市川市妙典サクラコートホール6弦ブリッジピンへの困惑
2025年09月13日 | カテゴリー: 山木康世
関東各地を襲ったゲリラ豪雨、心配された川の氾濫はなく穏やかな朝である。
中野区の心配された雨による被害はお陰様で軽微で何よりだった。しかし都心の方ではかなりの被害があったと朝のモーニングショーで知った。
台風一過のような涼しげな風が久しぶりに吹いていた。
市川の方へは下道で1時間ほどの距離である。何も高速で行くほどではない。じゃーまぁーいっかー。
銀座を抜けて築地を抜けて江戸川を渡り、浦安東京ディズニーを右手に見ながら市川へ向かう。
妙典サクラコートはもう10回以上にもなるであろうか。一日最大1000円はうれしい近隣駐車場である。以前の斜めの少し煩雑とした駐車場よりも大きめの道にある駐車場へ車を入れる。歩いても2分もかからない適度な距離にある。
途中猛烈な雨に襲われたが、太平洋へ去ってゆく最後のお別れの雨の挨拶状。
突然我がGibsonB25の6弦ブリッジピンの叛乱が始まった。何だか弾いていて弦が決まらない。演奏しながら修正したのだが、収まってくれず最後にはピンが客席の方まで飛んでいってしまった。じゃーまぁーいっかどころの騒ぎではない。お客様の中にギターに通ずる人がたまたまいて別室にて応急修理と相成って事なきを得た。多いなるお助け、ありがとうございました。最後まで何とか持ちこたえたが、先日のけやきほーるでのピン紛失に続き心穏やかではない。帰ったら詳しく見てみよう。
そんなこんなで10分ほども要らぬ寄り道をしたが、人生にはつきものであるアクシデント。しかしピンによるアクシデント、ただただ申し訳なく平謝り。
朝の速達も皆でスマホを広げ確認、22秒の撮影タイムも無事終えて差し迫る会場次ぎ使用者への時間も慌ただしく後片付け、お店の方もご協力して下さった。
雨は上がって夕刻の6時はもうすでに暗い。遠くにスカイツリーの灯りを見ながら帰路へと就いた。
白の開襟シャツにはまっていたふきのとう時代の若き日があったなぁ。

妙典駅から近くの住宅街に会場はあります

22秒間で何枚撮影できましたか?

入場時はスタンプ帳に押印
東京都北区スタジオ・アンダンティーノ 第3スタジオ 音楽は偉大で永遠である
2025年09月10日 | カテゴリー: 山木康世
今日はStudio大繁盛で朝、昼、晩の交代制である。Studioに入る前、朝組の人たちの利用か、となりの駐車場は満車、仕方なく荷物を下ろし第2の駐車場へ向かう。しかしStudioに戻ってくるととなりの駐車場に「空」が出来たじゃないか。急いでそこに人を待たせて確保と相成った。
「プラットホーム」は若干22歳の青年が作って好評を博していたアマチュア時代の人気曲。そういえば兄貴もアルバムの中で一番好きだったと後に聞いたことがある。「敬老の日」が来週に迫っている。そこでみんなでシングアウトはどうだろう。2時間のライブの途中骨休み、閑話休題的な感じの「プラットホーム」を朝に思いついて「風のアホウドリ」に速達便で送った。Studioでお会いできる皆さんの元にも届いているはずだ。
♪雨の中で一人 見送るなんて♪
8小節繰り返しの素朴なメロディーのフォークソングだ。当時ススキノでアルバイトしていた「うたごえ」で何度もリクエストされ誇らしげに合唱したモノだ。
まだ電車という響きよりも汽車の方が世の中になじんでいた頃の「プラットホーム」である。白い煙を残して汽車は彼方に去って行った。もう帰ろうである。月日は青年をRAOJINに変えていた。
僕の母親はアメリカの大作曲家フォスターの歌曲が好きだった。アメリカの大草原に響き渡る至福のメロディ。本当にGibson、Martinが良く似合うアメリカ合衆国。いかなる状況に於いても原爆だけは願い下げだった。慈悲と慈愛に満ちたアメリカ人でいてほしかった。フォスターのメロディが似合う懐の深く大きな尊大な国であってほしいと願ってシングアウトした。
12日の市川市サクラコートホールの朝にも「風のアホウドリ」に速達便が届くだろう。何が届くかお楽しみ。徐々に徐々に過ごしやすい季節に向かって地球は回り続けている。異常気象という言葉に振り回されないで、せめて心に潤いをもたらす速達便を受け取って、その日そのときには皆で斉唱しよう。
音楽は目立たないかも知れないが、十六夜の月のように少し控えめに東の空から昇ってくる。僕らの生活になくてはならなく偉大で永遠である。


スマホで撮影OKの時間もありました
西新宿初台studioあんさんぶる音雨の日のけやきの良好なる後始末
2025年09月06日 | カテゴリー: 山木康世
こんなことは初めてである。
雨が相当降っていた。台風15号の影響で西からやってきた雨であろう。突然勢いを増してワイパーも追いつかないほどの雨になったリする。何も用事のない時の雨風景はそれはそれで風情があって好きである。
昨日は急いでいたし約束の時間もあったので何かと雨は厄介である。
西新宿あんさんぶる音はもう何度もお気に入りの会場なので、周辺駐車場事情も心得たものである。しかし今日の事情はいつもと違ってどこもかしこも赤色の「満」最後の頼みとして大通りを挟んだ高層ビル地下の駐車場へ。20分もロスした時間を雨のせいにして舌打ち「チェッ」。しかし雨の勢いはさっきがピークで、どうやら太平洋へ去っていくようである。
今日のlivelibraryは昨夜の「けやきホール」の後締めのような感じのlive。
こじんまりりしたオーケストラがリハーサルでよく使うようで黒い譜面台が何台も置かれている。いつも書いてある通りここは昔の東京都の水がめの跡地に作られた都庁をはじめとする副都心の高層ビル群のすぐ隣の住宅街である。頭上には首都高の高速道が忙しい隙間の住宅街。昔と今がまさに隣り合わせの西新宿なのである。
けやきの後片付けでギブソンの1弦のエンドピンがないことに気づいた。珍しいことである。弦の交換の時にはよくある話。ピンの紛失には気を遣う。それが本番中に気づかず抜けていたとは、本当に信じられない出来事である。さっきまで熱かったステージを捜索したが見当たらずで、家のピンを代用しようと考えて帰宅した。
そして今日のあんさんぶるで気が付いた。そうだピンをなくしたままだった。そこで一計を案じてスズキの1弦を拝借、代用となった。結局スズキは今日はお休み。駐車場まで行けばあったのだが、時間も押し迫っていたのでこれで今日は我慢した。
しょっぱなの「SeptemberMoonNight」を始めとする全23曲「神様にありがとう」まで、けやきと全て入れ替えのけやきに負けず劣らずのYAMAKINGSONGS。お陰様で良い後始末ができました。
お忙しい中、雨の中、昨日に引き続きの皆様をはじめとする多くのご来場者様へ、かしこみかしこみ誠にありがとうございました。道は続く続く。

ライブ後は雨もすっかり上がっていました
渋谷区古賀政男音楽博物館内 けやきホールに一条の光明の灯がともる予感
2025年09月05日 | カテゴリー: 山木康世
代々木上原という字面、響きは昔から清潔感、高揚感を感じて東京の新しい顔と受け取っていた。会場のけやきホールは道を挟んで相向かいの少々斜めの敷地にある。おそらく大きなけやきの木が立っていたんだろうな。古賀政男さんが活躍していた時代の街の様相を妄想する。何を隠そう上京してすぐに連れてこられた思い出のアパート富ヶ谷の交差点を突っ切った処だった。51年前の
不快指数100パーセントの肌にジンワリムシムシムンムンの富ヶ谷の夜は脳みその片隅にしっかりと刻まれている。待ち受けている日々はこれからどんな目まぐるしさで展開されていくのだろう。
会場の弾き語りにはもってこいの規模と雰囲気は一変で好きになった。どこかお役所的な著作権協会付属の古賀政男音楽博物館内けやきホールはもっともっと広く皆に認知されていい。
ステージを飾る見事な曲線美の木材はけやきなのだろう。お寺などによく使われるけやき、欅と書く。何となく読めそうだが書くとなると全く歯が立たない。スマホ全盛の時代、漢字を書かなく読めなくなったなぁ。
今日はいつも使っているパソコンより一回り大きな画面を用意した。それでもややこしい漢字には辟易、歌い飛ばしがあったことを深謝します。
冒頭に用意した「星空ホテル1022号室」一番が終わって大きな拍手で心に発車の灯がともり全開だ。ボーカル、ギターの響きがナチュラルで言うことなし。
また是非伺いたいと思って後にした。
皆さんとの記念写真、ふきのとう最後の札幌公演を思い出した。
奇しくも母の命日と同じ日だったけやきホールは何か因縁めいていて今後のお導きの一つとなったようだ、
お忙しい中、お暑い中、皆さん誠にありがとうございました。また元気でお会いしましょう!

ありがとうございました。

お花もいただきました

カメラマンの内堀タケシさん(左)、サウンドポートの城生さんと
埼玉県さいたま市/宮内家この暑さだって生きていればこその独り言
2025年08月31日 | カテゴリー: 山木康世
8月も残すところ1日。
指を丸めると、凸凹が指の付け根にできる。親指側からなぞって行くと小指にぶつかる。そこで折り返す。小指の付け根を二度トントンうかがって再度親指側に引き返す。8月はちょうどこの往復にぶち当たる。凸凹の凸なので31日となる。こんな月の覚え方をしたのはいつなんだろうな。そして誰が教えてくれたんだろう。初めての月の日数の覚え方に目をクリクリさせてきっと何度も自分の指の付け根を凸凹なぞったんだろうな。今だって今月は何日ある?疑問したとき凸凹をなぞる。
呪文のような富士山ろくにオーム鳴くも大事だ、サインコサインタンジェントも大事だ、水兵離別も大事だ。鎌倉幕府も大事だ、ニニンガシはどれだけ生活に潤いを与えてくれただろう。
しかし水と油でできている脳みそは生涯少ししか使っていないという。もったいない話である。バスに乗る時も幾ら手に持っているか数えなくなった。便利さの引き換えにさらに脳を使わなくなった。携帯で事足りるので漢字を忘れてしまった。人の名前や有名人の名前がとっさに浮かんでこなくなった。顔は見えているのに、名前が浮かんでこない。今からでも遅くはない、自分の脳は自分次第で老化を遅らせることができるという。
楽器をできる人とできない人では明らかな脳の老化の違いがあると論文で発表された。
今日の宮内家で2時間越えで脳を鍛えてきた。お客様があっての老化防止。
ライブの日は、日常のライブのない日に比べて、脳がフル稼働。終われば喉元一杯が美味いんだよな、と喉元を過ぎて胃の腑に落ちてゆく黄色い魔法のしずくに舌鼓。しかしこの魔法のしずくも飲みすぎると体に悪さをする。過ぎたるは及ばざるがごとしだ。何事もほどほどの腹5分目で一日を終える。空腹こそが健康の源らしい。病の根本は満腹にあるという。病は気からということもある。ならば「気」はどこから来る何者なんだろう?分からないことだらけで終わって行くらしい。
最高の真夏の別れ方を演じて、今日の暑さは去っていこうとしていた。さいたまより少しだけ海に近い分、東京は中野の夜は涼しかった。今度の宮内家訪問は3月に決まった。襟を立てて寒い寒いと言ってるだろう。
見知らぬ歌ができているかもしれない。
また元気でお会いしましょう。今日はお忙しい中、お暑い中誠にありがとうございました。

ギターがまるで体の一部のよう

山木曼荼羅の色と合わせたかのような照明

こちらは赤

アクト9の上條さん(左)、宮内家オーナーの宮内さんと
北海道中標津TicoTico森の木陰でドンジャラホイ
2025年08月26日 | カテゴリー: 山木康世
幾つだったのだろう。確か「ふきのとう北海道ツアー」と称して、コンサートツアーを行うことができるようになった頃の話だから、それほど初期の頃の話ではないはずだ。
中標津のと或る深夜の旅館の話である。
打ち上げを終えて2次会も引けて宿泊予定の旅館に戻ってきた。もう旅館の方もフロントにカギを置いて引き上げたようで、薄暗い玄関でカギを受け取ろうとフトフロントを見ると、だれか知らない人のハガキが置かれている。明日の朝一番にでも出そうという書き手の意図が分かるような置き方で置かれている。読むとはなしに読んでしまった。「・・・東京に戻ったら結婚してください。愛しています中標津より関取M」
売り出し中のM関のハガキだった。当時大相撲の巡業中と同じコースを少し回っていたのであるが、あの中の一人の関取のプロポーズの声を読んでしまったという構図だったわけである。あの大きな図体から書かれた小さなかわいらしい字で書かれた愛の告白。なんとも微笑ましく部屋に戻って良いもの見たなぁと感じで寝入ってしまったことを思い出した。それから僕たちを乗せたマイクロバスは長距離稚内まで走った。
今日は釧路から2時間ほどの行程を走ってきた。
TicoTicoを初めて伺ったとき、マスターが亡くなられて1年ほど経っていた。森の中にポツンと建っていた木造のライブハウスは、基本ジャズのお店であった。映画のワンシーンにでも出てきておかしくないライブハウス訪問も数えること4回目くらいであろうか。周りの緑に圧倒されるような自然豊かな中のTicoTicoにいると時間を忘れる。日頃の喧騒さを忘れる。僕の歌のテーマがよく反映されて自然体で過ごす2時間は何とも得難い2時間である。
オープニングで奏でてくれた釧路のウクレレクラブによる「風来坊」は弾みを付けてくれる。釧路HOBOのマスターのPA手伝いも大変ありがたく盛況さにメンバーともども一役買ってくれた。TicoTicoの今は亡きマスターも片隅で喜んで手をたたいているような気もした。そう言えば最初に伺ったとき本番中椅子に座っている僕の背中を軽くさすり風のように過ぎていった空気を感じた。マスターかもしれない。マスターに違いない。歓迎してくれたのに違いない。
森の中のTicoTicoで北海道ツアーも終わった。それほど暑くなかった八月終わりの2025年は思いで多き刈り入れの幕開けとなり、心置きなく東京へ戻ることができてやれやれ、皆さんへ感謝いたします。どうぞお達者でまたお会いしましょう。
森の木陰でドンジャラホイホイ。

2年ぶりの中標津の夏は涼しくてライブへの意欲が高まります

レトロなしつらい、アンティークな空気感がたまりません

釧路からお越しのHOBOウクレレ倶楽部のみなさんと記念のショット

北海道ツアーのラストを締めるにふさわしい充実の2時間。ありがとうございました
北海道釧路市Acoustic café HOBO ~秋風月 夏の終わりの YAMAKINGSONGS~少し秋模様の風に吹かれてみよう
2025年08月25日 | カテゴリー: 山木康世
生まれて初めて根室に来た日をハッキリ覚えていてる。
ふきのとうとしてデビューして、その後のいつの日なのであるあるが、何月何日とまでハッキリしてはいない。ただ着く前に根室は北海道東の最果ての街で、カニの産地である。知り合いはいないが、もしかして誰かお客さんのカニの差し入れでもあるかもしれないなと微かな希望を勝手に持ったりして根室入りした。
当時は会場に着いてリハをして本番を終えて宿にチェックイン、打ち上げに臨みホテルに戻って翌日に備える。そんな日々の繰り返して、空いた時間を見つけて名所などを尋ねるという余裕もないほど移動移動の連日であった。
しかし根室の日の楽屋に見ず知らずの男性が段ボールを抱えて入ってきて「花咲ガニですが良かったら食べてください」と置いていった。予感どおりのお土産で小躍りしたものである。
根室の街は来週行われるという「カニ祭り」の準備で忙しそうだった。釧路の前の日、400キロ以上を飛ばしてカニを食うために根室に向かった。今回は験を担いで食いに来た。花咲はハナサキ、ハナさんサクさんのお祖母さんたちの呼ばれるところの花咲ガニと良い方に解釈しての根室であった。それにしても何という奇遇であろうか。天上より笑いながら二人してエールを飛ばしていることだろう。「頑張んなさいよ今日は釧路でしょ!」
また昨日に続き一本道を引き返してきた。釧路は年に4割霧の立ち込める街とその昔誰かに教わったが今日は大丈夫晴れている。その上過ごしやすい20℃という涼しいくらいの釧路。
前回HOBOのライブ中に場内が激しく揺れた。ライブ中に生涯これほどの揺れに出会った試しがないほどの揺れであった。一時中断、外に出るかどうか迷ったほど揺れた。しかしその後は収まり何とか終えたことが蘇る。あれからみんな年を少し取っての再会である。花咲ガニのパワーで今回はつつがなく気持ちも新たに2時間超えの懐かし希望の再始動的Acoustic café HOBO~秋風月 夏の終わりの YAMAKINGSONGS~
今日は客席の皆様のお顔がよく見えてまるで知人にでも話しかけるようなライブが出来て良かった。借りてきたカニ、いやネコのようなライブではなかった。ギタークラブの皆さんによる「白い冬」にもパワーを頂いた。みんな長い時間かかってここまで来たねぇ、ありがとうという感じを強く抱いてのHOBOだった。
我が故郷の道東を伺ったのは中学の修学旅行が初めてだった。札幌のある西部とは違って湖と森の神秘の東部は空気が違う、歴史が違う、ロマンが違う、ロシアに近い分異国の風が吹いているような気分にもなる。沖縄にいるときの気分にも似ているか。日本は広い国なのである。決して細長い小さな島国ではない。紛争の耐えない現代に日本の役割を世界の人達は待っている。外交による平和な世界の訪れを期待している。
今年のサンマは10年来の大きさだ、豊漁だと明るく塩梅の良いニュースが聞こえてきての旅である。油騒動、米騒動、戦争、紛争で揺れる2025年であったが景気の良い晴のニュースの到来を祈って願っての旅は続く続く。
この記事を書きながら右手の親指の爪の隙間を嗅いでみたら、少し朝のカニの匂いが残っていた。

根室駅には黄色いポストがありました

毎年食べに行きたい花咲蟹はゆでたてが一番

大河内マスターが開いているギター教室の生徒さんたちが1曲演奏

満員御礼、ありがとうございます
札幌市中央区cube garden(キューブガーデン) ~秋が立つ YAMAKINGSONGS de 残暑見舞~
2025年08月24日 | カテゴリー: 山木康世
あー懐かしや、何年前のことだろう。このステージで繰り広げられた天衣無縫の世界。次々と若きミュージシャンたちが現れ我の作った歌たちを高らかに歌い上げる世界を夢のように2階席から見ていた。最後のアンコールで用意された歌は「初夏」学生時代に作った歌なので随分昔の歌である。階段をトントンと駆け下りてステージへ。我はジャケットの内ポケットから取り出したGキーのハーモニカを事もなげに吹いた。そして最後に表彰状を一人の男から渡された。何を隠そうその男が今夜のゲスト田高健太郎だった。さっき彼が歌い上げた「雨ふり道玄坂」は鳥肌モノだった。その脳みその片隅に刻まれた微かな感動をもう一度と言うことでキューブガーデン、秋が立つ YAMAKINGSONGS De 残暑見舞と相成った。
田高は昨日41歳を迎えたという。我が「ふきのとう」を解散した42歳の頃を思い出していた。学生時代「ふきのとう」をある日何気なく立ち上げてからの日々は我に晴れをもたらして、いろいろあったが今日に至っている。そして思い出のステージで田高をゲストに迎えての「雨ふり道玄坂」アンコールでは「RAOJIN」
今回では普通に使用しているタブレットを止めて、モニターを用意、20曲に及ぶYAMAKINGSONGSを歌い上げた。確かに暗記すれば良いだけの話なのであるが、51年間も人生のパートナーとして譜面台は必要且つ欠かさざるモノとして体の一部になってしまった。ソロになってからのデジタルへの興味はますます高じて、歌作りにおいて重要な歌詞作りを担ってもきた。
札幌は生まれ育って23年間生かしてくれた唯一の故郷である。そのうちの6年間は美原、大人になってこれまた6年間、東京で過ごしてきた。一度は戻った故郷であるが、再度上京、それから早や33年東京人である。好き勝手に風を読んで歩いてきた。周りの人たちの大いなる理解、お客様の大いなる支援、風を見ていた安兵衛はここまで来た。
高齢化で世間は弱さばかりが強調される。肉体の衰えは神のなせる宿命。しかし精神は衰えるどころか、ますます神経質に1本の束ねた鋼よりも強く体外へ言葉の魂となって浮遊する。
2時間半に及ぶ2025年札幌は新たなステップとして記憶されるかも知れない。
みなさまお忙しい中、ご来場誠にありがとうございました。
明日から釧路、中標津と道東の旅である。カニやサンマの美味い季節に風に吹かれて何を思い、何を残すことが出来るだろう。

リハも時間を十分とって本番に備えます

照明の仕込みもOK

本日の体調は万全

ミュージックファンの金子社長とは長い付き合い

背後には桜吹雪

藻岩山のロープウエイのテーマ曲はを歌います

田高健太郎さんと「雨ふり道玄坂」を

大勢のお客様、ありがとうございます

ウクレレも良き相棒

アンコールぐらい照明を派手に
東京都新宿区チャペルカグラ冷えた真の黄昏のビールが飲みたい
2025年08月20日 | カテゴリー: 山木康世
トランプの先日のプーチンに続きゼレンスキーと会って戦争終結会談が続く。
ゼレンスキーは今回の衣装、前回のときは記者から「どうして正装を着てこないのか」質問されて、確かに普段着のようなTシャツ姿で臨んでいた。彼の答えは「今は戦時なので」ということだった。今回は黒のTシャツに黒のジャケットを羽織り会談に臨んでいた。今回も前回と同じ記者が質問をしていた。質問者に「はっきり覚えているが、今日の君は前回と同じジャケットだね」と笑いを取った。
先日のプーチンのときは飛行場でレッドカーペットでトランプ自身自らお出迎え、カメラが追った。ゼレンスキーは会談を行う建物でトランプがお出迎え。明らかに差別をしている。どうして反対側の人間を厚遇して、同じ側の人間を見下すのか。プーチンは戦争裁判所から逮捕状が出ている人間であったはずだ。本来は即刻逮捕の人間。あの裁きはどうなっているのか不思議に思った。
戦争が始まった当初、連日ゼレンスキーはテレビ出演、現状を嘆いて全世界に訴えていた。そのときの草色のTシャツは一つのブームにもなった。他国の洋服の会社はそのとき着ていたTシャツで一大盛り上がり、世界的にヒットしたと報じていた。同じく戦争が続いて戦時の報道が続く。ミサイルが、大砲が、核の脅威さえささやかれる。そんな中武器商人のせせら笑いが聞こえてくる。報道はなされないが、放送による偏見や誤解が続き3年にも成ろうとしてのトランプ流戦争終結カードの切り方に世界は一喜一憂。ヒラリーは成功すればノーベル平和賞に推薦すると。トランプはそれを聞いて、彼女をまた好きになるかも知れないと。
そんな中でも戦場で兵士が、街では一般市民が殺され続けている。
チャペルカグラに注がれる夏の日差しはタップリアツモリで温室効果満点である。普段はここで牧師さんが二人の祝福をしているはずだ。もしくほ参列者に祝宴の報を述べて皆に感謝している会場である。こんな部屋にいると背開きの惨状や、普段の穢れを忘れさせてくれる。母なる太陽の恵みはやはり幸福が目的なのであって戦争による不幸ではない。そこに流れる歌は集まった人たちの心に幸福をもたらし穏やかさをとりあえず2時間演出してくれる。病や飢えや戦争で死ななくても良い命が軽んじられ消失して行く。実にもったいない話だ。
一つ事件が起きた。「黄昏のビール」で歌詞が何者かによって書き換えられていた。世の中AI時代である。密かに親友、知らぬ間にAIが我がPC内で遊んでいた。勝手気ままに遊んでいた。誰も止められない。そんなことあるはずないと思いつつ奇妙な歌詞で最後を終えてしまったことが心残りであった
でも後は太陽の恵みがPC画面に乱反射、文字を見えにくくすると言う不必要な画面のギラギラに終始話しかけて歌い飛ばしが少しあったことも心残り。
心の中でユーミン=守ってあげたいという声と我=守ってくださいという声の微かなる対話をしていた。(笑)

陽光が注ぐチャペルカグラの午後

夏空が美しく光っていました

足元にはプルメリアの花と青いヒトデ。ポリネシアの海をイメージ
新宿区あんさんぶるStudio音にヒグラシのカナカナが聞こえるか
2025年08月17日 | カテゴリー: 山木康世
今時は二十四節気で立秋、近頃の猛暑、酷暑の夏に対して何とも皮肉な季語であるが、8月7日辺りから秋が漂い始める季節の移ろい。吹く風も少し涼しくなりにけり、緑に露が降りて、ヒグラシが鳴き始める、と言うからなるほどな。高層ビル群からの風たちも少し日が落ちると確かに肌に優しくなったなぁと実感した今年の立秋。これが15日間続く立秋、その後は残暑となる処暑と言うらしいが、子供の頃に北海道には残暑見舞いなとと言う言葉は聞いたことがないくらい夏休みの最後の頃にはホントに涼しさを超えて寒かったな。タンスから出した母の計らい、ナフタリン臭い浴衣を無理に着込んでローソクを点けた提灯を片手に、暗闇に笛と太鼓の音を頼りに盆踊り会場へ、帰ってきたらストーブに手をかざしたもんである。
さらに二十四節気を3分割、七十二候では寒蝉鳴く(ヒグラシナク)とある。あの朝晩にヒッソリとカナカナと鳴いているヤツがヒグラシである。ヒグラシを「寒蝉」と書くとは知らなかった。どこからともなく聞こえてくるカナカナという鳴き声に真夏の蝉の大合唱の勢いはなく、どこか儚げで侘しさも感じたりする。なお中国で発案されて日本に入ってきて日本流の季節観にした日本人たちの季節観にも大天晴れである。ナイーブな感性の先人たちにカンパーイ。
そして80年前、太平洋戦争終結。敗戦の日が8月15日、昨日であったが、まさに朝から晴れた青空の下ヒグラシの大合唱だったのだな。どうして国は8月15日に降伏したのか考えてみた。
広島の惨劇が8月6日の8時15分、人類史上初めての大量殺戮、南のテニアン島から飛んできた一機のB29、搭載された原爆の名が「リトルボーイ」運んできた機の名前が「エノラゲイ」エノラはENOLA、逆さに読むとALONE。独りぽっちで孤独な機が運んできた悪魔の兵器。広島にとどまらず人類の滅亡すらも可能とする兵器の「リトルボーイ」人類がいなくなっても世界の阿呆なリーダーたちは拍手喝采。オレが勝った、オレが勝ったと小躍り。まさに茶番の悲劇を見せつけられて死んだモノたちがバンザーイとでも言って祝福、勲章でももらえると思っているのか、クソリーダーたちにオレの未来を奪い取られて堪るか、宇宙の片隅にヒッソリと息づいてきた人類地球の終焉を演じるクソ役者たちの演説を聴いて虫唾が走る。人間のエゴもこうなるとお話にならない迷演技、大根役者の粗大ゴミ。「ご町内の皆様」早急に永久に無料回収しなければならない。
次回の「あんさんぶる音」は9月5日である。その頃には札幌も終わって、東京けやきホールの翌日である。立秋も過ぎてヒグラシも鳴き止んで処暑、どんな「禾乃登」コクモノスナワチミノルに至っているであろう。
YAMAKINGも51年目の刈り入れを始める節季である。
明後日の神楽坂における、まるでさらに太陽の恵みの日差しをタップリ溜め込んだ植物園状態の「チャペルカグラ」で大いに自然のエネルギーを心身に浴び感謝の汗をかいて前進の糧としよう。
お待ち申し上げております。
本日はお忙しい中、お暑い中毎度ではありますがまことにありがとうございました。平身低頭。
※「リトルボーイ」の威力は20キロトン。キロトンは1000トン。つまり20000トンのリトルボーイだった。大きなフェリー並みのボーイだったわけである。クワバラクワバラ。

久しぶりの曲も多々登場した2時間超えライブ

西新宿の高層ビル群も暑そうです
