山木康世ファンクラブ会員の皆様へ
2025年06月16日 | カテゴリー: 山木倶楽部
いつもありがとうございます。
2025年8月22日の札幌CubeGardenコンサートのチケット先行販売は、
6月18日から20日となっています。
お申込みは、ゆうちょ銀行の青い振込用紙で
口座番号:02760-9-101611 口座名:山木康世オータムマンコンサート
備考欄に、住所・氏名・連絡先・ファンクラブ会員番号・申込枚数を必ず記入して下さい。
チケット代金(6600円×人数分)+送料210円を送金下さい。
座席番号は、1列中央から左右に順に割り当てし、7月1日に発送します。
「山木康世 Live Lovely 2025」
秋が立つ YAMAKINGSONGS de 残暑見舞
会場=cube garden(キューブガーデン)
札幌市中央区北2条東3丁目2-5
地下鉄東西線「バスセンター前」駅下車8番出口より約500m、徒歩約5分
ゲスト 田高健太郎
開場=18:00 開演=18:30
チケット 6600円(全席指定)
なお、6/21以降は以下の窓口で、ファンクラブ以外の方もご購入いただけます。
◎山木康世各ライブ会場(7月5日喜多方会場から)
◎ゆうちょ銀行「オータムマンコンサート」
◎イープラス
◎セイコーマート
よろしくお願い致します。
千葉県市川市サクラコート少し梅雨明けは早いんでないかい
2025年06月16日 | カテゴリー: 山木康世
99歳男性が中央道を逆走。正面衝突という事故が発生。75歳以上のドライバーに認知機能検査、実地運転技能が義務づけられて、僕のところにも書類が送られてきた。昔の高齢者も運転はしていただろうが、まだオートマがない時代にはマニュアル操作が難しくなる年齢て返納する方も多かったのではないのだろうか。僕が免許を取得したのは35歳の時だから今から40年前の話、その前までは死ぬまで免許は要らない主義だった。有限の石油資源の無駄遣いを僕はしないと誓っていた。あの頃中東に眠る化石燃料資源は30年と言われていた。しかし30年経っても枯渇しない。無尽蔵に今だ発見される始末、一体どうなっているのだろう。
先ほどの超高齢者でも頭がしっかりしていて、ある程度体が健康ならオートマは運転できる。しかし運転中に何が起きるか本人でも保証できない突発病気は致し方ないことだろう。しかし本人だけならまだしも他人を巻き込み兼ねない、それも逆走だとなおさらのこと。傷ましい事故である。人生100年時代とは言われ昨今お目出度い話だが、こと運転に関しては何とも言い難い社会問題だ。足が不自由になってきて車に頼らざるを得ない人が果たして全国に何万人におられるのだろう。ちなみに100歳以上の高齢者は9万人いるという深刻な問題である。
上から読んでも下から読んでも市川市。江戸川を超えたら千葉県、そして20分くらいで妙典に着く。サクラコートの名前の通り、4月のサクラの時期に伺えばもっと盛り上がるのだろうが未だ4月ライブで伺ったことがない。年に一度の巡り会いなので中々調整が難しい。
場内は真新しい畳が敷き詰められていて、天井の一角から空の明かりが差し込み、とても居心地の良い清潔感あふれる会場である。
天気予想によると明けて月曜には梅雨明け、猛暑になると言うが梅雨は今年何日あったのだろう。少し早すぎではないかいと思えるほどの予想が気になるところ。
遅れて仕舞ったダイアリー、決して天候のせいではなくて申し訳ございません。
あー明日から本当にうだるような暑さになるのだろうか。

邸宅が並ぶ中にポツンとサクラコートホールがあります

終了後はサイン
山口県周南市ガンボ大小福徳ツアー円満福徳御礼
2025年06月12日 | カテゴリー: 山木康世
大小福徳ツアーも最終日、思いの外天気は悪化せず、最悪の予想は最小に変わってくれた。晴れ男健在と言って良いだろう。梅雨入りでスカッとした青空はなかったがココロは青空、2カ所で行われた配信に珍しいトラブルが続いた。
人生にトラブルは付き物、それを如何に乗り越えるかも目標が一つ出来たくらいで前向きになれる。ただお金が絡んでいて事前にご予約というシステム上ミスは許されない。
コロナ発生以降配信は副産物として誕生した。世界中パンデミックという物騒な騒動に振り回されて行く中、音楽関係おんれい者は配信という新たな試みに心ときめき踊った。お客様も遠く離れた地で自分だけのライブを楽しめるという、従来にないシステムが登場して変わっていった。街ではウーバーという宅配システムが珍しくなくなった。昔で言う出前である。しかしこの物珍しい新たな社会現象も月日と共に、回を重ねるごとに徐々に双方共に遊び疲れた子供のように少し冷めていった。昔ほどのときめきや緊張などが解かれて減っていった。しかしこれだけでは終わらないはずである。何か新しいライブの試みがなされるだろう。
オレは生きているのか? オレは死んでいないか? から
おれは生きているぞ! オレは死んでいないぞ!
である。
周南ライブ生配信をご視聴いただいたみなさまへ
周南ガンボライブの配信の途中で音が途切れることがあり、たいへんご迷惑をおかけいたしました。
お詫びとして、以下のライブ配信のうちお好きな配信を1回無料でご視聴いただきます。
(#89)2025年7月5日(土)福島県喜多方市・FMきたかたライブスペース 配信料 3000円(アーカイブは7月10日まで)
(#94)2025年10月22日(水)東京都港区・南青山マンダラ
配信料 3000円(アーカイブは10月26日まで)
(#95)2025年11月29日(土)奈良県奈良市・奈良・ビバリーヒルズ
配信料 3000円(アーカイブは12月4日まで)
選択されましたら、 online@yamaki-club.com まで6月30日までにご連絡ください。
※すでに上記3本の配信をご購入済みの方には、#96(会場未定)のライブ配信を無料でお届けします。
※周南配信の返金をご希望の方は、その旨をonline@yamaki-club.com までご連絡ください。
どうぞよろしくお願い申し上げます。
梅雨が例年通り始ままりましたが、どうか停滞による洪水事故が起きませぬよう切に祈願いたします。
大小福徳ツアー先ずは終了、ご参加の皆さんありがとうございました。また元気でお会いしましょう!

徳山駅から徒歩5分、ガンボがあります

下関側から門司港を望む。関門橋をバックに
周南ライブ生配信をご覧いただいたみなさまへ。
2025年06月10日 | カテゴリー: 山木康世
連日申し訳ございませんが、本日の配信も店の機材に不具合があり、音が途切れる事がしばしばございました。
ただいま原因を調査しております。お聞き苦しいとは思いますが、申し訳ございませんが、しばし現在の動画でライブ配信をご視聴下さい。
今後なんらかの対応を検討し、再度ご連絡させていただきます。
今後ともよろしくお願い申し上げます。
福岡ライブ配信の皆様へ。
2025年06月10日 | カテゴリー: 山木康世
いつもお世話になってます。
昨日のライブ配信におきまして、機材の不具合により冒頭約5分間配信されませんでした。深くお詫び申しあげます。
只今復元作業中で明日にでもフルデータをご視聴いただけるurlを再送いたします。
どうぞ宜しくお願いいたします。
福岡スクエアガーデン風がすぎていった
2025年06月10日 | カテゴリー: 山木康世
1974年9月21日といえば忘れもしない「ふきのとう」におけるデビューの日である。第二の誕生日であると言ってもいい。当日ジャストの記憶は残っていないのであるが、かすかに思い出せるのはキャンペーン連日の日々であったということは記憶にある。
デビュー曲「白い冬」が売れ始めて社長以下会社が躍動を始めたくらいは想像できるが、キャンペーンというものに巻き込まれるとは夢にも思っていない。SONYにしてみれば新人歌手の誕生につきもののキャンペーンは当たり前の出来事。我がスタッフ陣もエレックレコードからの移籍組ということで過去に経験したことのない出来事で内容自体の説明もなかったし出来なかったことであろう。SONYに電話をかけると「はい、白い冬のソニーでございます」と女性従業員は電話に応える。それを聞いたときは勘違いを起こしたのも事実である。まさか天下のSONYが我らを名指しで答えてくれるとは!これは後にわかることであるが、一押しの歌があれば、他のだれであってもそれを受け答えるシステムになっていただけの話であるが、まぁそれほど売れたということである。
この年の10月、スタッフ以下何かと関わり合いの多い福岡、博多へ出かけた。思い出すのはRKB毎日放送のとある一室である。来訪した歌手たちが、地元ディレクターさんたちと談話をする応接間のような部屋である。そこに置かれた一台のテレビから野球中継が行われていた。長嶋選手の現役引退試合である。
10月14日に後楽園球場に最後の雄姿を見ようと5万人の観客が押し寄せたと言う。今では若い人のコンサートに10万人などという話も聞く時代であるが、一人の野球選手の引退試合に球場に5万人は驚異的な数字である。そして生中継が行われた、そのテレビに地元ラジオ局、我らふきのとう御一行様はくぎ付けとなっていた。キャンペーンどころではない。熱いものがこみ上げて、長年の長嶋選手を我がことのように思い出しテレビの前で感慨深いものを強く感じて今にも泣きだしそうだった。
9月21日に発売した「白い冬」若干23歳であって、あと1週間余りの10月22日には24歳となる。大いなる旅立ちの日々いざ出発進行、方や引退試合である。まさに終わりがあって始まりがあるである。偶然立ち寄った博多の放送局の一室におけるあの日のテレビ観戦は未だ色あせていなくて脳みそにしっかりと刻み込まれている。そして先日の89歳ご逝去で、まさに風がすぎていったである。
博多の街は頑丈で大きなビル群に生まれ変わっていた。久しぶり徒歩で西鉄駅界隈を歩いた。札幌より人口では少し負けるが、街の活気は博多に軍配が上がる。ここに住んでいる若者の精神が札幌とは少し違うようだ。札幌人の少々控えめな態度は冬場の厳しい長い環境がそうさせるのか。デビューの時生まれて初めて訪れて、夜になって福岡出身のスタッフの連れて行った親不孝通り。ここで商売をしている当時の友人、知人を紹介してもらった。その時に感じたエネルギーは、今でも見ず知らずの若者たちに大いに感じる。
随分とお世話になったなぁ、キャンペーンだけではなくそれに付随した周りの多くの人たちの出会いを鮮明に梅雨空の下思い出した。博多はとても良い街である。
デビュー後たびたびキャンペーンで訪れた博多であるが、当時夕方の男性アナ二人による歌謡番組の冒頭の言葉は永の友人のようにも感じて、その後の励ましにもなった。
「元気だった?今度の新曲も良いねぇ!」

体調もバッチリ、九州3か所目のライブです

ブルーの灯りの中で歌います
小倉フォークビレッジ 大小福徳ツアー道の途中
2025年06月08日 | カテゴリー: 山木康世
大分→小倉→福岡→徳山(周南)も中日である。お天気に恵まれ、今のところ晴れ男健在である。
昨日の余韻を窓外の別府湾に携えながら小倉入りである。
モノレールの走る国道沿いにフォークビレッジはあった。もう何年前になるのであろうか。名前からして高校生のころに憧れていたアメリカンフォークソングが脳裏に浮かぶ。そしてアメリカのフォーク雑誌があって、名前を「フォークビレッジ」と言った。フォークギターに魅せられて、シンプルなメロディーのフォークソングに魅せられた15歳の夏。日本では加山雄三、GSが幅を利かせていた。スリーフィンガーの風のように流れ渡る奏法にココロ強く引かれていったあの頃が走馬燈のように脳裏をよぎる。あれから60年もとりつかれてYAMAKINGSONGSの仕上げの感じの51年目音楽生活。お店はそれから近くのビルへ移った。あれからコロナという忌まわしい歳月を乗り越えて我らは元気に再会が出来たことは奇跡と言えるかもしれない。
お店いっぱいのお客さんたちの胸の内が手に取るように伝わってきた。長いことかかってここまで来た。思いが結実した日であった。メロと詩は消えてしまわずキッチリと双方の胸の内に大事に大事に仕舞われていて、今日の日に開花した。歌声が野に渡る風のように店内の隅々に響きわたった。涙が出てくる。良いもんである。
この日を支えてくれた「うち・ふる」音響照明技師岡本氏、そして偉大なる小野ママさんの尽力によって開花したこの日は始まりの日であったと後にまで記憶されるであろう。
丁寧に丁寧に言葉ひとつひとつ拾って2時間越えを終えた。
ショーやステージなどと簡単には片づけられない出来事が繰り広げられ時間が過ぎて行った。世間は米騒動、長嶋選手、世界各地紛争でてんやわんや。しかし6月7日の小倉の一角に美しくシンプルなミューズの神が降臨した貴重な時間は知る人ぞ知る人に一服のココロのビタミンとなって深く深く刻まれた。
バンザーイ、カンパーイ!!

山木節全開

満員御礼!

小野さん、岡本さん。いつもありがとうございます。
大分ブリックブロック後記 1992年、ふきのとう18年の歴史に幕を下ろした
2025年06月08日 | カテゴリー: 山木康世
1992年、ふきのとう18年の歴史に幕を下ろした。全国さよならコンサートを開催、大分は農業会館で執り行われた。後日ふきのとうを知らない子供がそこで行われたふきのとうフェアという看板を見てお母さんに教えたそうだ。お母さんはそんな筈はない、もうふきのとうは解散して最後のコンサートを農業会館で見たんだもの。何を隠そう春の山菜フェアだったわけである。
そんな子供も40代か。
まぁ農業会館でふきのとうとはこれ如何に。楽屋から見えた靄にかすんだ別府湾は格別なものがあった。
すべて歌い終えて後かたづけ、打ち上げまでの小休止に熊本のSは「ソロになったら手頃な良い会場がすぐ近くにあるんですが見に行きましょうか?」と言って車の助手席にオレを乗せて海辺の一軒の建物へ連れて行った。そこがbrickblockだった。ドアを押して中へ足を入った瞬間電流のようにしびれた。
ここは良い!guitar一本弾き語りには申し分のない広さ、天井の高さ、階段状の客席、すべてがお初の未知の世界だが、明るい希望の未来が見えてきてSと一緒に喜んだ。あれから何度ドアを開けて中へ。全国広しといえども5本の指に入るのではと思えるほどお気に入りの会場として僕の中で思いは熟している。
ここでのもう一つの楽しみは、初代かぐや姫のメンバーにお会いすることが恒例となっていて、連れだって打ち上げに行く。学生時代音楽雑誌でお見かけした同じような時代を駆け抜け生きてきた音楽人と話をすることはいつになく面白い。
日本のフォーク、ニューミュージックの夜明けのころに切磋琢磨していた北と南のギターを抱えた当時まだ学生だった人間たちの話は実に面白いものがある。互いに元気で高齢者となった今、それなりの生き様を笑いながら話ができる。やはり元気でいたならそのうちに待っているであろう更なる幸福に出会えるチャンスが多いのである。
次のライブ地は北九州市である。小倉と言った方がピンとくる。国東半島から関門へ。そろそろ梅雨入りになるのであろうか。

奈多海岸でラジオトークを収録

初夏の日差しが注ぐ

お花をありがとうございます。

ブリックブロック入り口

ありがとうございました。
北区田端スタジオアンダンティーノ 町のあちこちにたくさんいた長嶋選手
2025年06月05日 | カテゴリー: 山木康世
長嶋茂雄氏が89歳肺炎で死去。長嶋さんは2004年68歳の時脳梗塞を起こして発見が遅れて右半身不随、言語障害が残ってしまった。2時間が勝負、別れ際と言われている。夜中に発症して朝まで発見されなかった。実に厄介なこととなって、遂に帰らぬ人となった。我らが大ヒーロー背番号3番サード長嶋は永遠に戻らぬ人となってしまった。どれほど小さい頃、長嶋さんが日本国民のヒーローだったか。
一度だけ握手を貰い、一緒に写真を撮った思い出がある。
後楽園球場が閉鎖され、東京ドームにバトンタッチの夜があった。その頃はふきのとうに僕はいて札幌に住んでいた。武田鉄矢さんの事務所から「サヨナラ後楽園」の楽曲依頼であった。武田さんから詩が届いて早速ギターをボロンボロン、良い歌が出来た、と言いたいところだがまったくその頃のことを覚えていないという情けなさ。
当日球場に行くとエンドレスで流れていたような気が。客席には父と姉と息子たちが遊びに来ていた、イベントの最後にトランペットの日野てるまさ氏が一条のライトに照らされて歌のメロディを高らかに吹き鳴らしてくれた記憶が鮮明だ。その後に行われた楽屋で長嶋さんが目の前に、サインを頂き写真を武田さん、日野さん共々撮ったことは昨日のことのように思い出す。
1987年11月と言うから小生37歳、武田さん38歳、そして長嶋さん51歳。みんな若すぎてどこか違う星の住民の話のようだ。
今日の冒頭で「3番サード」を歌って長嶋さんことチョーさんを弔った。
♪町のあちこちにたくさんいた 長嶋選手がたくさんいた♪

「けやきホールは9月4日です」

いつもありがとうございます。

リハーサルで
大阪市5ThStreet関西から西は牛を当たり前のように食べていた
2025年05月31日 | カテゴリー: 山木康世
もっぱら幼い頃の肉事情は豚か羊か鶏かで、牛肉は食べた記憶がない。牛はホルスタインで乳牛を製造する動物。故に製造元を食べちゃいけない。しかし大人になって畑で働く牛を見たときには、ちょっとした感動を覚えた。色も白黒のブチではない茶色い少し小型のゴツゴツした働き者という感じの牛だった。水田や田んぼで働く牛は野山でのんびりと草を食んでいる姿とは同じ牛という感じではなかった。そして焼き肉やに並ぶ牛はどんな牛なんだろう?おそらくアメリカやオーストラリア、はたまたヨーロッパ生まれでCOWCOWと鳴くんだろう勝手に思った。牛肉を食べたのは大人になってふきのとうを始めた頃がお初であろう。すき焼きも豚だと思っていた。それよりも北海道では羊をジンギスカンとして当たり前のように食べていた。
大阪に来ると必ず食べたくなる鶴橋の焼き肉店がある。ほぼランチを目指して行くのであるが、そこそこにリーズナブル、これでこの質の肉が食えるのかという感動すら覚える。前日から予約を入れないと並ぶほど人気の店だ。予約を入れてもなおかつ損はないという牛の焼き肉やさん。昼時にはアッという間に満席、地団駄を踏んで引き返すという始末。近頃歳のせいか粗食に努めようと白米も小で行こうと決めている。たまに贅沢をするときは高くても美味いモノを食べようと思っている。ここの牛を腹に入れてリハに臨んで本番。なかなか良いルーティンではある。
5Thの主人は音楽熱心な方である。いつも精力的に独り言をのたまわってあちこち汗をふきふき動き回っている。今回は4月からスピーカーシステムを一新、更なる音の追求にいとまがない。YAMAKINGはマイク録りを基本にしているので何かと音の回り込みには神経を使っている。今回も前回と同じく良い音でLiveってくれた。有り難い話である。目に見えない音の追求、ますます盛んになること必至。いくら時間があっても足りないくらいだろう。2時間という制限の中でどれほど納得のいく音を提供できるか、先ほどの焼き肉屋の店主もお客様への納得度という点では同じであろう。
次回の5THはどうなっているであろうか。夜ごとブツブツ言いながらあーでもないこーでもないと自身との格闘の日々が続くであろう。それは僕自身にも当てはまる日々の連続、人生とはかくの如く人知れず格闘の姿と言っても良いかもしれない。まるで子供がおもちゃ箱をひっくり返して格闘している姿に似ている。やがて子供は学生になり大人なって年季が入ってくる。しかしその人の根っこは何も変わっていないというのがホントのところなのだろう。前田さんまた遊びに伺います。その前に焼き肉屋さんに寄ってからでしょう。暑い沸騰の夏を乗り切ろう!

いつも良い音でLiveができる空間。ありがとうございます

大阪万博を祝う御堂筋のイルミネーション

ん?ハナカツオ?