となりの電話 山木康世 オフィシャルサイト

太陽の子

2010年03月01日 | カテゴリー: ミュージック・コラム

僕らはみんな生きている 生きているから歌うんだ
手のひらを太陽に…
手のひらを太陽にかざしてみたら、手を形成している骨骨が透けて見えた。そんなこたぁないか。なるほど、見事な骨の織りなす業でまこと複雑な動きをする手がある。
手の先にある指がこれまた見事な動きをする。
創造の神様は何というデザイナーであろうか。
人間が他の動物よりも抜きんでることができたひとつに、この手の存在があったからだろう。

握る、つかむ、打つ、切る、届く、出る、空く、早い、回る、焼く、悪い、負えない、余る、合わす、乗る等々、手に従ってついてくる手下の言葉たちだ。
五本の指を広げた形を表した象形文字が手という漢字。
漢字を考えついて文字を作った遠大なる時間の中にいた人たちの頭上に、ギラギラと燃える太陽がいつでもいた。真っ赤な太陽の炎は、まさに人間の体内に流れている血の色だ。
しかしいったん体外へ流れ出た赤い色は、徐々に茶色、焦げ茶色、黒へと変色する。黒は死だ。そして黒は水分を失ってサラサラに乾ききって風に舞って塵、芥へ。
僕らはまったくもって太陽の子だ。

太陽がなくなったらすべて無だ。50億年前に太陽は生まれ、50億年後に死んでしまうということをはじき出した人間がいた。本当の話だろうか。誰も確認なんかできない50億年などという時間の長さなのだから神話のように「ある時太陽は生まれ、ある時死ぬ」で良い。

この手の話と同じような話がある。10万年に1秒しか狂わない時計。如何に正確な時計であろうか。
しかし。100年も生きるのが希な人間が10万年などという時間を当たり前のように言って、当たり前のように聞き流す。よく考えたら正確なことを言っているようで、実はいい加減なことを言っているのかもしれない。

チリで起こった地震は阪神震災の300倍のエネルギーだったという。これも分かったような分からないようなエネルギー。なるほどものすごかったんだということだ。ものすごい地震がいつ何時起こるか分からないと言うのに、僕らは意外と平然と床につく。どこかに避難しようなどと言う人を見たことがない。悟りの境地か、はたまた自分のところには宝くじのような確率で起こらないという希望的観測か。

また3月が巡ってきた。太陽の周りを1年かけて宇宙船地球号は去年の3月と同じポイントに巡ってきた。単純な運行らしいが実に正確に宇宙を飽きずに回っている。その地球も1日かけて自ら回っている。
そして時折身震いをする。人間の力など到底及ばないエネルギーで破壊行動を起こす。しかしこれは人間にとっての破壊行動で、地球にとっては細胞分裂のようなもの。新陳代謝をしているだけか。

水道の水が少しずつ温くなってきて春を感じ始めて来たことは確かだ。
さぁ年度末、確定申告、卒業、開花、ひな祭りと新陳代謝が続く。冬眠から目覚めてた熊やカエルやヘビが伸びをしている。オリンピックでメダルを取った選手、不調だった選手の冬が終わろうとしている。

僕が座っている座敷の外も桜色に変わった。
僕らはみんなみんな太陽の子だ。

(山木康世)

ご隠居さん

2010年02月28日 | カテゴリー: ミュージック・コラム

昭和22年まで日本には隠居制度というものがあったという。
この歳になると現役を自ら去って、後輩に譲るというもの。いわゆる表舞台を降りて次世代に譲り裏舞台に回る。もしくは静かに暮らす。家族では家長に戸主を譲ったり、財産を子供たちに譲ったり、世間では引退して身を引くというものだ。

昭和22年といえば、父は結婚2年目、35歳頃であろうか。兄が生まれたころだ。
僕はまだ宇宙の暗闇をエーテル状態で彷徨っていた。
父はかなり生真面目な人だったので、これから先子供が増えて家族を統率しなければいけないという意識は強かったと思う。それが家制度の廃止で戸主というものがなくなった。

考えたのではないだろうか。国である程度認められていた権利がすっかりなくなってしまった。子供たちがまともに大きくなれば良いが、もしも自分の手に負えないようなワルに育ったらどうしたものか。人様に傷など負わせるような人に育ったらどうしよう。
一見民主主義の善良さが見える廃止であるが、個人個人の問題としてはややこしくなったと思ったことはないだろうか。ある意味で不幸な世代な人たちと言っても良いかもしれない。戦争に負けてあらゆる価値観の見直しをしなけらばならなくなった大人たち。

父の父の時代は何かにつけて戸主が強権的だったのだろう。
これで丸く収まる事柄も大いにあるような気もする。何せ日本に中世から続いていた制度らしいから、日本人には合っていたのではないか。
今はまったくそんなものは存在しないのに、僕の中にも何かしらそのような空気がわずかながらあるような気がする。仕方がない、廃止されてもそんな風潮が完全に消え去るにはまだまだ時間がかかる。

隠居に戻るが、歳取った人間はいつ何時倒れてこの世を去るかもしれない。その人間があまり権力を持ちすぎていると、緊急時混乱を招く。それを防ぐためもあったのでは。そして遺産を巡って子供たちや孫が争いをしないように生きてるうちに分与しておくなどというのも賢い社会システムだ。

そんな年齢に突入するとは思ってもみなかった。まだ鏡を見ても信じられない。昔とそれほど変わっていない風貌に自分の気持ちをどのように摺り合わせるかは大いなるテーマでもある。

矢張り良い歌を書いて、自らの葛藤を解決するしかないか、なぁご隠居さん。
(山木康世)

木蓮哀歌

2010年02月27日 | カテゴリー: ミュージック・コラム

何の因果で切り離されし 木蓮の枝 花咲く小枝
春を告げてく春一番に 甘い香りが隣の庭から
今年も大通りの桜の花が 君を楽しませてくれるでしょう
あとわずかで暖かな風に乗って 春がやってくる

裏の小道に小雨が降って 木蓮の木も濡れている
まるで腕をもがれたように ばっさり切られた木蓮の小枝
殺風景な庭の木から 何も見えない春の情景
白い花も一つも見えない 甘い香りも漂ってこない

夜空の月も顔を隠して 泣いているのか如月の月
かわいそうな木蓮の花 咲くに咲けない木蓮の花
本当に春は来るのでしょうか 夜に一羽のウグイスも
戸惑っているだろう 寄り道しようか庭の小枝に

屋形船の日桜の花を 教えてくれた白い木蓮
コートを一枚脱いでも良いよと  窓を開けても寒くはないよと
駐車場に落ちてた大きな花を ある日拾って押し花に
私の春も終わったように 一つの時代が終わったな

※ 沖縄の皆さん、地震は大丈夫だったでしょうか
(山木康世)

棒を振る男がパンツ一枚見たさで人生を棒に振ったお話

2010年02月26日 | カテゴリー: ミュージック・コラム

機動隊隊長が女性の下着をのぞきたくて、もったいない人生を棒に振る。
僕と同じ世代の警察官が退職を目前に何という失態。

隊長は朝から退職手続きのために勤務先の帯広から札幌に帰省していた。
この日朝から酒を飲んでパチンコをして地下鉄へ。エスカレータに乗ってフト見上げると短いスカートを履いた女性が目の前に。田舎では寒いのでこんなに短いスカートを履いた女性は滅多にお目にかかれない。一つ記念に一枚残しとっかー。とほんの些細な出来心が取り返しのつかない事件を引き起こしてしまった。

彼はオーバーのポケットから携帯を取り出すと撮影モードに気づかれないようにする。そして女性の一段下に陣取る。女性はまったく無防備で先を急いでいる感じだ。そして密かに携帯を自分の前に差し出した。シャッターを押すと意外に大きなシャッター音がした、と同時に突然女性がスカートを押さえて彼を見ながら悲鳴を上げた。

「キャー、誰かー助けて!」
彼は本来、人を助ける職業のはずなのに気が動転してしまい逃げ出してしまった。これでは自らの犯罪を認めて、俺がやったと言ったも同然だ。近くにいた男が一人駆けつけて彼を捕まえた。彼は抵抗しなかった。酒も入っていたので、気も大きくなっていたのか事の重大さをそれほど感じていなかった。

時間が経ち酒が徐々に引いて来るにつれ彼は茫然自失、晴れの退職も、勤め上げた栄光の30数年も一気に煙のごとく消えてしまった。彼が築き上げた自身の栄光、プライド、家族、親族への信頼、人間性が一気に雨散霧消。彼の胸中、脳裏には深い先が全く見ない濃霧が立ちこめて真っ暗闇になった。本来、雨散霧消は悩み事や心配事に使うのであろう。このような場合には不自然であろうが何となく使いたくなった。

パンツ一枚見たさに消えてしまった彼の将来。彼の実直なる過去。子供たちや孫たちが彼に寄せていた優しいパパさん、じいちゃん像。
こんな悲劇がいつ何時待っているとは分からない。くれぐれも人生行路、落とし穴に気をつけて酒は日が落ちてから。
そしてなべて男の根は助平である。女性の皆さん、スカートの丈はほどほどの長さにしてくださーい。

昨日、羽田に立ちこめて大混乱を引き起こした濃霧は時間が経って消えたけど、彼に立ちこめた濃霧は死ぬまで、お墓に入っても消え去ることはない。
彼はいつも厳しく部下にあーだこーだと棒を振っていたが、今度だけは見ず知らずの他人のパンツ一枚で将来、過去を棒に振ってしまった。

(山木康世)

「我田引音」

2010年02月25日 | カテゴリー: ミュージック・コラム

「我田引水」とは自分の田んぼに水が流れ入るようにし向けるエゴ行為。
所詮人間も動物。動物のエゴは想像以上、共食いはまだしも子供まで食べてしまうこともある。まさに生きるか死ぬかの瀬戸際になるとなんでもござれ。
ライオンも満腹の時は、非常におとなしいが、いざ腹を空かすと自分より大きい相手にさえ牙をむいて襲いかかって仕留める。矛先は人間でもお構いなし、抜けるような健康的な青空の下、清々しくキッチリと容赦はしない。
食欲のなせる業、欲とは空恐ろしい。

赤子も腹を空かす。しかし満たし方を知らないので回りに泣いてアピールするしかない。そのうち誰かが手を貸して腹を満たす。徐々に成長すると、人の目を盗んで腹を満たすことを考える。もっと頭を働かせると人に押し入って食うものを奪う。こうなると犯罪だ。犯罪とはエゴの最終形だ。犯罪の最終形は戦争、故に戦争とはエゴの断末魔。故に戦争に幸福はない。正義もない。
地獄が待っているだけ。オリンピックもスポーツという美名を借りて国と国が争う武器を持たない戦争の代理行為。疑似戦争。あまり加熱、過激になるとしらけてしまう。

空腹時のエゴは仕方ないとして、満腹時にでもエゴの強い人種がいる。いかにもこちらに親切そうに振る舞っていても、最後は自分かわいさでばればれである。

僕はテレビに出るのが苦手だ。昔から写真を撮られるのが苦手だった。
それが今、この商売で暮らしを立てているのだからおもしろい。
今でも動画は緊張、動悸、息切れ、発汗、苦手である。
今時のガキはビデオなど向けられるとキャッキャ言いながら近寄ってくるが、昔のガキはカメラを向けられると固まってしまったものだ。

テレビで顔を売っている人種はほとんどがエゴ系と言っていいだろう。クラスに一人や二人いただろう。人をけ落としてまでのし上がるタイプがこれである。このけ落としタイプが政治家になったらどうなるか。人民の暮らしぶりなんか構っているはずがない。まずは自分なのだから。僕はこの手の学友に全く関知せずで、もっぱら自分に引きこもってギターをかき鳴らしていた。これを「我田引音」という。

しかし選挙で投票され選ばれる人間は、そのうち皆このエゴ系の人間ばかりになる。このからくりを知って覚悟しておかないと、とんでもない裏切りが待っていて右往左往する。待てど暮らせど良い国にはならない。テレビが始まったときから、不幸の赤子は成長し始めていたのだ。

有名人が政治をやるのは矛盾しているのかもしれない。人知れず夜ごと人々が寝静まっても、人民の暮らしを考えて翌日の方策を考える。この人知れずからして有名だとできないのだ。矛盾という意味がおわかりでしょう。

「我田引水」は悲しいかな人間の性(さが)だとしても、そこを「他田流水」するのも人間なのである。動物には絶対行えない美しい行為なのだ。せめて空腹でない時くらいこんな人間でいたい。それが無理なら「我田引音」に努めよう。

(山木康世)

「エーなんと申しましょうかー」

2010年02月24日 | カテゴリー: ミュージック・コラム

このフレーズをご存じの方は昭和30年代の長島、王が大活躍の頃をよく知る方であろう。
僕も熱狂的な長島ファンであった。どうしてあのように長島が国民のヒーローだったのだろう。映画スター顔負けのマスクをしていたのは確かなことであるが、人気では映画スター以上なのであるから不思議な現象だった気がする。

今懐かしの映像を見ると、意外と球場は閑散としていたりする。時代はラジオ全盛であるから耳から入ってくるアナウンサーの声と観客の声援と淡々と解説を入れる解説者とバットに当たる球音のみで情景をイメージしていた時代である。

そこで登場するのが「エーなんと申しましょうかー」の小西徳郎氏であった。彼がしゃべり出すと、ある種の魔法がかかってベースボールが野球になる。つまりアメリカ式の剛は柔を制すではなく、時として柔は剛を制すのしなやかなスポーツのムードになる。

ペリー一行が大挙、年に一度来日してサムライをコテンパンにやっつけて帰って行く。しかしたまに勝つときがある。そのとき国を挙げて沸いたものだ。
当時の大人は、先の戦いで負けた仇を取ったような気分にひたったのだろう。
祝杯だ、勝利の祝杯だ。そして球場に足を運べない大勢のファンは耳からの音のみで脳に勝手に大勝利の情景を想像してしていた。
長島はそのヒーローの代表選手であった。

良い時代である。明け透けに見せる必要のないところは見せない時代。
デジタル画面のように毛穴の一本一本まで見せる必要などなかった時代。
国技館のガラガラを見せる必要のなかった時代。
国会中継で居眠り大臣の醜態を見せる必要のなかった時代。
有名人の嫌な日常を見せる必要のなかった時代。
スローモーションでもう一度と重箱の隅をつつくような場面をのぞく必要のなかった時代。
100分の1秒などという人間生活で必要のない時間を論じる必要のない時代。
リセットなどという言葉がなかった時代。
コピーが一般ではできなかった時代。
見たものだけを信じ、聞いたものだけを信じ、味わったものだけを信じられた時代。

精緻さを求めすぎた現代、感覚で計り知れない数字の幻の価値に熱狂しているように見える。テレビでは、公共の電波を我が物顔に毎日拝借して、まるで職場のように登場するほんの一握りの人間が予想屋、読心屋、評論屋となってしゃべりまくる。

選手が競い合っている会場に流れているムードの採点を取り戻さなくては人間らしい瑞々しさがなくなり、人間はロボットと化す。予想が当たると公共の電波泥棒は画面を分割されて、小さく映った小窓の自分の顔だけを気にしながら悦にいる。やだやだ。

裏で大金が大手を振る研ぎ澄まされたスポーツの祭典も良いけれど、逆ののどかなスポーツの祭典を見てみたいと願う天の邪鬼。

そこで登場するのが小西氏の「エーなんと申しましょうかー」なのだ。

(山木康世)

ほうぼうとHOBO

2010年02月23日 | カテゴリー: ミュージック・コラム

ほうぼうという魚の塩焼きを食べた。雪のような色白の肉は淡泊な味で飽きない。

ほう‐ぼう【魴・竹麦魚】
ホウボウ科の海産の硬骨魚。全長約40センチメートル、体は紫赤色。胸びれは特に大きく、内面は鮮青色で美しい斑点がある。胸びれ下部に、感覚器を具える鰭条(きじよう)の変形した3本の指状物があり、これで海底を歩き餌を探す。美味。鰾(ふえ)=うきぶくろで音を発する。本州中部以南に分布。
[広辞苑第五版]

食べたほうぼうは八角のようなお顔立ちで20センチほどしかなかったが、なんとお腹から開かれないで背中から見事に開かれて、鰾らしきものが見えていた。確かに我も裂かれるのだったら腹よりも背中の方が良いかと思ったりした。

海底をはって餌を探すと言うから、泳ぎが得意な魚にしては効率が悪い。しかし我らの先祖もこのほうぼうのように海底をはって、そのうち陸に上がってきたのかもしれない。そんなことを思ったら妙に親しみがわいて、ご苦労さんと言いたくなった。

2月の寒風の中ほうぼう彷徨って段ボールで暖をとっている人たちに町のお風呂屋さん、誰か2週間に一度で良いから無料で風呂に入れてやってくれないかなぁ。
I 東京都知事はオリンピック招致に何百億という税金をつぎ込んだそうだ。結果はご存じ敗れて海の藻屑と消えてしまった我らの税金。
少しの金を回して風呂に入れてやれないもんかなぁ。寒くて眠れない夜をジッと見つめている街のホーボーがいることを忘れないようにしたい。好きで皆が皆、堅くて冷たい地べたに寝ているんじゃないだろう。好きでドロドロに汚れた服を年中着ている訳じゃないだろう。人間なんだもの。でもいつ何時我らも分からないよ。だからせめて気持ちだけでも彼らに馳せてあげよう。

野良犬HOBOの唄のワンちゃんは乗り物酔いしてジャケット撮影の時、ダウンしていた。アルバムのワンちゃんの尻尾が物語っているだろう。それをあきれ顔で近所の猫が、塀の上から盗み見しているとは知らなかった。
ワイワイガヤガヤしながら撮ったカメラマンの大川さんも今では鬼籍の人になってしまった。

以上ほうぼうを生まれて初めて食したので、そのついでに書いてみた。

(山木康世)

平成22年2月22日

2010年02月22日 | カテゴリー: ミュージック・コラム

今日は平成22年2月22日。
もう二度とこの日はない。ラッキーナンバー22の僕としてはこの上ない良い数字の日だ。
父の誕生日も22日、姉も22日、その上お祖父ちゃんも22日だった。
曙小学校の開校記念日が10月22日、故に僕の誕生日はいつも休みだったんだよ。
今度あるとすれば2022年2月22日、72歳になっている。
さらに2222年2月22日という日も来る。
いささかこの日は無理だ。272歳か。
今から272年前と言えば江戸時代か。
江戸の人も272年先の未来を思った人もいるのだろうか。想像以上の進歩の社会を見てどう思うのだろう。そう考えると想像以上のすごい世界がこの先待っているのかもしれないと考えたら易々と死ねない。見てみたい。でも生きていない。
みんないなくなった世界で生きてみたっておもしろくもないし何の意味もないね。
今が最高なんだね。

(山木康世)

音楽の種子

2010年02月21日 | カテゴリー: ミュージック・コラム


60歳男性、妻、娘。
娘から問われた。「今日の靴は1,200円ですか?」何のことを言ってるのか分からなかった。それほど安くはないが、確かにそれほど高くはない。先日、柏で急遽買った靴に興味を持ってくれるのかと思ったりしたが、しばらくして分かったんだ。昔のライブアルバムの中でそんな話をしていたのだ…。

長く音楽をやっていると、自分自信の周りはそれほど変わっていないのだが、同じような世代の他の大勢の人は子供を作り、孫ができて…いろいろと変化があるのが普通だ。
子供と一緒に聞いていた僕の歌が子供に伝わる。子供は勝手にいろんな感じで受け止めている。時間が長く経過して、その子が結婚する。同じようにその子供に伝わる。

何気なく若いとき蒔かれた音楽の種子は、蒔いた本人に関わりなくいろんな場所でいろんな育ち方をした。まだまだ考えている以上に、これからも育ってゆく。予想のつかないドラマであり想像以上にロマンである。そして希に悪い影響も与えてしまうこともある。ますます心してかかろう。

昨日のマーキーライブに足を運んでくれた音楽好きな大勢のお客さんに心からお礼を申し上げます。
昨日は小潮、太陽と月が地球に対して直角に位置していた。雲一つない冬の夜空には上弦の月が鮮やかにぶら下がっておりました。

みなさん、帰り道、心が軽くなったでしょうか?

(山木康世)

2冊の本と1台のMac

2010年02月20日 | カテゴリー: ミュージック・コラム

ふきのとうを解散して一人になったとき町で見つけた2冊の本がある。1冊は「人生歳時記」もう1冊は「菜根譚」である。
何かにつけてこの2冊をひもといてきた。
中野サンプラザの古書フェアで見つけた「人生歳時記」は今は無き省光社発行、飯田豊二著、定価1500円が1000円で売られていた。毎日の言葉が先ず右ページにあり、左ページには日本の今日の出来事や各地の祭り、今日の献立、おもしろコラムが2ページにわたって書かれている。毎日開くだけで日本各地の「今日」や、いろんなジャンルの「事」が読める仕組みだ。

考えたら人生をどのように過ごすかは、自分だけでは決められないで、黙っていればいつの間にか太陽は山の彼方に、海の波間に消えていってしまう。しかし朝からの行動のきっかけを何かで得ればその日の行動が自ずから変わってくる。そのきっかけをこの本は作ってくれる。今でも18回以上は同じページを開いているのだが、発見がある。ページには同じ記事しか書かれていないのだが、昨日と同じ自分はいないから発見があるというわけだ。

「菜根譚」はサイコンタンと読む。
二巻。明末、四川省出身の洪応明(コウオウメイ)の著。成立年代不明。わかりやすい通俗的な処世訓の書。「人間はいつも菜根(まずい食物)をかじっていたら、万事がうまくいく」という語から、書名をとった。

[改訂新版 漢字源 株式会社学習研究社]
この本の名前と効用を新聞か週刊誌か、何かの片隅で読んだのがきっかけだった。そしてこの頃パソコン自己流覚え立ての頃。まずはキーボードアレルギーを「菜根譚」丸ごと写しで修練、克服した。打鍵しながら先人の残した良い言葉を習っていった。42歳の夏である。ふきのとう18年の忙しさにかまけて失っていた社会を取り戻そうと懸命だった。今から18年前の夏、この2冊と1台のMacが今の自分を方向付けた。

何かにつけて使い捨ての風潮が強い今の時代、自分だけの永遠の何かを見つけて肌身離さず、自分のそばに置いておくことの大切さ。そこから幸せの花が開く。

(山木康世)

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