3億円事件
2016年12月11日 | カテゴリー: 山木康世
1968年今日は3億円強奪事件が東京は府中で起こった翌日、日本中が大騒ぎだったな。僕は18歳、高校3年の12月。3億円がとてつもない金額に思えた。今でも高額だが、当時ほどの圧倒的な力はなくなったように見える。それでも一日10万円毎日使って月300万円、年3600万円、10年3億6千万円、8年間ほど毎日10万円使える額なのだな。
2兆円、3兆円がさらに20兆円が普通のように語られる現代。ちなみに1兆円は1億円の1万倍。先ほどの計算で行くと、何年寝て暮らせるのだ?あー頭が痛くなってきた。
今日は小室 等氏のTV番組「新音楽夜話」収録に行ってくる。緊張と興奮の長い一日だー。
みなさん、より良き日曜日を!
JOHN LENNON
2016年12月08日 | カテゴリー: 山木康世
1980年東京は信濃町にあるSONYスタジオで「野良犬HOBOの歌」を録音中、誰かが慌ただしくスタジオに入ってきた。
「JOHN LENNONが殺された。今テレビで臨時ニュースをしている!」
僕たちはロビーにあった大型のテレビの前へ走って行った。
ニューヨーク自宅前で射殺されたという臨時ニュースをアナウンサーは淡々と何度も読み上げていたが、僕はといえば驚き虚しく何とも言えない悲しさと寂しさでいっぱいになって泣きたくなっていた。
あのたった一発の鉛の弾が世界の貴重な才能をなくしてしまった。もう二度とJOHN LENNON発信の歌にお目にかかれなくなった。馬鹿なアメリカ人もいるもんだ。
30才の今日、JOHN LENNONは39才で他界した。
千島列島波高し
2016年12月07日 | カテゴリー: 山木康世
今から75年前の千島列島単冠(ヒトカップ)は暗闇の中大忙しだったはずだ。
空母6隻、戦艦ら20隻余りの連合艦隊の殴りこみ前の北洋はどんな空気だったのだろう。アメリカへの殴りこみである。360機からなる大編隊は東に登る朝日を目指して一路ハワイ真珠湾へ。国の前途を絶たれた我が国はアメリカへ、東南アジアへ活路を求めて戦いを始めた。真っ暗闇の中、エンジンは唸りを上げ始める。乗り込んだ若獅子は血気盛ん、キリリと鉢巻を締め忠勇の元、今や飛び立つ寸前である。
明日の未明、日本はアメリカに宣戦布告をした。しかし通告はアメリカに届いておらずだまし討という不名誉な形で後々語り種となってしまった。しかしアメリカは事前に予想していて、湾内にはオンボロ艦を置いていて、先鋭部隊は外洋に避難させていたとも言われる。まんまと罠にハマったのかもしれない。国民は誰ひとりとして、波高い極寒の北洋でそのような準備が着々となされているとは思ってもみず、いつもの夜のように過ごしていた。
あれから75年、穏やかな夜である。窓の外、走る西武電車の音がする。
星は天から大地へ降り注ぐ
2016年12月05日 | カテゴリー: 山木康世
埼玉県皆野町ホンキートンク乾杯!
今年2回目のホンキートンク。いつものライブの主旨とは少し違った異色の夜会でしたね。
なんだかなぁ、恩師を囲んでの同窓会って、呼ばれた先生はこんな感じかなぁと思いましたよ。何とも暖かい空気が寒空の中に漂っておりました。
長いことやっていると、種を蒔いてきた音楽に花が咲いて、実が成って、収穫、こんなことができる幸福が待っているとは、さらなる心の進歩でしたね。
「星は天から大地」歌ってくれて有難うございましたとお帰りになられた20代のお客さんの笑顔が素敵でした。一緒に来られたお父さん、お母さん、ご家族にも乾杯です!
最後に繁田さん、鈴木さん、参加者のみなさん、誠にありがとうございました。