くまで焼き肉を食ったそうだ。初対面の人にずいぶんだとは思うが、今もそれほど変わっていない。キャンバスはスタッフも増えてKはとても良い53歳になっていた。
もう一人再会があった。篠笛奏者のミスターUが遅くに笛を持って現れた。Kの誘いであった。Uはその後何年か年賀状をくれたりした。今は笛の第一人者になっていた。そして大昔のススダケで作った笛を取りだし、なんと吹き始めてくれた。即興で「義経」をイメージして吹いてくれた。会うべくしてあった感じで、天を仰いでしまった。
キャンバスを紹介してくれた大阪在住S子さんの旦那さんは鼓奏者である。60歳「弁慶と義経」には、笛と鼓とドラムとベースのコラボもおもしろいかもしれない。夢はふくらみ59歳5月11日2300キロツアーは大盛況、無事終了となった。天は我にあり。
お忙しい中、アリーナ席、二階席の皆様まっことありがとうございました。今日も着々と500g軽くなったようだ。
(山木康世)

京都都雅都雅後始末記

2010年05月10日 | カテゴリー: ミュージック・コラム

晴天のもと、四国を後にする。サヨナラ四国、コンニチハ本州。大鳴門橋、淡路島、明石海峡大橋、本州明石へと急ぐ。淡路島はでかい、でかい。四国へ向かう時の渋滞混雑が嘘のようで、向かう時には見えなかった明石の街が外国の街のように目の前に広がってくる。明石の街の地下へ吸い込まれるようなトンネルの入り口が迫ってくる。
土曜、祝休日の1000円高速でどの程度の渋滞があるかと心配したが、ゴールデンウイークで遊び疲れたか、お金を使いすぎたか、人出は予想を外れ一度も渋滞に遭遇しなかった。去年の1000円高速開始時に浮かれて飛び出した全国のドライバーは、学習しているように見える。

ユーチューブというチューブがある。これは一体誰が何の目的で続けているのだろうか? さっぱり分からない。井戸端会議の延長線上にある人々の寄り合い所なのであろうか。寄り合い所には自分が作った音楽を聴いてもらうためにプレイヤーにかける。または自分が実演してそれを聴いてもらいたくて音楽を流す人もいる。音楽が鳴り響き人々は感想を述べたり、ほしいなどと言ったりする。そしてプロが精魂込めて作った音楽も同じような精神的レベルで垂れ流される。これは自分の好きな人の音楽への応援もあるだろう。中には秘蔵音源を自慢げに聴かせたい人もいるだろう。興味本位で自分の持ち物を発表したい人もいるだろう。立場が変わればやることも変わるのである。しかし立場の異なる人へ配慮は十分すぎても十分なことはない。こと相手はそれを生業としているプロなのであるから。
 
言葉でブログを書いても、普通の人はすぐに飽きてしまう。誰も見ていないかもしれないと想像すると意欲が湧かなくなってくる。しかし音楽を流すだけなら、何も言葉を考えるほど難しくないので手っ取り早いチューブへの参加の仕方と見える。しかしそこに起きる波紋をよーく考えないと混乱を引き起こす。音楽を生業にしている人にとっては痛し痒しなのである。応援してくれて大変ありがたいのであるが、反面それだけ聴いてハイ終わり、という人が多数いて音楽の購買につながらない、ということも忘れてはならない。近頃CDなどの音楽が売れないと言われている。その一因を買っているのが応援者であったら、それは応援者ではなく妨害者になってしまうのである。
であるからしてプロで生活している人への介入はほどほどにというのが結論である。実にネットで流すのは楽である。楽であるからその反動も大きい。

京都「都雅都雅」でのライブは生涯で最高点に近いライブだった。八幡浜とはまた違い、実験ライブでもあった。しかし実験結果に大満足である。今後の姿を占うようなライブであった。ますます歌うこと、ギターを弾くことに興味を抱いている。
アリーナ席、二階席のみなさん、まっことおおきに。幸せでござった。またの日までさらばじゃ!!
(山木康世)

四国ツアー打ちあがりました

2010年05月08日 | カテゴリー: スタッフ・ダイアリー

高松、松山、八幡浜、高知を駆けめぐった四国ツアーも無事に終了いたしました。
昨夜は最後に高知名物の屋台で打ち上げ。
名物餃子とおでんをいただきました。

高知播磨屋橋交差点後始末記

2010年05月08日 | カテゴリー: ミュージック・コラム

またまた中国で盗作騒ぎ。
今度はスピッツの曲だという。前回の舌の根も乾かぬ内の話、探したら出てくるわ、出てくるわで収拾がつかないんじゃないかと思ってしまう。
前回の事件は解決したのか、しないのか。
一つだけ事実がある。こんな僕がネットのユーチューブをクリック、大元の歌や歌手を知ってしまう。元の歌よりも進化して中国人の歌の方がよく聞こえたりする。そして恐らくまた一部メディアは数日間、この話題で盛り上がるんだろうな。歌手の大キャンペーンの種子を中国人が蒔いているようにも見えるし、そこでは誰かが不正に大儲けしているが誰も金銭的損をしていない構図が見えてくる。作者のプライドは人それぞれだろう。自分の歌がひょんなことで世界に広まることの快感は、決して金では買えないものだろう。と、一作家は思ったりする。
しかし日本著作権協会だけはそうではない。権威や組織そのものを踏みにじる行為にご立腹だろう。まぁ静観といこう。

高知の音楽会はまことに穏やかに、そして静かに幕を閉じた。みんなの聴き入っている空気が充満、先日とはまた違った雰囲気のライブとなった。
ゴールデンウイークの狂気じみた龍馬ブームを想像すると、祭りの後のような町中で、一時平穏を取り戻したのかと思ったりする。
初め戸惑ったが、3曲目あたりからこちらも方向を変えてライブを進めた。ライブを船にたとえると、客席は海のような感じだ。どんな波が立っていつ何時思わぬ方向に船が進んで行くか分からないときがある。そんな時は波に任せて船を進めることだ。自然空気が変わって船と海が一体となる。そんな技量もこの数年で身につけた。
59歳の「龍馬が駆けてくる」は終了した。

お忙しい中、みなさーんありがとうです。打ち上げで思いっきりカツオのたたきを食った。さらに深夜に食ってはいけないニンニク餃子を食った。西岡くん、良い音とおもてなしをまっこと感謝する。
四国ツアーも無事終了、残すところ2日、天気も回復、京都へ車を進める。好天の土曜日、1000円高速にどのような渋滞状況が待っているのだろうか。天は我にあり。

龍馬が駆けてくる

はりまや橋から 土佐は夕暮れ時
一人思いを巡らせた よさこい帯屋町
龍馬はここで何を見つめた 日本の新しい夜明けか
五台山から吹き渡る風 龍馬が駆けてくる

鏡川を見て 月の桂浜
一人心を遊ばせた 俄(にわか)侍気取って
龍馬よ帰れ死ぬな都で ご城下土佐は緑 
黒潮踊る太平洋 龍馬が駆けてくる

いごっそう歌えば はちきんが踊る
一人夏歌更ける夜 鰹肴に杯  
龍馬の思い志を 映して光れよ満月
ピストル片手にブーツ袴で 龍馬が駆けてくる

(山木康世)

ライブ会場における禁煙+α

2010年05月07日 | カテゴリー: ミュージック・コラム

ライブにおける体調管理は両者共々大事である。
演者はもちろん、聴者も寝不足、疲労、便秘など日頃の生活の乱れが時としてとんでもない事態を引き起こす。

某月某時とあるライブ会場
演者「ただいま世間ではツイッターなるコミュニケーションが大いに流行っておりますが、私はずっとツイートでございました。ベッドにあぐらをかいてギターを抱えて作り出す歌のほとんどは個人的内容の歌でございました。それも内省的な、内向きな歌でございます。自己を省みるわけですから、大きな声は発しません。自分に聞こえるくらいで結構なわけです。聞こえなくとも心に届いていれば成立な訳でございます。」
聴者「(なんかさっきから溜まってきたようだわ。いやねこんな時に、まさか次の曲はツイッターヴォイスでやらないでしょうね)」
演者「それでは僕が30歳の若かりしころに作りました『蜜柑色した木曜日』お聴きください。」
聴者「(予感的中、ツイッターでないの。困った、困った…ガマン、ガマン、ガマーン、限界)」
場内に鳴り響く恥じらいの放屁音。誰もが思った。(よりによってにこんな時にご乱心を。演者の気持ちや如何に?)
演者「(なぬー!?人がせっかく気分を入れて、作った頃に戻ってつぶやいているというのに。あー世間はうまくいかないものだ、まぁ臭いが届かないことを願うことにしよう)」

会場では禁煙は当たり前になっていたが、まさか各個人の体内にまで禁止事項として管理することは出来なかった。

人が大勢集まる場所ではマナーは大事であるが、まだ現実には一回も起こったことがない。しかし恒例化した高齢化ライブ会場では若かりし頃考えられなかったいろいろな事態が起こりうるだろう。くれぐれも体調管理には気をつけたいものだ。
長距離運転でも似て非なるガス欠は悲惨である。
(山木康世)

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