となりの電話 山木康世 オフィシャルサイト

覚えてますか

2016年02月20日 | カテゴリー: 山木康世

テレビに懐かしい人が。当時民主党総裁の野田議員だ。安倍首相に向かって「覚えてますか?野田です」
しかしこの覚えてますかは自分のことではなく、当時約束した議員数削減のことだろうな。それをいつまで経ってもやらないので、怒り心頭とこの発言になったのだろう。
野田議員が一番好きな歌が「思えば遠くへ来たもんだ」だった。あーこの歌が好きな人に悪い人はいないと思ったモノだ。長く続いてほしいと単純に思ったりもした。
思い起こしたらほとんどの元首相は顔は見せているが、なかなか国会に出て質問などしないで、そのうちいなくなる。
福島の事故の時、当時の責任者である往年の首相連はどう思っているか意見を聞きたかったが、一度も聞いた例しがない。就任時期が終わればハイサヨナーラーヨでは問題は解決しない。
野田議員頑張れ!
先日お会いした東京札幌会会長K氏は赴任先の遠くブラジルの地で「思えば遠くへ来たもんだ」をカラオケで歌ってこよなく愛してくれたと話してくれた。うれしいの一言である。

長浜良いとこ一度はおいで

2016年02月19日 | カテゴリー: 山木康世

【美味い物、土産】
鴨料理、小鮎の飴煮、湖魚の燻製、堅ボーロ、浜ちりめん、生姜糠、鮒ずし、親玉饅頭、豊公もなか、浜つむぎ、淡水真珠、別珍花緒、籐製品、盆梅。
しかしこれは昭和48年当時の情報である。果たしてスピード時代の現代、どれほどのものが残っていて、消えて行き、そして新たに生まれているかわからない。
姉川の戦いが行われたのが1570年、今から450年ほど前の話。好きな伊吹山付近に源を発して全長31キロの姉川の流れは今も変わらず滔々と日本の偉大なる湖、琵琶湖へと注ぎ続けている。
明後日は初めての長浜の町へ。どんな一日が待っているのやら。

木村松太郎

2016年02月18日 | カテゴリー: 山木康世

函館のとある網本の総大将、松太郎はニシンの季節になると樺太へ家族とともに渡った。
ヤンシュウと呼ばれるニシンの獲り手たちを数百人も引き連れて樺太へ。当時日本とソビエトで半分半分管理していた稚内沖の大型の島である。
松太郎の手には大型の双眼鏡が握られていて、さっきから海を凝視している。
そのとき海が銀色に光り波打った。
「それゆけー!」
松太郎の号令一下ヤンシュウの船団が浜を離れる。
沖では数万匹のニシンが群れを成して泳ぎ回っている。一斉に網を海中へ放り入れる。海上はニシンの油と体液でさらに銀色を増しギラギラ、ギドギド光っている。
松太郎の横では小学校に上がる前のおかっぱの女の子がじっと海を見ていた。

僕の母親とお祖父さんの在りし日の樺太における想像の世界だ。
何度か母から聞いたが、今本当に心底聞いてみたい話の一つだ。

白い財布

2016年02月17日 | カテゴリー: 山木康世

♪白い財布に変えたのは 何か訳でもあるのでしょうか♪
新宿の回転寿司で食べ終わりレジで支払いをしていると白いエプロン姿のおばさんが「良い財布だね、何万人も接しているけど見たことがない」と褒めてくれた。
一月ほど前に入手した真っ白い革財布。本当にどんな財布を持つかで金が逃げても行くし、金がやってきてもくれるらしい。その中でも色は大事だと思う。とにかく目につき、目立つ財布が良い。暗いところや、ゴチャゴチャした中で目立つ色はなくさない。記憶に残る。何度財布紛失かと冷や冷やしたことか。
財布にはお金だけではなく今時はカードや、保険証、免許証など生活に欠かせないモノがしまい込んである。紛失したとなると日常のテンポ、流れが大幅に乱れて人生行路、ヨーソローといかなくなる。
周囲から奇異な目で見られたり、悪趣味と思われてたとしても、とにかく自分のために目立つ財布を持つことにしよう。

挨拶と会釈

2016年02月16日 | カテゴリー: 山木康世

挨拶も会釈も似たようなモノ。人と出会ったとき相手を思い気遣って出る態度の表れ。それだけ出会った人は大事というわけだ。
挨拶は軽く声を出してそれとなく気持ちを伝える。会釈はそれよりも多少控えめに気持ちを伝える。
昨今どうだろうか、都会ですれ違ったり、混雑した電車の中での相手との距離。スマホに夢中で眼中にないでござるか。都会の一人の年寄りの後ろ姿ほど孤独を感じる姿はない。今日一日、生まれ持った口は何も発していない。ただモノを何度かかんだだけだ。目も耳もなんだか昔ばっかりを向いて冴えないなぁ。良い音楽が聴きてぇなぁ-。
追伸 山本さんは知らないが、ドブロは元気だ-。

ギターは僕の友達

2016年02月15日 | カテゴリー: 山木康世

良い友達を15歳の夏に得たもんだ。あれから50年、ますます深みを増して寄り添って連れ添ってくれる。
レギュラーチューニングにずっと縛られて友達のマンネリに少々飽きも来ていた。しかし20年ほど前から俄然違ってきた。正確には5年ほど前からであろうか。いくら指をくわえ待ちわびても友達からは変わってこない。しかし長い時間かかって気持ちを整理して、推し進め求めた結果を十二分に引き出してくれる。
マーキーの夜では3人の友が我の心に寄り添って力を貸してくれた。共鳴とは不思議な技である。術である。脳が快か不快かを感じるだけの話なのであるが、絵や字に書いて説明不能なほどの迷宮の扉なり。

マーキー全力疾走

2016年02月14日 | カテゴリー: 山木康世

2ヶ月ぶりのマーキー-、真に集中できいろいろな発見のあった素晴らしい一日でした。
いまさらとお思いでしょうが、そこには前とは少し違う自分とスタッフとお客様がおられる空間ですので、何が待っているかは分からない。心の持ち方次第で一日が金になるか泥になるか、変わってくるから面白い。
量より質という言葉がもてはやされて久しい。しかしいまだ経済優先、量が物を言う時代に如何に質を向上させて自分自身、周りを維持存続させるかは大いなるテーマではある。いついかなる時代が来ようと備えだけはしっかりしておこう。
もしも赤白合戦に登場などと言うことがあったら、マーキーのオーナーを付き人として連れて行くことを仮約束してしまった。
次回は4月、桜が咲いているだろう。みなさーん、ありがとう!

インスタントうどん

2016年02月12日 | カテゴリー: 山木康世

札幌で知った情報。
カップ麺を3分湯に浸すとあーら不思議、麺がふやけてちょうど手頃なお食事タイムとなる。と、ずっと信じ続けていた。しかしなのである。こと「〇ちゃんの黄色いキリン」うどんに関しては3分では美味しくなく、さらに7分追加、10分おくと、あーらまたまた不思議本格的うどん麺に変身しているという。このネットでの話題に関して〇ちゃんさんは実験、コメントを出した。嘘のような本当の話、にわかには信じられませんでした。なーんて言うお礼のような言葉を発した。
そこでだ、今朝人生ってみた。本当だ!この事実を誰に教えよう。というわけでここに記したのである。お試しあれ。
明日は待望のマーキーライブでござる。今日ではないぞ、くれぐれもお気を付けたまえ。

建国記念日

2016年02月11日 | カテゴリー: 山木康世

2月11日がとりあえずの建国の日。とりあえずというのは建国がなされた日などには暦もないし、世界標準日時などもないので決めようがないのが当然である。しかし明治政府が明治5年に考えたのが神武天皇が位に就いたときを持って建国とするとしたのが紀元節。昭和23年まで続いた。そして空白があり昭和42年に復活、建国記念の日となった。
建国をしのび国を愛する心を養うという趣旨で実施された。
年に数回ある祝日の多くが休日を目的に第二月曜日などと偏向されて久しい。それはそれで連休として、休むことができるので意義はあるが、本来の祝日の意味が薄れてきているのも事実だ。その点今日の祝日はましである。
おかしな国になっていないか、間違った方向へ舵取りされていないか、毎日の馴れ合いの日々からの脱却という点でも意義のある建国記念日として成立、つながっていってほしい。

虎隊への御礼

2016年02月10日 | カテゴリー: 山木康世

いつもいつもご理解、後ろ盾くださりありがとうございます。
思い起こせば虎隊、その前身の応援隊との出会いは還暦のコンサートが初めでしょうか。
以前、ある大物歌手が、やはり己の還暦コンサートをファンクラブ有志が結集して実現させた話を聞きました。その時の気持ちは、その歌手の持っている大いなる力、包容力を感じてうらやましく思いました。有志との熱い信頼と深い愛情がなければコンサートなど開けない。
そして僕も同じような感じで還暦の節目を終えることができました、長年人生ってきて本当に良かった、そして応援し隊のとの絆を感じたものです。その後ソロ20周年、音楽生活40周年とご尽力くださり、今日に至っております。
そこで来る土曜日、江古田マーキーライブの本番前に、日頃の思いを自らの口で御礼できればと考えている次第です。
出席できる虎隊のみなさんへ先ずは今年の豊富などを語り、さらなる信頼と愛情を分かち合いたいと思います。現時点で虎隊でないお客様も、お越しいただければその場で入隊できます。
どうぞよろしくお願いいたします。時間等の詳しいことはお知らせが行きます。
by 山木康世 

※虎隊へご入隊ご希望の方は、 toratai@yamaki-club.com  までご連絡ください。

« 前に戻る次のページ »