となりの電話 山木康世 オフィシャルサイト

梨元 勝「恐縮ですが」

2010年08月24日 | カテゴリー: ミュージック・コラム

梨元さんが亡くなった。肺ガンであったという。
一度だけ仕事でご一緒した。
「自己流」という30周年記念事業をした年、今は亡き井上氏の運びで「思えば遠くへ来たもんだ」のレコーディングを行った。6年前になるのかなぁ。
打ち合わせと称して、夏に夜の渋谷の居酒屋でスタッフ数人と梨元さんをお待ちした。遅れて店に来た梨元さんは実に普通の人だった。マネージャーもおらず、テレビで見る人、そのものだった。

レコーディングでは味のある歌いっぷりを披露してくれた。僕はギター担当である。
その二日間しかお会いしていないが、訃報を聞いたとき信じられなかった。たばこも吸わないのに肺ガンで亡くなった。たばこのみには朗報かもしれない。しかし明らかに因果関係が出ているのに国の甘い野放し状態がよく分からない。
吸う方は、このご時世ますます肝に銘じなければいけないね。

世を挙げて健康志向である。2人に1人はガンで亡くなるというのに、テレビでは医者、評論家がガンをネタにおしゃべりするだけで、具体的に動こうとする気配は感じない。
若い頃ツアーで一緒に回ったメンバーが実に4人も他界している。そのうち3人がガンだ。みんな喫煙者だった。
たばこだけではないが、一番のやり玉に挙がっている犯人を黙って見過ごす事件のような見方もできる。その最中に何人もの犠牲者が出ても、いっこうに警察は捕まえる気配はない。
喫煙者の中毒という問題は問題外である。中毒者は他の病気では即隔離、治療専念であろう。それが空港ロビーにおける鳥かごのような、かごの中で吸引する中毒者。何とかならないか、あの哀れな姿。

医者の枠を超えて、国を超えてみんなで取り組むべく一番の問題は宇宙や深海ではなくガンの正体解明ではないかとつくづく思う。夜ごと行われる必要もないのではないかと思われるほどの道路ひっくり返し事業、巨大ビル建設などのエネルギーとお金少しだけ解明に向ける姿勢が出てこないものか。
核三原則ではないが、もっと怖い身近なたばこの「吸わない、買わない、作らない」というたばこ三原則の徹底を望む一禁煙者の声を上げてみた。

「恐縮です」と流行語にまでしてしまった梨元さんは、向こう岸に頭を下げて逝ってしまった。ご冥福を心よりお祈り申し上げます。
(山木康世)

大江戸再訪雑魚音会 壱之章音始末記

2010年08月23日 | カテゴリー: ミュージック・コラム

第一回目の山木塾の開講である。開校なのか、開口なのか、とりあえず「根津の甚八」6時集合。ちなみに同名の俳優は真田十勇士の一人、根津甚八から取ったものと想像す。「寝ず」の甚八だったそうだが、ことの真意は定かではなく作り話という話もあってロマンをかき立てる。

目的は荒んだ現代において、一服の涼を得んがために築100年になろうとする旧い建物での雑魚音会。地下鉄千代田線を降りて地上へ這い上がると、何とも江戸情緒の界隈に出る。それにしても今日も暑い。汗が吹き出る猛暑である。まぁ表通りはそれほど他の区と違いはないのだが、一歩路地へ踏み込むと旧いのである。良い感じの大江戸の臭いがしてくるのである。北海道出のせいもあろうが東京の顔の広さをいやと言うほど見せつけられる時でもある。道の向こうから山本周五郎が、池波正太郎が、とこよなく下町を愛した大作家連が歩いてくるようなたたずまいなのである。

通常の雑魚寝はあまり良い意味で書かれていない。一つの大部屋に何人もの人が一緒に寝泊まりするというもの。民間風習の一つに、年越しの夜に、その他一定の日に、神社などに男女が集合して、枕席を共にした。ともあるのでかなりいかがわしい寝方でもある。もちろん今夜はそんないかがわしさはみじんもない。字が「寝」ではなく「音」であるので、当然雑魚の音楽の集まりというところである。この雑魚音は小生が考えた造語である。音楽人としてはかなり良いセンスの造語であると自負している。今夜は「音」の雑魚であるが「根」の雑魚も考えている。
雑魚とは種々入り交じった小魚の群れと言う感じだろう。大物、小物の集まりともなる。あの巨体の鯨や鮫を支えているのは雑魚やプランクトンである。彼ら小物でも大勢集まるエネルギーが大物を支えている。世の中だって同じだ。もしも本当に現代において大物と呼べる人物がいたとしたら、その人を支えているのは我ら雑魚の集まりなのである。雑魚が泳ぎを止めたら巨体は生きてゆけない。

なんと終了時間を見たら驚いた。3時間45分に及ぶ塾であった。何も難しいことはない。難しい言葉も必要ない。ただひととき、正直な雑魚の食べ飲み交わしである。交流である。
その昔、美原には居酒屋どころか店と呼べるものが売店一軒しかない。雑貨屋が一軒である。子供たちには少々関係ないが、当時の大人たちには息抜きの場が必要だったのだろう。持ち回りで「お呼ばれ」と呼ばれる飲み会を行っていた。そこにお邪魔した子供が一人両親と一緒に写した写真が一枚残っている。生涯あまり幼い頃の写真が残っていない小生のお気に入りの家族の肖像の一枚である。

生きてもいない人間が我が国には100人以上戸籍上生きているという信じられないニュースが届く現代。本当に寂しい時代になったものである。霊園やお寺の広告が華々しく流れる陰に、こんな寂しいニュースが流れる時代になったのである。姥捨て山、ならぬ姥捨て国、世界に冠たる長寿国家日本。
平成になってかなり浮かれた感じの世の中になってしまった。道ばたで倒れている人に誰も目を向けたがらないような時代になってはならない。人間という尊厳のある「人」の道倒れである。お茶の間のテレビでレギュラー化しているお笑いが、ニュースショーが流れている一見平和なこの時間にも忘れてはいけない雑魚の道倒れを見過ごしてはいけない。
我らこれからもっともっと直面するやもしれぬ孤独という道倒れにならぬよう、せめてまず第一歩、こんな雑魚音の会を開講してみた。
「津軽鉄道各驛停車」に音としての足跡を、この夜残してくれた熟成した塾生に乾杯である。
(山木康世)

読書

2010年08月20日 | カテゴリー: ミュージック・コラム

読書をすることは大切らしい。
しかし、いかに大切といっても何を読むか、どんな本をどんな感じで読むかで変わってくる。椅子にきちんと座って読むか、ソファで楽な感じで読むか、横になって読むか、はたまた立ち読みするか。立ち読みは意外と集中できて頭に入るものである。本屋の店先で読んで、あれほど高揚したのに部屋でしっかり読んでもあまり面白くないということが何度もある。

長い短いで良し悪しが分かるというものでもない。それにしてもロシアの文豪は長い。ロシアの風土がそうさせるのか。
僕も若いころずいぶんと本を買った。しかしすべて読んでいるかといえばそうではない、僕の買い方は、そのうち読書三昧の日々が来るだろう。そのときのために買い貯めておこうというものだった。しかしこれは結論としてだめだ。読みたいときに読みたいものを買ってきて読む、これに尽きる。肉体的な衰え、特に眼が弱ってくるという計算を入れなければならない。

読書は集中力がいる。これはある意味で体力のひとつだ。これも意外と衰えてくるもんだ。
ネットで読むPC読書は頭に入ってこない。そして一番の欠点は眼が疲れるということだ。バックライトのせいである。それでも読まないよりは読んだほうがましである。読書も習慣である。若いころなじまなかったら、なかなか年をとってからとっつき辛い趣味でもある。言葉を知って、漢字を知って、読後感のある本は個人にとってかけがえのない終生のものとなろう。

<読書の種類>
■精読
隅から隅まで一字一句逃さない読み方である。辞書を片手に一生懸命読む。しかし読んだあとで、意外に大したことがなかった本であったりするので気をつけた方が良い。大切な時間を泥棒されることになりかねない。
■乱読
これはあれもこれもと手当たり次第次から次へと読む読み方であまり詳しく読まない。大体の内容把握である。
気の多い人の読み方かもしれない。じっとしていられない人向きだ。
僕もこちらの方だ。途中で放り出してしまった本が何冊あることか。
■積ん読
これは字の如く買ってきた本を積んでおくだけの読み方だ。読んでしまうには惜しくて、そのうちじっくり読もうと思うが、眠たくなる。ちょうど手ごろな枕の高さに長編小説はもってこいだ。今もって一ページも開いてもいない。そのうちブックオフ行きとなる。

読書の秋が来る。いつもいつも同じお笑い芸人や、タレントの出るテレビを消して、せいぜい良い本に巡りあおう。
(山木康世)

クリーンエバーグリーンコンサート

2010年08月17日 | カテゴリー: ミュージック・コラム

僕には大事な同じ歳の音楽仲間が、故郷札幌に二人いる。
一人は「水鏡」でヒットを飛ばしたすずき一平。
もう一人は「君は風」の佐々木幸男。
この二人はかけがえのない音楽人である。
デビュー時期はそれぞれ多少違いがあるが、今だ現役でバリバリでやっている。
他府県ではあり得ない同じ歳三人の存在である。

30歳で東京から札幌に居を移して、何かと札幌に再度溶け込んだ。そのころ誰とも言うことなく始めた三人による共演。
事務所の枠を超えてまずは札幌で大通り公園に樹を植えよう、ということで「クリーンエバーグリーンコンサート」と称して共演して三本の樹を植えた。
当日市役所公園課担当の役人がそれぞれの名前を読み上げて植樹の会を行った。
粋な役人でお見事三人の名前をお間違えになった。
「ササキサチオさん」「スズキカズヒラさん」「ヤマモトヤスヤさん」こんな絵に描いたようなエラーは二度とない。
やがて三本の木は毛利元就、三本の矢の教えの如き結集した。九州まで「クリーンエバーグリーンコンサート」を観光しながら敢行したことは快挙であると同時に、その後30年に渡って何かと結集した。
三人は還暦を迎える。先も土砂降りの中、共演こそなかったが同じステージで歌った。

来る九月十一日土曜に紋別市で地元札幌よりも理解があるのでは、と思えるような音楽理解者M氏の強力な力添えで四回目の「オホーツクフォークまつり」を行う。
嬉しいとともに感謝の念が耐えない。奇しくも記憶も生々しい9・11の日である。
1部丸まるを三人の還暦を祝ってジョイントを行う運びの予定である。そこでは三人の今の心境を語った新曲を披露しようというところまで合致した。
どんなステージになるか、当事者なのにワクワクしている。
たかがフォークソング、フォークギターであるが三人の木の結束力は相当に硬いものがある。今では誰が欠けても成りえない「クリーンエバーグリーンコンサート」。
いつまでもクリーンでグリーンな気の持ちようは本当に必要であるなぁと思う。自身たちの身体や精神が若かったころとは一味違うステージは、毎回新鮮に思えてくる。
フォークソングの魅力は「若さ」にあるのかも知れない。

男が三人

村のはずれの谷を超え超え 
ギターかついで馬にまたがり
目指す港はオホーツク 
毛ガニガリンコ号
「白い冬」だよ恋しや紋別
今だ現役バリバリの男が三人

北の港で別れた女
一夜限りの悲しい出会い
紅いルージュがポケットに
忘れ形見だよ
「君は風」だよ夕日の紋別
背筋ピンと張ってワンツースリー 男が三人

白いカモメよなぜなぜ鳴くの
おまえも一人はぐれ鳥か
今度生まれてくる時にゃ
町の鳥になれ
「水鏡」だよ黄昏紋別
隠居還暦感激の男が三人
山木佐々木鈴木三の木 男が三人

(山木康世)

終戦記念日考察

2010年08月15日 | カテゴリー: ミュージック・コラム

65回目の終戦記念日である。
戦争が終わったのか、戦争を終えたのか。前者だと時間的運命で何かしらの力が加わり、終わったという、ある種無責任さが加わる。ネガティブ(受動的)である。後者は自らの意思で終えたということになりポジティブ(主導的)である。

終戦記念日という言葉自体があいまいなイメージである。果たしてどんな終戦で記念なのか。
バンザーイなのか、やれやれなのか、チクショーのイメージなのか。記念日はアニバーサリー、後々の思い出に残しておくこととある。どちらからといえば良いことの記念が良い。敗戦、終戦の記念は分かり辛い記念である。終戦の日で良い。 

敗戦記念日でもあるのだが、敗戦だと戦争に負けるがネガティブ、ポジティブだと言葉が見つからない。あえて言うと放棄するであろうか。戦争自体がポジティブなので、敗戦というネガティブな言葉と矛盾してしまう。
戦いを能動的に行わずして戦争と言えるだろうか。戦争をやらされたというような戦争はない。個人的な戦ならあるかも知れぬや、国家間の戦争ではありえない。戦争のネガティブな最悪な結末は国の破滅である。
先の戦いは原子爆弾が登場した最初で最後の戦争だろう。悪魔の兵器は、もう二度と使えないように封印されるだろう。それでなければ地球の破滅ということがあり得るので、こうなると人類の破滅であるからだ。

日本は植民地化されたことがない国なので、国の消滅のイメージがわいてこない。他国に自分たちの現在、未来を管理されるのだ。これは屈辱、恨みしかない。英国が発祥の帝国主義の時代とはこんなことが当たり前のようにまかり通っていた時代なのでである。

おそらく能動的に始めたであろう戦争を終えるには謝るしかない。武装解除して敵国に頭を下げて謝罪するのである。これもおかしな話だ。例えばサッカーで、ボクシングで負けたほうが謝るなんていう話は聞いたことがない。
東京湾のミズーリー号甲板で行われた降伏調印文書に判を押す行為は何だったのだろう。両者の戦いをこれにて終えますという誓いの判なのか、あなた方に対しての数々の残虐な行為を謝り戦いを止めますなのか。戦争自体が残虐なので両者ともにおあいこだ。

作文では受動的な文章は薦められず、指摘される。能動的な文章が良いとされる。
素直に人に謝ることができる人は救われる。謝っても誠意のない態度、不真面目では謝らないほうがいい。アメリカ人は謝らないという。謝ると裁判で不利になるからという。
日本人は何かとスミマセンを使う。これは謝罪のスミマセンというよりお手数をかけますが、とかお世話様ですがというようなニュアンスであろう。時にはありがとうの時にも使ったりする。外人には理解できない相手に対してへりくだる態度の言葉だろう。

今朝の風は、昨日までの風と違い涼しい。海水浴もお盆までと言われたものである。それを裏付けるような風の吹き方である。名もなき兵士の英霊にスミマセンと誇りある戦死を再確認する八月十五日。
(山木康世)

ご先祖様のおかげです

2010年08月14日 | カテゴリー: ミュージック・コラム

この世のすべてのもの、すべての人の因果応報、これご先祖様のお蔭なり。
今というときがあるのはすべて過去の繋がりからの連鎖の反応、結果なり。
人を羨むも良し、人を恨むも良し。
元をただせば一から始まるものなり。はるか遠い遠い昔我らは同じ一より始まるものなり。
先ずは先の父母を慕い、そして我を慕い周りを慕い、思いを悠久に馳せるなり。
君も我もかけがえのない人間同士なり。

飯食ったか風呂入ったか 寝る前に歯を磨いたか
明日から3学期だ ぐっすり夢見て眠れ
仏壇に手を合わせて おやすみと言ったか
おまえがここにいるのは ご先祖様のおかげです
 ひとりで大きくなったとか
 ひとりで歩けるようになったとか
ひとりで言葉を覚えたとか
 ひとりで文字を覚えたとか
勘違いするなよ みんなみんなご先祖様のおかげです

花に水を小鳥に餌を 金魚の水を替えたか
おまえがやらなければ すぐに死んでしまう
 ひとりで大きくなったとか
 ひとりで歩けるようになったとか
 ひとりで言葉を覚えたとか
 ひとりで文字を覚えたとか
勘違いするなよ みんなみんなご先祖のおかげです

札幌はお盆晴れがあるとすれば、まさにお盆晴れです。
ご先祖様も傘もささず、ハンカチも頭に載せず迷わず帰って来られそうな晴れ模様です。

(山木康世)

帯広二葉亭四迷音始末記

2010年08月12日 | カテゴリー: ミュージック・コラム

帯広と言えば、豚丼、豚丼と言えば帯広と言うほど豚における丼で一躍全国区になった帯広である。しかし僕の中での豚丼はそれほど親しみがなく、いまいち夢中に語れない。味は良い、丼としても良い、しかしネーミングが災いしているのか、はたまた幼き頃の記憶が全くないのが災いしているのか。
店に入ると「ぶたはげ」などという最大級の言葉が目に飛び込んでくる。「ぶた」も「はげ」も当事者にはおもしろくないはずだ。まぁ気にしなければいいのだが、もう少しかわいらしさがあればと思ったりする。「ぶーちゃん丼」はどうだろう。これもいまいちか。みなさんならどんな名前が浮かんでくるかなぁ。

そんなこんなで腹ごしらえをしていざ「ふた葉亭」へ2回目の参上である。
前には見たことがなかった青々とした緑のリングが階段入り口を飾っている。前は秋だったのか、今回の夏全開モードの道東の風景はエネルギッシュに、かつダイナミックに迫ってくる。店内に入ると音楽の店らしい飾り物や写真、ジャケットが並んでいてワクワクしてくる。
前回よりもすべてにおいて○のライブはつつがなく非常に心地の良い夜と整いました。
明けてバスで札幌へ移動、4時間の旅。たまには高速バスも良いモンだ。

明治の文豪二葉亭四迷のネーミングは最上級のセンスである。くたばってしめぇ=二葉亭四迷。ちなみに父からそう言われたのだそうです。

御巣鷹山ジャンボジェット墜落事故から25年という。ご遺族の方は、いろんな25年があったと思います。亡くなった方が生きておられたら25歳歳を取っていたんだと思うと感慨深いモノがあります。僕も職業柄ずいぶんと空の移動がありました。今後もあると思います。普通の人以上に敏感に生きて来ざるを得ませんでした。ただただ安全を祈るのみです。
(山木康世)

釧路此音始末記

2010年08月10日 | カテゴリー: ミュージック・コラム

釧路の夜は寒かった。半袖では鳥肌が立つほど寒かった。
しかしThis isの二階は熱気と人いきれでムンムン猛暑状態だった。
釧路お初のライブは大盛況、興奮と共に完了いたしました。
オーナーのK氏との出会いは、きっとこれからの人生を豊かにしてくれるであろうと予感したほどの充実だった。
お母さんの100歳生命力を多いに期待する。
僕を呼んでくれたSさんのご尽力に多大なる感謝をする次第だ。お父さんの早い回復を心より祈願する。
釧路の魚はやはり日本で最大級の天下一品。うまくてサンマの刺身、銀だらの味噌焼き、ツブ貝、タコ、イカ、最後に出た塩ラーメン、ほっぺたが落ちてしまい今夜の帯広で発音がうまくいくかどうか不安になるほどだった。

明けて今日はまた格別の訪問となった。
僕が30歳の歳に作ったアルバム「野良犬HOBOの唄」をこよなく愛してくれたO氏が念願のライブハウス「HOBO」を作って1年になると言う。
そこで昼に出かけみた。店内は昨夜のJAZZとは趣の違う日本のFOLKが充満していた。
O氏は道内各地のライブにヒグマの如く出没、高校生の頃からの支持者と伺った。うれしいもんだ。何がってFOLKの精神が引き継ぎ受け継がれて残って行くという無上の喜びだ。
こんな人や店を知ると、ますます良い唄を書き続けなければと思う。
昔の唄を酒の肴に、新しい唄を今宵の子守歌に、そんなイメージで霧の中電車を右手に、左手にはるか太平洋を望み帯広へ向かう。

又来蔵(またくるぞう)、みなさーん、ありがとー!
(山木康世)

網走血走音始末記

2010年08月09日 | カテゴリー: ミュージック・コラム

民主党M議員の応援ライブで駆けつけてから7年の月日が経つ。
夜の女満別に星が降っていた。
翌日網走ちぱしりにてライブを行った。M議員とはお初であるが、ふきのとうの話などで盛り上がった。今、民主党Oの秘書として時折顔を出している。

あれから7年3回目のライブは誠に気持ちの良い夜となりました。
打ち上げで出されたトマト、キュウリ、大根、インゲン、芋、青シシトウなどなど裏の畑でとれた野菜の数々大変おいしゅうございました。大学の4年後輩であるというオーナーS氏と妙な出会い、因縁で今に至っている。大学という糸で結ばれた絆を多いに感じ入って店を後にした。
又お会いしましょう。

ただ今、小清水原生花園、左手に釧網本線、濤沸湖を望みながら野付半島、トドワラに向かっております。「風来坊」アルバムジャケット写真がよみがえって参ります。その向こうに広がる海はオホーツク海です。その海の遙か彼方には知床連山がかすんでおります。
標津漁協直売店にて念願の塩引きをゲット!少々買い込みご満悦で一路釧路を目指してレッツゴー。
(山木康世)

札幌盤渓音始末記

2010年08月07日 | カテゴリー: ミュージック・コラム

Pm07:00 藻岩山の向こうも晴れなり。
Pm10:00 現地盤渓は曇りではあるが雨は降りそうにない。
Pm14:00 出番4曲を歌う。なんとか天気が持った。はるか向こうに青空も見え始めている。晴れ男、この時点では健在なり。
Pm15:00ポツポツきやがった。
Pm16:00かなり強い雨が降りはじめ、表にいたが会場楽屋に戻る。
Pm17:00本降りとなる。驟雨という奴だ。
Pm18:00土砂降りの中フィナーレ。
Pm18:15皮肉なことに雨は上がって山の中腹から上には霧が幻像的に漂っている。

この日の出演者たち
佐々木幸男、稲村一志、はじめ、山木康世、ジミー東原アコースティックバンド、境長生、五十嵐浩明、VOICE、堀江 淳、鈴木一平以上なり。

まるで波瀾万丈の男の人生を見るような、本日の天気模様ではあった。

【驟雨】
シュウウ
にわか雨。「驟雨不終日=驟雨は日を終へ不(にわか雨は一日と降り続かない。強いものは、久しく続かないことのたとえ)」〔老子〕漢字源より

(山木康世)

« 前に戻る次のページ »