となりの電話 山木康世 オフィシャルサイト

奥州市水沢オネスティ御礼

2023年09月09日 | カテゴリー: 山木康世

本当に1週間前の猛暑は手を振ってサヨナラしたようで過ごしやすい9月8日、東北ツアー最後のオネスティ。鈴木氏は鉛筆のような体で迎合再会、元気で互いに居れたことを神様に感謝。4年ぶりの訪問。まだ世界がコロナ騒動に巻き込まれる前の我らだったわけである。
世界の大谷もショータイム前だったのだな。
Gibson、Terry全開で2時間半を終えた。最終日に相応しい有終の美を飾れたことは何とも天晴だった。お集りの皆さん、誠にありがとうございました。
嬉しいことに実りある再会がございました。実に1976年以来の思い出を引っ提げてきた男が訪ねてきた。遠い昔、遠野という町でコンサート後、麻雀をしたというのである。よーく鮮明に覚えていて、ことあるごとに脳裏を横切って、あの風景、光景を思い出しりしていたので簡単に脳は反応。ホテルに戻って精査したら
1976年4月2日(金)盛岡
1976年4月3日(土)花巻
1976年4月4日(日)仙台市民会館
と若き日のふきのとうはコンサートで東奔西走、その合間に遠野に立ち寄ってことに及んで、俺は負けて朝を迎えたらしい。夜には花巻コンサートを迎えていたことになる。今では考えられないエネルギーである。勉強堂のベンさん共々忘却の彼方の話であるが、ベンさんはもうこの世にはいないという。俺より一つ下のT氏は思い出だけではなく、実にいい話を持ってきてくださった。
11月にWという地区でイベントをしてほしいという申し出であった。
どっこい47年前の麻雀は終わっていなかった。この日オネスティで長い時間かかったが共に勝ちを収めたようだ。
少し早いが秋風が吹いてコートの襟でも立てて再度、水沢に立ち寄ることに相成った。本当に有終の美を飾ってくれた神様に感謝御礼申し致す次第である。みなさんありがとうございました。
ちなみにあの日の勝者はツボともう一人であったというのだが、ここの思い出は欠如していた。
喉もよくなり東京へ舞い戻る次第でyasu

東北ツアーのラスト、盛り上がりました

酒田ブルースヒロ御礼

2023年09月08日 | カテゴリー: 山木康世

僕が初めて酒田に来たのは1978年10月、記憶も新しく新聞やテレビで知っていた酒田大火の話。聞くのも見るのも初めての話で、東京を立つ前に大丈夫なんだろうかと思ったりもした。
その後テレビで「おしん」の話で酒田を知って、日本で初めて木製の灯台が灯された町だと知った。江戸時代は北前船などで賑わい、コメの一大集散地年36万石で賑わったという。山の幸、海の幸と豊富だったわけで、そこに出入りする人間も大勢いて料亭なども盛んだったという。しかし地勢的に山形というより秋田という感じを今だ受けたりする。おしんの朝のドラマを一ファンとして毎日欠かさず見ていたなぁ。おしん可愛かったなぁ。
ヒロさんと白猫のシロちゃんに無事再会。変わらずに元気でおられました。
終演後、外に出ると少しヒンヤリ秋の気配を感じながら、明日は奥州市水沢、つつがなく終えようと暗い夜空に星を探した。

打ち上げ会場をパトロールパトロール

大館イタリアンレストランボニータ御礼

2023年09月07日 | カテゴリー: 山木康世

ホテルお目当てのHINAちゃんともう一匹の秋田犬ちゃんは残念ながら夏バテで顔を見せてくれず。せっかく東京からモフモフできると思っていたのになぁ。
先日大舘は日本で一番の暑さを記録したとのこと。40度が手を伸ばしてこっちへおいで誘っていたそうですが0,2度足りず、断ったそうです。
人知れず本日一番のラッキータイムは、探し求めて叶わずのサムピックが、最後の最後「風来坊」でフト胸に手を置いたら何やら固いものが。前にこの服を着て無意識にサムピックを胸ポケットに仕舞っておいたものが、いま顔を見せたということ。心中ひそかに声を上げていた。この歌にぜひ欲しいと思っていたものがヒョンなこんな服のポケットから顔をのぞかせるとは、アーこりゃこりゃ。俄然やる気が起こって締まりのある風来坊が大館の夜を占めてくれた。
打ち上げでいただいた日本酒の名品の数々。おいしゅうございました。種をすかっりお取りいただいた一口サイズのスイカのおいしかったこと。サムピックの突然の登場に勝るとも劣らない今夜のヤッターでございました。
お忙しい中、お暑い中、遠いところ、近いところ皆々様、誠にありがとうございました。楽しいひと時をありがとうございました。
明日は南下、久方の酒田,ヒロさん、白猫ちゃん会いに伺いやすよ。

比較的静かな曲が多かった大館ライブ


極彩色のジュークボックスが店内に


モダンなエントランス


縄文遺跡でしばし散策しました

二戸御礼

2023年09月04日 | カテゴリー: 山木康世

7時間の予想を大事をとって早朝8時出立。東北道をひたすら北上。埼玉、栃木、福島、宮城、そして岩手を越えて二戸の町に着いたのは4時を回っていて走行距離は実に600キロを越えていた。
宿泊先の記憶は新しく、至るところに貼られた映画のポスター、世界の三船が3枚。支配人の映画への熱い思い心意気が感じられ嬉しくなる。
そこから15キロほど離れた会場は画廊左衛門。と言っても昔の土蔵。扇風機のみでエアコンはない。ムシムシジメジメは避けられないが、ステージに置かれた扇風機が頼もしい。
ほぼほぼ満席。
「九戸政実の遺言」は10年ほど前の製作当時より出来が向上。大きな拍手をもらう。やはり詩は大事であるな。
岩見沢から来たお客さんは何と昨日奥さんに二戸へ行ってくると、苫小牧へ、バイクを船に積んで八戸へ。天晴れ。高校生のころフォークソング倶楽部の町田からの女性は、なんと深夜12時に出発、下道を来たという。おそらく17時間は下らないと思う。以前購入したタイのタクシーは3輪車でこれで下道を走ってきたという。天晴れ!
南部美人辛口純米をいただいた9月の夜はとても極上に過ぎていきました。
みなさん、お忙しいなかお集まりいただき誠にありがとうございました。

古い蔵を改装して画廊に


全国からありがとうございます。


二戸市の議員、お殿様の末裔、旧家の主など二戸の皆様とスタッフ。ありがとうございました

愛の歌のカタチ 2023年8月31日

2023年08月31日 | カテゴリー: 山木康世

愛の歌を歌おう 雪の歌はきれいだ
風の歌は爽やかだ けれど愛の歌はもっと良い
この世に男と女がいて ちょうど良いバランス
体と心が窓辺で 寄り添って笑ってる

愛の歌を歌おう この世界から争いや
醜い人の妬みや 野望を取り除け
この世に男と女がいて ちょうど良いバランス
体と心が窓辺で 寄り添って笑ってる

ニッポンが大人の国にならないのはメディアのせいか

2023年08月29日 | カテゴリー: 山木康世

Z世代と言われる子供たちは僕らの孫の世代の人たちである。
個人的感想から言えば、妙にガチャガチャしていて受け狙いの目先意識しすぎの人が多いようで、複数集まると周りに配慮せず、はばかることなく大声で叫んだり、大笑いしたり。公共の場にはいろいろな人たちが集っていることが分からないような人が多い気がする。
コロナ明けの解放感ということも手伝っているのだろうが、それにしてもいかにも子供の集団だ。ネットばかり見て、まともに人と面と向かって話ができないのではといぶかってしまう。議論などその場に割って入る隙間もないであろう。
今から用意して慣れておかなければ月日はあっという間に経って、図体は大人でも中身は子供のままの人で充満する国になるのではと思ってしまう。学校の教育もある、メディアの製作する番組の中身もある、ネットのランキング重視の偏りもある。
他国へ出かけて行って「我が国の国民は戦う覚悟がある」など無責任な発言をしてくる元戦争跡かたずけの孫の重鎮もいる。戦争をしない努力の方がどれほど大事か、勇ましく述べても有事になれば命はもとより国土が荒廃することを彼は学んでいない。
そろそろアニメや漫画の国から脱却して、落ち着きのある他者、弱い人に優しい趣のある国になってほしいもんだ。

小岩ジョニー・エンジェル御礼

2023年08月27日 | カテゴリー: 山木康世

楽曲「ジョニー・エンジェル」は1960年アメリカで大ヒットした歌である。1962年日本では森山加代子、ザ・ピーナツがシングルでカバー発売、大ヒットしている。僕が中学生になりたての頃、物心がつき始め自我に目覚める年ごろであったのだ。洋楽はロカビリー主流であるがベンチャーズ、ディラン、ビートルズ辺りが聞こえてき初めたころでもある。
「白い冬」を昭和のレット一トビーが聞いたのは中学生のころと言っていた。よほど心に入ってきたのだろう。しかし肝心の僕がいくつだったかは不明である。お客さんはラジオやレコード、カセットテープ、ネット辺りで初めて聞くということもあり、早まってふきのとうのデビュー時と考えてはいけないな。
そんな昭和のレット一トビーとコラボしたわけであるが、この場に居合わせた人たちにはどのように映ったのか興味津々。お三方お疲れさまでした。久しぶりにふきのとう時の自分を思い出していた。20代、30代、40代と縁の下の力持ち的に生きることができたもんだとハモリながら思うことしばしだった。
会場の「ジョニー・エンジェル」は1960年代にタイムスリップしたような懐かしい感じの雑多なライブハウスだった。お酒や男女の娯楽のライブハウス。少し遠ざかっていたがソロになりたての頃はよく全国各地で遭遇したもんだ。この年になって少し場が自分の音楽性に相応しくないかもと違和感を覚える。自分が今懸命にliveって生きている場にはお酒はいらない。むしろ午後の紅茶辺りが気分的に相応しいと感じている。もう50年近く前に18年間楽しませてもらったふきのとうはジョニー・エンジェル的でもある。
初対面同士は丁寧に相手を感じ入る思いが大事である。生の人間同士は会話も必要である。決して世の中がAI的になろうとも握手、名刺交換などして一期一会を意識しないと時間は過ぎ去って思い出だけになってしまう。
お忙しい中皆さまありがとうございました。
今週末から長めの東北ツアー、北部戦線異常なし。ヨーソロー、ヨーソローでyasu

満員御礼、ありがとうございました!


昭和のレットイットビー&フレンズの皆さんと4人のステージ


リハーサルで。最前列はかぶりつき!

国立スペースコウヨウ御礼

2023年08月23日 | カテゴリー: 山木康世

下道でも中央道でもほぼ到着時間が変わらないということで下道を行くことにする。本当に頼りにならない中央道の高速さ。八王子までチョッコラ行ってくるとならない混雑状況。古き良き甲州街道も万年渋滞のイメージが強い。東八道路を西へ、
国分寺と立川の中間駅でクニタチとしたと聞いたことがある。なんとも古きお江戸の顔が泣く。
やがてダラリとしたたまらん坂が続き国立の町へ斜めに走る。谷保天満宮、保谷と似ている。保谷で長年不作が続き保谷の人間が移り住んで保谷の名前を忘れないようにと谷保にしたという。もともとはやぼであったが、谷保駅が開通するとき野暮につながるということで駅名を谷保にしたという。野暮天は野暮天満宮が語源という説もある。
YABOは僕の歌だ。ということでウクレレが似合うYABOを歌った。この歌を作ったときは32歳の頃、札幌行啓グランドハイツ501号室で作った。
この日はミスター鈴木理容店と友人の小樽出身学園後輩ミスター小野くんが来てくれた。鈴木君とは高円寺とんかつ店でお会いしましたなぁ。21年2月22日だったとうこと。良い数字が連なっている。小野くんはふきのとうが小樽市民会館で公演した際来てくれたという。高校生だったと照れながら喋った。
一回しかふきのとうでは小樽へ行ってないのでよーく覚えている。
お忙しい中、湿度の高い中、皆様お集まりいただき誠にありがとうございました。今日も良い人たちとの出会いがあって幸運でした。
今週末は小岩へ参上いたしyasu

ライブ途中で雷鳴が轟きました!


お客様は暖簾をくぐって客席へ

江古田マーキー御礼

2023年08月20日 | カテゴリー: 山木康世

なんでも今年一番の猛暑と思えば遠くへ来たもんだ。道理で暑いわけだ。その上湿度も並々ならぬ湿り気で、外に出ればホントみんな服着てサウナに入ってる感じで真っ赤な顔して通り過ぎる。そこで更に走ってくる男に出くわす。いくら運動不足とはいえ人の目も気にしてほしいもんだ。「不要不急の外出は控えて」と閉じこもりがちな国民に向かって無責任な放送が。生きると言うことは不要不急の不連続で続く刻々を呼吸して一日をやり過ごすことも大事なテーマで、皆が皆明確な目的を持って呼吸しているわけじゃないのよね。
てなわけで車で10分、ホームのマーキーへ。近所の駐車場が空いてるかどうかが一日の運不運が決まる。今年に入って幸運にも何故かしら「空」で運は確実につかんでいる。マーキーへの足通りも軽く、一日のLiveの日の段取りがスムースに運んでゆく。
スミジュンも機材をコンパクトにまとめたようで心持ちフットワークが軽い。
ヤマヤスは復活Gibson降臨の日である。もう何年になるのだろう、この地のこの会場で後始末の時に事故は起きた。あれ以来Gibsonのヘッドは片付けなくてはならない懸案事項のトップとして脳裏に刻まれて久しい日々が続いた。今日はそれが霧が俄かに嘘のように晴れたような明確になった記念日だったわけだ。ほぼ半年の入院の末、見事な再生復活を果たした。
これを入手したのは原宿は竹下通りのMという小さな小さな楽器屋だった。目的もなくブラリと立ち寄ったM。そこで偶然の出会い。ソロへの始まりの一つが平成元年竹下通辺りにあったというわけだ。
オープニングは時之介を偲んで3曲やらしてもらった。おーい、聞いてたか。後半はスミジュンとのコラボレーション、誠に清く正しく楽しく過ごすことが出来た。「天人様」の共同歩調は素晴らしいものがあった。息がピッタシは簡単そうで中々出来ない作業である。
スミジュン、お客さん、スタッフ一同、良い一日を過ごすことが出来た幸運に感謝。
火曜日は国立へ出かける。コクリツではない、ご愛嬌たっぷりにクニタチでLiveLovely。待ってますぞ!

久しぶりのギブソンB-25、これぞBOSSの音


角田さんと7曲を披露


「1022が待ち遠しいね」

タイムトラベルでもして今どこに居るのか

2023年08月18日 | カテゴリー: 山木康世

名前を矢上時之助という。と言った。彼はもうこの世にはいなかった。
1週間前ここ八王子にてフォークコンサートがあった。そしてここで本当は再会をしていたはずだ。彼は来ず友人がユーチューブで歌声だけを届けてくれた。
https://www.youtube.com/watch?v=lw71WnQ1Guk

なつかしさ一杯のもういない時之助との再会だった。
月日は残酷である。ふきのとうが好きで、この歌と「皇帝ペンギンオーロラの空へ」も好きだった。
僕よりもずっとずっと優しい男だった。

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