中野シアターかざあなと階段と忘れ物
2024年11月04日 | カテゴリー: 山木康世
NHKラジオからフォーレやガーシュインのSPレコード演奏が聞こえてくる。クラシックと言えば大げさに考えがちだが、レコード盤に刻まれてチリチリ、カリガリと共に聞こえてくるクラシック、実にシンプルでメロディが聞こえてくる時代のクラシック演奏、良いなぁ。
100年前の時代の人たち、町の風景がシンプルだったんだな。思うに今は演奏者の技術、特に早弾きなどに注目が集まりすぎて肝心のメロディが聞こえてこない。スピードの持つ魅力も分からないこともないが、スポーツ並みの早さやアクロバットを競っていても意味がない気がする。人よりも多くの情報、情報、情報の洪水、へたすりゃ自分の足下にまで水が来ているのに情報、情報。100年前の人間たちの心を覗いてみたい。レコード盤に微かに片鱗が刻まれているよ。
「かざあな」はどてっぱらに風通しの良い穴。
いつもは部屋の管理人不在、ドアノブに吊されたケースの中に渡された鍵で室内に入ることが出来る。もちろん事前に渡された暗号番号でケースを開けるのだが、コロナ禍以来、電話などで教えてもらった番号で入室するのである。が、今日は何故か開いていた。
ここは一歩踏み間違えるとゴロンゴロンと落ちてゆく必至の狭い急峻な階段のご挨拶がある。
今日の肝心のLIVEはいつもとどこか違っていた。おそらく弁慶社の御利益だろう。そして無事終演、あの階段にお別れして車で5分の我が駐車場へ向かった。
その2時間後、ハタと我に返った。着ているものがない。ウインドーブレーカーを羽織っていないではないか。連絡を取ってもらうが埒があかない。すでに次の部屋の使用者が使っていることだろう。行ってみるか。
10分の歩行の後、階段に再度ご挨拶。何やら中では若者数人がたむろしている。関係者のような顔をして楽屋へ向かった。あるではないか。見慣れた濃紺の薄いブレーカーが。言葉を一言も発せず、暗号の鍵も要らず衣服を取り戻してきた。階段にお別れを告げて帰ってきた。やれやれ。
お忙しい中、階段をものともせずYAMAKINGSONGSにお会いしに来てくださった皆々様、誠にありがとうございました。
来る7日、西新宿初台「あんさんぶる音」でお待ち申し上げておりますでYasu.
田辺市鬪雞神社と弁慶さん
2024年11月01日 | カテゴリー: 山木康世
今日は朝から心がざわついていた。奈良紀宝町田辺ツアー最終日、弁慶さんの故郷、 和歌山県田辺市 世界遺産 鬪雞神社
「山木康世 Live Library 2024」
~歴史と浪漫のまち田辺 弁慶さんに届け 心の歌~歌奉納続き社務所内におけるLiveの日である。
先ずは駅前に堂々と屹立する弁慶さんにご挨拶。雲の中、時折顔を出す太陽の元、晴れ男健在なりの田辺駅前である。それから学校のすぐ脇の八坂神社にお参り、ここには弁慶さんが子供のころお座りになったという石が置かれている。丸くお尻の形にえぐられた椅子に座ってみるが途中で止めにする。座ったがいいが抜け出すのに大変だろうと思うくらいジャストサイズ。止めにした。
いよいよ鬪雞神社へ向かう。
弁慶さんのお父さんの時代に源平合戦があった。そこで双方から援軍を頼まれた。お父さんは水軍の大将だった。どうしたものかと思案、そこでこの神社内で7羽の鶏に紅白の印をつけて戦わせた。結果すべて白が勝ったので源氏方に付いたといういわくつきの神社なのである。
境内にある弁慶社の御前で歌奉納という運びになる。誰も参列者のいないひとりぽっちの歌奉納も寂しいな、そのうえ雨にでも降られては晴れの日に相応しくないな、など要らぬ心配だった。
宮司さんにお祓いを受けて玉串の奉納に続き社に向かって高らかに「弁慶と義経」出会い編を歌い上げた。長年身体に染みついたYAMAKINGSONGSは伊達ではない。夢中になって全国を歌いかけ巡ったあの頃を身体が覚えていることの不思議さ月日の長さの大事さをかみしめる。
30分ほど休憩ののち、2時間にわたる~歴史と浪漫のまち田辺 弁慶さんに届け 心の歌~は50年の長さを自らが感じ入る良いひと時を過ごすことができて幸福な田辺市の夕刻だった。大勢の皆さんにサイン、写真撮影も気分が軽かった。
終演後宮司さんによる鬪雞神社ご説明を受けてお札を奉納させていただいた。木のお札の一部をお守りとしてもいただいた。
お忙しい中、大勢の皆さんふきのとうつながりでの歌による絆は長い年月を経ても色あせていなかったね。本当に長い時間ありがとうございました。
最後に多大なるご助力いただきました森さん、そして泉さんご夫妻、そしてそして心の内なる弁慶さん、誠にありがとうございました。生涯の一日となりました。

弁慶社の前で宮司さんと。これから歌唱奉納

後ろには全国から応援に来てくださったみなさま

田辺にも足跡を刻みました

お花も届きました。ありがとうございます。

主催の泉さんご夫妻、PAさんと

境内にはもちろん弁慶像
三重県紀宝町/music cafe Folksは浜ちゃんの城
2024年10月30日 | カテゴリー: 山木康世
紀伊半島南部を南紀といい、和歌山県と三重県がある。みかんの産地、サンマの故郷、熊野川が流れて太平洋へと下る。和歌山県と三重県の境に橋がかかる。新宮方面から、この橋を渡り左折。やがて右側に目指すmusic cafe Folksが見えてくる。
ここを最初に訪れたのが還暦の年の2010年9月21日とある。その後大水に見舞われて店も被害を受けた。少し高いところにお店はあるのだが、そこを超えて水が来たのかと思うと想像するだけでも恐ろしい洪水の恐怖。数度訪れていて直近では2019年というから5年の月日が経っていた。
オーナーの浜ちゃんは根っからのフォーク好きである。店内にはフォークギター、バンジョー、ウクレレ、マンドリンなどが所狭しと置いてあり浜ちゃんの城だなと感じてしまう。ビートルズも好きなようで大きなポスターが壁に貼ってある。
日本全国行ったところのライブハウスの中で、山木康世をふきのとうをこよなく愛してくれるお店として間違いなく紹介して良いお店だと思う。
雄大な熊野川が流れる河畔の日もたっぷり暮れた晩秋の小雨の中、お店は僕の来店を待ち望んだありがたいお客さんでいっぱい、大感謝である。50年の成果をここぞとばかりに熱唱、GibsonB25,クワイアン、ホーナーブルース熱演の2時間であった。
昼間久しぶりに新宮の徐福公園を訪れた。日本一番徐福に関しては力を入れている新宮と思う。お墓参りもして日頃の世話を拝んで、この夜のアンコール最後の歌とした。最近一番の出来で熱が入った。「水の底に映った月」
あいにく終演後の外は雨がポツポツ、月は見えていなかったが心の中の水の底にはキラキラと輝いていた。
浜ちゃん御夫婦の見えなくなるまでのサヨナラ、お元気でまた会いましょうのお別れに手を振って夜の新宮へと橋を渡った。10月最後の31日は田辺市鬪雞神社へ出向いて弁慶さんへの歌奉納をする。

満員御礼、ありがとうぎざいました

濡れては可哀そう、と徐福さんに傘を差す

徐福さんの墓にお参り

徐福公園入口

ラスト曲「水の底に映った月」では手拍子が自然発生

オーナーの浜さんご夫婦
奈良ビバリーヒルズで初の撮影タイム
2024年10月28日 | カテゴリー: 山木康世
約1年ぶりの奈良、前回のお前と生きるの混乱を思い出せない。街はひたすらが頭を巡っていたのか。11月になろうとしてるのに程よい気温。本来は北風ピューピューの季節なのにいい感じの奈良。
奈良の近鉄駅前は好きだ。しっかり記憶に刻まれている駅前風景。そこに伸びているアーケード街、奈良のお土産はここでゲットだ。奈良漬は子供の頃から好きだった。
今日は撮影会の時間を設けた。アンコール最後の歌に限って撮影オーケー。さぁみなさんご用意しておいてくださいねと、しかしこちらの不備でフライングの人が数人。2曲目と事前にアナウンスしておいたがサービスで1曲プラスしてしまった。最後のGood NightGood Nightのつもりでいた。まぁ混乱もなくパチパチ、カシャカシャ満足していただけでしょうか。新たな試み、他の地区でも考えておりますので期待しててください。
配信先のお客様とともに2時間、いつもと違うパソコンソフトを使っての曲目の数々、微かな新鮮味で過ごすことが出来た。パソコンを紙の歌詞カードに変えてソロからの時代をLIVEしてきた。紙で18年デジタルで32年、本来は脳内に記憶しておくのがプロとして当たり前と言われそうだが、翻ってクラシックは未だに譜面台がないと行うことが不可能である。32年は十分クラシックだな、と言い訳をする。本当に刻むこと、保管することが不可能になりそうな年齢が近付いても居るのか。神のみぞ知る由々しき事態にならぬよう前向きに生きていこう。過去に引きずられることなく、未来に夢を見て青年の如く紀伊半島を南下する。紀宝町ミュージックカフェフォークスへ向かう。徐福の新宮も拝んで訪問する予定だ。
みなさん、お忙しい中ありがとうございました。

今回で何度目のビバリーヒルズだろう?

撮影タイム、盛り上がりました
奈良ビバリヒルズへの誘(いざな)い ~暮れゆく秋 音を楽しむ 昼下がり~
2024年10月25日 | カテゴリー: 山木康世
歳相応の音楽は何処に転がっているか。
実に50年に渡り作り続けているYAMAKINGSONGSを、この日はふんだんにギターによる弾き語り、日頃のお疲れ気味のお身体に癒やしのシャワーをたっぷりと降り注ぎ致しましょう。
感動という言葉が今の世に残されているのなら、ぜひ一枚加えさせてください。
音を楽しむ昼下がり、見上げれば古の都、奈良ビバリーヒルズではヒバリも鳴いております。
馬の後を鹿が若草山をノンビリと煎餅を食んでおります。
この日は配信もご用意しております。
短い時間ではございますが共に豊かに生きるとは何かを感じ入りたいと思う次第です。
どうぞ遊びにいらしてください。想い出に一枚74歳直後の真顔を撮らえ逃すな!
墨田区両国亭アフターバースデー御礼
2024年10月24日 | カテゴリー: 山木康世
74歳お初のLivelibraryは両国亭の高座における弾き語り。もう何度目の高座なのだろうか。初めて登壇したときの興奮と緊張を思い出す。まだ弁天様もいなかった。洋のフォークソングと和の高座がどれほどマッチングするか大変興味津々。一番の思い出は高座に登場、退場の時のおぼつかない足取りに我ながら年を隠せなくていやはやいやはや、転倒だけは避けようと思った思い出だ。見た目以上に高くて、あぐらをかいての弾き語りは古希以来のステージ、次回はこうしよう、ああしようと頭を巡らせて会場を後にしたもんだ。すぐ隣に駐車場があってまたとない絶好の駐車事情。そんな駐車場も半年ほど前から取り壊し、ただいま何やら空き地状態である。
昨夜に引き続きのお客様を初め何時ものお客様、お初のお客様如何だったでしょうか。
二日にわたるこの世に生を受けたお祝い日を皆様とご一緒に過ごすことが出来て、またひとつ良い思い出が出来たと感謝しております。こんなLIVE情景にも捨てがたい心模様がございます。
今月は紀伊半島ツアーが待っております。目玉は弁慶さんのお膝元田辺における歌「弁慶と義経」奉納でしょうか。果たしてどんな時空が待っているのでしょうか。
皆様方のつつがない穏やかな日々を願っております。
付け足しになりますが、お昼に両国駅下で所望した肉のヤマキ弁当がゴツい美味くて大満足の登壇でした。また食べよっと。

高座に胡坐でのライブは案外きついんです

弾き語りでたっぷり2時間

開演前の様子
南青山MANDALAヤマイハキカラYAMAKING
2024年10月23日 | カテゴリー: 山木康世
南青山MANDALAは東京都港区という花の都の中でも憧れの区、港区にある。港区と言うからには海が近いのであるな。東京湾は、その昔大いなる漁場であったという。江戸前寿司という言葉が残っているくらいだから東京湾で採れた魚を握る寿司なのであるな。
僕が若い頃6年間住んだ懐かしき港区である。MANDALAが出来るという話を吉祥寺の店長から聞いたとき、ほのかな予感がした。もしかしたら南青山3丁目と言えば僕が住んでいた住所と同じだ、心が人知れずときめいていたのだ。やはり的中した。
初めてここを訪れたとき、リハーサルを終えてひとりマンションを訪ねた。すでに違う建物になっていた。しかし裏道にあった小さな神社はそのままあった。母の回復祈願で何度かお参りをしたもんだ。本当はお百度参りと行きたかったが、二十度参りくらいしかしなかったなぁ。あれから40年以上も経つ。
今日は74回目のバースデーライブである。音楽生活51年目に突入、今日は僕が今あるお陰様の元気なお顔をおひとりおひとり確認したいもんだ。暗闇に向かっていた頃とは訳が違う。しっかり心に詩を本当の手作り手探り音楽をお届けする。50年支えてくださった理解ある大事なお客様なのである。LIVEのサポートをしてくれたBass木村は重要な要となっていて、北海道からわざわざビューンと飛んできてくれるには訳があるのである。おまけにMANDALA店長は札幌出身なので、これも訳があるのであるな。これをひっくるめてキズナと言うのであろうか。細いけれど強い糸でつながっているという安心にヤマイはやってこない。食べ物や飲み物だけでヤマイにはならない。やはり目に見えぬ心の持ち方次第で違ってくると確信する。出来れば嘘でもいいから穏やかで希望の持てる毎日でありたいもんだ。
大変に居心地の良い74歳スタートのLIVELIBRARY、お忙しい中誠にありがとうございました。ヤマイハキカラYAMAKING、今日は両国亭でドスコーイッと墨田区へ。

ベースのキムラケイコさんとの共演はもう15年来になる

前日の21日はスタジオで綿密なリハーサル
西新宿あんさんぶるスタジオ音は晩秋情景
2024年10月17日 | カテゴリー: 山木康世
季節は秋。秋だと思ってるのに少々体を動かしただけで汗ばむほどの暑さである。その体温を調節しているのが視床下部と呼ばれる重要な臓器である。
ここには体温・睡眠・生殖・物理代謝などの神経中枢が存在し自律神経系の中枢で生命維持には欠かせない中核とされる。とある。
一方師匠株などのややこしい家元制度は芸事や踊りなどで厳しく制限されていて、その流派を受け継ぐ重要な制度らしい。ある意味本家分家制度のようなもので室町時代に起こり江戸時代に発展したらしい。今の本家分家もその頃はなかったのか。僕も50年もっやっていれば立派な流派かもしれない。YAMAKINGSONGS。
それでも朝晩の程よい冷え込みに夏の候に感じなかった季節の巡りを感じる。
今どきは二十四節気、寒露(かんろ)というくくりのうち、七十二候、菊花開(きっかひらく)である。父親はダリアの前は菊が好きだったようで、鉢に植えられた菊の花を庭で多く見た。
ちなみに寒露の前の候は鴻雁来(こうがんきたる)で燕が南へ帰ると入れ替わりに雁が北から飛来する時季。暖かくなる春まで日本で生きるのである。渡り鳥にとっては格好の島国日本だった。
空を見上げると、ここ西新宿は超高層ビルオンパレードで、夜になると見事な現代の夜空を見せてくれる。
住宅街と高層ビル群と立体高速道路が行き交う不思議な空間にある「あんさんぶるスタジオ音」は体内から視床下部を通じ師匠株を醸し出す良い音場空間である。
すっかり夜になってしまった6時台の空を見て、ああー秋だな、それも晩秋か。もうじき74歳になる。73歳最後のLibraryだったなぁとサヨナラ燕、コンニチハ雁と夜空を見上げたがいなかった。貧乏神は体に良くない、さぁビスタを飛ばして中野へ帰ろう。
みなさま、お忙しい中ありがとうございました。
浦添市/LIVE cafe JULY(ライブカフェジュライ)でコンニチワサヨウナラ
2024年10月09日 | カテゴリー: 山木康世
50年沖縄の締めは中部都市浦添。
12〜14世紀の頃には沖縄の中心的存在の浦添はその後王朝が首里に移るまで大いに繁栄したという。第2時世界大戦の米軍の上陸で大勢の市民が亡くなったという激戦地。今では考えられない風光明媚な豊かな風景の広がる歴史的街浦添。
今日の会場は御夫婦で経営されている白が基調のライブハウスで、ギター弾き語りにはうってつけのJULYである。ご主人の生まれた月が7月でJULYである。沖縄の海風が穏やかに吹き込んできて一人が好きな人には落ち着ける良いお店である。
少し似合わないかもしれないが、スタートは「晩秋情景」弾き語り叙情歌。ますます沸騰化する地球、日本は昔の四季豊かな国ではなくなって四季が危ぶまれる熱帯国の様相が強くなっている中、昔の古き良き時代の日本における基調な歌のような感じを受けた。そして「柿の実色した水曜日」このタイトルはふきのとう秋の代表かもしれない。
昨日は読谷で今年お初のスイカを外で食べた。北部の今帰仁スイカであった。実に美味しくて読谷のそよ吹く風が心地よかった。口中に広がるとろけるような小ぶりのバナナも特筆ものである。そのときに沖縄ではあまり柿は馴染みがないかなと思った。今まで見かけた記憶がないかな。
最後の歌はもちろん「風来坊」である。この歌が醸し出した沖縄の当時を妄想すると、懐かしさの中に涙がこぼれてくる。哀愁のふきのとう。
今日の吾の歌心は一人のYAMAKINGSONGS紐解き、沖縄最後の日にふさわしい自然体で、ここに何時間でもいたいような気分だった。音響も実に自然で吾に相応しい時間を過ごすことができて幸福な夕刻だった。
また来てください。オレの高校時代はふきのとう一色でしたという大柄な男性が帰り掛けに声をかけてくださった。今度は友達と連れ立ってきますと静かに笑顔で帰っていった。
今回のお天気はまたも心配だけで終わって晴れ男健在ぶりを証明できたオータムマン底力であった。
沖縄滞在中お世話になりました皆々様、まことにありがとうございました。来年になりますが良い歌を引っ提げてアホウドリは風に吹かれてやってきたいと思っております。お元気でサヨウナラ。

お客様の中には懐かしい顔もちらほらと

本編ラストは「向こう岸」

楽屋めしはチキナー(沖縄の高菜)のおにぎり

シャコ貝の刺身で打ち上げ
うるま市ライブスポットEeは良い夜だった
2024年10月07日 | カテゴリー: 山木康世
うるま市は2005年石川市、具志川市、勝連町、与那城町の4つが合併してできた、沖縄中部東海岸に位置する街である。
沖縄に伺って30年ほど経ってできた新しい街でうるまの由来を知りたかったのだが、ご来場の地元の方々もご存じなかった。何か深い意味があってのうるまなのだろう。全国てきに平仮名の地名が増える中、やはり由来を知りたかった。
Eeには13年前の2011年初めて来ている。壁にかかった「何もいらないおまえがいれば そばにいてくれ 話がしたい」色紙サインを見て、恥ずかしいやら懐かしいやらのおまえと生きるの言葉である。
東北地方で大きな災害が起こった年である。60歳還暦の年だったのだなぁと感慨深いものを感じて、大勢のお客さんの前での2時間であった。やはり50年は短いようで長い歳月だった。白い冬、風来坊で名前を知られ顔を知られてたくさんの人達と会って別れての歳月である。正面の壁に貼られた半世紀,半生期、弁天様は母なるほほ笑みのもと今夜も良いひとときを過ごせて幸福だった。願わくば皆々様の更なるご健康とご健勝を祈るばかりだ。
親子2代にわたって結婚式で歌ったという「メロディ」小学生の甥っ子さんが耳で覚えて歌った「雪の町」叔父さんは驚いたという。ホテルベルパライソでの山木倶楽部ツアーの思い出、糸満での盛り上がりのライブ後に「感動した!ヤマモトさ~ん!」と叫ばれてずっこけた事件、そんな懐かしい思い出深い札幌からは遠い遠い異国のような沖縄の地は自分の中で特異な存在となっている。そこに住む人達の熱い思いをいつも感じていた。
デジタル時代ではあるが、目や耳や口はアナログでいたい。心のつながりはもっともっとアナログが必要だ。デジタルはあくまでも手段である。あまり過激に走ると人間味が薄れてしまう。僕が作ってきた歌たちは、そんな喜怒哀楽を思い起こす歌たちであってほしい。
また来ますと約束してEeの夜は更けていった。
みなさんまことにありがとうございました。

リハーサルも万全です

ぎっしり満席、ありがとうぎざいました

スタッフの皆様、お世話になりました