となりの電話 山木康世 オフィシャルサイト

天晴れ晴れ男

2010年04月21日 | カテゴリー: ミュージック・コラム

ホンと自分で言うものおかしいが、晴れ男でございます。ことライブ、コンサートなど幸せ運搬の日などは100%の確率で晴れでございます。
曇っていたり、雨模様の空が当日は一転、雲間からお天道さんが顔を見せて晴れ晴れとした心持ちで会場へ駆けつける次第でございます。
もしもお天気の神様が天上におられるのでしたら、確実に見ておられる。そして幸運の太陽の恵みをくださる。
その昔「幸せは青空の彼方から」という九州ライブ限定盤を出しました。まずはお天気なのです。お天気次第で行動計画がガラリと変わってくる。
大昔の蒙古襲来を迎え撃ち、破ったのも神風のおかげでした。今で言う台風が粉々に外敵を防いだわけでございます。第二次世界大戦でも大いにお天気は勝ち負けに加算したのでございます。しかし最後には、特攻隊などという神風を吹かせようといたしましたが、傷ましい人命を粗末にするのみでございました。
雨女と晴れ男の対決は見ものでございます。
我こそは雨女というお人がございましたら、受けて立つ所存でございます。
もうじきゴールデンウイーク、「幸せは青空の彼方から」かみしめながらライブするぞー、マイカーで走り回る予定でございます。
まずは明後日仙台へかっ飛ばし野郎でございます。みんな付いてコイヤー!でございます。
(山木康世)

三人寄れば門者の千枝

2010年04月20日 | カテゴリー: ミュージック・コラム

恐るべし中国パワーである。
著作権何のそのマリ、ディズニーランド、キティちゃん、SONY、UNIQLO、遊んじゃえ、儲けちゃえ。良いものの真似をして何が悪いのよ、中国人は世界の4人に一人なのよ。4人に一人が良いと言えば問題はないことになっちゃうの。
……てなわけでハチャメチャである。整備されていない道路を皆がそれぞれに自由に、我が物顔で往ったり来たりの混雑状態。しかし彼らは衝突もしないし、事故もあまりないようだ。何も問題ないようである。それなりに秩序が保たれていれば、問題なしということだ。しかしそこに他国の人が迷い込んだら、それこそ混乱の極みであろう。

かつて日本ではオリンピックを目前に、「マナーを向上しよう」と、小学生でも分かるような公共マナーを、国を挙げて是正し教えていたことを思い出す。
順番を守らない、痰は吐く、ゴミは勝手に捨てる、などなどが恐るべしマナー違反の例である。
でもよく考えたら非常に動物、天然っぽいとも言えなくない。「隣の人に無断でちょっと借りて何が悪いのよ」という些細なことでも、目くじらたてて、挙げ句の果て裁判沙汰までにするのが近頃の風潮。しかし、あとから「ごめんごめん留守だったので借りてしまったよ。あとから返すつもりだったので、勘弁してくださいね」。まぁこんなことで収まる問題ならこれでも良い。

本来は盗作騒ぎを防ぐために著作権を守る協会ができて、そこにお金が絡む。そして使われた分だけ作者に支払われ権利を守る。考えてみれば日本だって1939年前までは音楽の作詞・作曲はフリー著作権、野放し状態だったわけだ。
いま、使用料は想像以上に高いのが現実だ。作者には使用料のお裾分けが来る。自分でコンサートを開いて、使用料を払って後に戻ってくる。なんだか税金の還付金のような気分でもある。
”御殿”のような著作権の某協会は以前派閥争いが起こったことがある。いったい誰の金で諍いを起こしているの、と言いたくなった。

世紀の万博が開催される。そこで起こったテーマ曲盗作騒動。作者に連絡が入ったそうだ。
「あなたのメロディを貸してください。きちんとお支払いしますから」。
歌の作者は100パーセントの名誉と、プラスαでOKとする。そんなモンでも良いのだと思った。お金では買えない名誉のために人が動くことはいくらでもある。しかし現代ではほとんどお金がついて回ってくるという事実もある。名誉も自尊心もなにもなく、ただお金が目的の人よりもかわいくて憎めない、ってか。

中国のことわざに
◆三人行けばわが師あり
三人旅をすれば、その中に必ず自分の先生がいる。人生も、相手の意見を受け入れて周りの人に学ぶべきであり、人の善を見て手本とし、人の悪を見て改められるので、人の善も悪も自分の先生である。
[現代用語の基礎知識より]

もしかしたら彼らはこのことわざを拡大解釈しておおらかに生きているのかもしれないと思った。
日本には「三人寄れば文殊の知恵」ということわざがある。そこで融合してみたのが「三人寄れば門者の千枝」と言ってみた。

てなことを言ってくるけど、完全に裏を読まれて仕組まれたからくりに飲まれているのかもしれない私めでございます。
(山木康世)

いわき風の森後始末記

2010年04月19日 | カテゴリー: ミュージック・コラム

なんのご縁か分かりませんが、なんと1年に4度目のライブでございます。
右手の穏やかな太平洋を見ながら日立を北上すること2時間、福島県に入りました。ちょうど1年前、初めて「風の森」でライブをした帰り道、「勿来(なこそ)の関」に立ち寄りました。関の入り口に鎮座しております源義家を初めて見たときから「弁慶と義経」の構想ができあがっていたのかもしれません。沸々と僕の内部からわき上がってくる息吹のようなものがあったのかもしれません。

僕の今までのライブと決定的な違いを作ってくれた「弁慶と義経」。僕は今この歌からエネルギーをもらって生きております。まさに高校生の頃あこがれたフォークギターへの憧憬が、形となって各地に痕跡を残して生きておるのでございます。ギター弾き冥利に尽きる歌を作れた幸せをかみしめるところです。
この種子が「勿来の関」に落ちていたのでございましょうか。悠久なる遙か平安時代の歴史のロマンを平成の琵琶法師のごとくジャンジャンジャーン。

やはり人と人の相性や相似性は大事でございます。いくら店が良くて音が良くてお客さんが入ったとしても、そこの主と僕との関係が希薄であれば、すきま風が吹いて寂しものでございます。
人が大勢集まる場所にはある種のエネルギーが生まれます。人いきれとでも申しましょうか得体の知れない宇宙からのエーテルのようでもございます。
「風の森」にお越しの皆様、お忙しい中まことにありがとうございました。
ライブ後はギター談義の話に花が咲いて、昨夜と言い今夜と言い、当時中学生、高校生だった子供たちが長い時を経てワイワイガヤガヤ、誠に楽しゅうございました。

「風の森」のマスターの変わらぬフォーク人生にも惜しみない拍手でございます。
盆踊りである福島のじゃんがら念仏、沖縄のエイサーとのつながりも不思議な縁を感じます。歴史は繰り返し蘇り去ってゆく。ご先祖様と合唱、合掌。
(山木康世)

日立丸勝蕎麦屋後始末記

2010年04月18日 | カテゴリー: ミュージック・コラム

♪この木何の木 山木の木♪
初めての日立ライブでございました。

日立といえば世界の総合電機企業として有名でございます。冷蔵庫、洗濯機からパソコン、半導体、重機、あらゆる電気製品の会社でございます。500年ほど前に発見された鉱山がこの町の初めだそうでございます。
日本を世界の国のひとつに発展させてくれた大きな木の下に多くの枝が伸びるように躍進して来た会社に大いなる敬意とともにバイタリティーに励まされる思いでございます。
ライブ会場は世にも珍しいお蕎麦屋さんではございましたが、下手なライブハウス顔負けの良い会場でございました。そこを経営なさっている親子4代に渡る皆さんの心意気が店内に充満しておりました。ハエも一匹パソコンの譜面にやって参りました。
おいしい漬物、お蕎麦、コーヒー、まんじゅう、お茶、これらのおもてなしはやはり日本人の心なのです。
初めて会う、一期一会は一生に一度しか会うことができないことかもしれない出会いの大切さを言ってる言葉でございます。ただの言葉ではなく、体で心で感じることができてうれしゅうございました。
超満員のお客さんは、日立関係の方も多く見えられ、うれしゅうございました。前の人の頭と頭の間からこちらをのぞきこむ顔が満面の笑みであふれる。掛け声がかかる。手拍子が、足拍子が、みなさままことにありがとうございました。
ライブのモットーはお忙しい中、遠いところからここに集まられた方々が今日のライブを聞いて、よしまた明日からがんばろうと心軽やかになってくれることの願いでございます。僕自身も含めて幸せのシャワーを感じることができるような一期一会にすることでございます。
この機会を作ってくださったO君、高校生からの憧れの人の夜が終わりました。ずっと憧れでいてくれてありがたい思いでいっぱいでございます。これからも憧れの人でいられるようがんばる所存でございます。
みなさーん、ありがとうでございました。またお会いしましょう!
太平洋の抜けるような青空がホテルの窓からオハヨーでございます。
(山木康世)

ギター四方山話箱乃巻

2010年04月17日 | カテゴリー: ミュージック・コラム

僕が初めて高校へギターを持って行った朝のことを覚えている。
学友のUにお願いして皆が登校してくる前に教室で手ほどきをしてくれと頼んだ。Uは快く引き受けてくれて1時間か30分か忘れたが、かなり早く登校することにした。いつものバスよりもずっと早いバスに乗る。
僕の持って行ったギターは父の兄の娘さん、つまり従兄弟が使っていたギターを借りて持って行った。しかしこのギターが問題であった。今ではジャズギターとして胸を張って笑顔で持って行けるのだが、その頃のあこがれは何せフォークギターである。どうも具合が悪い。真ん中に丸い穴が開いていないのだ。穴と言うよりf字型の穴が2個あいていた。バイオリンのような感じだ。これが恥じらいを覚えて人前で弾くのに緊張した。それでなくてもまだまだ初心者。色も焦げ茶色で、僕のあこがれの白木色をしていない。黒いピックガードも付いていない。音も何となく歯切れが悪い。最後の決定的とどめは、関西の漫才師「かし○し娘」が持っているギターと同じ。これが自分のあこがれと大いにかけ離れていた。このことに輪をかけてビニールの格子のビニールケースが男子高校生の持つものとしては恥ずかしかったという訳だ。

やがてそのギターを返して、大学生になってバイトをして自分で初めてフォークギターを買った。しかしケースは今度はビニールではないが、紙製の箱形ケースであった。中身は良いのだが、このケースはかにも弱々しく踏んづけたら中身までグシャリといきそうなほど頼りない。これを持ち歩くと肩身が狭い思いをしたものだ。早くハードケースに入れて持ち歩きたいものだ。
ちなみに親にギターを買ってもらったことはない。まぁギターに限らず、兄弟の多い子供は親がそこまで手が回らず、お下がりをよく使ったものであまり新品を買ってもらったということはないだろう。それで何も親を恨んだこともない。授業料、給食代を払ってもらえるだけでも感謝しているのだ。

やがてジャンボを買った。そのときはさすがに初めてハードケースを買い求めた。純正品ではなくちょうどギターに合うようなものを探して購入した。安くても立派なハードケースだった。
ススキノ「うたごえ」でバイトを始めて、しばらくして大学のクラブの同僚がマーチンを買った。そして灰色の独特の純正ハードケースとともに店に持ってきた。このケースは二階から落としても壊れないという頑丈さが売り物だった。ならば実際に落としてみようと店の二階に上がり木の床に落とした。噂通り筋金入りのアメリカ製マーチンケースは何事もなく凛としていた。
23歳で上京して、しばらくはアマチュアの頃買ったジャンボギターでステージをしていた。そして待望のマーチンを選んで良いということで10台ほどのマーチンから一台を選んだ。それは今でも現役である。そしてあの灰色のケース付きである。しかしこのケースは好きではなかった。黒のジャンボのケースを入れ替えて使っていた。

時代は新素材が出てきている。そんな軽くて頑丈で肩から担げるケースが現れないかと見ているが、相変わらず昔のままの感じがする。誰か作ってくれー。
今はあまりケースに関心はなく無頓着になってしまった。ただ軽くて移動の際、楽なものが一番。頑丈さも大事だが、そのためにY社製のような重たいものは敬遠している。肩から担げる布製ハードケースがお気に入りでこの十数年はこのケースを使っている。
長きにわたり時と場合により使い分けてきたという訳だ。ケースだけにケースバイケースなんてね。お後がよろしいようで。
(山木康世)

ギター四方山話移調乃巻

2010年04月16日 | カテゴリー: ミュージック・コラム

弦の音の高さをまとめて移調するとき使う小物に「カポタスト」というギター小物がある。つまりキーをこの小物一発で変換できるので大変便利である。
ゴム製、金属製とあり値段もいろいろである。割り箸とゴムで作ることも可能である。
ディランがエレキギターに付けて弾いていた写真を見た。エレキギター奏者に言わせれば邪道であろう。ジェームス・テイラーも弾いていた。何もアコースティックギターだけのものではなく、ギター全般に使用して良いのではないかと思うのだが、もしかしたらエレキ奏者のプライドが許さないのかもしれない。
僕が初心者の頃、あこがれたカポタストはドノバンのレコードジャケットを観て知った金属製の巻き上げて締め付けるタイプのものだった。指板に当たる部分は厚手の竹輪のようなビニールで被われている。この形のカポタストを求めて札幌の楽器屋を物色したものである。しかしこのカポの弱点は巻き上げるネジが馬鹿になることと、ネックに当たり支えるフェルトが崩れてくることにあった。
YAMAHA製のカポタスト使ったが、この欠点はネジがキーキー音を出すことだった。これはなぜか知らないが使っている内に必ず鳴き出すので使うのを止めた。
ゴム製のものは強力な平ゴムに数個の穴を穿って、ちょうど人のベルトのような考えからできた代物だ。この欠点はゴムが中で切れて緩んでくることだった。しかし比較的安価だったのでずいぶんと買い換えたモンだ。
その後あまりパッとした発想のカポタストは出なかったが、10年ほど前にシャブ(名前がいかがわしい)という会社から出た自動にセットできるものだった。これは画期的な製品で高価だったがカポタストの概念を変えた製品である。このシャブも数度改良されて今は本当に使いやすいものになっている。
今使っているものはダンロップ会社の真鍮製のものだ。これは自動ではないのでいちいち確かめて締め上げなければいけないのだが、これが確実なのである。シャブも非常に使いやすかったが、何度かよくセットされていないまま弾き出し弦がビビッていたことがあってやり直さなければならないことがあった。便利で素早かったが、一度へまをすると始めからやり直さなければいけない。ステージの上でのやり直しは考え物だ。
ちなみに学生時代フォークソングクラブの出した学園祭の出店の名前が「カポタスト」だった。カポタストに泊まり込んでギターをかき鳴らした夜を思い出す。

華歩蛇巣兎=兎の巣に華麗に歩み寄る蛇
なんて読むと思う?こんな暴走族の名前は強くなくて好かれないだろう。

(山木康世)

ギター四方山話音叉乃巻

2010年04月15日 | カテゴリー: ミュージック・コラム

ギターは弦を張っただけで弾いても演奏にはならない楽器である。張ったらチューニング(調律)という作業をしなくてはならない。このチューニングという作業が初心者には大変な作業である。日々の生活にも心の調律の必要があるのと同じだ。
まず耳が良くなくてはならない。まぁ普通で良いのだけれど、聞きとりにくい人には苦手な作業となる。僕が高校生の頃には調音笛なるものがあった。6個の笛を一つに束ねたものである。1弦から6弦までのそれぞれの音の笛である。それを口にくわえて吹きながらギターの弦を鳴らし合わせるのである。これが初めの頃は、合いそうで合わない。やがて、ハーモニクス(弦を直接脂版に押しつけて音を出すのではなく、弦の表面に触れただけで音を出すとポーンというような音が出る。倍音という)の音と笛とを合わすと、チューニングしやすいということを知ってくる。このハーモニクスを普通にできるかどうかで初心者との差が出てくる。

そのうち音叉というものを知った。これは一本の鋼をU字型に曲げて中央に柄を付けたものである。柄を持って軽く打てばU字型の鋼が振動を始め共鳴する。それをギターの胴体部分にあてがうと増音して聞こえてくる。基本は5弦のA音が普通である。これを元にそれぞれの弦を決めて行く。音叉をそのうちに口にくわえて鳴らすと脳の中で振動が起こり耳に聞こえてくるということを知る。骨伝導である。このやり方もかなり合わせやすいことを知ってくる。

一人ならまだしも、二人以上で演奏をするとき、ともに同じピッチに合わせなくてはならない。これが合わないと険悪のムードを作ったりする。俺の音の方が合っている、おまえが合っていないなどと口には出さないが反問し出す。こうなると演奏会どころではなく気持ちの離反ということになりうまくいかない。故に演奏家は協調の精神を持ち得なくてはやっていけない。音楽家は自然と平和主義者ということになるのかもしれない。世界の指導者がみな楽器をできる人だと戦争はしなくなる。僕の持論。

30年ほど前、ある日スタジオに弁当箱のようなものを持ち込んだ演奏者がいた。それが発売間もない電子チューナーというものだった。確かKORGというメーカーから出たもので、音の周波数を関知して針が振れてメーターで教えてくれるというものだった。切り替えによって笛のような音も出た。これは目で確かめることができて、間違いがなくなった。両者の反目もできなくなった。良い製品が出たものである。しかし耳にとって怠け癖が付いたと言えなくもない。今はクリップ型のものも多くあって自分の使い易いものを選んで使えば良い。やればやるほど耳が良くなり音に対して敏感になってくる。5弦さえ分かればあとは、弦同士で合わせることもできるようになる。実践、実践あるのみ。どんどん向上してくる楽しみを実感する。楽器を覚えると一人でいることが苦でなくなるという幸せの贈り物がある。

札幌の後輩のJはギター弾き、おたくである。彼のスタジオのあちこちに電子チューナーがまるで置物のように散らばっている。新発売したもの、旧来のものすべて買いそろえている。まさにチューナー生き字引。
絶対音感を持っている人種がいる。彼らには音叉などのチューナーはいらない。5弦のA音を脳に持っているのでそれに合わせるという芸当をいとも簡単にやってのける。赤ちゃんがこの世に生まれ出て初めて発する音がA音(440サイクル)と言うが本当であろうか。本当だとしたら神様の粋な計らいがここにもあることになる。

浜松市にある駅前高層ビルの形は音叉型に見える。浜松は世界的音楽の町である。だとしたらビルを設計した人のセンスに拍手。
浜松に行くと自然に口をつく歌がある。

よい子が住んでるよい町は
楽しい楽しい歌の町
花屋はちょきちょきちょっきんな
かじ屋はかちかち かっちんな
(山木康世)

ギター四方山話糸巻乃巻

2010年04月14日 | カテゴリー: ミュージック・コラム

今日は糸巻き(ペグ)のお話。
ギターに限らず弦楽器の弦をいかにして張るか、先人たちは考えたことだろう。
ウクレレなどは、直接木の棒で巻き上げる構造で弦を張る。クラシックギターでは歯車を採用して、直角に回るように木の棒を配置してあり、それで巻き上げる。ウクレレよりもはるかに強い張力(テンション)がかかるのでそれに耐えうるように歯車で巻き上げる。歯車はむき出しである。
初期の頃のマーチンもクラシックギタースタイルの糸巻きである。これはヘッドに2列の溝を作ってそこに6本の木の棒を渡して、そこに巻き付け巻き上げる。かなりややこしく弦を張り替えるのに手間がかかる。
その後2列の溝はなくなり、丸い6個の穴を開けてそこに木の棒ではなく金属の棒を通し、さらに棒に小さな穴を開けそこに弦の先を入れて巻き上げる。金属の種類も金と銀とプラスティックが存在する。
メーカーとしてはグローバー、シャーラー、GOTHOなどがある。
ちなみにギブソンB-25の純正品はシャーラーのクルーソータイプのもので連座式である。ペグが3個一枚の金属に集まって連なっている。これを単品型のものに付け替えても若干、音が変わってしまう。
僕のネックは傷物であちこちねじ穴があったり、棒を通す穴は大きく開けすぎたため、逆に細くした経緯がある。自分で交換できるのだが、ネックの穴の径まで変更してはだめである。

歯車の発明は人類の可能性を一歩進めた画期的な発明である。ネジも大いなる発明である。この世にネジがなかったらどれほど不便だったろう。
ペグが重すぎるとバランスの悪いギターになってしまう。立って演奏をしたときに際だってしまう。理想はネックに糸巻きを貼り付け一体化できたら一番なのであろうがそうはいかない。そこで小さなネジで留めることを考えた人がいる。偉い人だ。

ギター一つとっても、長い道のりの歴史があって先人たちの創意と工夫がたくさん取り入れられている。
ペグはギターの調音、共鳴を決める大事な陰の立役者、縁の下の力持ちというところ。GOTHOは日本製であるが、ただいま、すこぶる評判の良い世界のペグメーカーである。ちなみにテリーズ・テリーはGOTHOペグである。

昭和18年製マーチンD-18のペグはネックに穴を開けたクラシックタイプのペグである。シンプルなペグは軽くて存在を忘れさせる。ペグを含めたボディーの軽いギターは持っていて楽しくなる。足取りが軽くなると言うのは事実である。
ペグ交換を自分でするという演奏者は少ないかもしれない。死ぬまで自身のギターにねじ穴を開けたりしないだろう。しかしおもしろいよ、自分好みのペグに交換するまで愛着を持ってきたらしめたものである。
体の一部のように感じてきたらもう死ぬまで一緒だ。棺桶に一緒に入ってあの世に行くというのも乙なものだ。それにしてもギター1本でこの世という川の流れを渡って行くのだから恐るべしギターである。
(山木康世)

ギター四方山話弦乃巻

2010年04月13日 | カテゴリー: ミュージック・コラム

ギター弦の種類は3種類ほどある。
肉の焼き方(レア・ミディアム・ウエルダン)、服のサイズ(S・M・L)、箱の大きさ(大・中・小)と同じで、ギター弦も使い手の好みや用途によって変わるように3種類ある。
実際はもう少しあるようだが、実用的なもはメディアム、ライト、コンパウンドの3種だ。弦の太さで音の高低は変わる。太ければ低い音、細ければ高い音。実に単純である。
しかし使う人の肉体の違いがある。男女、力のある人ない人、指の長さ、指の太さ、手のひらの大きさなどなど手だけでもたくさんの違いがある。
さらに、ギターを弾いて楽しむには音だけではなく、どれほど長時間弾いても苦にならないかということも大事な要素である。
どの弦を選ぶかはそのようないろいろな要素によって変わってくる。

ギブソンの本来のダイナミックさを出すにはヘビー弦、ないしミディアム弦がよいという。アメリカ人は、あまりギブソンでアルペジオで繊細に弾くと言うことは考えないようだ。どれほどのギブソン愛好家に聞いたかは定かではないが、定説である。実際、これらの弦で弾いてみると確かに野太い音が出る。しかし僕の指先にはきつくて長時間弾けなくなる。

マーチンはライトであろうか。あの高音の繊細な鈴を転がしたような音を出すにはライトが良いのだろう。知り合いのマーチン好きが言うには、ダルマ型のマーチンにはさらに細い弦が良いと言う。日本人は虫の音を好んで聞いて秋の風物詩にまで取り入れているが、お隣韓国人には騒音にしか聞こえないという。おもしろい。

コンパウンドは少々値は張るが柔らかいので初心者向きだ。非常に扱いやすく、長時間弾いていても疲れなく指が痛くならない。1、2弦を除くほかの弦は、上方を絹の繊維で巻いてある。ガット弦も同じように作られている。うたごえバイト時代よくコンパウンドを使ったなぁ。長い時間弾かなければいけないので柔らかいものを使った。徐々に上を覆っている絹が傷んできて中の鉄が見えるまで使ったものである。

ちなみに僕が好んで使っている弦はダダリオ製のライトゲージである。
さらに細かいことを言うとゲージの太さの他に成分の違いもある。
フォスファー・ブロンズは10円玉のような色をしていてきらびやかな音である。
ブロンズは5円玉のような色をしていて乾いた感じで普通に使われる。
僕のギブソンにはフォスファー・ブロンズである。ギブソンの粗野な感じを少しきらびやかにするので好適なのである。ブロンズを張るといつものギブソンB-25でなくなる。
こうしてみるとギターを弾くと言っても弦によって違いが出てくると言うことがおわかりでしょう。

あくまでも自分にあった好みのものを選んで、さぁレッツゴー3匹。(古いー!)
(山木康世)

瞬間接着剤

2010年04月12日 | カテゴリー: ミュージック・コラム

ギターを弾くとき、昔はサムピック(親指にはめて使うピック)とピックを用いていた。今はほとんど使わない。ふきのとう時代には、特にバンドが付くときはアコースティックギターの音色を要求されていなかったようなのであまり気を遣って一音一音弾いていなかった。内蔵マイクが開発されるまで、いつもハウリングでPAは泣かされていた。そのせいもあってかあまりギターの音に関して注文などもつけなかった。

大ホールでバックバンドとアコースティックギターがうまくレコードのように解け合って聞こえてくることは希である。その昔ジェームス・テイラーのコンサートに行き、ほとんど聞こえてこないアコースティックギターに不満を覚えた。しかし自分もその立場に立ったとき同じような感じで演奏していたのだからいい加減である。

今はギター1本で2時間半ライブをやるので、かなりナイーブに力を入れて演奏している。ギブソンはビブラートがかけやすいので余韻を出したいときにかけている。こんなことは昔考えてもみなかった。ピックを使わない分、指の生爪に関してはかなり神経質に管理している。特に冬場の乾燥季はちょっとしたことで爪が割れたり欠けたりのトラブルが発生する。車のドアを開ける際、不用意に力を入れすぎて何度折ったり割ったり欠けたりしたことか。そのときがたまたまライブの日だったりすると、やる気をなくしてしまい、落胆は相当なものがある。爪があるかないかで音が俄然違ってきてライブそのものにもかなり影響が出る。親指ならまだ良いが、他の爪が欠けたりするとほんとに泣きたくなる。いつも1ミリ弱ほどの長さを保っている。そこでこの思わぬ欠損をしないように欠かせないのが瞬間接着剤である。

青いキャップの「ボンドアロンアルファEX」が好みである。このボンドを指先5ミリほどに薄く塗る。乾いたらまた塗る。こうして保っている。このボンドを使うようになったのは7年ほど前からである。知り合いなどはピンポン球を指に合わせて切って、それを貼り付けている御仁もいる。知らない人が見ると真っ白い爪は奇妙である。病気の爪に見えなくもない。テレビで昔見たのだが、クラシックギターの演奏者の中には他人の生爪をキープしている御仁もいるという。いかにも堅くていけそうな足親指爪の人を見つけると相談してキープするのである。どこでどうやって見つけるのか分からないが相当な努力がいるな。伸ばしてもらったところでちょん切って、それを貼り付けて使うというわけだ。こうなるとギターを弾くにも、他人の力を借りなければ弾けないという構図である。他人の足親指爪を用いて「禁じられた遊び」何ともすごい演奏会になってきた。
今ではライブのない日にも常時ボンドを塗って管理している。

先ほど不満を感じたというジェーム・ステイラーがキャロル・キングと4月14日来日、共演をする。2回目のコンサートであるが、どんな歌を歌いどんなギターを使いどんな音を聞かせてくれるか今から楽しみである。「どんな」が3度も出てくるとやぼったくなる。「ドナ・ドナ」はフォークソングの古典名曲。妄想の思考回路になってきたので終わり。
(山木康世)

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