「1022 山木康世 50周年記念コンサート」 リクエスト受付中
2023年09月11日 | カテゴリー: 山木倶楽部九段支部
チケットの先行予約をいただいた方にはすでにお知らせしていますが、10月22日の「山木康世 50周年記念コンサート」にご参加の皆様から1曲リクエストを頂戴しています。
当日はリクエストの多かった上位5曲をセットリストに組み込みます。
リクエストは以下までお送り頂けますよう宜しくお願いいたします。
yamakudan@yamaki-cub.com
上記メールでのみ受付いたします。
リクエスト曲名、お名前、チケットの整理番号をお書きただき、送信ください。締切は9月21日です。
お待ちしています。
奥州市水沢オネスティ御礼
2023年09月09日 | カテゴリー: 山木康世
本当に1週間前の猛暑は手を振ってサヨナラしたようで過ごしやすい9月8日、東北ツアー最後のオネスティ。鈴木氏は鉛筆のような体で迎合再会、元気で互いに居れたことを神様に感謝。4年ぶりの訪問。まだ世界がコロナ騒動に巻き込まれる前の我らだったわけである。
世界の大谷もショータイム前だったのだな。
Gibson、Terry全開で2時間半を終えた。最終日に相応しい有終の美を飾れたことは何とも天晴だった。お集りの皆さん、誠にありがとうございました。
嬉しいことに実りある再会がございました。実に1976年以来の思い出を引っ提げてきた男が訪ねてきた。遠い昔、遠野という町でコンサート後、麻雀をしたというのである。よーく鮮明に覚えていて、ことあるごとに脳裏を横切って、あの風景、光景を思い出しりしていたので簡単に脳は反応。ホテルに戻って精査したら
1976年4月2日(金)盛岡
1976年4月3日(土)花巻
1976年4月4日(日)仙台市民会館
と若き日のふきのとうはコンサートで東奔西走、その合間に遠野に立ち寄ってことに及んで、俺は負けて朝を迎えたらしい。夜には花巻コンサートを迎えていたことになる。今では考えられないエネルギーである。勉強堂のベンさん共々忘却の彼方の話であるが、ベンさんはもうこの世にはいないという。俺より一つ下のT氏は思い出だけではなく、実にいい話を持ってきてくださった。
11月にWという地区でイベントをしてほしいという申し出であった。
どっこい47年前の麻雀は終わっていなかった。この日オネスティで長い時間かかったが共に勝ちを収めたようだ。
少し早いが秋風が吹いてコートの襟でも立てて再度、水沢に立ち寄ることに相成った。本当に有終の美を飾ってくれた神様に感謝御礼申し致す次第である。みなさんありがとうございました。
ちなみにあの日の勝者はツボともう一人であったというのだが、ここの思い出は欠如していた。
喉もよくなり東京へ舞い戻る次第でyasu

東北ツアーのラスト、盛り上がりました
酒田ブルースヒロ御礼
2023年09月08日 | カテゴリー: 山木康世
僕が初めて酒田に来たのは1978年10月、記憶も新しく新聞やテレビで知っていた酒田大火の話。聞くのも見るのも初めての話で、東京を立つ前に大丈夫なんだろうかと思ったりもした。
その後テレビで「おしん」の話で酒田を知って、日本で初めて木製の灯台が灯された町だと知った。江戸時代は北前船などで賑わい、コメの一大集散地年36万石で賑わったという。山の幸、海の幸と豊富だったわけで、そこに出入りする人間も大勢いて料亭なども盛んだったという。しかし地勢的に山形というより秋田という感じを今だ受けたりする。おしんの朝のドラマを一ファンとして毎日欠かさず見ていたなぁ。おしん可愛かったなぁ。
ヒロさんと白猫のシロちゃんに無事再会。変わらずに元気でおられました。
終演後、外に出ると少しヒンヤリ秋の気配を感じながら、明日は奥州市水沢、つつがなく終えようと暗い夜空に星を探した。

打ち上げ会場をパトロールパトロール
大館イタリアンレストランボニータ御礼
2023年09月07日 | カテゴリー: 山木康世
ホテルお目当てのHINAちゃんともう一匹の秋田犬ちゃんは残念ながら夏バテで顔を見せてくれず。せっかく東京からモフモフできると思っていたのになぁ。
先日大舘は日本で一番の暑さを記録したとのこと。40度が手を伸ばしてこっちへおいで誘っていたそうですが0,2度足りず、断ったそうです。
人知れず本日一番のラッキータイムは、探し求めて叶わずのサムピックが、最後の最後「風来坊」でフト胸に手を置いたら何やら固いものが。前にこの服を着て無意識にサムピックを胸ポケットに仕舞っておいたものが、いま顔を見せたということ。心中ひそかに声を上げていた。この歌にぜひ欲しいと思っていたものがヒョンなこんな服のポケットから顔をのぞかせるとは、アーこりゃこりゃ。俄然やる気が起こって締まりのある風来坊が大館の夜を占めてくれた。
打ち上げでいただいた日本酒の名品の数々。おいしゅうございました。種をすかっりお取りいただいた一口サイズのスイカのおいしかったこと。サムピックの突然の登場に勝るとも劣らない今夜のヤッターでございました。
お忙しい中、お暑い中、遠いところ、近いところ皆々様、誠にありがとうございました。楽しいひと時をありがとうございました。
明日は南下、久方の酒田,ヒロさん、白猫ちゃん会いに伺いやすよ。

比較的静かな曲が多かった大館ライブ

極彩色のジュークボックスが店内に

モダンなエントランス

縄文遺跡でしばし散策しました
五所川原フォレストブルー御礼
2023年09月05日 | カテゴリー: 山木倶楽部
五所川原は2006年が始まりだった。ストーブ列車に乗りたくて、するめを焼いてみたくて。車内の荷物置き場に歌詞カードを張り巡らせて、肩にギターを担いでお客さんの前で演奏、揺れる電車を楽しんだ。その後2010年、版画家・藤田先生の「津軽鉄道各驛停車」にメロディをつけてご披露した。遠路録音機を持参して♪ふーたつみつふたつみつ♪地元の小学生の手伝いも借りた。中泊のホールコンサートも行った。スコップ三味線、元気かな?
今回で9回目、今回は毘沙門駅が駅名日本一に輝いた記念コンサート。藤田先生は前にはなかった毘沙門駅名を早速プラス、計3回も披露でき最後は場内合唱もできて幸せだった。フォレストブルーホールに大勢お集まりいただき感無量でした。
10年先輩の澤田津鉄社長と知り合えて本当に良かった。澁谷さんとの息もピッタリ、非常にお世話になりました。
10回目を来年にもと考えておりますので何卒よろしくお願い申し上げます。皆さんお元気で、またお会いしましょう!

元映画館だったホールはとても見やすく、大勢の方にお越しいただきました。山木倶楽部の皆様も連日、遠くからありがとうございます

毘沙門駅の歌詞を追加してみんなで歌いました

津軽鉄道の沢田社長(BOSSの左)をはじめ、津鉄、スタッフのみなさまと
二戸御礼
2023年09月04日 | カテゴリー: 山木康世
7時間の予想を大事をとって早朝8時出立。東北道をひたすら北上。埼玉、栃木、福島、宮城、そして岩手を越えて二戸の町に着いたのは4時を回っていて走行距離は実に600キロを越えていた。
宿泊先の記憶は新しく、至るところに貼られた映画のポスター、世界の三船が3枚。支配人の映画への熱い思い心意気が感じられ嬉しくなる。
そこから15キロほど離れた会場は画廊左衛門。と言っても昔の土蔵。扇風機のみでエアコンはない。ムシムシジメジメは避けられないが、ステージに置かれた扇風機が頼もしい。
ほぼほぼ満席。
「九戸政実の遺言」は10年ほど前の製作当時より出来が向上。大きな拍手をもらう。やはり詩は大事であるな。
岩見沢から来たお客さんは何と昨日奥さんに二戸へ行ってくると、苫小牧へ、バイクを船に積んで八戸へ。天晴れ。高校生のころフォークソング倶楽部の町田からの女性は、なんと深夜12時に出発、下道を来たという。おそらく17時間は下らないと思う。以前購入したタイのタクシーは3輪車でこれで下道を走ってきたという。天晴れ!
南部美人辛口純米をいただいた9月の夜はとても極上に過ぎていきました。
みなさん、お忙しいなかお集まりいただき誠にありがとうございました。
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古い蔵を改装して画廊に
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全国からありがとうございます。
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二戸市の議員、お殿様の末裔、旧家の主など二戸の皆様とスタッフ。ありがとうございました
愛の歌のカタチ 2023年8月31日
2023年08月31日 | カテゴリー: 山木康世
愛の歌を歌おう 雪の歌はきれいだ
風の歌は爽やかだ けれど愛の歌はもっと良い
この世に男と女がいて ちょうど良いバランス
体と心が窓辺で 寄り添って笑ってる
愛の歌を歌おう この世界から争いや
醜い人の妬みや 野望を取り除け
この世に男と女がいて ちょうど良いバランス
体と心が窓辺で 寄り添って笑ってる
ニッポンが大人の国にならないのはメディアのせいか
2023年08月29日 | カテゴリー: 山木康世
Z世代と言われる子供たちは僕らの孫の世代の人たちである。
個人的感想から言えば、妙にガチャガチャしていて受け狙いの目先意識しすぎの人が多いようで、複数集まると周りに配慮せず、はばかることなく大声で叫んだり、大笑いしたり。公共の場にはいろいろな人たちが集っていることが分からないような人が多い気がする。
コロナ明けの解放感ということも手伝っているのだろうが、それにしてもいかにも子供の集団だ。ネットばかり見て、まともに人と面と向かって話ができないのではといぶかってしまう。議論などその場に割って入る隙間もないであろう。
今から用意して慣れておかなければ月日はあっという間に経って、図体は大人でも中身は子供のままの人で充満する国になるのではと思ってしまう。学校の教育もある、メディアの製作する番組の中身もある、ネットのランキング重視の偏りもある。
他国へ出かけて行って「我が国の国民は戦う覚悟がある」など無責任な発言をしてくる元戦争跡かたずけの孫の重鎮もいる。戦争をしない努力の方がどれほど大事か、勇ましく述べても有事になれば命はもとより国土が荒廃することを彼は学んでいない。
そろそろアニメや漫画の国から脱却して、落ち着きのある他者、弱い人に優しい趣のある国になってほしいもんだ。
小岩ジョニー・エンジェル御礼
2023年08月27日 | カテゴリー: 山木康世
楽曲「ジョニー・エンジェル」は1960年アメリカで大ヒットした歌である。1962年日本では森山加代子、ザ・ピーナツがシングルでカバー発売、大ヒットしている。僕が中学生になりたての頃、物心がつき始め自我に目覚める年ごろであったのだ。洋楽はロカビリー主流であるがベンチャーズ、ディラン、ビートルズ辺りが聞こえてき初めたころでもある。
「白い冬」を昭和のレット一トビーが聞いたのは中学生のころと言っていた。よほど心に入ってきたのだろう。しかし肝心の僕がいくつだったかは不明である。お客さんはラジオやレコード、カセットテープ、ネット辺りで初めて聞くということもあり、早まってふきのとうのデビュー時と考えてはいけないな。
そんな昭和のレット一トビーとコラボしたわけであるが、この場に居合わせた人たちにはどのように映ったのか興味津々。お三方お疲れさまでした。久しぶりにふきのとう時の自分を思い出していた。20代、30代、40代と縁の下の力持ち的に生きることができたもんだとハモリながら思うことしばしだった。
会場の「ジョニー・エンジェル」は1960年代にタイムスリップしたような懐かしい感じの雑多なライブハウスだった。お酒や男女の娯楽のライブハウス。少し遠ざかっていたがソロになりたての頃はよく全国各地で遭遇したもんだ。この年になって少し場が自分の音楽性に相応しくないかもと違和感を覚える。自分が今懸命にliveって生きている場にはお酒はいらない。むしろ午後の紅茶辺りが気分的に相応しいと感じている。もう50年近く前に18年間楽しませてもらったふきのとうはジョニー・エンジェル的でもある。
初対面同士は丁寧に相手を感じ入る思いが大事である。生の人間同士は会話も必要である。決して世の中がAI的になろうとも握手、名刺交換などして一期一会を意識しないと時間は過ぎ去って思い出だけになってしまう。
お忙しい中皆さまありがとうございました。
今週末から長めの東北ツアー、北部戦線異常なし。ヨーソロー、ヨーソローでyasu

満員御礼、ありがとうございました!

昭和のレットイットビー&フレンズの皆さんと4人のステージ

リハーサルで。最前列はかぶりつき!