徐福さん
2016年05月08日 | カテゴリー: 山木康世
徐福さんのことがいまいち分からないというご指摘を受けたのでなるべくかいつまんで復習しておきます。
まず中国人で秦の人である。万里の長城でご存じ秦の始皇帝の腹心である。100名ほどいたそうである。方術士と呼ばれ専門職の人をこう呼んだ。
ある日始皇帝は徐福に不老長寿の薬草を東の彼方の国に探してこいと命じた。そこで200隻ほどの船団に男女3000人を乗せて日本にやってきた。どうも黒潮に乗ってきたらしい。
日本の時代では弥生時代のことである。日本の30カ所に徐福がやってきたという町がある。そこで伝説となるのであるが、僕は富士吉田市で初耳、歌を作った。富士山中に薬草を探したという。そして佐賀市の金立に薬を探したという。佐賀市には徐福縁の地名がたくさんあった。
そして徐福は日本に居着いて日本に骨を埋めたのである。
来年中国に於ける大河ドラマとして「徐福東渡」がクランクイン決定というニュースが届いてから一ヶ月ほど経った。
何かときな臭い日中、軍事的和平を求めるのではなく、文化、芸能によるロマン的解決が今求められていると強く思う。
昨夜の柏WUUに遊んでくれた皆様に改めて御礼申し上げます。
奇跡のB25
2016年05月07日 | カテゴリー: 山木康世
陸前高田に奇跡の一本松あり。眼の中にありありと海辺の光景が刻まれている。7万本の1の確率で生き残った松は内部が侵されていた。急きょ手術、養生、回復と相成った。まさに人間のやさしさ、思いやりである。方や大陸の彼方、人間爆弾で死んでゆくものあり、方や松をよみがえらせるものあり。同じ人間の成せる業である。ところ変われば,気持ちも変わる。
いよいよ柏WUU。ここにも奇跡のB25あり。一時はさじを投げられたかに思えたアメリカ生まれのB25は主人の手厚い、かつど素人の手術、養生、回復と相成った。まことに良い味を出している。断末魔の咆哮、芳香、奉公か。
奇跡の一本松
2016年05月06日 | カテゴリー: 山木康世
気温も上がって雲も流れ去り陸前高田は晴れ、憲法記念日の祝日ということもあり車は渋滞気味だった。やがて右手に松が一本見えてきた。周りは驚くような高さの盛り土をした平地が広がる。手のひらの先、計ってみるとちょうど防潮堤と同じ高さ。橋を渡ると右矢印に「奇跡の一本松」案内が。歩くこと10分一本の松が風にそよいでいる。なるほど7万本のうち最後まで打ち寄せる海に持ちこたえた松だけある。太さも高さも見事な松である。ここ陸前高田の浜は日本百選にも選ばれたほどの景勝地であった。
この風景を記憶にとどめよう。波の海の非情さを思いしろう。
三重の観光地で世界のトップを招いて会議を開くのも宜しいが、東北のこのような場所を世界のトップに見てもらい、ここで会議を開いたらそれだけで意義のある会議になるのではと思ったりした。
明日の柏WUUにお越しの皆さんへお土産を考えました。奇跡的に残った一本松からのささやかな御礼を受け取りお腹に入れてください。心よりお待ち申し上げます。
こどもの目
2016年05月05日 | カテゴリー: 山木康世
五月の良い風が吹いている。山や畑の雪はまだぜんぜん溶けきっていない。泳いでいるはずの鯉のぼりが泳いでいない。それどころか高いポールの先、ロープとポールに絡みつき、まるで鯉のぼり干物の如く日に当たったままだ。
役所から帰ってきた父は神妙な顔つきで地面を掘る。やがてポールは重力に従って徐々に倒れてくる。父は同僚とポールを支えて、母が鯉を優しくはぎ取って元の魚にもどす。そして今日はもう遅いので、全部収容してしまう。
今日の鯉の滝登りは終わり。また明日泳いでもらうわ。
こんな光景をなぜかはっきりと覚えている。大人の不覚、無様、悔恨、今日はこどもの日だから許してあげる。と言ってニヤニヤしながら見物していたこどもを後に家の中に消えていった大人の背中をジーッと見つめるこどもの目。
最終日水沢HONESTY満点花丸、東北12日間無事終了!
2016年05月04日 | カテゴリー: 山木康世
昨夜のHONESTYはまさに東北ツアー楽日にふさわしい盛り上がり、おもてなし、誠にすがすがしい一日でございました。ありがとうございます。
サクサク、七福神、風来坊におけるシングアウトはよく聞こえ素晴らしかったです。ひとえにお店の社長、店長、スタッフ、常連様の日々の心の積み重ねであるなぁと感じた次第です。
最終日をこのような幸福感で終えることができたことに改めて御礼申し上げます。正直、誠実、実直=HONESTYまさに名にふさわしいお店、人柄のような感じを受けました。歌いたかった歌が2曲残っております。店長、また伺います。社長、どうぞご自愛ください。
朝から止まなかった雨も上がって青空の水沢になるようです。さぁー東京へ向けて帰りましょう。
旧大槌町役場跡
2016年05月02日 | カテゴリー: 山木康世
衝撃である。まだまだ復興が進んでいない、旧大槌町。やがて塀に囲まれ、正面に観音様が奉られたコンクリートの4階建ての建物が見えてきた。中は廃墟である。あの日、海に翻弄された役場跡である。窓という窓はすべて破壊され、ドアもなく、鉄筋はひしゃげている。役場中央に掲げらた時計は3時20分ほどで止まっている。
最後まで若き女性職員は町の人に「津波が押し寄せています。今すぐ避難してください」と言い続けて波に飲まれたと記憶している。本人もまさかここまで波が襲ってくるとは思ってもいなかったのだろう。
僕はお線香を上げて拝むしかなかった。
その後に続く町々の海岸線には4階建ての高さもあろうか、コンクリートの防潮堤が作られつつあり、町からは豊かな海を見晴らせることはなかった。
まだまだ道半ば、早期復興前夜を祈るしかなかった。
極めつけはNHKカルチャーラジオ
2016年04月30日 | カテゴリー: 山木康世
昨日は青森から弘前へ津軽半島をほぼ一周するコースで入った。斧のような下北半島が真向かいに見える。魚の宝庫、大きな陸奥湾が右手に広がる。
ほどなくして義経寺に遭遇した。これは思わぬ発見である。外ヶ浜の三厩(みんまや)というところから義経は北海道に渡った。厩石(まやいし)がまず目を引く。大きな岩で、義経はここで三日三晩寝ずに祈ったという。そしてそこにつながれていた3頭の龍馬に乗って義経と家来は北海道に渡っていった。義経(ぎけい)寺のある山が龍馬山、そして階段を上に、弁天様が奉ってあった。北海道、下北半島、陸奥湾を一望できる。
そして先日伺った徐福の里公園がその先にある。
なんと義経、龍馬、弁天様そして徐福とここ、津軽半島の先端にお集まりとは奇遇も奇遇、自分でも驚き桃の木である。
さらに驚きは続く。
翌30日弘前を10時に出立。何気なくラジオを付ける。周波数の乱れでNHK第一が聞けない。そして自動選局して流れてきたのが「漢詩の世界」そしてアナウンサーの読み上げる詩の中に「徐福」という言葉がしっかり、はっきりと聞こえてきた。再度驚きだ。晩唐・韋荘(いそう)の「威陽懐古」の一節だった。
黒石の天気は上々、予報は曇りであったが天に届いたかのような晴れの中、こみせん舞台に臨む。
青森ライブ満喫
2016年04月29日 | カテゴリー: 山木康世
青森のお客さんは素直で反応が良くて、久しぶりの爽快感に酔えて、2時間満喫した。
「サクサク」における大声のサクサクこだまは生身のこだま、言うことなしだべさ。
「七福神」における♪さぁさお酒をー♪は初めて歌った人たちかと思えないほどの意思疎通、1番から何も教えていないのに全開だ。いやー今までで一番だった。熱気はマーキーを超えていた。佞武多が育んだ熱き心か、本当にうれしかったよ。
冷たい雨は夜も続いたが、全然寒さを感じなかったほど床に就くまで余韻は続いた。これには日本酒「じょっぱり」の4合が手伝っていたのは間違いがない。
みなさーん、ありがとう!また会いましょう!
